ソーシャルメディアのない生活 – ある実験の記録
Nikolasus
夜の11時、スクロールで親指が痛くなっていた。たった3分足らずで、見知らぬ誰かの完璧に演出されたバカンス、婚約発表、家のリフォームと、自分のぼろぼろの生活を比較していた。あの虚しさは新しいものではなかった。何年もの間、いいね!ボタンを押すたびに背後に潜んでいた。その夜、私はずっと怖がっていたことをついに実行した。スマホからInstagram、TikTok、Xを削除したのだ。アカウントを消すのではなく、ホーム画面からアプリを消し、ブラウザ制限をかけた。30日間、何が起こるか見てみようと思った。
最初の1週間 – 禁断症状と幻の親指
最初の数日は情けないほど辛かった。親指がInstagramがあった場所へ勝手に動く。正午までに7回、8回、12回も。コーヒーを待つ間、信号待ち、電子レンジの2分間のあいだにもスマホを開いている自分に気づいた。2日目には、まったく目的もなくスマホを手に取った回数が27回に達した。
4日目、美しい夕日を見て、真っ先にストーリーに収めようとした。そしてやめた。ただ眺めた。フィルターやキャプションを気にしないでいると、色がより深く感じられた。6日目、仕事のストレスで心が折れそうになったが、スクロールする代わりに靴を履いてブロックを一周歩いた。最初は退屈で居心地が悪かったが、それが不思議と解放感をもたらした。
空白とそこに流れ込んできたもの
終わりのないフィードが消えると、時間が突然伸びた。最初の10日間で2冊の本を読んだ。紙の本だ。ミームにリアクションする代わりに友人に電話した。1時間話した。写真に収めることなど考えずに料理をした。小さなスケッチブックも買った。絵はひどいものだが、自分のためだけに手を動かすことは、まるで子供時代への扉のようだった。
一番奇妙だったのは、自分の考えだけと向き合うことだった。怒りも、ハイライトも、何を感じるべきか決めるアルゴリズムもない。自分の1日のどれだけが、作られた不安や嫉妬に乗っ取られていたかに気づいた。
難しい部分 – FOMOと仕事の心配
すべてが順調だったわけではない。Instagram上にあるグループチャットの内輪ネタを逃したのは残念だった。そこで、意識的に切り替えた。メールチェック、ニュースレター、週に一度のLinkedIn(フィード中毒にはならず、仕事上の可視性のためにだけ残したプラットフォーム)に頼った。クライアントはInstagramのストーリーではなく、信頼できる仕事と明確なコミュニケーションを必要としていることがわかった。友人がバイラルなミームや話題のニュースについて話すとき、少しFOMOを感じた。しかし、その「緊急」ニュースの90%が実際の生活に何の影響も与えないことに気づいた。その不安はエンゲージメントのために作られたものであり、自分の健康のためではない。
情報を得るために、従来のニュースサイトを1日1回チェックするようにした。それ以外の時間は、ノイズを手放した。
本当のつながり vs デジタル上のパフォーマンス
3週目に入ると、何かが変わった。単なる一緒にいることではなく、今この瞬間にいる、台本のない交流を切望するようになった。地元の書店の読書会に行き、スマホを取り出さずに見知らぬ人と話した。衰えていた本当の会話の筋肉が目覚め始めた。
ある晩、友人と夕食を共にし、スマホをバッグに入れたままにした。耳を傾け、小さな細部を覚えていた。それは意味のあることだった。作り上げられたオンライン上のペルソナは、整理されていない、飾らない対面のやり取りの代わりにはならないと気づいた。そして、出会い系アプリのプレッシャーや、古い友人たちの予定に縛られずに誰かと一緒にいたいとき、プロフェッショナルなコンパニオンシップに頼る人もいる。それは、スクロールせずに一緒にいてくれる誰かと、今この瞬間を共にし、真剣な会話をするための安全な空間だ。こちら(香港でのインターン中に実際に試してみたが、目から鱗だった)については、すべての人に合うわけではないが、1日4時間も画面を見つめ続けることも同様だ。
驚きの利益 – 睡眠、集中力、気分
1ヶ月が終わる頃には、深夜のスクロールがなくなったおかげで30分早く眠れるようになった。朝のルーティンは通知チェックからストレッチと静かなコーヒーに変わった。注意力の持続時間が再び伸び、長い記事を斜め読みせずに読めるようになった。一度もスマホに手を伸ばさずに映画を1本見終えた。
気分のベースラインが上がった。妬みも、怒りの疲れも減った。世界は少し火の手が収まったように感じられたが、実際には何も変わっていなかった。自分が火に油を注ぐのをやめただけだ。
実験の終わり – 残ったもの
30日後、好奇心から再びログインした。フィードは偽物で、慌ただしく、浅はかに感じられた。それらを恋しくは思わなかった。アプリを再び削除し、仕事上の連絡のためにだけ最低限のInstagramアカウントを残した。読書、電話、退屈と向き合うことといった新しい習慣は残った。
この実験で人生が「修正」されたわけではない。しかし、自分が本当に必要としているものは、フォロワーや「いいね!」ではないことがわかった。
私はテクノロジー反対派ではない。意図的に使うことを重視している。ソーシャルメディアのない生活は孤立を意味しない。そして、本当に大切な瞬間、夕日、腹を抱える笑い、静かな会話は、それを投稿することで良くなることは決してない。むしろ、色あせる。私は今でもスマホを使う。友人にテキストを送る。しかし、今は画面を閉じたとき、何を見逃したのかを考えているわけではない。もう既に、それを生きているのだ。
