【シン・エヴァのネタバレ無し】「正しいシン・エヴァンゲリオン劇場版」の臨み方

【シン・エヴァのネタバレ無し】「正しいシン・エヴァンゲリオン劇場版」の臨み方

 「シン・エヴァンゲリオン新劇場版:l|」の公開に向けてエヴァ熱が再燃していたがまさの延期・・・。

 このエヴァ熱再燃中にいろいろ妄想をめぐらせていたカロリーを向けるべく、自分の考察やシンエヴァに臨む姿勢について諸々書きたいと思う。

持論1:考察はあんまり意味ない

 エヴァでは色々な設定は、新劇場版「破」や「Q」の間に何があったかというような考察が行われているが、おそらくそこら辺の解説が正しく事細やかにされることはない。

 旧劇場版で行われた「サードインパクト」についてだって、正しく解説された公式資料だって存在しない。

 「ヱヴァンンゲリヲン新劇場版:Q」は「バクマン」でいう「最強の伏線」を使って作られた作品だと思っておいた方がいい。
バクマンの最強の伏線とは?

 物語を一から読み直し、「のちにこれは伏線だった」と言う方がインパクトの強い伏線になる、いわば「後付けの伏線」と考えられる。

 そして、元々「Q」制作中に当初考えられていた「シン・エヴァンゲリオン劇場版:l|」と今度公開される「シン・エヴァンゲリオン劇場版:l|」もだいぶ変わっている筈だ。

 ちなみに、エヴァの作中で「ファーストインパクト」「月」「アダムとリリスはどこから来た」などが詳細に語られたことはない。
 「インパクト」とか「破とQの間」とか解説されないし、「インフィニティって何?」とかって絶対に語られないと思う。これを強調しておく。

 ぶっちゃけ、前の知識は最低限でいい。いや、ひょっとしたら無くてもいい。
 ただ、迫力のある映像と独特な世界観を受け入れ、刹那的な興奮に包まれて、「なんとなく鬱な気分で帰路につく」-これが正しいエヴァの見方だ。

持論2:一番重要なのはエヴァの歴史

 「さよなら、全てのエヴァンゲリオン」

 「シン・エヴァンゲリオン劇場版:l|」の最新予告が始まってからの全ての予告は最後、この言葉で終わっている。
 おそらく、このセリフが全てを表すようなストーリー展開になっているのは間違いないだろう。

※エヴァシリーズ年表

1995年08月29日コミック「新世紀エヴァンゲリオン 第1巻」(角川コミックス・エース)
発売1995年10月04日テレビアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」(テレビ東京系)
放送開始
1997年02月01日テレビアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」(テレビ東京系)再放送
1997年03月15日劇場版「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生」公開
1997年07月19日劇場版「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」公開

2007年09月01日劇場版「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 EVANGELION:1.0 YOU ARE (NOT) ALONE.」公開
2009年06月27日劇場版「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 EVANGELION:2.0 YOU CAN (NOT) ADVANCE.」公開
2012年11月17日劇場版「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q EVANGELION:3.0 YOU CAN (NOT) REDO.」公開
2014年11月26日コミック「新世紀エヴァンゲリオン 第14巻」(角川コミックス・エース)発売し、完結

2021年03月08日劇場版「シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| EVANGELION:3.0+1.0 THRICE UPON A TIME」公開  

 エヴァは「コミック」と「アニメ」が同時スタートするメディアミックススタイルからスタートしている。当時ではこのやり方はそれなりに一般的になっていたと思うが、キャラクターデザインをした貞本氏がそのまま描いているところに、他とは違う意気込みを感じる。(当時だと、ケロロ軍曹ぐらいしかなかったのでは?)

1:テレビアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」放映

 実際はコミック版第1話の方が早かったがあくまでもメディアミックスの「核」は間違いなくテレビアニメであった。この1997年に放映されていた作品を以下「旧エヴァ」とする。
 何を隠そうNHKで放映されている「フルハウス」のファンであった私も、偶然第1話を見て、それ以降は「旧エヴァ」を優先して見ていた。
 まさか、ロボットに牙があり吠えて、「暴走」するという設定は衝撃過ぎた。ドラマは常に大人びていて、「えらいものを見ている」という自覚があった。当時、幼かった私はミサトさんと加地さんのXXを見て偉いものを見てしまったと思っていた。

 シンゴリは地方出身なので有料である「テレビ東京」を見ている友人はほとんどおらず、誰も話せる相手はいなかった。
 そして、24話。カオルの首が落ちるあの長い時間の静止画に衝撃を受け、次回以降に想いを馳せていた。

 そして、伝説の「25話&26話」ー

 雑な作画、ほとんど動かず、セリフだけ。台本の写真カットが続き、そして、「ありがとう」という謎の賞賛であ終わる26話。

 てっきり総集編だと思い込んでいた幼いシンゴリは翌週、「あれ?27話はお休みかな?」と思ってしまったほどだ。

 そう、意味不明な展開からの「ありがとう」こそ、エヴァンゲリオンの最終回だったのだ。

2、再放送から社会現象

 当時のシンゴリはあまりにも衝撃的で意味の分からない展開を理解したくてエヴァンゲリオンの解説があったフィルムブックを買い集めたほどだ。それほど、僕の脳裏には強く残っていた。
 当時はガンダムWを見ていたが、エヴァ以降は全く見れなくなってしまうほど、自分の中の価値観はすっかり変わっていた。

 恐らく、これは僕だけではなく当時見ていた人には漏れずにして起こった現象だろう。エヴァが終わって、4月になった頃、新しいクラスで遂に「エヴァを見ていた」というガチオタの友だちでき、録画したビデオを見る等、僕はすっかりエヴァにのめりこんでいった。
 そして、1997年、フジテレビの18時からのニュースで遂にエヴァが取り上げらる。

 知らないうちに深夜放送を経て、「新世紀エヴァンゲリオン」は社会現象とまでなっていた。

まだ、ブラウン管テレビにVHS録画の時代だったため、なかなか映像が出てこないがこんな感じで様々なテレビ局で特集が組まれ、コンビニでは「エヴァ読解本」がたくさん発売された。

3・社会現象と旧劇場版

 旧劇場版が我々に与えたインパクトは色々あるが、大まかにすると以下の通り。

ー「エヴァ」という見たことのないロボット(設定上はロボットではないが)
ーほぼ固定されたシュチュエーションで「こころや人間関係」に焦点を当てた展開。
ー新しい映像手法。(電線が映る、実写カット入る、内面世界を描写など)
ー終わらないエンディング(25話と26話を指す)

 エヴァを見るうちに、「わかる…俺もシンジと同じく救われないんだ…俺はシンジだ…救いはどこにあるんだ…」とエヴァに答えを求めるようになる。
 しかし、テレビ版を見ても答えはわからず、人は「答えがわからない」という一番モンモンとした時期を過ごすことになる。

 そして、1997年「シト新生」という映画が上映される。
 前半は、テレビでは語られなかったセカンドインパクト等を入れ込んだ総集編、そして後半は25話のやり直しー精神世界を描いたテレビ版25話が現実世界ではどうなっているのかが描かれた。

そして、4カ月後、遂に完結なる「Air/まごころを君に」
遂に全ての謎がとけ、完全に終わると思っていた「旧エヴァ」作品はかの有名な「気持ち悪い」というアスカの一言で幕を下ろす。

 答えがもらえると思っていたエヴァファンはまたしても突き放される。

利根川にこう言われたカイジ達みたいな心境。

旧アニメ版エヴァンゲリオンとは魅力的なシンジ、レイ、アスカ、カオルというキャラクターや、エヴァンゲリオンという魅力的なキャラクターやロボットを餌に、「人とは繋がれない庵野秀明の呪い」を拡散する作品となった。

「庵野秀明の呪い」とは生きることの苦悩、人と繋がれないジレンマ、男女の愛憎、大人の汚い世界、少年期の理想が成人になるにつれて打ち砕かれるという理不尽さ・・・そういったものを指す。

4:旧アニメ版ファンが見た「新劇場版・序」

そんな最近、やたらパチンコでエヴァンゲリオン出るなぁと思っていたら、遂に新しい映像作品として、新劇場版が始まることになった。
当時は、「機動戦士ガンダム」などをはじめ、昭和アニメの映像を一から作り直すことが多かったためそういった類の「焼き直しビジネス」かと思っていた。

「機動戦士ガンダムZ」などは主人公が精神崩壊して終わるバッドエンドを映画版でハッピーエンドに書き直すというファンも驚きの展開があったため、ひょっとすると…と思っていたが、2007年の「新劇場版・序」はその匂いがプンプンしていた。

当時、序を見ていたファンとしては「第三新東京市」の兵装が最新のCG技術でかっこよく描かれていたり、カヲル君が序盤から出ていたりして、テレビ版とは異なり、「よりヱヴァの世界のディテール」をなぞれるような作品となっていた。

また、シンジ君が少しヒロイックに描かれており、「庵野秀明の呪い」ではなく、「エンターテインメントとしてのヱヴァ」を感じていた。それは少し小恥ずかしく感じるものの、「そうゆうのもアリだな」と言うのが当時の感想であった。

旧劇場版の映画を見た後は「え・・・何?どうゆうこと?誰か教えて?」となっていたが、新劇場版は「なんか、第3新東京市、かっこよくね?最後のしとの形状変化、テレビ版と違っててかっこよかったよね」とワクワクした話をすることができた。

6:旧アニメ版ファンが見た「新劇場版・破」

「破」は「序」と同じく「エンターテインメントのヱヴァ」でありながら、少しずつ話が変わっていく。序盤の仮設5号機の登場や「真希波マリ」の登場は衝撃だったし、遂にアスカが出たと思ったら「惣流」から「式波」に名前が変わっていたり、テレビ版のアダムが「ネブカドネザルの鍵」になっていたり、ラストはシンジ君が覚醒しちゃうし、なにより旧アニメ版のファンからすると「ポカポカする綾波」と「綾波を返せ!と奮起するヒロイックなシンジ」である。

旧アニメファンは「ああ、こういう見ていて爽快なヱヴァもいいよな」と思ったことだろう。

7:旧アニメ版ファンが見た「新劇場版・Q」

基本的にテレビ版とは差異がありながらも、基本的にはテレビ版を踏襲してきた「序・破」。「破」のあとの予告を見ると、展開は異なるものの、国連軍がネルフに手だしして、パイロットたち(シンジ、レイ、アスカ、カヲル、マリ)が結束し、国連やゼーレと戦う展開になりそう、と予想されていた。

しかし、蓋を開けると「え?予告と同じシーン、1つでもあった?」と文句を言いたくなるような予想を超える展開。

「14年も時間が経つ」、「嫌われるシンジ」、「絶望的に変貌した世界」、「敵はネルフと碇ゲンドウ」、「エヴァに乗るな」、「初号機が出てこない」。

それは今まで見たエヴァとは全く異なる映像作品となっていた。

そして、空白の14年間、何があったかほとんど語られず、「サードインパクトが起きたのか?」、「フォースインパクトって何?」、多くのはてなマークを残し、そして、そのままカヲルが死ぬ。

今までの「こういうエンターテインメント的なヱヴァもいいよね」と序破を見ていた旧作ファンの前に突如として、旧劇場版のようなどす黒いエヴァンゲリオンが帰ってきて、「ああ、エヴァってこうゆうヤツだったわw」と妙にうれしくなってしまったのである。

旧劇場版を見た時の「利根川に諭されたようなカイジたち」の心境に再び落とされ、妙にそれがうれしくなってしまったのである。

7:旧アニメ版ファンが見た「コミック版エヴァンゲリオン」

Q公開後、もうひとつ大きなニュースがあった。いつ終わるかわからなかったメディアミックスの要、「コミック版エヴァンゲリオン」が完結したのである。

こちらのエヴァもカヲルと出会うところからかなり展開が変わっており、カヲルとシンジが敵対する等の変更がかかっていた。また、旧作の「Air/まごころを君に」に当たる部分から、かなりのヒロイックな展開となり、最後は「びっくりするぐらいのハッピーエンド」で終わった。

この展開は「序破」の頃のヒロイックなシンジだったら、ハッピーエンドにできたかもしれないと思わされる展開でどことなく、「今の時代ならこのエヴァの方がいいのかもしれない」と思った。

そして、最終巻発売日にファンが騒然したのは「マリの過去」が描かれていたことである。「マリ」はシンジの母親「ユイ」の同級生だったという驚きの情報である。
この情報が「シン・エヴァ」でどうなるかが見ものであった。

8:SNS無き時代の「旧作エヴァ」VS「繋がれる」時代の「新劇場版」ーATフィールドは重要でなくなった

旧アニメ版は上でも述べたが「庵野秀明の呪い」の拡声器的なものであると述べた。

「旧アニメ版」がもてはやされた頃はまだインターネットなども一般的ではなく、人々はアナログに生きていた。当時は、「僕たちの苦悩」を広く知らしめるためには代弁者が必要だった。人間1人1人の声は小さかった。「生きるのはつらい。人とつながれない」ということを大手メディアで初めて言ってくれた庵野秀明は僕らのヒーローでもあった。

ATフィールドー作中の「ヤマアラシのジレンマ」に代表されるエヴァを象徴する概念であった。ぼくたちが他者を認識するための「固有の形」を作るアイデンティティのもとであり、「自分を傷つけないために、相手を傷つけるもの」であもあった。
人は近づくほど相手を傷つけるし、相手を傷つけないようにATフィールドを弱めると、自分を失うものとして描かれた。
これが旧アニメ版を象徴すると同時に、当時の若者たちや庵野秀明の苦悩を象徴するものとなった。

しかし、時代は変わった。

新劇場版が公開される頃からインターネットが普及し、急速に人と人は繋がれるようになった。SNSを通じ、一人一人に発言権ができた。「ぼくは辛い」と主張できるし、代弁者は不要となった。

インターネットを通じ「人と人は繋がりやすくなった」。それが深い繋がりかどうかはわからないものの「ATフィールド」は弱くなったのは事実である。
アナログ世界では、他者は少なく、1人1人の間のATフィールドは強かったが、SNSの時代は「他者は多く、1人1人のATフィールドは弱い」世界となってしまった。

旧劇場版のように「人が、他者を認識し、繋がろうとしたときに心の融合を妨げるものがATフィールドがある」というアナログ時代に対して、SNS時代は「ATフィールド無しの前提の世界」で誰ともつながれるようになってしまった。

9:新劇場版を象徴するものは「コア化」ー均一化しないこと

Qでは「ATフィールドによる苦悩」は一切描かれない。なんなら、破でもに人間同士の衝突はそんなになかった。
かわりにフォーカスして描かれるのは「コア」や「コア化」である。

Qの中でカヲルは「リリンたちは自分達ではなく、環境を変えてしまう」と言い、赤く染まった大地を見せる。

SNSの登場よりATフィールドがさほど重要な世界じゃなくなった世界を包んだのは「インターネット社会による、人間のコモディティ化」だ。
インターネットの登場により、ほとんどの情報はオープンになり、思想は伝播しやすくなり、人は「コモディティ化」した。

Qエヴァで赤く染まった大地は「個性を揺らがせるコモディティ化の浸食」を表し、インフィニティのなりそこないは「個=顔」を失ってしまった人類に見える。

そう考えると、Qという作品は「エヴァに乗れる」という最大の個性を失ってコモディティ化する一歩手前のシンジの葛藤を描いていたのかもしれない。

Qで「エヴァ第13号機」にシンジが乗らなかったら、きっと赤い大地の上で「コア化」して埋没していたことだろう。

最後に:ネタバレ無し「シン・エヴァ」を見た後で

上記の章までは「シン・エヴァ」を見る前に書き上げた部分で、ここから先は「シン・ヴァ」を見た後に書いている部分となる。タイトル通り、ネタバレは無し。

まだ、「シン・エヴァ」を見ていない人は、「序破Q」は必須だが、やはり過去のエヴァ作品、旧アニメ版(旧劇場版含む)、コミック版あとは「シン・ゴジラ」を見てからの鑑賞をおすすめする。

深く読み取る楽しみもあるが、映像作品として純粋に楽しめる映画でもあるので、最低限の「序破Q」が見れていれば楽しめるのは間違いない。考察については別のネタバレ記事書くつもりだが、ネタバレなしで1つだけ言いたい。

今回の作品は「庵野秀明なりの映像表現へのチャレンジ」が随所に見える内容となっている。そのためには過去の庵野秀明のチャレンジの歴史を見ておいた方が、進歩を楽しむことができる。

それではネタバレありの記事でまた会いましょう。


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