はじめに:もう、あの絶望的な毎日には戻らない――あなたの人生を変える「稼ぐ順番」
初めまして、元ゼネコン現場監督の亀井です。
もし今、あなたがかつての僕と同じように、毎日終わらない仕事に追われ、満員電車に揺られ、「このままで自分の人生は終わるのか…」と漠然とした不安や絶望を感じているなら、この記事はあなたのためのものです。
僕は、「勉強すれば稼げるようになる」という世間の常識が、いかに間違っていたかを、身をもって体験してきました。この書籍には、そんな僕が数々の失敗を乗り越え、副業で最初の1万円を達成し、そこから会社を辞め、法人化するまでに至った全ての経験を凝縮しています。
未経験でも「最初の1万円」を確実に達成することに特化し、具体的にやることを書き出した超自信作です。この書籍の内容を実践し、あなたもぜひ「最初の1万円」の壁を乗り越え、人生を変える最初の一歩を踏み出してください。
それでは、僕の「絶望」から「独立」への道のりから、あなたに「稼ぐ順番」の真実をお伝えします。
「絶望」を感じた社畜現場監督時代から「独立」への道のり
僕が働いていた建設業の現場監督は、本当に体育会系で、まさに「3K(きつい、汚い、危険)」そのものでした。自分より年上の職人さんたちに仕事を依頼する立場なので、彼らの機嫌を損ねないように、毎日気を張り詰めていました。

とにかくアナログな職場。僕が若手の頃も、今もほとんど働き方は変わっていません。現場で働く職人さんたちは荒くれ者が多く、若い現場監督の言うことはなかなか素直に聞いてくれません。ちょっと面倒なことをお願いすると、「うるせー!やってらんねーよ!」と怒鳴られることも日常茶飯事でした。
さらに、現場の上司たちも叩き上げの職人肌の人が多く、とても厳しかったです。新人はとにかくミスをしないように、失敗しないように、怒られないように、夜遅くまで次の日に使う資料作成や現場の片付けに追われました。
それでも、人が行う仕事なので、想定通り上手くいくことはほとんどありません。大抵、日中にトラブルが発生し、職人さんたちから怒りの電話が鳴り響きます。若手の現場監督は日中クレーム対応に追われ、結局事務作業は、職人さんたちが仕事を終えて帰ったあとの17時半からスタートするのです。
そのため、毎日平気で終電ギリギリまで仕事をしていました。そして次の日も、職人さんたちが来る前に現場に行き、当日の作業が無事にスタートするように準備をしなければなりません。朝は8時からラジオ体操があるので、大抵7時には現場にいる必要があります。遅刻厳禁だったので、もし朝間に合わなかったら鬼電が掛かってくるような環境でした。それくらい時間に厳しかったです。
ちなみに、これは現場が忙しくないときの状態です。現場には工期があり、竣工(工事が終わること)間際になると、現場は追い込みモードになり、必然的に忙しくなってきます。この頃になると、普通に家に帰れなかったり、現場に泊まり込みで作業を監督したりといった事も有りました。ある時疲れすぎて、冬場の夜に現場のゴミコンテナの脇で倒れて寝込んでいた所を、たまたま通りかかった職人さんに起こされた経験が有ります。寒かったのでそのまま寝てたら本当に危なかったかもしれません。

それでも、若い頃は「いつかはこの生活がよくなるかも」という淡い期待を抱いて頑張ってきました。しかし、いつまで経っても生活は楽になっていきませんでした。そればかりか役職が付くと、責任も比例して増えていき、やることも多くなりました。確かに年を取ると現場で走りまわることは少なくなりましたが、その分今度は部下の面倒を見たり、クライアントや設計会社とのやり取りなど、別の仕事が増えていき、仕事の量は増える一方でした。
給料はいくら働いても、残業代には上限があり、それ以上働いてもサービス残業にされました。また毎日休みが無いのでお金を使う暇もなく、たまにある休日にストレスを発散するくらいしか使い道がありませんでした。毎日17時半頃、帰路に付く会社員達を現場の仮囲いの中から見ながら、「あっちとは住む世界が違うな…こっちはこれから仕事だよ(泣)」と、心の中で泣いていました。
そんな働き方を続けていると、次第に「自分の人生、仮囲い(現場)と家との往復だけで終わるのか?」「俺の人生ってこんなもんなのかな?」と絶望に近い気持ちを感じるようになりました。さすがに「このままじゃヤバいなー」と思っていた時期に、ちょうど自分が本気で変わらなきゃと思う決定的な事件が発生します。
それは当時、静岡のとある現場で働いていた時でした。眠たい目をこすりながら朝現場に着くと、自分の机の上に現場で拾ってきたゴミがぶちまけられていました。

「???」ぱっと見状況がよく分からず、呆然としていると、後ろから先輩が「現場のゴミ掃除しておいてやったよ…ワラ」と言って来ました。要は嫌味を言われたわけですが、その時、さすがに普段温厚な私も、朝から机の上にゴミをぶちまけられて、とても嫌な気持ちになり、その時「絶対いつか会社辞めてやる!」と心に決めました。
副業「失敗」の歴史:200万円の大赤字「稼げない自分」に絶望
いきなり会社を辞めるほどの勇気がなかったので、まずは副業で収入を作ってから会社を辞めようと考えたのがきっかけで、僕の「副業への挑戦」が始まります。
そこから、本当に様々な副業を行うことになります。
失敗その1:バナナジュースの移動販売(リアルビジネスの罠)
まず最初に行ったのが、バナナジュースの移動販売です。 現場の週一の休みを利用して、書店で移動販売に関する書籍を買いあさり、ひたすら勉強しました。そして、中古で車を買って内装を改造し、保健所の許可も取って、都内のフリーマーケットで移動販売を行いました。

しかし、初めての副業で、特に飲食業での経験もなかった素人が、原価率すらよく分からず、行き当たりばったりで販売していました。そんな甘い考えで稼げるほど甘い世界ではなく、毎回赤字を垂れ流し、結局最後は高速道路で車のエンジンが大破して廃業に…。車代や諸々含めて200万円くらいの大赤字でした。
この経験から学んだことは、「サラリーマンの副業では、時間と場所に縛られるリアル系の事業は向いていない」ということでした。
失敗その2:ブログ(「稼げる」に飛びつく危険性)
それから、やはりサラリーマンだったら、場所も時間にも縛られないWEBで稼げるようになりたいと思い、色々とネットで調べてみました。
そして、当時ブログが稼げるというYouTube動画を見て、「稼げるならブログを始めよう」と思い、独学でWordPressを使ってブログを始めてみました。そしてTwitterで投稿を始めたところ、とあるTwitterユーザーからDM経由で「ブログでめっちゃ稼いでいる人知ってますよ~」という話を聞き、その時はブログで稼げるなら是非会って話を聞いてみたいと思い、その自称「稼いでいる人」に会いにいくことにしました。
そしたら、港区のタワマンに住んでいる人で、そのホテルみたいなタワマンのラウンジで打ち合わせをし、話を聞くと、ブログだけで月に数百万円を稼いでいるという話を聞き、完全にその話に目がドルマークになった私は、その某金持ち風有名コンサルが行っている30万円もする有料ブログコンサル講座の受講をその場で決めてしまいます。

その後、そのコンサルがくれた資料に沿ってブログを始めたのですが、始めた1か月くらいは頑張ってブログを更新していたのですが、1か月続けた位では稼げるようになるわけもなく、3ヶ月が経つ頃には(現場が忙しいのも重なり)、もうブログの更新を辞めてしまっていました。
失敗その3:輸入転売(薄利多売の地獄)
さらに私はその後、「ブログがダメなら物販だ!」と思い、また当時海外からブランド品を日本に輸入して日本で転売する「輸入転売」を教えている無料セミナーに参加して、転売で月に数百万を稼いでいると言われる講師の話に感動し、自分も物販を勉強したいとまた目がドルマークになってしまい、そこで50万円もする有料講座に申し込んでしまいました。(今考えると、我ながら阿保ですね…悲しくなってきます)
有料講座を受講後、BUYMAというプラットフォーム上で、輸入先の海外のショップの商品情報を自分のアカウント上でひたすら登録していきました。ちょうど1000品くらい商品を登録したときに、ようやく1品売れました。5000円くらいのジャケットが売れて、送料などを差し引いて利益がたった640円…(笑)。

有料講座を勉強するのに数カ月、商品を1000品登録するのに数カ月掛かっています。それで、売上が640円って…。しかも物販なので、毎日毎日新商品の出品を続けないといけません。「薄利多売」は副業で一番しんどい戦い方だと気が付き、それから半年ほどで、ほとんど稼げずに辞めてしまいました。
その時は、さすがに落ち込みました。 沢山お金も時間もかけてきたのに「稼げない」。 自分にはお金を生み出すセンスがないのか…と泣きそうになりました。
やはりサラリーマンを続けなければいけないのか、いつまでもやりたくもない仕事を、死ぬほど残業して、働く場所も、時間も、一緒に働く人も、全て会社に決められた人生を生きていくのか…と半ば諦めに近い気持ちでいたときに、
転機:偶然見つけたココナラと「最初の1万円」の衝撃
そんな僕が諦めかけていた時に、偶然見つけたのが「ココナラ」です。 当時ココナラがまだそこまで有名ではなかった頃だと思いますが、「自分のスキルを出品するプラットフォーム」という存在を知り、「ダメ元で自分も出品してみよう」と思いました。
以前、ブログサイトやHPを作ったことがあったので、特別な勉強もせず、ただ趣味の延長で「HP制作代行」を1万円で出品してみたところ、なんとこれが売れました。
「え???????????」

これまでどんなに高いコンサルを受けても、まったく成果が出なかったのに、ココナラ開始数週間でなんと1万円稼ぐことが出来ました。
この「最初の1万円を自分の力で稼げた!」という体験こそが、僕の人生を劇的に変える「稼ぐ順番」の真実だったのです。
この小さな成功が、その後のWebデザイン学習への意欲を掻き立て、ココナラでの累計売上300万円突破、脱サラ&沖縄移住、月収60万円達成、法人化、そしてビザスクで1時間手取り21,000円という、今の自由な働き方へと繋がっていきました。
ここまでの記事で、あなたは僕の壮絶な「社畜」時代と、多額のお金を失った「副業失敗遍歴」を知り、そして、僕がどうやって「最初の1万円」を掴み、人生の転機を迎えたのか、その「きっかけ」を理解しました。
しかし、知るべきは「僕が稼げた理由」だけではありません。
あなたが本当に知りたいのは、「じゃあ、僕(私)はどうすればいいの?」 「僕(私)も『最初の1万円』を稼ぎ、人生を変えるには具体的に何をすればいいの?」 ということではないでしょうか?
もう、遠回りしたり、稼げない情報に振り回されたりする必要はありません。
僕がたどり着いた、あなたの人生を変える「稼ぐ順番」の真髄を、たった2980円でお届けします。 僕がこれまでの経験と、未経験から最初の1万円を稼ぐための圧倒的な情報量(3万文字超え)を詰め込みました!
考えてみてください。あなたの人生を変える投資として、この2980円は高いでしょうか?安いでしょうか?
そして、この価格は、10部売れるごとに1000円ずつ値上げしていきます。 つまり、今が一番安い価格です。
人生、やるか、やらないか、です。
言い訳はもう終わりにしませんか?迷っている暇はありません。
ぜひ私が本気で実践し、自信をもってお伝えする稼ぐ秘訣を受け取ってください。