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恋愛ノウハウではなく俺の非モテ時代から港区美女到達までの物語をざっくり記載した物語になってます。暇な方だけ読んでください。
年齢ももう30中盤になった
23歳から自分を変えたくてナンパを始め、いろんな壁にぶちあたりながら今はお金にも女にも不自由ない生活をしている
もともとこんな生活ができる人間ではなかった
小さい頃から自分に自信がなく、クラスでも普通男子、転校していじめられて更に自信がなくなった
中学高校でも人間関係がうまくいかず、特に集団行動が苦手で毎日学校が嫌だった
高校は男子校に進学し、心を殺して毎日通っていた
ど田舎にある高校なので窓から見える田んぼを見ておれの人生ってなんなんだろ
毎日人の目を気にして当たり障りなく生きて、高校卒業の18年間、学校が楽しいと思った日は一日もない気がする
でも、なんとか自分に自信を持ちたいと毎日最寄りの駅にある本屋にいって自己啓発本や名言集などを中学高校から読んでいた
その頃からSNS、アメブロ、前略プロフィールなどが流行りだし、俺と同じ10代後半の男が可愛いギャルとプリクラを撮っていたり、みんな恋愛を楽しんでる姿が嫌でも目につくようになった。 そこには中学時代パットしなかったやつもおり、俺だけ置いてけぼりと思った。みんな高校デビューを果たしていく中、俺は中途半端に勉強づくしで毎日校内の図書館で西尾〇香里(アナウンサー)の画像で抜いていた。
毎日、話したこともない中学時代のイケイケの人のブログや前略をみて、羨ましい、いつか俺も との願望があったが、当時は行動に移せる勇気も度胆もなく、淡々と毎日を過ごしていった
【大学時代の苦悩と挫折】
大学に進学して、大学デビューしてやると意気込んで無理して最初だけ陽きゃグループに属したことがあった
合コンやクラブに連れてかれた
でもこの18年間のハンデはあまりにも大きく、合コンでは一番モテなく、その場にいるのも嫌でトイレで酔ったふりをして泣いた時もあった
気づくと周りにはインキャや普通レベルの真面目の友達に変わり、ドライブやファミレスで話すといった普通の遊びをしていた
でも俺はモテたい、中高でヤンキーがモテてる姿を見て俺もああなりたいと10年間の学生生活でずっと思っていた
さぁ!!彼女作るぞ!!! 。。。どうやるんだ?? 俺は中学からまともに女の子と話したことがない、ザ、童貞男。 私服もほぼ持っていなく、初日はジャージで登校したほどだ やばい!童貞がバレたらまた大学でインキャ生活の日々が待ち受ける!!
俺は絶対に大学デビューを果たさなくてはと思い、親に頼んでギリギリ服を買いまくった。そう、なんとか元々モテてた風に装い、繕った。
その甲斐もあり、最初は割とリア充グループに属すことになった そのグループは全員割とモテてきたタイプの人間で俺は逆に童貞と最初から発言することによって割といい位置のいじられキャラとしてそのグループの一員になった。
ただ、恋愛偏差値の差は歴然としており、みんな大学で女の子と普通に話せる中、俺だけ上手く話すことが出来ず、一緒にクラブや合コンへいっても一言も話せない日々が続き、いづらくなり、孤立していった、トイレに逃げて隠れてたこともあった
はぁ、みんないいなぁ、女の子と話せて、俺はまたなにしてんだよ、、、 俺は情けなくなり誰とも関わりたくなくなり、ゼミで出会った童貞仲間とつるむようになった 。
俺は大学まで実家から1時間もかからないくせに女を連れ込みたいという理由から大学の近くで一人暮らしをしていた、学費は親、一人暮らし費用は奨学金、バイトはフコンビニでしていた。
何してるんだ俺は、、毎日大学へいき、童貞とつるみ、22時前には帰宅し早寝早起き、こそこそと生活する毎日。
一人暮らしの家に帰ってきても絶望感で溢れていた 。
毎日更新されるみんなのSNSで昔よく見たオラオラ系やパッとしないやつも大学生活楽しんでる。
俺はまた苦しい日々を過ごさなければならないのか、 と考えてると呼吸が苦しくなりパニック症候群みたいになった。 家にいるとパニックで呼吸が苦しくなることが多くなり、外へ散歩していた 。パニックになると一日で体重が2キロ痩せたり、電車に乗れなくなったりした。 なんとか俺は大学へいってもつまらない毎日を過ごしていた
【合コンでのトラウマ】
まだ非モテだった時に友人と3対3の合コンがあり、たまたま意気投合した女がいた(と思っていたのは俺だけだったが) 後日、俺は童貞あるあるのすぐに好きななり、当時はメールだったので長文メールをした。
俺がその子のことをどんだけ好きなのかという文章を長々と送った 翌日、2日後、3日後、毎日新着メール問い合わせの日々。
なんでだ、あんなに楽しかったのになんでメールが返ってこないんだ もしかしたら届いてないのかもしれない、携帯が壊れているのかもしれない もう一度再送した かえってこなかった。
2週間後、一緒に参加した男から伝えられた。 お前どんなメールおくってんだよ、気持ち悪がられてたぞ もうやめてくれだってさ。
泣いた、ほぼ告白のようなだらだらとした文章を一生懸命書いた。 なんで、あんなに楽しそうだったのに、一生懸命メールを書いたのに なんで嫌われるの?? 勝手にその子との未来を想像していた
その時は、女心なんて一切わかってなかった、 しかし恋愛の勉強をして180度変わった
【出会い系での童貞卒業】
でもダメだ、流石に自分から女に出会って話す練習をしないといけない。
俺はリア充軍団とみんなでクラブいったりバーベキューしたりするのは向いてない、というか慣れてないし話せない なら個人戦で女と会いまくって練習しよう そんな考えになっていった。 ただ、度胸も行動力もない俺はどう出会えばいいのかわからなかったし、ナンパする勇気も自信もない。
出会い系、、、 当事は今よりポピュラーな感じでなく、出会い系=危ない、メンヘラ 的なイメージだった が、そんなこともいっていられない 童貞=死んだ状態も同然だ。
俺は特に女を前にするとかなりの人見知りでもあった。 もちろんネットで会ったこともない人となんて。 だがそんなこともいってられない、自分を変えたい、モテたい、ヤリたい
とにかく経験だと思い、大学、合コン、クラブでダメならネットしかないと思い、当時流行ったmixiで【よかったら絡みましょうー!!】を毎日毎日毎日送り続けた
そしたら家の近くの純粋な子と出会え付き合えたりもした
ただ、その前に出会い系にも手を出し、当時の出会い系はかなり怪しく怖かったが、大学1年時、童貞だったおれはもう怪しいとか言ってられないと思い、立川の21歳のキャバ嬢と出会うことになる
俺はとある出会い系サイトに登録し、運良く一人の可愛めな女とマッチした 某日、立川駅。怖いからと友人に途中までついてきてもらった 割と普通の女の子がきた 最初は、、そう思った。キャバ嬢だった
当時の俺からしたらキャバ嬢なんて超格上、学生界のヒエラルキーでいったらトップ
そんな女に出会った俺はもちろん童貞の雰囲気なんて1ミリも出さずに会った
適当なカフェに入り話して、酒を飲み、相手はストーカーされて怖い毎日を送っていると相談された
話していくうちに童貞あるある、すぐにその女を好きになっていった 。
ただ話していると、、何故か髪切りすぎてカツラかぶってる、ストーカーにあってる、友達のホストがどうとかこうとか。 おれの脳内 ??????????? 童貞とキャバ嬢が出会った化学反応で俺はおかしくなっていた。 今までキャバ嬢との接点なんて一度もなし、ホストなんて、ドラマの世界だと思っていた 。
よくわからないが彼女が弱っていたことは間違いなかった
非モテなおれはこれはチャンス、弱ってると思い、かなり安心感を与える話をした
当時の出会い系の女はかなりメンヘラみたいな人もいて、その類ではなかったがストーカーのせいでその女性はかわいいのに情緒不安定気味であった
それもあり話をうんうんと聞いているだけなのに、運よく俺は彼女の家に泊まることになった。 だがしかし、セックスの仕方がわからない、、 そして俺はカントン包茎。
泊まり初日 俺は彼女から求められた 一世一代のチャンスがきた。 それなのにあろうことか、俺は童貞でやり方がわからないのと、カントン包茎でち〇こを見せたくない恥ずかしから、ま、まだ付き合ってないからこういうことはよくないよ!! というわけわかめなことをいってやらずに帰宅した
俺はウメいた 何してんだよ、、、、おれは何してもダメだ、、でも落ち込んでる暇はない。
翌日、カントン包茎手術を決めた 。俺はセックスのやり方を研究し、手術をし、準備万端で彼女の家にまた泊まることになった 。手術してちんこの抜糸はまだの状態で糸がついていた。 医者からはセックス禁止と言われていたがそんなの関係ない 俺は当時はセックスできたらもう死んでもいいくらいに思っていた 。
そうして初行為
ちんこに糸がついたままなめられた 1週間後、そこからバイ菌がはいり、ちん子がパンパンになり大変なことになったのは忘れない 。
そんな感じで一度してしまえば、あとは練習するのみだった
3回くらい会って相手の家にいき、酒の勢いで童貞を卒業した
ぶっかけ君優しいね、いろいろ話聞いてくれてありがとう
俺は女に必要とされるととても嬉しくなり好きになっていった
ただ、この幸せの時間もほんの一瞬で、やった次のアポの時はその女性はかなり元気になっており、俺が女の家にいるのでホストと電話したり、俺は少し寂しさを感じた
なんとなく俺はもう必要とされていないと感じ、家をでてそれ以降会うことはなかった
そんなこんなで童貞を卒業した俺は一旦は人生の目標達成、そして人生で初めての成功体験で、空が明るく見えた
俺は少し自信がつき、主にmixiを使って出会いまくった ただ、反応は悪い 。
もっと簡単に出会う方法はないのか、もっと簡単に効率よくかわいい子と会いまくりたい
その後mixiで連打しいろんな女の子に会いまくった
ただ、結局人は自分の鏡、自分と同じレベル以下の女しかやれない
それは現実だ
顔、ステータス、大学名、将来性、トーク量、モテ具合、経験
総合的に女に判断され、またこちらも判断し、自分より格上の相手しか股を開かないので女の常だ
でも俺も少しずつ経験を重ねて、一般人レベルまでにはなった
大学卒業時、経験人数は7人くらい、俺にしては頑張った方だ
ただ、もっと可愛いことやりたい、もっと達成感を味わいたい、今まで心から楽しいと思ったことがなかった人生で、やること、恋愛ゲームがこんなにも楽しいのかと人生に少し希望が見えた
【運命のナンパブログとの出会い】
無事就活を終え、大学生活残り2ヶ月で何か最後にできないかと思い、路上ナンパに挑戦した。
とはいえ、、学生時代友達も少なくトーク力も0、そもそも心配性、臆病者の俺にそんな勇気はない
そんな時に同じ年の【しゃおろんのナンパブログ】というブログに出会った
そんな時にたまたまブログで、ナンパ大学生 というアメブロをみた
俺と同い年で大学生、顔はブサイク、身長は小さい、
プロフィールには俺と同じ大学生。顔はブサイク 身長は160代 どうせナンパなんて、イケメンかオラオラヤンキー系しかむり 。そんな常識を覆す方だった
そんな男の毎日が記載されていて大ハマりした
毎日頑張って声をかけられずに終わる日々、それがブログを進めるに連れて少しずつレベルアップしていき、最後の方は夜職最高峰のホステスを即っていた
俺はそのブログを最初から最後まで読んだ。 俺と同じような境遇で 最初は全然声をかけられなかったけど、だんだん成長していった トーク 見た目 導線 全てが成長していく姿が描かれていた
そして最後に、 高級ホステスを物にするところでブログは終わっていた と、同時にその人も人生は180度変わりすごく生き生きしていた
その中には心理戦やノンバーバルの重要性など大学生とは思えないくらいのナンパ技術も書かれており、おれはどんどんのめり込まれた
俺はこれしかないと思った
人生を変えたい。とにかく、これまでの20年間ずっとパッとしなかった イケイケ達を横目に指咥えてみて見ぬふり、俺とは違う人種だ、俺とは違う、どうせあいつらは痛い目見る
俺は自分を守る為に彼らを否定していた。 でもほんとはいつでも羨ましく思っていた 美女に囲まれて生活したい 美女を落とせるようになりたい とにかく 今の悶々とした人生を一変させたい
よし、やろう
【地蔵の日々】
おれは街に繰り出した
しかし、、、1時間、3時間、5時間、8時間。。。
声かけられず撤退
初日池袋、足がかなり痛くなるまで歩いたが何もなしで帰宅した
何してるんだ俺は、、、
自信がなくなった
諦めようと思った
でもダメだ、やりたい、、可愛いことやりたい、、
2日目、今度は渋谷にいった
そもそも渋谷なんで数回しか行ったことがなく、その辺に怖そうなスカウトもいるし、別世界だった
1時間、、3時間、、8時間、、10時間、、
帰宅
はぁ。。。。
ナンパってこんなに難しいのか。。
2日連続の下痢
3日目
今度は新宿にいった
怖そうなお兄さんがいっぱいいる、、こんなところで声かけて殴られたらどうしよう、、
喧嘩なんて一度もしたことないし、ビビりな俺はこの日もお散歩を10時間ほどして帰宅した、、
ただ諦めたくない、諦めたくないよ、、、
何度もしゃおろんのブログを見て気持ちを奮い立たせた
ナンパ大学生はかなり有名になり、モテコンサルを開いた
のちにこのナンパ大学生と出会うことになるが、計70人が受講していた 俺は勇気がなく参加しなかった。 ただ、塾生達のブログは毎日更新されており、続々と俺みたいな普通の一般人がナンパを成功行させていった
そんな俺はいざ、街にでると何もできない日々が始まった 。普通に他人に声をかけるなんで無理 まして美女なんて 不可能だ、、、近づくことさへできない
そもそも臆病なのに 今まで人生の成功体験もないし、大学には流れで入ったものの自分から自発的に何かをするような人間ではなかった。非日常が誰よりも怖かった、ただそんな自分を変えたかった
俺は一旦座学しようと思い、ナンパ本を池袋のジュンク堂で読み漁った 。まずはナンパに対するイメージを固めた、そして成功した時の自分をイメージした。
ナンパは最高の自己啓発 俺は変われる 今のインキャでなんの特技もない弱い自分から変われるんだ、もっと自信をもって生活したい、理想の人生にしたい 1ヶ月くらい毎日ジュンク堂に行き、いろんなインプットは完了した やるしかないんだ
初日 池袋を8時間歩いた
0声掛け
次の日、渋谷を5時間歩いた
0声掛け
次の日、新宿を6時間歩いた
0声掛け
次の日、池袋を7時間歩いた
0声掛け
簡単に一週間がたった 。ナンパで声をかけれないことを地蔵という ダメだ、、、やっぱり俺には無理だよ、、、 毎日泣きべそかきながら家に帰宅した。 しかし、塾生のみんなは日々切磋琢磨しあい、ナンパを成功させていった。そんな姿をみて、悔しくてたまらなかった。小中高大 特に学生生活の思い出もない、どちらかというと毎日つらい思い出しかいない
恋愛経験もなし、パッとしない人生 就活が終わり大学四年の秋 もう時間はない、最後のチャンスだった 毎日電車で都内に行く途中、シーモのコンテニューという音楽を聴き自分を鼓舞していた
その後も2週間毎日街にでて、14日後、やっと声かけ成功。。
震えた声で
お姉さん、、お、、お、、そ茶いきまさんか?
2週間後、ついに池袋を3時間は歩き、目の前にいる清楚系の赤いスカートの女性に声をかけた おれ こ、こ、こんにちは、、お、お、おちゃいきませんか、、? 女 え?ごめんなさい おれ す、すみません。 ダッシュで逃げた
噛みまくり
すぐに逃げた
だけど、これが大きな大きな一歩だった
この日はこれで帰宅した
本当に大きな一歩った
でも声がかけられた やった ただ、そんなに甘くなかった 一度声をかけられたからといって次もすぐにいけないんだ 一日3人に声をかけるのが限界 次の日も3人 それ以上は本当に無理だった 毎日下痢してた
次の日は3人に声かけを成功した
8時間歩いて3人
それでも大きな成果だ
【仲間との出会いと成長】
少しずつ少しずつ声を掛けられるようになり、おれもブログを始めて毎日の様子を投稿するようになり、同じくらいのレベルの人にメッセージをして合流していった
俺は仲間を作ることにした。
俺もナンパ大学生に習ってブログを始め、自分のナンパ成長日記みたいなものを書いていた そこで一緒に切磋琢磨する仲間をさがした。 元々人見知り、自分から自発的に仲間を見つけるなんて人生でなかった。 内向的で石橋を叩きすぎても渡らないタイプの自分だが、ナンパは本気だった。
次第にナンパ仲間が増え、少しずつ声かけの人数も増えていった 仲間がいると地蔵しなくなった 相乗効果はすごいものだ 一緒にアメブロも毎日書き、毎日のナンパ日記を書いた 。すると読者もどんどん増え、実力はないものの、有名になり渋谷で握手されるまでになった 。そしてあの憧れたナンパ大学生とも何度か会い、挨拶させてもらった 実際にはほんとに不細工で、身長も低く、ただ、トークはピカイチだった
おれは人生で始めて主体性を持って生きている、
生かされているのではなく、生きてる
そう感じていた
毎日が楽しく生き生きとした
ナンパで人生が変わった
といえば安っちいが、俺の中では本当の意味で人生が変わった
だんだんの成果がでて就職になった
【社会人時代と挫折】
根はビビりでマイナス思考な俺は
うまくやっていけるかな 怖い人いるかな 怒られたらやだな
と相変わらずまだ知らない世界のことに関してはマイナスのことしか考えられなかった
自己肯定感が鬼のように低いのだろう
何か新しいことをやる時に一歩がでない
先に不安を感じてどうせ失敗する
元々そんな性格
こうして社会人生活が始まった
ノリに乗ってる俺は仕事は嫌いだったが、ナンパは楽しいと感じていて、職場の埼玉から東京まで仕事終わりにわざらざ通勤定期を作り、毎日仕事終わりに渋谷にいきナンパに明け暮れた
そこからは早かった
埼玉の僻地で仕事が終わるとナンパ用の定期を作り、都内まで行きひたすら仕事終わりにナンパする生活が始まった 俺は楽しくて仕方なかった まず、新規の女と毎日出会える 毎日2.3人は必ずLINE交換できる ナンパ仲間も同じ目的を持っているから気が合う なによりも、人生変わった感が半端ない 毎日違う景色、光景、空がグレーからいきなり虹色に変わっていた 刺激的、俺が憧れたイケイケ集団、いつも美女連れてるオラオラ系 そんな奴らよりも常に新規の女で囲まれる生活
1人でやっても楽しい、合流仲間と話しながらするのも楽しい、そして最低週1は女とのアポ、連れ出しは山ほど、そんな毎日だった
とにかく土日もナンパ仕事終わりも渋谷に行きナンパ
24歳までひたすらナンパをしまくった
少しずつ自分のレベル、相手のレベルも上がっていくのがわかり、それも嬉しかった
アポで負けることも多かった 。だけど全てが経験となり、知恵となっていった。
何よりの壁を越えられた自分に対して嬉しかった 。最初はブスでもデブでも抱いていた 。それではだんだん物足りなくなり、どんどん可愛い子、難しい子、硬い子をせめたくなった。 性欲もあるが、俺は昔抱けなかったような美女を俺という人間が落とすまでの過程がたまらなかった、俺自身のことをもっと承認したかった 。美女を食いつかせることは俺の承認に変わった。
言い方悪いがゲームのようになっていった 終わりのないゲーム
人間の感情は千差万別 ひたすらこのゲームの攻略法を考えた 。インキャ、ネクラ、人見知り、の自分が美女と毎日話して、食いつかせて、エッチする 彼女、セフレなんていらなかった。とにかく新規が舞い込んでくる
当事は楽しくてプロミスから金借りてまでナンパしてた、
あ、ナンパ技術については、大学最後の時に池袋のジュンク堂に毎日通い、技術のインプットをしていた
そして25歳の時に福岡に転勤になり、福岡でもいろんな方と合流しナンパしまくった
東京の仲間と離れるのは寂しかったが、福岡は可愛い子多いし反応もいいし、最高の街だった
学生時代くすぶってたおれがナンパで人生を変え、主体性をもって自分の人生を楽しんでいる
こんなに幸せなことはない
【人生を変えた食中毒】
ただ、そんな幸せも長くは続かなかった
福岡で休日に上司に誘われて宮崎県に旅行にいった
せっかくの休日を会社の上司と旅行とかうんざりだ。前日の深夜までナンパし朝早かった為、少し体調が悪い中での旅行だった
宮崎に到着した夜は鳥刺しを食べた
そして、、、
それを食べた瞬間から人生が変わってしまった
味は美味しく、ただ、その辺にある小汚い居酒屋での鳥刺しだった
体調が悪かったせいか見事にあたり、
1週間高熱と下痢が続いた
脱水症状で点滴も打った
これだけならよくある食中毒
それが、上記の症状が治ったあとも胃の調子が悪く、何を食べても胃もたれ、人生で胃もたれなんかしたことなかった
けど、胃の調子が明らかに悪く、1.2ヶ月経っても治らなかった
1ヶ月で14キロ痩せ、血圧はなんと上で68とか、見たことない数字の毎日だった
体力的にきつく、会社を辞めざるを得なくなった
これまで毎日学校行くのは嫌だったが、王道ルートで行きてきた俺にとって初めてのルートから外れた出来事だった
まぁ実家に帰れば治るだろうと会社を辞めて実家に戻った、当時27歳
1ヶ月、2ヶ月半年、、、全く治らなかった
胃カメラも4回くらいやったけど原因不明、毎日毎日何を食べても胃もたれ
そうなると精神科にいけという話になるのだが、よく眠れるし鬱症状はなかった
精神科にいくがやはり解決はせず
血圧は上で68、ガリガリ、、体型コンプレックスで次第に健康の友達が羨ましくなり、
27歳という一番女遊びに適した年齢で何もできない歯痒さで毎日泣いていた
結局1年経った
毎日朝から散歩して夜22時には寝る生活
どんなに規則正しい生活をしても治らなかった
でもこの状況をどうにかするしかない
幸い心は元気だった
【看護学校への挑戦と挫折】
どうするか、、学校ならいけるかもしれない
そうだ、看護学校だ!
とりあえず看護師の資格を取れれば食べてける
俺は調査を開始した
都立の看護学校は安いし社会人も多い
おれはここを目指すことに決めた
27歳で毎日池袋東口から徒歩15分らいにある図書館で毎日勉強した
何してんだ俺は、、早く健康な体に戻りたい、ナンパしたい
毎日朝から晩まで図書館にいた
そして見事合格
俺は27歳で看護学校の生徒となった
当時はガリガリコンプレックスのため出会い目的やそもそも血圧も上で68とかなので性欲もほぼなかった
入学したら男は2割くらいで社会人も多く人間関係は苦手だったが当たり障りなく接していてここで3年間頑張ろうと決心した、、
しかし、5月にあった健康診断でも血圧が低すぎて何回も看護師に計り直され、結局上で78で通した
それでも普通の数字とは逸脱するレベル
毎日通うのもキツく、入学後ついに通えなくなり2ヶ月という短さで退学した、、
もう本当に人生終わった、、絶望した
その後金もつき、公務員っぽいところで事務職をしたが、そこも体力が持たずに3ヶ月で辞めた
この辺が人生で一番きつかった
健康
それはあまりにも幸せに生きるためには大切な要素でこれが揃わないと幸せはない
28歳ニート
俺の肩書きだった
ナンパもできず、もう1年以上アポも組んでいない
幸せの頂点から一気に最底辺になった
どうするか、、
また家で引きこもりがちになり、毎日泣いた
【ごみ収集員時代】
求人を見ていたらゴミ収集員募集と書かれていた。
高校はある程度の進学校、大学もまさかゴミ収集員になるような人材は1人もいないような大学ではあった
おれはプライドを捨て、運動しまくれば治るかもしれない
と思い、28歳ニート、晴れてごみ収集員になった
全くの別世界、考えたこともない
初日、とんでもない光景を目にした
事務所には60人くらいの人
全員男性、ネックレスじゃらじゃら、喫煙率脅威の9割、みんなイカつい顔
俺は凍りついた
今まで生まれてから不良や喧嘩などとは無縁の世界で行きてきた
ここは、、やばい、、
とにかく毎日びくびく
しまいにはちゃんとゴミを取らない人は別室に連れてかれて暴力まで振るわれていた
令和に差し掛かる時代の人がすることか。。
俺はとにかくゴミを拾いまくった
しかし、体力もないしそれが空回りし、怒られまくった
毎日仕事行きたくない
人間関係怖い
びくびく
みんな昼休みには飯食べた後、筋トレ、ゴルフ、卓球、野球とごみ収集だけあって学校の昼休みみたいな感じで遊んでいた
俺はもちろん馴染めず、6人グループの席に1人でいつも座っていた
それでも毎日なんとかくらいつき、だんだんと認めてもらうようになった
少しずつ少しずつ仲間に入れた感触があり、全員見た目は怖いし怒ると怖いのだが、サバサバしてる人が多く、一度仲間になれれば仲間意識で情も熱く、すごくいい人ばかりだった
昼休みは野球のキャッチボールにも誘われるようになり、次第に馴染めるようになった
とはいえ人間関係は苦手で当たり障りなく過ごし、ごみ収集は2人で作業するのだが、誰よりも頑張り少しずつみんなに認められるようになった
そして一年後
完全には回復していないが、胃が少し治ってきた
真夏は汗ダラダラでゴミを取り、毎日部活みたいな生活をしていた
2.3年ぶりに世界に灯りがついた
ガリガリなままだったが、ごみ収集が終わるとナンパやアポを再開した
少しずつ感触を取り戻し、お金はなかったがなんとか工面して女遊びをした
楽しい、、最高だ、、本当にこの3年間きつかった
俺はとにかくまた遊びまくった
【銀座コリドー街での日々】
ただ、女から仕事何してるのと聞かれると素直にごみ収集とはいえず、嘘をついていた
それでも即れればいいと考え、当時流行っていた銀座のコリドー街にハマり、コンビでもソロでも毎日通った
コリドー街にゴミ収集職員の男は俺くらいしかいないだろうw
そこは大手企業やいわゆるハイスペが集まる場所で有名で、そんな男を求めて女もそれなりの子が来ていた
当時はまだアプリがそこまで流行ってなかったため、人も平日でも多かった
コンビで毎日連れ出し、ソロの時は一日10バンゲくらいは簡単だった、そこから個人戦に持ち込んだ
あーー、、楽しい、、
楽しすぎる、そんな毎日だった
だが、少しずつ仕事に嘘をついてる自分、家連れ出しした時に、当時の家賃5万円
コリドー街に家賃5万の男がどこにいるだよw
と笑いたくなるようなワンルームユニットバスだった
女を家に入れると急変して急に食いつきが落ち帰った女もいた
おれは悔しかった
やはり金、ストでその辺の女は誤魔化し誤魔化しで即れても、関係性構築の上で、お金は最大のキーワードになる、家は女にとって相手を測る上で大切な要素の一つだ
俺はゴミ収集員を隠す自分と、金のない自分に悔しさを覚えた
もっと格上とやりたい、もっともっとハイレベルの女を口説きたい
俺はごみ収集をやめる決断をした
2年が経とうとしていた
それなりに認められてきていやすかったし仕事も楽だった
俺は頭も悪く事務作業よりも現場作業の方が仕事としては向いていた
脳死でゴミをとりその日中に仕事が終わる
残業もなくこれ以上の仕事はないと思った
だが、モテたい、かねもちになりたい
そんな思いが勝ち、ごみ収集を退職した
【FXでの破滅と再起】
当時29歳、貯金200万円
次のことなど全く考えてない
この原資200万をどうやって増やすか、、
ぎゃ、ギャンブルしかない
FX、、、
そう、おれは人生の大勝負きにでた
この200万を2000万にするか0にするかどちらかにしよう
人生変えるなら全力勝負だ!!
まず50万円をFX口座にいれた
もちろん国内口座ではなく海外口座、レバレッジ500倍だ
案の定1時間でなくなった
やばい、、、再度50万円入金
一瞬で20万増えた
脳汁が溢れ出す
もっといけ!!!!
1時間後、ロスカット
なくなった
俺はこれは独学では無理、師匠を探そう
とTwitterで検索し、謎にフォロワー3人とかの人で本物っぽい人にdmした
おれは心配性ではあるものの変な時にぶっ飛んでる行動に出ることがある
フォロワー3人の人にコンサルをお願いすることにした
その額30万円
この動画全部みといて!!
凄まじい動画が送られてきてその人は何もすることなく、僕も半分くらい動画見る頃には何日も経っており、諦めてしまった
その人も連絡がつかなくなり終わった
残り70万円。。
その残り70万円で勝ったり負けたりを投資アカウントで呟いてたところ助けてくれる師匠のような人が現れた
その人は本物っぽかった
その後半年間毎日細かくLINEで指導を受けだが、ごみ収集をやめて半年でついに1文無しになった
また終わった
29歳もんなし
これが人生か
だが、健康を取り戻していた為、29歳ニートでもそこまで落ち込みはしなかった
最初に決めた2000万か0
0になっただけだ
【警備員からの起業】
それからコンビニのバイトを始めたがついてくれたおばちゃんが怖くて一日でやめた
警備員をはじめ、これを半年間やった
雪の日の駐車場で警棒の回し方が間違ってるとか訳わからないことを言い続けられ、俺は何をしてるんだと帰り道に泣いた
パチンコ店の前の路上警備の日に8時間立ってる時間が無限に感じた
さて、今後の人生どうしよう、、
きづけば30歳になっていた
起業するしかない
おれの性格は起業家とは正反対だ
心配性、大学の時は就活決まってからもいつ辞めてもいいように公務員試験の勉強をしていた
親からは公務員になりなさいと言われ、小学2年生の卒論にも他の友達がケーキ屋さんとか車屋さんとか書く中、俺だけ会社員と書いていたほどだ
普通の起業家って覇気があるし、友人、人脈もすごい、行動力もある、すぐに落ち込まないとかそんなイメージ
俺は全てが逆
とにかく堅実、心配性の俺が起業
これはお金がほしい、モテたい、もっと格上とやりたい
とにかく可愛いことやりたい
ただそれだけだった
というよりも可愛い子、格上の子を物にした時の達成感、承認欲求、自信にみなぎる自分
この為な気がする
俺は物欲が皆無
ブランド興味なし、車も興味なし、おしゃれも興味なし
おそらく性欲がなければ俺は何者でもなかっただろう
可愛い子とやるために髪を切り服を買いスーツを買い
全ての欲の原点がモテる為だった
そして、結構な額で無理やりトレードしていた為、投資アカウントのフォロワーが数千人になっていた為、俺の状況を見かねて助けてくれる人がおり、何人かとdmを通じてお会いし、そこからついに30歳で起業することになる
【1億円達成とモテへの投資】
1期目(会社設立して一年目)にまさかの大当たり
30前半して1億円が手に入った
才能なし、地頭なし、人脈なしの俺が周りに助けられてたまたま1億円
お金ない時の1億円はとてつもなく、遠いけれど稼いでいくと当たり前になり1億円手に入った頃には5億円欲しくなっていた
俺は良くも悪くも満足しない性格で、その分幸せが遠いが、目標も遠い
ここからはモテのためにあらゆる投資をした
タワマンに住み、車を買い、スーツを買い、ブランド物も買った
だが、根が真面目な俺は車もある程度モテるレベルの車、スーツも2着、ブランドも少しだけ
それは3回目までに即るから服装も3着あればいいし、そこまでの武器だけは揃えた
まず俺は銀座に住んだ
それは毎日コリドー街に行きたいから
当時31歳 その頃にはコリドー街はコロナの影響もあり銀座に住んだが人が少なくとにかく仕事を頑張ることにした
もちろん適度にナンパをしながら生活していた
当時の家賃は13万円だった
そしてわりとすぐにタワマンに住んだ
45階建てのタワマン、人生初のタワマン
感動した
とにかく毎日行き帰りテンションが上がるし、連れ出しても食いつき上がるし、、
自分のライフステージが上がるにつれて、出会う女のレベルも上がっていた
その頃に車も購入し、
高級ホテルでご飯→家まで車で送るよ→うち→即の場合もあったが、正直ナンパで渋谷で即れるレベルの女は少なかった為、貞操観念高い子が多く、おれもそういう女の方が即りがいがあり、無理して即らず、家の駐車場まで行き、しっかり家まで送るのが作戦だった
そうすると、他の男はすぐに家につい出すのに、俺は家にいくけど直駐車場で家まで送ってあげて、その差別化がエグかった
ほとんどの女からの印象は好印象となった 実際それを感じることが多かった、プラス車を持っているだけでかなりの好印象を与えられた
正直、20代前半、渋谷でナンパしてた時はお金持ちなんて考えなかった。
その場で連れ出して即、またら準即、9割くらいまでは準準即くらいでいけた
お互い真剣な出会いでもないし金持ちかどうかより面白いかとかトーク力のみが重視される世界だった
それがおれが30歳になると出会う女もそれなりのいわゆるちゃんとしてる女が増え、美女ほど将来も考えており、他の男性からも若い頃から誘われまくってる為、スペックなども見られるようになった
俺が1億円以上、毎月数百万を手にしてわかったこと
女という人物、特に美女ほど金が命
綺麗事などない
お金が命。。。
今の時代、SNSで他人とすぐに比較でしてしまう世の中
他人の生活を見て、他人に影響され、いかり高スペックや男を捕まえて海外や旅行にいき、美味しいお店に連れて行ってもらうか、そして周りの女友達に自慢して客観的な幸せを求める
そんな時代になっている
うんざりするよほんと
あとで話そうと思っているが俺は最近まで同棲していた
全く女遊びしなかったが、人生で一番幸せと感じられる時を過ごした
本質的に幸せが見えずらい世の中になっている
ただ、女を口説く
その点に関してはお金の力は、本当は言いたくないがかなりの武器になる
別になくてもいい、徹底的に演じる。おれはハイスぺが集まると言われるコリドー街
で誰よりも美女即って来た自負はあるが当時はゴミ収集員、コリドー街のナンバー1ゴミ収集員だった
ただ、実際に長くその人と付き合っていくわけではなければお金があるように見せることが大切だ
話を戻す
そう、お金の力は偉大
女は本当にお金が大好きだ
そんなこんなで一年くらい汐留に住み、次に六本木に住んだ
経営者になった俺は時間も比較的自由、キャバクラにも行ったがあまりハマらなかった
とにかく東カレとゴージャスでハイスペック狙いの美女、そして夜職アプリのパトをやりまくった
毎日のように高級ホテルのラウンジでアポをした
その後家の駐車場までいき家まで送るルーティンを繰り返した
即はほぼなく、4回目か5回目で抱ければいいと思いながら女と出会いまくった
その考えも余裕があるとみなされ、食いつきが上がっていった
銀座ホステス、キャバ、ラウンジ、ミスコン、美容系女子
あらゆる美女と出会いやることを繰り返した
そんな中、人生一美女と思われる女とパトで出会った
付き合いたいと思った
久々に緊張した
1回目のアポ、2回目のアポ、と計5回くらいのアポをした
夜職って一般職の人とは少し違っていろいろと難しい、いろんな性格の子がいる
LINEの仕方、口説く方法も千差万別
自分なりにその女に合わせた口説き方を努力した
そして5回以上アポして7ヶ月後、ついに付き合えた
職業は西麻布ラウンジの最上級神ランク所属
おれはある程度の人生の目標を達成したと思った、人生で初めて心から満足する女性と出会い、交れた
夢にまで見た夜職ラウンジ最高峰
学生時代、非モテ、夜職業なんて一生関わることのない、そもそもギャルなんて怖いし無理
でもあっちの世界に俺も行きたい、やりたい、関わりたい
そんな思いを乗せてナンパを始め10年
ついに自分的には最高峰の女レベルにたどり着いた
付き合って旅行にいき家に泊まり普通の生活をしばらく楽しんだ
楽しかった
が、人間不思議な物
10年追い求めた女も、自分のものになると半年後には飽きていた
そして別れた
こんなもんなんだよ女遊びなんて
【運命の人との出会いと別れ】
そして女遊びを再開した
ただ、以前よりかはだいぶ頻度も減り、仕事とたまにアポの程度になっていた
そこでラウンジの子以上の運命の子に出会う
その子は確かに可愛いが、顔だけでいったらラウンジの子ほどではなかった
ただ、性格はどこか俺と似ていて、いや、全く正反対なのだが価値観が似ていると言った子だった
おれは最初から自分を全てさらけ出すことが苦手だから本当に人にハマることがない
だから100%好きになったことは今までもなかった
この子も同じでなんとなく付き合ったがこの子もすぐに別れるだろうくらいに思っていた
のだが、会うたびに壁があるけれどどこか将来一緒になる気がしてた
すごく仲が良いというわけでもないがこの子とは別れたくない、もっと仲良くなりたい、でも仲良くなりきれない
というのが半年くらい続いた
俺は六本木のタワマンに住んでいて、もうここに結婚しなかったら永住するくらいには考えてた
しかし、
なぜか第六感的な本能がこの子のことを離したらダメだと感じ、
人生初同棲を提案した
それもあんまり仲良くないのに同棲だ
慎重派の俺もよくわからない
信じるか信じないかは人次第だが、彼女が霊能者の話を聞きに行ったところ前世で夫婦だったらしい
同棲してからも微妙に気まづい日が続いたが、次第と仲良くなり、おれは人生初、全てをさらけ出せるくらいまでの仲になった
相手はおれの弱い部分を認めてくれて俺は俺のことを全てさらけ出せる人は人生で初めてだったから、そういう人といる毎日はとても幸せに感じていった
おれは家で仕事しているのだが、彼女も家に来て24時間365日常に一緒にいた
同棲してからは女遊びも一切せず、とういかできず、でもだんだん仲良くなるとしたいとも思わなくなり、次第に安心感が生まれ、元々誰かと飲み行ったり夜遊びするタイプではないので、本当にずっと一緒にいた
それでも飽きずに人生で初めて心の何かが満たされた気分になった
美女を即った後って本当に空気が美味しいし達成感に満ち溢れている、そんな感覚を持つ方も多いと思う
ただ、その感覚って本当に一瞬で1週間もすれば忘れてしまうんだよ
だけど本当に好きな人、自分を理解してくれてる人との日々はそれがずっと続くんだ
毎日毎日
俺は人生で初めての【今が一番幸せ】という感覚を味わっていた
それは女遊びしたいとかも一切ないし、この状況が永遠と続けばいいという幸せ
俺はあんまり幸せを感じづらいタイプで幸せなんて思ったことがなかった
常に良くも悪くもこうなりたいこうしたい、こうすればよかった
など、無理な未来と後悔の繰り返しの人生だった
この幸せの言う感覚はとてもいい物だった
ただ、そんな幸せも長くは続かなかった
一緒にいる分喧嘩も増え、理由はここでは控えさせて頂くが、警察沙汰や救急車で運ばれることもあった(暴力などではない)
ある程度の彼女はぶっ飛んでいる性格で、俺は根は真面目で心配性だからそういうのに疲れてしまった
そして30半ばにして再び今は都内タワマンで一人暮らしに戻っている
正直今はまた以前のようにめちゃくちゃ遊びたたいとかはない
ただ、同棲した幸せな経験から今度はその幸せを追い求めて今を生きている
【500人斬りまでの道のり】
本当に長い道のりだった。
悔し涙を流したり、仲間と歓喜したり だが、間違いなくナンパは俺の人生を大きく変えてくれた 。
元々ひ弱で豆腐メンタル、気も弱い俺だが、ほんの少しだけ強くなれた気がする 最初はナンパで最強のメンタルの持ち主になりたいと願った、もっとオラオラしたいと願った。 でも500人とセックスしても正直根本は変わらない 。
【現在の実績】
女遊び歴13年目
抱いてきた層
ミスユニバースファイナリスト、モデル、読モ、ホステス、キャバ、アイドル、地下アイドル、単体AV女優、レースクイーン、CA、看護師、保育士、大学生、インスタグラマーの数々の出会いと別れ
LINEの友達4000人(リア友は数十人)
ナンパなんてイケメンしか無理と思ってるのは違った、100人以上のナンパ師と合流してきたが、イケメンはごくごく少数 。ブサイクでも芸能レベルとセックスなんてよくある話だ 。あとはマジでモデル芸能系とも出会える。 少し次元が違うかわいさの子でLINEに名前があったりして調べると大抵ネットで検索すれば出てくる子も多い
自分が昔セックスした子がインスタで有名になったり、有名インスタグラマーとやるとまじで優越感に浸れる。沢山のファンがいる中でおれはその子とセックスしたとおかずにできる 。
ナンパ始める前は嘘だと思っていた。でも全て真実だった。
本当にこんな世界があった。
女の子は特にタイミング次第ではどんなに可愛い子でもセックスできる。
さらにいいのは本当の美女は男の顔なんてそんな気にしてない 。
イケメン好きなのは自分の顔にコンプレックスのある微妙な女の場合が多い。
本当の美女は顔で男を判断しない場合が多い
【恋愛偏差値について】
恋愛にも恋愛偏差値がある。自分の実力以上の女を抱ける確率はほぼない。最初はブス、普通レベルを抱きまくってきた。女って普通レベルの女でも男にちやほやされるのに、男はまあまあイケメンですらそんなにちやほやされない普通レベルの女でもだんだん恋愛偏差値が高くなり、普通レベルの男が普通レベルの女を抱くことも難しくなってる。男は自ら出会いの場を作り、戦い、負けを繰り返し、恋愛偏差値を上げていく
おれはまだ高みを目指す。人間的にも。
