「外国人ってお尻フェチ多くね?」
そう思ったことがある人、結構いるんじゃないでしょうか。
というか、実際に欧米圏の映画・音楽・広告などを見ていると、お尻をやたら推してくる文化圏、確実に存在します。

ケツ、ケツ、ケツ。Tバック、ハイレグ、バックショット。
「それ胸より重要なん?」ってくらいに、執拗に推してくる。
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僕は今まで、日本と海外を行ったり来たりしながら、いろんな女性を見てきました。(見てきた、だけです)で、やっぱり思うのが、
「お尻に対する熱量が違いすぎる」ってこと。
日本では、「お尻」ってどこか陰に隠れていて、エロさを感じるのは上級者(変態)というイメージすらある。でも外国だと、「え?普通にイケてるパーツじゃん?」って感じでメインディッシュ扱いされてるんです。
これ、なんでなんだろう。
暇だったていうこともあり、
下記で真面目に考えてみたので是非最後まで読んでみて。
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理由①:体型の違いが“フェチ”の進化を変えた
まず単純に、外国人女性(特に黒人・ラテン系・一部の白人)の尻、デカい。
いや、立体感と重力への挑戦みたいな尻をしてるんです。
歩くたびに生き物みたいに揺れる。

こうなると、当然ながら「胸」だけに注目してたらもったいない。体の作りに応じて、文化もフェチも進化する。視覚的なインパクトが違いすぎるんです。
逆に日本人の平均体型だと、胸が目立ちやすい。しかも制服文化が強いから、上半身に目が行く社会設計になってる。

つまり、「お尻好き」になるには、お尻が主張してくれないと始まらない。
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理由②:性文化・ポルノ文化の影響
アメリカやヨーロッパのポルノを見るとわかる。
バック(後背位)めっちゃ多い。
カメラも尻寄り、男優のセリフも「ナイスアス!」だらけ。
とにかく“後ろ”が主役なのだ。
これがずっと子どものころから刷り込まれてたらどうなるか?
そう、人は“お尻に恋をする”ようになる。
一方、日本のAV文化はどちらかというと「顔」と「声」中心。
パンチラとか覗きとか、“隠れてるモノ”を見たい文化。
お尻って、むしろ「見えててもそんなに騒がれない」ゾーンなんですよ。
つまり文化的にお尻は主役ではなかった。
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理由③:言語と表現の問題
英語って「ass(尻)」を褒めるボキャブラリーがめちゃくちゃ多い。
nice ass
thick
bootylicious(ビヨンセの造語)
peach emoji(桃=尻)
この時点で「表現文化としてお尻が市民権を得ている」といっても過言じゃない。
日本語には?「ケツがでかい」くらいしかないんですよ。
「桃尻」って表現はあるけど、ちょっとおばちゃんっぽい。
言葉が発達しないと、フェチは文化にならない。
理由④:お尻が大きい=安産型という“本能的な魅力”
ここまでで文化や言語、体型といった「社会的な要因」はだいぶ見えてきた。
でも、もうひとつ忘れちゃいけないのが――本能。
そう、お尻が大きい女性=「安産型」=「遺伝子レベルで魅力的」というやつだ。
これは人類の進化の中で組み込まれてきた“繁殖”に関わる本能。
お尻が丸く大きい女性は、骨盤が広く、子どもを産むのに適した体型とされてきた。
つまり、「尻がでかい=生存率の高い子孫を残せる可能性が高い」と本能が判断するわけだ。
これは特に動物的な視点が色濃く残る文化圏(=欧米の一部)では、潜在的に評価されやすい。
日本人のように「小柄で華奢=守ってあげたい」フェチとはまた別路線。
尻フェチ=本能に忠実な男たちの進化系とも言える。
実際、ラテン系や黒人男性にとって、
お尻が大きい女性は「豊かさ」「健康」「セクシーさ」の象徴。
スレンダー女子よりも、“ちょっと肉付きがいい方がモテる”理由はここにある。
そして興味深いのは、これが現代でもちゃんと再現されてること。
- Tinderや海外出会い系のプロフィールで「thick(肉付きの良さ)」を褒め言葉として使う
- ヒップアップに命かけるトレーナー系女子の人気
- ヒップ整形(ブラジリアン・バット・リフト)の需要の高さ
現代人も動物としての本能を、意外と引きずってるんですよね。
最後に
じゃあ結局、日本人は尻好きになれないのか?
いや、そんなことはない。
むしろ最近は尻トレ女子の増加、TikTokのダンス文化、
ジム文化の広がりで「尻が見直されてきている」感は強い。

ただし、社会的にはまだまだ発展途上。
しゃがんでる人の尻を見て騒ぐ→変態扱い
尻を褒める→セクハラ扱い
尻フェチ→変わった性癖っぽく見られる
こんな空気があるうちは、日本はまだ「胸社会」にいる。
でも、徐々に“尻ブーム”は来ているのかもしれない。
その先にあるのは…そう、「ケツで国際交流」だ。
というわけで、外国人が尻を好きなのは、ただの性癖じゃなかった。
文化、言語、映像、そしてDNAに刻まれた“繁殖の記憶までもが、尻に向かっている。
もはや胸派 vs 尻派なんて争いは無意味。
我々はまず、“尻を理解する”ところから始めようじゃないか。