
高卒・シンママ・手取り20万未満だった私が、noteで月36万円を達成するまで

あや【普通の女子が副業で月36万シングルマザー】
~誰にでもある「普通の経験」が、誰かにとっては価値になる~
はじめに
名前:あや ✍️年齢:32歳家族構成:子ども(1人)と2人暮らし(シングルマザー)経歴:高卒 → 美容院 → アルバイト → 事務職 → 結婚 → 不倫発覚&離婚 → シングルマザーに → 副業で迷走(メルカリ・クラウドワークス) → noteに挑戦好き:猫🐱/おしゃれ👗/子どもとのお出かけ👩👧目標:子どもと笑顔で過ごせる時間を増やすこと。そして「普通の私でもできた」を伝えて、同じ境遇の人に希望を与えること。
当時の生活と悩み
正社員として働いてはいるものの、手取りは20万円に届かず、子育てと生活の両立にいつも悩んでいました。家賃や食費、保育料を支払うと、手元に残るのはほんのわずか。子どもを寝かしつけた後、家計簿を眺めながら「来月は赤字になるかもしれない」とため息をつくのが日常でした。
副業への挑戦と挫折
少しでも生活を楽にしようと、副業に挑戦しました。メルカリでは売上が出せたものの、仕入れや発送に時間を取られて子育てとの両立が難しく、続けることができませんでした。クラウドワークスにも挑戦しましたが、どれだけ頑張っても月1万円がやっと。「やっぱり私には無理なんだ」と、何度も諦めかけました。
人生を変えたnoteとの出会い
そんな私が、あるきっかけで始めた note によって人生が大きく変わりました。初月で3万円、2か月目で12万円、3か月目には36万円を達成。
特別なスキルや資格があるわけではなく、何かに秀でているわけでもありません。ただの「高卒事務職のシングルマザー」である私が、在宅でここまで稼げるようになったのです。
この記事で伝えたいこと
この記事では、どん底から挑戦し、転機を迎え、そして副業で成果を出すまでの私のリアルなストーリーをお話しします。同じように悩んでいる方にとって、「自分もできるかもしれない」と思えるきっかけになれば嬉しいです。
第1章|高校卒業から正社員になるまで
美容院での過酷な毎日
高校を卒業してすぐ、地元の美容院に就職しました。「おしゃれな仕事で、人をきれいにする側に回れる」──そう思って飛び込んだのですが、現実は想像以上に厳しいものでした。
朝から晩まで立ちっぱなしで、シャンプー、掃除、タオル洗い。お客様と会話を楽しむ余裕なんてなく、雑用に追われる日々。給料は手取りで16万円ほど。そこから家賃や生活費を払うと、手元に残るのはほんのわずかでした。
薬剤に触れるたびに手は荒れ、ひび割れた指から血がにじむこともありました。「このままじゃ体も心ももたない」そう感じて、わずか1年半で美容院を退職しました。
アルバイト生活の日々
退職後は、スーパーのレジや飲食店のホールなど、アルバイトを転々としました。朝から晩まで働いても、時給制なので収入は安定しない。シフトの調整にも振り回され、気づけば2年が過ぎていました。
「正社員になって、安定した生活を送りたい」アルバイト生活を続けながら、心の中ではずっとそう思っていました。
正社員としての一歩
22歳のとき、ようやくメーカーの事務員として正社員になることができました。毎日決まった時間に出勤し、定時に帰れる。初めて「ボーナス」というものを手にして、「やっと普通の生活が送れるかもしれない」と感じたのを今でも覚えています。
そのときの私は、本当に安心していました。「これで安定した未来が待っているはず」──そう信じていたのです。
第2章|結婚と東京での生活
出会いはマッチングアプリ
22歳から正社員として事務員を続け、少しずつ心にも余裕が生まれ始めた頃。友人の勧めで、半信半疑ながらマッチングアプリを始めました。そこで出会ったのが、4歳年上の男性。彼は東京で商社を経営しており、落ち着いた雰囲気と頼れる言葉に惹かれていきました。
数か月の交際を経て、私は彼と結婚することを決めました。「この人となら幸せな家庭を築ける」──そう信じて疑いませんでした。
憧れだった東京生活
25歳のとき、結婚と同時に上京。引っ越した先は、憧れのタワーマンションでした。大きな窓から見える東京の夜景。それまでの生活とはまるで別世界で、「やっと幸せを掴んだ」と心から思ったのを覚えています。
ブランドのバッグを持っている自分や、きらびやかな街で夫と歩く姿に、まるでドラマの登場人物になったかのような気分でした。
幸せの影に忍び寄る不安
しかし、幸せな時間はそう長く続きませんでした。ふとした瞬間に、夫の態度に小さな違和感を覚えるようになったのです。帰りが遅い日が増え、「出張」と言って家を空けることもしばしば。
「きっと仕事が忙しいだけ」──そう自分に言い聞かせていました。でも、心の奥では拭えない不安が、じわじわと広がっていきました。
第3章|不倫と離婚
友人からの一本の連絡
東京での新生活に慣れてきた頃、仲の良い友人から一本の連絡が入りました。「ねえ、これ…あんたの旦那に似てない?」送られてきたのは、マッチングアプリに登録している男性のスクリーンショット。
最初は信じたくありませんでした。でも、写っていたのはどう見ても夫の顔。胸の奥がざわつき、不安が現実になっていく感覚がありました。
疑いが確信に変わった瞬間
その後も「出張で県外に行く」と言って家に帰らない日が増えていきました。そんなある日、夫のスーツのポケットから都内のおしゃれなレストランのレシートを見つけたのです。
「出張」と言っていたはずなのに、実際は都内で誰かと過ごしていた。頭の中が真っ白になり、疑いは確信に変わりました。
離婚の決断
勇気を出して夫と向き合いました。彼は不倫を認めました。胸の奥に込み上げてきたのは、怒りと悔しさ、そして深い虚しさ。「私が信じてきた時間は何だったんだろう」涙が止まらなかったのを今でも覚えています。
話し合いを重ねた結果、離婚を選びました。まだ2歳だった子どもを抱え、私は家を出ていきました。
一人で生きる覚悟
慰謝料や養育費を求めることもできました。でも私は、それをあえて断りました。お金の問題ではなく、「もう二度と子どもに父親として関わってほしくない」という気持ちが強かったのです。悔しさや拒絶感から、私自身が突き放した形でした。子供にとっていい決断だったかはわかりません。きらびやかなタワーマンションの暮らしは、一瞬にして崩れ去りました。でもあのとき、私は「自分の力だけで子どもを守り抜く」と決意したのです。
4章|シングルマザーとして再出発
埼玉での新しい暮らし
離婚後、私は子どもと二人で埼玉へ引っ越しました。東京にも通いやすく、家賃も抑えられるエリア。きらびやかなタワーマンションから、築年数の経った 1DKの小さな部屋 へ。
寝室とリビングを仕切る引き戸を閉めれば、子どもの寝息や笑い声がすぐ隣から聞こえてきます。窓の外に広がるのは夜景ではなく、駅前の街灯やコンビニの明かり。華やかさは消えたけれど、子どもと二人で「ここからやり直そう」と心に決めていました。
正社員を続けながらの生活
私は正社員の事務員としての仕事を続けました。それでも手取りは20万円に届かず、ボーナスもごくわずか。家賃、食費、保育料、光熱費──必要な支出を計算すると、手元に残るお金はほんのわずかでした。
「贅沢はできなくてもいい。でも、子どもに不自由だけはさせたくない」そう願って働き続けましたが、現実は厳しいものでした。
心と体の限界
朝は子どもを保育園に送り届け、時短勤務で職場へ。夕方に迎えに行き、帰宅してからは食事・お風呂・寝かしつけ。ようやく自分の時間ができるのは子どもが眠ったあと。気づけばソファに座ったまま眠ってしまう日も少なくありませんでした。
「このまま正社員の給料だけでやっていけるのだろうか」「子どもが大きくなったとき、私はちゃんと守ってあげられるのだろうか」不安ばかりが膨らみ、心も体も限界に近づいていきました。
副業への思い
そんなとき、頭に浮かんだのは「副業に挑戦してみよう」という考えでした。このままの生活では未来が見えない。けれど、スキマバイトだと子育てをしながらできることには限りがある。「在宅でできる副業なら、もしかしたら道が開けるのではないか」
小さな希望にすがるように、私は新しい挑戦を始めることを決意しました。
第5章|副業チャレンジ
メルカリでの手応えと限界
最初に挑戦したのは、家の中にある不用品を売ることでした。洋服や子どものおもちゃ、使わなくなった日用品を メルカリ に出品したところ、意外なほどすぐに売れていきました。初めて売上が振り込まれたときは、「こんな簡単にお金になるんだ」と驚きと嬉しさでいっぱいになりました。
そこで、近所のリサイクルショップへ足を運び、安く仕入れた商品をメルカリで販売する「せどり」に挑戦しました。利益は確かに出ました。けれど、小さな子どもを自転車に乗せて仕入れに行き、帰ってからは梱包・発送…。子どもに負担をかけている罪悪感と、体力的なきつさに限界を感じ、長くは続けられませんでした。
クラウドワークスでの挑戦
次に試したのは クラウドワークス。在宅でできる仕事なら子育てと両立できるはずだと期待して、アンケート回答やデータ入力、ライティングの案件を必死にこなしました。
確かに在宅でできるのは安心でした。でも、何時間も作業をして得られるのは数百円。どれだけ頑張っても月1万円が限界でした。「正社員の給料にプラスする」と考えると、あまりに小さすぎる金額で、3か月ほどで心が折れてしまいました。
挫折と気づき
メルカリは「稼げるけど続けられない」。クラウドワークスは「続けられるけど稼げない」。どちらも私が理想としていた「子育てと両立しながら生活を豊かにする副業」とはほど遠いものでした。
「やっぱり私には無理なんだろうか…」夜、子どもが眠ったあとにスマホを握りしめながらため息をついた日を、今でも鮮明に覚えています。
けれど、この挫折の積み重ねがあったからこそ、後に出会う note での挑戦につながっていったのです。
第6章|noteとの出会い
ふと思い出した過去の体験
クラウドワークスでの挑戦に挫折し、「もう副業は向いていないのかもしれない」と落ち込んでいた頃のこと。ふと、過去の出来事を思い出しました。
それは、結婚生活をしていたときに noteで美容に関する記事を購入した経験 です。当時の私は夫婦関係や自分の容姿に悩んでいて、ネットで見つけた記事を思わず買ってしまったことがありました。
「そういえば、あのときの記事って、書いた人の体験談がベースだったよな…」「もしかして、私の経験も誰かの役に立つんじゃないか?」
そう思った瞬間、胸がざわつくような感覚がありました。
私の経験を記事にするという発想
「副業=モノを売る」「副業=作業をこなす」そんな思い込みをしていた私にとって、自分の体験を「記事」という形にして誰かに届けるという発想は衝撃的でした。
私はシングルマザーとしての生活や子育てでの悩み、離婚に至るまでの苦しみをリアルに経験しています。同じように悩んでいる人は必ずいるはず。その人たちに向けて「自分の等身大の体験」を書くことなら、私にもできるかもしれない。
最初の一歩を踏み出す
最初に書いたのは「シングルマザーが抱える子育てや生活の悩み」についての記事でした。「誰がこんな記事を買ってくれるんだろう」──そんな不安を抱えながら公開ボタンを押したのを覚えています。
けれど驚いたことに、私の記事を読んで共感してくれる人がいたのです。「同じように悩んでいます」「励まされました」というメッセージまで届きました。
その瞬間、「私の体験が誰かの役に立てるんだ」と心から実感しました。そして、胸の奥で小さな火が灯ったように、「もっと書いてみたい」という気持ちが生まれたのです。
第7章|成果と学び
驚きの結果
恐る恐る始めたnoteでしたが、その結果は予想以上のものでした。
- 初月:売上3万円
- 2か月目:12万円
- 3か月目:36万円
数字を見たときは、正直信じられませんでした。「本当に、私がこんな金額を…?」でも同時に思ったのは、「これで子どもに少しは不自由させずに済むかもしれない」という安心感でした。
子どもを寝かしつけたあと、わずかな時間で書いた記事。それが誰かの共感を呼び、そして実際に収入になった。モノを仕入れて売ったわけでも、何時間も単純作業をしたわけでもない。「自分の経験を言葉にするだけ」でここまで結果が出るとは、想像もしていませんでした。
読者との出会い
記事を購入してくれた人から、たくさんのメッセージをもらいました。「同じように離婚を経験して、励まされました」「シングルマザーで毎日大変だけど、少し前向きになれました」そんな言葉をもらうたびに、「書いてよかった」と心から思いました。
やがて、「副業をやりたいけれど、スキルがなくて何もできない」という相談も届くようになりました。最初は「私に答えられるのかな」と不安でしたが、話を聞くうちに気づいたのです。
誰もが持っている強み
相談をしてくる人たちは口をそろえて「スキルがない」と言っていました。でもよく話を聞くと、それぞれに強みや得意分野がありました。
- 美容に詳しい人
- 人間関係の悩みをうまく解決できる人
- 営業の経験がある人
「特別なスキル」ではなくても、誰かの役に立つ知識や経験を必ず持っている。私自身がそうであったように、誰にでも「記事にできる価値」があるのだと確信しました。
共有から広がった学び
私は、自分がnoteで実践してきたことや、学んだことをシェアしました。「こういう記事の書き方をしたら共感されやすいよ」「このテーマなら困っている人が多いよ」
すると、相談してきた人たちの中にも、実際に記事を販売して成果を出す人が出てきました。「本当に売れた!」と喜びの声をもらったとき、自分のことのように嬉しかったのを覚えています。
noteは、ただお金を稼ぐためのツールではありません。「経験や想いを共有し合う場所」であり、そこから人と人がつながり、学び合う場所でもあるのだと気づいたのです。
第8章|今の思い
周りにあふれていた「お金の悩み」
noteを始めてから、多くの人とやり取りをして気づいたことがあります。それは、シングルマザーに限らず、本当に多くの人がお金の悩みを抱えているということです。
旦那さんの借金で生活が苦しくなり、自己破産を考えている人。正社員として働いても手取りが少なく、将来に希望が持てない人。副業を始めてもなかなか成果が出ず、自分を責めてしまう人。
かつての私と同じように「どうしたらいいのかわからない」と悩んでいる人がたくさんいるのです。
誰にでも価値はある
多くの人は「スキルがないから無理」と口にします。でも私は、そうじゃないと伝えたい。
資格がなくても、立派な肩書がなくても、誰にでも必ず経験や強みがあります。小さな日常の工夫や、自分が乗り越えてきた失敗や悩み。そうしたものが、他の誰かにとっては「欲しかった答え」になるのです。
私は、自分が離婚やシングルマザーとしての経験を記事にしたことで、それを必要としていた人たちと出会えました。そして今度は、私が学んだ副業ノウハウを伝えることで、誰かの収入や生活が変わるきっかけになっています。
これから伝えていきたいこと
私は「特別な誰か」ではありません。高卒で、手取り20万円にも届かなかった事務員で、シングルマザーです。そんな私でも、在宅で毎月30万円以上を稼げるようになりました。
だからこそ、これを読んでいるあなたにも伝えたいのです。あなたの経験や考えは、必ず誰かの役に立ちます。そして、それを形にすれば「収入」にも「生きる希望」にも変えることができます。
私自身がどん底から立ち上がったように、あなたにもきっとできる。これからの記事では、私がどのようにしてnoteで収入を得られるようになったのか、その具体的な方法や考え方を余すことなくお伝えしていきます。
まとめ|等身大の私だから伝えられること
ここまで、私が「どん底」から「副業で成果を出すまで」の道のりをお話ししました。
- 高卒で、美容院を1年半で退職し、アルバイト生活を経て事務職に就いたこと
- マッチングアプリで出会った夫との結婚、東京での華やかな生活、そして不倫からの離婚
- 子どもと二人で1DKの部屋に引っ越し、手取り20万円未満の中で必死に働いた日々
- メルカリやクラウドワークスに挑戦しても「両立できない」「稼げない」と挫折したこと
- そして、noteに出会い、自分の経験を書いたことで初月3万円→3か月で36万円という成果につながったこと
私が伝えたいのは、「特別な人しか稼げないわけじゃない」ということです。むしろ、等身大の経験や悩みこそが、誰かの心に届き、価値になるのだと実感しました。
これからは、私が実際に実践してきたnoteでの副業術や再現できるノウハウを、余すことなくシェアしていきます。この記事をここまで読んでくださった方にとって、少しでも「自分もできるかもしれない」と思えるきっかけになっていたら嬉しいです。
人生はいつからでも変えられる。私がそうだったように、あなたにも必ずできるはずです。