新宿カラーズが連絡先の交換を解禁したことはお伝えした通りである。意外に思うかもしれないが、初期のハプバでは連絡先交換は禁止されていなかったのである。どういうことなのだろうか。連絡先交換に関する経緯を辿ってみよう。
まず、ごく限られた人だけが通っていた、当初のハプバには明文化したルール自体がなく、一種の紳士協定のようなもので運営されており、「連絡先交換禁止」などという決まりも存在しなかったのである。お互いの私生活を侵害しないよう、そして、店の売上に影響を与えないよう、ほどほどにやっていたのである。牧歌的な時代であったと言える。
続いて、ハプバが一般化してからは、トラブルが発生し、ここで「連絡先交換禁止」のルールが明文化されたものと考えられる。「連絡先交換=即出禁」という共通認識が発生したのもこの時期である。もっとも一部の常連には特権的に黙認されており、ホンネとタテマエで運用されていた。
その後は、Twitterの普及により、連絡先交換禁止が有名無実化していたのは周知の事実である。具体的には、①Twitterで繋がって、待合せ来店をしたり、②裏垢をやりながら、ハプバでも遊び、裏垢界隈のオフ会にも参加したり、③連絡先を交換しなくても、何となく界隈バーに常連同士で集まるといった行為が横行してのである。
このような状況を踏まえて、新宿カラーズが連絡先交換を解禁したのである。店としては現状を追認したに他ならないだろう。まとめると、連絡先交換を巡る店の対応は以下のような変遷を辿ったものと理解できる。
- 連絡先交換禁止の非明文化(暗黙の了解)
- 連絡先交換禁止の明文化(出禁ルール化)
- 連絡先交換禁止の形骸化(現状の黙認)
- 連絡先交換の解禁(現状の追認)
上記変遷に対応するよう、連絡先交換禁止の目的も以下のように変化していったと考えられる
- 私生活を守るための大人の配慮
- 連れ出しの防止
- 出禁のための口実
元々はプライバシーを守りつつ秘密空間で自由に遊ぶための配慮であったが、ハプバが一般化してからは、次第に連れ出しを防ぐためのもの(アグリーアブルブログで、可愛い子がいなくなり、店が潰れるのを防ぐためという本音が公開された)になり、Twitterが普及し、ハプバ元スタッフが開いた界隈バーが乱立して、連絡先交換禁止が無意味化してからは、店がトラブル客を出禁にするための手段と化していったのだ。(元カラーズ、現パピヨン店長は、連絡先交換禁止のルールは、連絡先を聞かれた際、体裁良く断るための手段でもあるとツイートしていた)
カラーズがスタッフを介したの連絡先交換を認めたのは、現状を反映して、ルールをクリアにしただけなのである。Twitterで繋がりつつ、待合せで店内オフ会をしたり、解禁バーに出入りしているにも関わらず、今さらになって、連絡先交換の解禁に違を唱えるのは、事故矛盾と言わざるを得ないだろう。
つまり、表向きは連絡先交換禁止のままで、特定の相手とだけ連絡先を交換してスリルを楽しみたいという、ご都合主義なのである。
ハプバが連絡先の交換を容認しても、何ひとつ現状は変わらない。しかし、待合せで来店して、ルームへ行くことに感情移入できるのだろうか?