硝煙に沈む約束。
レオ@ミリオリライター
1939年9月1日、午前4時45分。バルト海に停泊していたドイツの旧式戦艦『シュレスヴィヒ・ホルシュタイン』の巨砲が火を噴いた。砲弾はポーランド軍のヴェステルプラッテ要塞を直撃し、夜明け前の空を真っ赤に染める。ほぼ同時に、国境線に潜んでいた総勢150万のドイツ軍が、最新鋭のI号・II号戦車を先頭に一斉に進撃を開始した。
ベルリンの総統官邸では、アドルフ・ヒトラーがラジオを通じて、狂気を孕んだ声でドイツ国民に語りかけていた。第一次世界大戦の敗戦による巨額の賠償金、そして割譲された領土の奪還。それは、ナチスが掲げた「ゲルマン民族の復興」という甘美な毒の始まりだった。2日後、イギリスとフランスがドイツに宣戦布告。しかし、戦線は「奇妙な戦争」と呼ばれる数ヶ月の沈黙に包まれる。
その静寂を破り、1940年5月、ドイツ軍はフランスが誇った難攻不落の要塞線「マジノ線」を完全に迂回した。戦車が通るなど不可能と言われたアルデンヌの深い森を、装甲部隊が猛スピードで突破する。空からは急降下爆撃機シュトゥーカが、死神の叫びのようなサイレンを響かせて襲いかかった。この「電撃戦」の前にフランス軍は分断され、パリは陥落。イギリス・フランスの連合軍は港町ダンケルクへと追い詰められた。民間船までを総動員した決死の脱出作戦により、かろうじて将兵はイギリス本土へ逃れたものの、ヨーロッパ大陸はドイツの軍靴に踏みにじられた。
孤立無援となったイギリスの命運は、新首相ウィンストン・チャーチルの双肩にかかっていた。ロンドンが空襲の炎に包まれる中、チャーチルは「我々は決して降伏しない」と吼え、若きパイロットたちは空の大決戦「バトル・オブ・ブリテン」を制して本土上陸を阻んだ。
しかし、1941年6月22日、歴史上最大の裏切りが敢行される。ヒトラーは独ソ不可侵条約を破棄し、「バルバロッサ作戦」を発動。300万を超えるドイツ軍がソビエト連邦へ向かって大進撃を開始した。モスクワのクレムリンで最高指導者ヨシフ・スターリンがパニックから立ち上がり、「大祖国戦争」を宣言。何百万人ものソ連兵が前線へ送り出されたが、やがて秋の泥濘とマイナス40度に達する「冬将軍」が、ドイツ軍の足を凍りつかせ始める。
同じ頃、アジアでも巨大な歯車が回り出していた。物資の枯渇に苦しむ日本は、アメリカによる石油輸出全面禁止という事実上の経済宣戦布告により、追い詰められていた。1941年12月8日未明、ハワイ・オアフ島真珠湾の上空に、日本軍の機動部隊から飛び立った爆撃機や零戦の群れが姿を現す。「トラ・トラ・トラ(奇襲成功せり)」の電信とともに激しい爆発が起こり、静かな湾は火の海と化した。ワシントンのホワイトハウスで報を聞いたフランクリン・ルーズベルト大統領は、車椅子の上で「これは不名誉な日として記憶されるだろう」と静かに怒りを込めて呟いた。眠れる巨人が目を覚まし、戦争は文字通り地球を覆う地獄となった。
1942年6月、太平洋の孤島ミッドウェー。日本海軍は米空母の撃滅を狙ったが、アメリカ軍は日本の暗号を完全に解読していた。運命の6月5日午前10時20分、日本の空母『赤城』『加賀』『蒼龍』の甲板上で魚雷の換装が慌ただしく行われていたその刹那、雲の切れ間から米軍の急降下爆撃機が襲いかかった。わずか数分間の爆撃で主力空母3隻が瞬く間に炎上。太平洋の制海権・制空権はアメリカの手へと渡っていった。
同時期、ヨーロッパの東部戦線では、歴史上最も凄惨な都市戦が繰り広げられていた。ヴォルガ川の畔に佇む工業都市スターリングラード。ドイツ軍とソ連軍は、工場一つ、アパートの一部屋を巡って血で血を洗う白兵戦を展開した。冬を迎え、ソ連軍の大規模な包囲作戦が発動。退路を断たれたドイツ第6軍は、1943年2月に降伏。ここを境に独ソ戦の形勢は完全に逆転した。北アフリカ戦線でもドイツの「砂漠の狐」ことロンメル将軍が敗れ、連合軍はイタリア・シチリア島に上陸。ムッソリーニは失脚し、イタリアは一足先に降伏を迎えた。
1944年6月6日、「D-デイ」。連合軍最高司令官アイゼンハワーは「よし、行こう」と決断を下し、史上最大の作戦「オーバーロード作戦」が始まった。総勢15万人以上の兵士がノルマンディー海岸へ殺到し、激しい死闘の末に防衛線を突破、8月にはパリが解放された。東からもソ連軍の怒涛の進撃が始まり、ドイツ軍は東西から完全に挟み撃ちにされた。敗色濃厚な中、ナチスは自らの狂気を加速させ、アウシュヴィッツをはじめとする強制収容所で、ユダヤ人に対する組織的な大量虐殺(ホロコースト)を継続していた。
1945年、世界は最後の、そして最も激しい悲劇の季節を迎えた。3月10日未明、東京の下町に米軍の爆撃機B-29が超低空から侵入し、広範囲を焼き尽くすナパーム弾(焼夷弾)を投下した。わずか一晩で10万人以上の命が炎に包まれ、東京は焦土と化した。
ヨーロッパでは、ソ連軍がベルリンの目と鼻の先まで迫っていた。4月30日、総統官邸の地下壕で、ヒトラーは自らの命を絶った。5月8日、ドイツは無条件降伏を受け入れ、ヨーロッパの戦火は止んだ。
しかし、アジアの戦いは終わらない。沖縄では民間人を巻き込んだ凄惨な地上戦が繰り広げられ、巨大戦艦『大和』も東シナ海で防空サークルの果てに爆沈した。日本軍は「神風特攻隊」による生還を期さない体当たり攻撃を繰り返し、泥沼の抵抗を続けていた。
1945年8月6日、午前8時15分。広島の上空に侵入したB-29『エノラ・ゲイ』から、人類史上初の原子爆弾「リトルボーイ」が投下された。閃光。そして太陽の表面温度に匹敵する熱線と爆風が、一瞬にして十数万人の市民の命と街を消し去った。3日後の8月9日、ソ連軍が日ソ中立条約を破って満州へ大侵攻を開始。同日、長崎の空にも2発目の原子爆弾「ファットマン」が炸裂した。
「これ以上、国民を塗炭の苦しみに陥れることはできない」
1945年8月15日正午。ラジオから流れる昭和天皇の掠れた声(玉音放送)が、戦争の終結を告げた。9月2日、東京湾に浮かぶ米戦艦『ミズーリ』の甲板上で降伏文書の調印式が行われ、足かけ6年に及んだ人類史上最大の戦争は公式に幕を閉じた。
後に残されたのは、国境線が書き換えられ、心も国土も引き裂かれた地球。そして世界は休む間もなく、アメリカとソ連という二大超大国が対峙する「冷戦」という名の、目に見えない新たな戦場へと引きずり込まれていくのだった。
