【自己紹介】なんの取り柄もなかったヘタレな僕が恋愛を学び、月300万稼いだ話。

【自己紹介】なんの取り柄もなかったヘタレな僕が恋愛を学び、月300万稼いだ話。

うちはサスケ

うちはサスケ

今回は、僕のことを詳しく知らない方も多いと思うから

サスケという人間をみんなに知ってもらうために

本当にどうしようもなかった過去の僕が

何を思い、何につまづき、どのように頑張ってきたのか

その結果、どのように変わることができたのか

そんな僕の人生の軌跡を話そうと思う。

今では女の子にもお金にも不自由なく暮らせているが

4年前の僕はダメダメだった。

僕が特別だったのではなく適切な手段と努力をしたから変われた。

なので、この記事を手に取ってくれている人も変わることができる

ということを知ってほしい。

こんな話をしても

「どうせ元々の能力が高かったんでしょ」

「ダメダメと言っても基準が高かっただけでしょ」

そう思う方もいらっしゃると思います。

むしろ、そう思って当たり前。

だって、僕も逆の立場だったらだったらそう思うと思う笑

だから、どれだけ当時の僕が無能だったのかを知ってもらうために

今まで人に話してこなかった恥ずかしい過去も赤裸々に明かそうと思う。

目次

  1. 第一章 サスケとはどういった人間か?
  2. 第二章 暗黒の学生時代
  3. 第三章 過去の恋愛編
  4. 第四章 人生初の恋愛コンサル受講
  5. 第五章 ホスト編・現在にいたるまで

第一章 サスケとはどういった人間か?

今、月に100~200万程女の子に貢がれながらのんびり自由に生活している。

今年に入って本格的に貢がせを始めて、

半年で1000万以上稼ぎ、

月で言えば最高300万円稼いた。

ホストをやってたこともあるが、ホスト時代よりはるかにお金を稼げるようになった。

自由な時間もめちゃくちゃ増えた。

でも、自由な時間がありすぎて暇ではある笑

最近は、

クーラーの効いたタワーマンションの部屋で漫画を読んだり、

ムラムラしたら街に繰り出し、ナンパした女の子とえっちしたり、

仲のいいナンパ仲間とサウナに行ったり、

そんな感じのダラダラとした生活を送っている。

自分で書いてて最高にカスニートすぎて笑えてくる笑

自分でいうのもなんだけど、なかなか刺激的な人生を歩んでいると思う。

・一日で4人の女の子を抱いた

・累計200人の女の子を抱いた

・興味本位でインスタ運用を始めて3か月で1万人達成

・半年で1000万以上貢いでもらう(現在21歳)

ここまで聞くと、凄いとか才能があったとか思われるかもしれない。

でも過去の僕は

コンプレックスまみれで、イジメに近いようなことを受けたこともあったし、

三年間片想いしていた女の子にキモいと影で言われていたこともある。

そんな僕が今はこんな最高の人生を送っているなんて過去の僕に言っても信じてもらえないと思う。

でも、まだまだ足りない。

だって、世の中には億を稼ぐ人がゴロゴロいたり、街を歩いてるだけで美女から逆ナンをされ、そのままエッチをできるような人だっているということを知ってしまったから。

だからここで満足するのではなく、もっともっと成長したいなと思っている。

せっかく男に生まれたからには後悔しないように挑戦しまくって強くならないと勿体無いない。

それに僕が凄くなれば、ここまで僕を成長させてくれた周りの人に恩返しできるし、僕のアカウントをいつも見てくれている方にもっと有益な情報を届けることもできる。

第二章 暗闇の中にいた学生時代

ここからはもっと具体的に僕の過去について話していこうと思う。

..................

..................

そう思ったけど、

特に人に話せるようなことがない。

こいつはなにを言っているんだ??

女の子からお金をもらいすぎて頭がおかしくなってしまったのか??

そう思うかもしれない。

だけど大丈夫、安心してほしい笑

本当に恥ずかしい話だが、

僕は本当に

「空っぽ」

だった。

例えると、穴の空いたバケツみたいな人間だった。

当時の僕は本当につまらない人間だった。

やっぱり、人に相手にされてこなかった人間って本当につまらない。

それも当然、基本的に家に引きこもってシコって寝る。ただただ、惰眠を貪り、惰性に生きる。

学校に行っても人とあまり過ごさず

「早く授業終わらないかな~」

「早く帰ってエロ漫画の続きをみながらシコりまくりたいな」

とか思いながら日々を惰性に過ごしていた。

ここまで話しておいて意外と思うかもしれないが、

もともと僕は自己肯定感が高かった。

なんなら幼稚園から小学校低学年まで自分が中心に世界が回っていると思っていた。

僕の家は割と英才教育で、小さい頃から

塾、そろばん、習字、体操など

いろんな所に通わされてた。

ちなみに、幼稚園の時に通っていた塾の模試では

全国一位

だったらしい。

それ故に、周りから褒められて育ってきた。

親からもたくさん愛情を受けて育ってきた。

優しい子だったなと、記憶を辿ってもそう思う。

小学校に入学すると、最初はとにかく優等生扱いされていた。

周りより物覚えがよく、勉強ができる。作文のコンクールで賞をもらったことも覚えている。

クラスの子に勉強を教えてあげたり、授業中は誰よりも手を上げて先生からの質問にも答えていた。

「この子はクラスを引っ張ってくれる子です。」

先生がそう親に伝えていたらしい。

そんな順風満帆かのように思えた小学校生活だが、学年が進むにつれ、どんどん話が変わってくる。

ここからが地獄の幕開けだった。

学年が上がるにつれ、当然だが、周りの子供たちも少しづつ成長してくる。

少しずつ自我が芽生えたり、背が伸びてきたり、身体能力が上がっていったり、頭もよくなっていったり。

他の変化でいうと、

地域のスポーツクラブに通いだしたり、塾に通う子が増えてきたり。

そうするうちに、明確に気づいたことがあった。

僕は人よりも運動神経が悪い

下手したらクラスで1番悪かったかも知れない。

そのぐらい酷かった。

幼少期はそこまで運動神経が悪いと明確に思ったことはなかった。

なんとなく違和感は感じていたが、目を背けてきた。

学年が上がってからは

スポーツテストの結果でバカにされたり、

鬼ごっこでいつも標的にされ、誰も捕まえることができずに嫌な思いをしたり、

ドッジボールのチームを決める時にいつもあまりものにされたり、

サッカーをやってもみんながやりたがらないキーパーばかりやらされたり

そんな経験をする頻度がどんどん上がってきた。

そんな経験を頻繁にしたら嫌でも自覚させられる。

小学校の時を思い出して欲しいのだが、

小学校って足が速くて運動ができるやつがモテたと思う。

そして、足が速くて運動ができるやつが常にヒエラルキーのトップにいる。

逆に運動ができないやつはヒエラルキー最底辺だ。

そう。僕はヒエラルキー最底辺だった。

そんな僕に追い打ちをかけるかのような出来事が起きた。

親に当時流行っていた3DSを没収された。

この時には本当に絶望した。

なぜなら、当時の小学校のコミュニティがゲームか運動で構成されていたからだ。

今までは運動ができないことが嫌でコンプレックスだったが

まだゲームを持っていた分、ゲームをする時は輪に入れていた。

その唯一繋がりを持てていたゲームも没収されたので、本当に絶望した。

没収された理由がゲームのやりすぎ、目が悪くなるから。

といった理由だった。

今思えば子育てをする上で全うな理由ではある。

しかし、当時の僕は全く理解ができなかった。

「そんな目が悪くなるなんてどうでもいい、そんなことより一人になることのほうがよっぽどつらい」

そう親に抗議しても

「私たちの時代はよく外で遊んだものだ。お前も子供らしく外であそびなさい。」と

ひどく怒鳴りつけてきて聞く耳を持ってくれなかった。

当時の小学生のコミュニティにおいてのゲームの重要性を一つも理解していない親はその一点張り。

ちなみに、小学校三年生から小学校を卒業するまでゲームは返してもらえなかった。

運動神経が悪いだけでも十分地獄だったのだが、そこには更なる地獄が待っていた。

休み時間にみんなみたいにケイドロをしにいくのも標的にされるからいやだ。気軽に話をできる友達もいない。

だから休み時間は机に突っ伏せて寝たふりをして過ごすか、読みたくもない小説を読み時間が過ぎるのをただただ待つか。

とにかく毎日が憂鬱で、学校に行きたくなかった。

家に帰っても行きたくもないそろばんや塾や習字に通わされ、やる気がないので宿題をやっていかずに先生に怒られる始末。

家ではテレビや漫画を読んでいるだけで親にぐちぐち怒られる。

本当に生きるのが辛かった。

毎日が窮屈で息苦しかった。

得意だった勉強も塾に通う子たちが増え始め、僕より賢い子たちがどんどん増え始めた。

そして、自分が優秀という感覚が薄れてきた。

バカではないけど、そんな賢いわけでもない

そんな感じの立ち位置になっていきました。

唯一の勉強も他人に負けたことで死ぬほど自己肯定感が下がった。

その時に初めて、幼稚園から塾に通っていたことで、少し人よりスタートが早かっただったのだなと、僕は何もない人間なんだなと気づいた。

そういった人間は当然かのようにイジメのような対象となる。

容姿をばかにされたり、

名前をいじった悪口を言われたり、

あからさまに仲間外れにされたり。

ただ、先生にそれを告げ口して解決することだけはしたくなかった。

なにか卑怯なような気もしたし、本当の意味でそいつらに負けたような気がして嫌だった。

自分でなんとかしたくて、言い合いになったらぶん殴ったりしてやり返していた。

そうすると先生から目をつけられ、なんでそんなことをするのかと毎日のように問いただされいた。

僕はプライドが高かったので、先生に聞かれても絶対にいじめられていることを口にはしなかった。

そうすると先生は手を出したほうが悪いと判断し、僕だけをこっぴどく叱りつける。

むしろ自分がイジメている、問題をよく起こす側だと判断された。

クラスの教壇に立ち、彼がこうやってイジメをしてしまった訳だけど、周りの傍観者の君たちもよくないウンタラカンタラ

みたいな話をみんなの前でされたことが何度もある。

まあ、ちゃんと説明しなかった僕が悪いんだけれど笑

友達もいないし、よく揉め事を起こす問題児としても扱われ、なおさら周りから人が離れていった。モテるなんて程遠い話だった。

「側面でしか判断せず、何も理解しない大人なんてクソだ」

そういった思いがどんどん強まり親を含めた大人へのヘイトがどんどんたまっていった。

「親や先生のいいなりになってはまずい。誰も自分を守ってくれない。」

と思い、

「こいつらのいうことは絶対に聞かない」

そう心に決めた。

ここから世間一般でいう反抗期に突入していった。

小学校5年生の時にそう決心してからというもの

高校を卒業するまで家ではほとんど口を開くことはなかった。

ご飯の時もなるべく家族が食べ終わるまで部屋に籠り、家族が食べ終わってから食べる。みたいな生活をしていた。

今となってはクソガキだったなと思う。

もちろん小言も増えたが、フルシカトした。

でも本当は親のことは大好きだったし、そんな生活をするのは孤独でとても寂しかった。

そうして小学生だった僕も中学生になっていったわけだが、

小学6年生のタイミングあたりでスマホが流行りだした。

周りにスマホを持つ子がぽつぽつと増えてきた。

そこで

「まずい、またゲームの時の二の舞になる。中学校でみんなスマホを持ち出すだろうし、ここでスマホを手に入れられなかったらまた一人になる。だからなんとしてでも手に入れなきゃならない」

そう強く思った。

なので、親にスマホが欲しいことを伝え、説得にかかった。

この時の僕の熱量は凄かったと思う。

普段ろくに口もきかないくせに、この時だけはずっと親につきまとって説得をした。

親がインフルエンザで体調を崩した時もずっとつきまとって説得をした。多分相当鬱陶しかったと思う笑

そんな感じで1週間くらいつきまとって説得しまくると、渋々スマホを買ってくれることになった。

この時の感動、喜びといったら忘れられない。

嬉しすぎてベットの上で飛び跳ねまくった記憶がある。

その後、親や先生の言いなりには絶対にならないと決めたはずだったが

中学受験に関しては言い負かされ、受験をすることになった。

そうして中学受験を経て中学生になった。

ただ、結果的にこの選択はかなり功を奏した。

こればっかりは親の言いなりになって良かったなと思った。

中学受験をせずに地元の中学に進学していたとしたら、小学校が同じ人間と一緒に中学時代を送るわけだが、

中学受験をしたから人間関係が一度リセットされた。

「ここなら僕の過去を知る人間はいない。ダメダメな人生だったけどやり直せるかもしれない。」

そんな想いを抱えて中学校に入学した。

中学生の最初は嫌いな人間もいなかったし、新しい出会いも沢山あったし、本当に新鮮で楽しかったことをよく覚えている。

そして何より、スマホを意地でも手に入れたことは大正解だった。

私立だったのもあるかもしれないが、クラスの半数以上がスマホを持っていた

やっぱりスマホをもっていると、LINEもできるし、スマホゲームもできるしで、最初からクラスの輪に入ることができた。

その傍ら、スマホを持っていなくて輪に入りにくそうにしている小学生の時にゲームを没収された自分のような状態の子の存在も感じた。

小学校の時はできなかった友達も沢山でき、女の子と話せる機会も沢山あった。

友達と休みの日にイオンに遊びに行ったり、ゲーセンにいったり、ご飯を食べに行ったり、色々なことをして遊んだ。

今思えば平凡な日常だが、今まで友達とそんなことをあまりしたことがなかった自分からすると、本当に楽しくて幸せな時間だった。

とにかく楽しくてしかたなかったのを覚えている。

その反面よくないことも起きた。

スマホを持ったことにより、ずっとスマホゲームをやり続けるようになってしまったのだ。

特に当時流行っていたモンスターストライク(モンスト)にドハマりした。

空いている時間はずーっとモンストに人生を注いだ。

それこそ、学校に行っている間や家での食事・お風呂・睡眠時間以外はケータイを肌身離さず持ち歩き、モンストと睨めっこしていた。

ひどい時は熱中しすぎるがあまり、瞬きするのを忘れてしまっていたこともある。

そして気づいた時にはドライアイで目がカピカピになったりもした。

モンストをやったことのある人になら伝わるとおもうが、運極を100体以上作ったりもした。やったことのある人には異常なやり込み具合と伝わると思う笑

モンスト以外にも当時流行っていた匿名チャットアプリやX(当時Twitter)、パズドラなどいろんなアプリにも手を出し、とにかくスマホ依存症になっていった。

休みの日なんて16時間くらい触ってたと思う。

これの何がよくなかったかというと、成績がガタ落ちした。

そこまで頭のいい学校ではなかったのもあるが、

中学の一番最初に受けた学力テストでは、学年で9位だった。

多分ずっと塾に通わされていた英才教育の賜物だったのではないかと思う。

しかし、スマホ依存症の効果は絶大で、過去の築き上げた英才教育の環境を持ってしても敵わなかった。

結果的に、中学の終わりに受けた期末テストでは150人中140位くらいだった。

面白いくらいのガタ落ちだった。

それもそのはず、

家ではずっとスマホを触り、朝の4時くらいに寝て、学校に行く生活を送っていたので、授業中はずっと寝ていた。

学校の授業なんてまともに聞いた記憶がほとんどない。

そりゃ成績もそれだけ落ちるよなって感じ。

でも、その時はそれでオールオッケーといった感じだった。

あの暗黒の小学生時代よりも何十倍、いや、何百倍も充実していたからだ。

中学二年生に入る。

この辺から小学生時代の反動もあり、だんだんとヤンチャなことをするようになってくる。

パッとおもいつくのは、

教室の窓ガラスを割ったり、

先生にカンチョ―してみたり、

授業中にイヤホンで音楽を聴いたり

まじで中学2年生って感じ。

もちろん全部バレたが笑

これ以外にもいろいろ先生を怒らせるようなことをしていたので、何度も呼び出され、職員室で怒られてしていた。

そんなことの繰り返しな生活でしたが、転機となる大きな事件が起こる。

ある日、友達とケンカをした。

きっかけは友達の眼鏡を奪って遊んでいたという些細なものだったが、

そいつが手をだしてきたことにイラっとした僕は、

友達をこかせて、顔面を蹴った。

ここで一線を越えてしまった。

顔が腫れたらしく、その友達は保健室に行くことに。

後から知ったのだが、

その友達は本当にいいやつで、先生になにがあったか聞かれたけど、僕のことを何も話さなかったらしい。

しかし、周りの一部始終を見ていた女子が先生にありのままを話したらしい。

当然、先生から呼び出され、ひどく叱られた。

そして、学年主任や数人の先生も出てきて言い渡されたことが

「停学処分」

ということだった。

そしてまた停学になったら

「退学」

とのことだった。

普通の中学校だったら退学は絶対起こり得ないと思うが、私立の中高一貫校なだけあって退学させることも可能と伝えられた。

今回のことだけでなく、今までしてきたことや、普段の生活態度からこの決断に至ったらしい。

今思えばそんなことなんとでもなると思うが、

当時14歳の僕は絶望した。

いろんなことが頭によぎった。

今一緒にいる友達といられなくなる、

また嫌だった地元の中学校に通わなきゃいけなくなる、

私立で高い学費をだしてくれている親に迷惑がかかる

などだ。

家に帰ってとにかくワンワン泣いた。

1週間の停学だったので、3日ほど寝込んだ。

当然親にもしっかり叱られ、

罰として、

スマホを没収

された。

また昔のようなことが起きてしまう、そう思ったが、この時の僕はとにかく罪悪感に苛まれていたので受け入れた。

ちなみに高校二年生まで返してはもらえなかった。

そして停学をあけ1週間が経ち、学校に再び通うことになる。

久しぶりにクラスに入ったあの時のことは思い出したくもない。

クラスの女子たちからの冷ややかな視線。

男子はまだ受け入れてくれたが、以前とは明らかに違うような冷めた態度を感じた。

どこかで聞いたことのある

集団は、人と違う人間、少数派の人間を嫌う

ということを痛感した。

本当に全部僕が悪いが。

家に帰り何度も自分を責めた。

どんどん自己肯定感は下がっていった。

できることなら、あの一線を超える前に戻りたい。

そう何度も思った。

そして、また小学校への逆戻り。

スマホを持っていないから輪に入りにくい、運動ができないから部活にも入らない、貼られたレッテルは問題児。

ちなみにですが、どれくらい運動ができなかったかというと、

50メートル走で8秒後半。懸垂は一回もできない。シャトルランは50回ほど。

パっと思い出せる限りでそんな感じだった。

そんな状況になるとやはり、

「学校にいきたくない」

そう強く思うようになってくる。

そこから学校に通う頻度が減り、

親には「学校に行きなさい」といわれるのでたまにお昼くらいから学校に通う。みたいな感じの生活を送ることになる。

ほぼ不登校のような生活。

そんな感じで数か月が経ち、

中学三年生になりクラス替えが起こる。

クラス替えをしてからは少しずつだが、学校に馴染めるようになった。

数か月前の出来事だからみんなの記憶から薄れていっていることも感じたし、クラスのメンバーも変わったから、停学事件がそんなに気にならなくなった。

不登校を続けていたが、学校に通いたいと思うようになった。

しかし、薄々感じていたことなのだが、小学校から中学校の変化を感じることになる。

それは、

学力、顔面

もヒエラルキーの評価基準に入っているということだ。

小学校ではとにかく運動ができるやつがモテていたのが、

勉強ができて、運動ができて、コミュ力があり、顔がかっこいいやつ、

そんな人間がモテるように変わったなと気づいた。

顔面、運動はともかく、

「よっしゃー!勉強は得意分野や!元学年9位の底力見せたるわい!」

そう意気込み、

まずは授業を真面目に受けてみることにした。

しかし、

「ありおりはべり??何を言ってるんだこいつは」

と古文の太っているおばちゃん先生をどつきたくなるくらいに

全く理解ができなかった。

それもそのはず、

一年生の頃は授業中ずっと寝ていて、

二年生の頃は前半はヤンチャ、後半は不登校といった感じで、

授業なんかまともに受けたことがなかった。

英語で言えば、

I,my,me,mine

がわからない、

中学レベルの英単語がほとんどわからない、

数学で言えば、

連立方程式がわからない、

「xとyってなに?」

みたいな中学レベルの基礎が何一つ理解できていない悲惨な状況だった。

映画のビリギャルの主人公と似たような状況だった。

そりゃ、それよりも先に進んでいることを学んでも理解できるはずがない。

しかし、本当になにから始めたらいいのかわからなかった僕は勉強をすることを諦めた。

ここで、今までの人生ではなかった、

学力コンプレックス

まで芽生えてくる。

そこからというもの、部活もしていない、勉強もできない、友達は少ない、ただ日々をそれなりに生き、時間を過ぎるのを待つ。

そう、前述したとおり、

「空っぽ」

な中身がスカスカな人間が生まれたわけだ。

基本的に家に引きこもってシコって寝る。ただただ、惰眠を貪り、惰性に生きる。

そんな生活。

そんな生活を繰り返していると、だれからも相手にされない。

の無限ループ。

そんなしょうもない生活を送っていたから、中学3年生~高校2年生までは特別話せるようなことがない。

唯一よかったことは中学受験をしていたことだった。

中高一貫校だったので、高校受験をしなくてもエスカレーター式で高校に上がることができた。

こんな学力の状態で高校受験をしていたら、

名前を書いたら受かるような高校にしか受かってなかったと思う笑

そんなつまらない日々を惰性に生き、ずるずると時間のみが過ぎていったわけだが、

高校三年生になるくらいのタイミングで

転機が訪れる。

そう、

大学受験だ。

ここまで文章を読んでくれている人は、文字に慣れている方が多いのかなと思うから大学に行った人も多いのではないかと思う。

高校三年生になるくらいのタイミングでも、勉強はずっとしてこなかったから先ほどの中学基礎がわからないレベルから学力はさほど変わってないような状態だった。

進研模試という模試で、

偏差値35

とかそのレベルだった。

そんな高校三年生にもなれば、高校三年生までそんな状態を放置したヘタレの僕でも流石に将来が不安になる。

「大学出てないと就職できなくね?」

「そうすると結婚とかどうするんだろう?」

「え、まさか工場勤務でもすんの?ヤバくね?」

などいろんな不安が僕の頭の中に飛び交った。

「流石にまずい、将来死んでしまう。しかも受験まであと1年しかない」

半ば人生を諦めかけていた自分だったが、人間本当に追い込まれると危機感を覚える。

「よし、頑張ろう」

そう思った。

本当になにから手をつけていいかわからなかったから、

YouTubeやネットで調べまくり、見つけた中学レベルの参考書から始めた。

林修が「今でしょ!」

とCMしてたことだけを理由に、東進衛生予備校という塾に入り、そこの自習室に毎日通って勉強をした。

ただ、勉強する習慣が全くなく、家でYouTubeばかりみていた自分からすると、その生活は辛く厳しい物だった。

おまけに、周りの友達とかは有名大学の模試でA判定をもらえるレベルの子が何人もいる。

そんな状況でもなんとか頑張った。

学校にいない時間のほとんどは塾の自習室で過ごした。

無謀かもしれないが、

「MARCHってなんかイケてそうだしモテそう。」

と思い、MARCHを志望校にしていた。

とにかく参考書を読みまくった。

ターゲットという英単語張を形がおかしくなるまで読みまくった。

数学の参考書の問題を解きまくった。

1日10時間くらいをコンスタントに続けた。

この頃の僕は、自分でもよく頑張っていたと思う。

そんな生活を7か月程続けた高校三年生11月のある日、模試の結果が返ってくる。

その結果は、

...........

...........

志望校のほとんどがE判定。

辛い現実だった。

前までサッパリだった参考書の内容も、かなりわかるようになっていたし、確実に前より学力が上がっている実感もあったのに、その結果がそれだった。

日々の勉強生活から精神が疲弊していた自分はその結果が受け止めきれなかった。

そして、プツンと糸が切れたように、本当に何もやる気がでなくなってしまった。

塾に行きたくない、学校に行きたくない、何もしたくない

そう強く思った。

今思えば、鬱のような状態だったと思う。

そうして、また家に引きこもり、

「逃げ続けてきた人生だったけど、これだけは逃げない」と自分に誓った受験勉強からも逃げることになる。

本当にヘタレ。

そうこう言っても時は経ち、受験が始まる1月に突入する。

まず、滑り止めに応募していた偏差値50くらいの大学の日程が来た。

「こんなとこ受かっても自分のプライドが許せないし、いきたくない」

「今の自分の学力じゃここだって全然落ちるかもしれないから怖い」

そう思いながらも、受験会場に足を運び受験した

何個か応募していたMARCHの受験日程の日もやってきた。

.......

.......

受験会場にはすべて行かなかった。

自暴自棄になっていた自分は

「落ちた」

という結果を残したくなかった。

本当に終わっている。

その時のことは今でも後悔している。

もしかしたら、ほんのわずか数パーセントかもしれないけど、何かの奇跡で受かっていたかもしれないのに。

そのせいで、自分の受験は滑り止めの偏差値50くらいの大学を一つ受けただけで終わりました。

まだ幸運だったのが、全然落ちてもおかしくなかったそのすべり止めの大学が受かっていたことだ。

そんな何もない人間だったのに無駄にプライドだけは高かった自分は浪人をするか死ぬほど悩んだ。おそらく人生で一番悩んだ。

確か、大学生活が始まる直前の3月29日まで悩んだ。

これだけは頑張ると決めた自分を裏切るような気持ちに苛まれたし、これさえできなくて僕は今後何を成し遂げられるんだと思った。

しかし、半ば鬱気味だった自分はあと1年間頑張れる自信がないなという理由で受かった大学に進学することに決めた。

そんな感じで僕の高校生活は幕を閉じた。

ここまで読んでくれたらわかると思うが、僕はこういう人間だったと誰かに語ろうと思っても特に語ることがない。

当時の僕って本当に虚しい人間だったなと思う笑

そんな空っぽの自分が本当に情けなくて、恥ずかしくて大嫌いだった。

だから、せめて女の子からモテるようになれば

少しは自分を誇れるようになるのじゃないか

性欲も承認欲求も愛に飢えているのも満たされるんじゃないか

そう思い、恋愛を学ぼうと思った。

それからは必死でネットサーフィンをしまくった。

ナンパコンサルに興味を持ったり、相席屋に興味を持ったり

様々な情報に惹かれた。

それでも、当時の僕は京都に住んでいたから

人が少ない地域でも挑戦できるものを求めていた。

そんな時に、仲間もできて京都でも頑張れそうなコンサルを見つけた。

それが某王手のマッチングアプリコンサルだった。

そのコンサルでは、僕みたいなモテてこなかったがモテたい。女の子を抱きまくりたい。みたいな人間がたくさんいて、数多くの出会いがあった。

しかし、そこで意外だったことがあった。

僕みたいな本当になにも人間がないが意外と少なかった。

一番多くいたのは高学歴の人間。

とにかくモテたかったから勉強や就職を頑張った。でもそれは努力の方向性が違ったと気づいたからこのコンサルを受けた。

有名国公立、医学部、MARCH、某大手企業就職

みたいな人間が当たり前のようにたくさんいた。

僕はそれを知り、

「僕みたいな本当に努力もなにもしてこなかったクズいないじゃん。。。」

そう思い、更に過去の自分へのコンプレックスは強くなった。

ただ、

せめてここでは絶対に結果を出してやる、、

なにもなかった空っぽな僕はそう思った。

その結果、50人近くいる人の中で上位3位に入る結果を出すことができた。

そのコンサルの話はまた後で詳しくしようと思う。

第三章 過去の恋愛編

高校時代に僕の心を大きく揺さぶったことがもう一つある。

それは恋愛だ。

中学3年~高校2年までの3年間ほど好きだった女の子がいた。

本当に大好きだった。

その子とは中学3年の時に同じクラスになった。

席替えをしたタイミングで、席が近くになって自然と仲良くなっていった。

前述したとおり、僕は人から相手にされてこなかった虚しい人間だったので、そうやって自然に仲良くしてくれるだけでとにかく嬉しかった。

KPOPアイドルが好きな笑顔がかわいらしい女の子だった。

その女の子とは、

寝落ち通話をしたり

放課後にスタバを飲みにいったり

授業中に手紙を回して会話したりした。

そんなに大したことのないように聞こるかもしれないが、

青春アニメが大好きで青春に憧れていた僕からするとすごく幸せだった。

他の男子と話していると嫉妬したし、

LINEがなかなか返ってこない日があると気が狂いそうになるほど寂しかった。

こういうことを書いていると、上手いこといってるじゃん。そう思われるかもしれない。

僕自身も、

「こいつ俺のこと好きだろw」

そう思っていた。

クラス替えをしてからクラスが離れたが、それでもLINEは続けていましたし、たまに遊んだりもしていた。

そうしてずるずると時間が過ぎ、その子に対する依存は強くなっていく。

「これだけ学生生活をこの子だけとの思い出で染めたんだから、一緒にいて貰わないと困る」

単純に好きという気持ちとは別でそういう気持ちも強くなっていく。

後で恋愛を学んでから気づいたのだが、

サンクコスト

というやつだ。

クレーンゲームのように人は自分のお金や時間を費やすほど、その物に執着していく。

まさにそれが起きていた。

本当は早く付き合いたい、そう強く思っていたが、それと同時に

この幸せな時間が終わるのが嫌だ。関係性が崩れたくない

その気持ちと葛藤し、告白する勇気がでなかった。

しかし、そんな僕でも高校二年生の途中で

「いつか高校を卒業するんだ、今この想いを伝えないと一生後悔する。」

そう思い、女の子に電話をかけ、

かなりブルブルとした小さい声で

「好きです。幸せにするので付き合ってください。」

そう伝えた。

しかし、

彼女から返ってきた答えは

「ごめん、友達としては好きだけど、異性としてはみれない」

これだった。

恋愛でありがちな、友達枠になっていた。

返ってきた答えを聞き、この事実に気付いた時に、涙が止まらなかった。

好きな女の子の前で泣くなんてダサい、泣きたくない

そう思いながらも涙が止まらないのだ。

そしてあろうことか、女の子に泣きながら、想いを語り、泣きながら付き合ってほしいと懇願した。

思い返すだけで情けない気持ちになる。

彼女は明らかに同情した態度で、

「そこまでいうならいいよ。でも、私は好きじゃないけどそれでもいい?」

そういわれ、付き合うことになった。

その瞬間は

「遂に憧れの大好きだったあの子と付き合えた」

その思いでいっぱいで、とにかく嬉しかった。

しかし、だんだんと違和感を感じた。

LINEの返事が以前より明らかに遅いのだ。

どんどん酷くなっていき、1週間に1回の頻度とかまで減っていった。

学校であっても明らかに気まずそうな態度をとってきて、距離を置かれている感覚を覚えた。

何かがおかしい。。

そう思った。

今思えば、本当に気持ちの悪い行動なのだが、

この子のインスタにログインできたら何かしれるのではないか?

と思い、試してみました。

マジでモテないやつって怖い。

バレたりしないかドキドキしながら、

何度か推測できるパスワードを試していると、

....

そう、ログインできたのだ。

しかし、それはまさに

禁断の扉

だった。

世の中、見ない方がいい物、知らない方がいいことはたくさんある。

そこに広がっていた光景は本当に悲惨だった。

一番衝撃的だったことは、

1個上の男の先輩

とのやり取りだ。

僕も知っていた先輩だった。

その先輩とのやりとりは本当に思い出したくないものだった。

僕には絶対使わないようなメスとしての口調、

明らかに相手を格上のオスとして認めているであろう媚びた態度、

「好きです、抱いてください」と言わんばかりのデレデレとしたメッセージ。

どれも僕が知らない彼女だった。

そして他の女の子とメッセージもみることになったのだが、

「あの先輩に好きって伝えたけど全然振り向いてくれないんだよね、思わせぶりな態度ばっかされて辛い」

そんな恋愛相談をしていた。

明らかな食物連鎖を感じた。

その先輩がライオン彼女がウサギ、僕はその辺の雑草といったところだろうか。

はたまた、僕からしたらライオンに見えたその先輩もどこかの女の子に食い物にされていたのだろうか。

「俺なら死ぬほど大切にするのに」

そう思ったが、

雑草のようなモテない男からの好意、優しさなんて価値がないんだろうなと気づいた。

いけないことをしている焦燥感、知りたくなかった事実を知ってしまった絶望感

僕の胸の鼓動をとても速くさせた。

もう一つ知りたくなかった大きな事実があった。

それは、

女の子とのDMで

僕の悪口を言われていたことだ。

「泣いててなんか可哀そうだったから付き合ってあげたw」

や、

自分とのLINEを貼り付けられ、

めっちゃ追いLINEくるんだけどw あいつ女々しくてキモイw

こんな内容だった。

「自分の3年間は何だったんだ。あれだけ好きだったこの子はこんな子だったのか、女なんて所詮こんなものなのか」

などの様々な感情がグチャグチャになり、

今までの彼女との美しかった思い出がボロボロと崩れ落ちていった。

ワンワンと泣き、目はパンパンに腫れ、しばらく動く気にならず寝込んだ。

しかし、

時間が経ち、気づいたことがある。

僕が彼女に相手にされないことは、当たり前の話だったのではないか?

ということです。

彼女はKPOPアイドルが好きで、当時大流行していたBTSが好きで、よくライブにも行っていました。

彼女が好きだったテテはこんな感じ。

一方、当時の僕はというと、

こんなこんな感じだった。

このアカウントを作って三年以上活動をしてきたが、初めてこんな写真載せた。

マジで恥ずかしいのでなるべく見ないように欲しい。。笑

ご覧の通り、

眼鏡、眉毛はボサボサ、皮脂はテカテカ、髪は1000円カット

絵に描いたようなチー牛。

書いてて泣きそうになってきた。

冷静になって自分とテテを比較してみると、

「この子の本命になれなくて当たり前か...」

そう思った。

彼女が片想いしていた先輩も、テテと比べた時には見劣りするものの

普通にイケメンだった。

さらに、サッカー部で運動神経もよく、勉強もできるという噂だった。

弱肉強食のこの世の中において、

何の武器も持ち合わせていないチー牛が負けるのは至極真っ当なことだと気づいた。

この頃の自分は、女の子とエッチをしまくりたい!モテまくりたい!と強く思っていた。

だけどそれ以上に、親以外の誰からも深く愛されたことがない....と思うことのほうが多かった。

そう、

愛に飢えていた。

そしてこの気持ちが後々月100~200万円程女の子から貢がれ続ける程、

関係構築で結果を出すことにつながってくる。

第四章 人生初の恋愛コンサル受講

高校を卒業し、18歳の自分は大学に入学することになる。

京都の大学だったので、実家を離れ、京都で一人暮らしを始めた。

せっかく一人暮らしを始めたし、

「何者かになりたい。何か成し遂げたい、、凄いやつになりたい。もう恋愛であんな思いはしたくない....。」

そんなことを考えていたタイミングでした。

なにより強かった想いは、

「僕のことを愛してくれくる子を探したい」

だった。

恋愛では上手くいかなかったし、モテとは縁遠い人生を送ってきた。

そんな僕は、親以外の誰からも深く愛されたことがなかった。

愛に飢えていたのだ。

そんな想いを抱えた中で、Twitterをポチポチしていると何やら怪しげなコンサル集団を見つけた。

"黒足の一味"というネットナンパコンサルだ。

「女の子を抱きまくれます?モテる人生を送れます?怪しい...」

コンサルとか自体そのものが胡散臭いという固定概念を持っていたから怪しく感じた。

そんな甘い話あるわけないと思いつつも、

人間とは極限の空腹状態であればどんな食べ物でも食べてみたいと思ってしまうものだ。

「わずか数パーセントでもこんなつまらない人生が変わる可能性があるなら...」

そう思い、意を決してとりあえず面談に行ってみることにした。

面談当日、

「うっす、サンジです」

(!?!?何だこのイケメンは??)

当時のモテないチー牛童貞からしたら規格外のイケメンがそこには立っていた。

それが当時の黒足の一味の代表サンジさんだった。

堂々とした態度、溢れでる自信、オーラを感じた。

カフェで面談をしてもらったのだが、

話を聞けば聞くほど、

圧倒的な経験値の差を感じ、

「この人みたいにモテるようになりたい...!!」

と強く思った。

具体的なコンサル費用は伏せるが、

当時18歳の僕からすると、非常に高価だった。

しかし、

貯めていたお年玉を切り崩し、

意を決してコンサルを受講することを決意した。

お金以上にとにかく人生を変えたかった。

その日は

「これからよろしくお願いします!」

サンジさんにそう伝え、

駅のホームで熱いグータッチをして解散した。

後に、

ホストを始めたり

月100~200万円女の子に貢がれる程に関係構築がうまくなったり

していくわけだが、

この日が確実に僕の人生の分岐点となった。

このコンサルの内容として、

外見改善講習をしてくれるというものがあるのだが、

それが東京でしてくれるものだった。

18歳でほとんど地元から出たことがなかったし一人で県外など行ったこともなく、

右も左もわからない状態だったが、

一人で3000円の夜行バスチケットを買い、

夜行バスに乗って東京に向かった。

世間はコロナ渦真っただ中で、

県外への移動はお控えください。自宅で自粛してください。

といった感じだったが、

そんなことはお構いなしでバスに乗った。

とにかくワクワクした気持ちを膨らませながら東京に向かい、無事に東京に到着した。

田舎者あるあるの渋谷のハチ公で写真を撮るという恒例行事を終え、

最初は指定されたOCEANTOKYOという美容室に向かった。

「美容室なんて、コスパのいい1000円カットが最強でしょw」

と思っていた僕は、

初めて足を踏み入れるおしゃれな美容室にとにかくビクビクしたのをよく覚えている。

その後に、いよいよ外見改善の講師の方と出会った。

「!!?!?韓国アイドルじゃん...」

サンジさんと出会った時も衝撃的だったが、この講師の方との出会いもかなりの衝撃を受けた。

その日は、メイクと服選びをしてもらった。

「メイクなんて女がするもんだろw男でメイクなんて女々しいw」

そう思っていた僕は抵抗があったが、

メイクをしてもらったあとは印象がガラッと変わった。

服選びもセンスが抜群で僕に似合った服を選んでくれた。

ほとんどユニクロかGUのしかもっていなかったので、

おしゃれなアパレルショップに行くのはやはり緊張した。

ヘアセット、メイク、服選びを終え、鏡を見た時にはチー牛の姿はなかった。

印象がガラッと変わり、誰が見ても一目瞭然なくらいカッコよくなった。

「これが新しい僕か」

戦闘服をきたヒーローのような気分になり、

自然と自信が湧いた。

その次の日は、

”決起会”という、

僕のようなコンサルを受けたての子が30人程集まる会に向かった。

渋谷のハチ公前に集合したのだが、

”チャらめの30人くらいの男の集団”

この光景はとにかくシュールで異様だったのをよく覚えている。

講師の方が予約してくれたビルのレンタルスペースに向かったのだが、

みんなでゾロゾロむかう姿もまた面白かった。

そこにいたコンサル生の人たちは

外見改善講習を受けて身なりは整っているものの非モテ特有のオーラを感じる人や、

外見改善講習をまだ受けていない見た目もオーラもチー牛な人、

30代の方、既にかっこよくてモテそうな人、

いろんな人がいた。

レンタルスペースに到着し、

一人一人がみんなの前で立ち、

コンサル期間中での目標、今の経験人数、名前などの自己紹介をした。

なぜか、このコンサルでのアカウント名は変なものが多く、

「おま〇こ侍です!」

「オナケンです!」

とか言っている様子はとてもシュールでみんな大笑いしていた。

人前に立つのが苦手だった僕は、

「僕の番回ってくるな、、」

と思いながら待っていると遂に僕の番が回ってきた。

「さ、さ、サスケです!ど、童貞です!」

クソ程緊張しながら、なんとか自己紹介を終えた。

それと同時に、

周りのライバルたちを見渡しながら

「絶対に誰よりも結果を出してやる」

そう心の中で熱く誓った。

そこには、

恋愛で死にたくなるほど苦い想いをし、

そして空虚なつまらない人生を歩んできた、

「そんな自分の過去を清算したい、人生を変えたい」

そういった意味合いが含まれていた。

そんなこんなで僕の人生の逆転劇は幕を開けた。

いろんな想いと受けた刺激を胸に、

再び夜行バスにのり、京都に帰宅した。

ネットナンパコンサルだったので、

グループに投稿されていたノウハウをもとに、

とにかくマッチングアプリをポチポチしまくった。

アプリでマッチングした女の子にLINEを聞きまくり、

LINEを交換した女の子と電話をしまくった。

そうしていくと、一人の女の子と会う約束ができた。

コンサルの教えが、「出会った女の子と当日にセックスしなさい」というスタンスだった。

「とりま会う約束できたけど女の子とセックスなんてどうしたらいいんだ...?」

そう思ったが

「やるしかない。」

そう切り替え、会う当日を迎えた。

講師の方に選んでもらった戦闘服に着替え、

慣れないメイクとヘアセットをして、

待ち合わせ場所に向かった。

待ち合わせ場所には普通にかわいい、少しギャルっぽい女の子が経っていた。

その女の子は僕を認識すると目の色を変え、

「かっこいい...!!」

手で顔を覆い、いかにも女の子って感じの反応をしてきた。

「え...?」

今までそんなこと言われた経験がほとんどなかった僕は戸惑いながらも、

「余裕感、余裕感、ここでデレデレしたら終わりだ。」

そう思いながら必死に冷静を装った。

書いてあったノウハウを必死に頭に巡らせながら、カフェに向かう。

最初はなるべく冷静に対応していたが、

「ここからセックスに持ち込むの??ムリゲーすぎん??」

と、頭が真っ白になった。

そして、

「これしかない!最終手段だ!」

と思いながら、

「付きあお!」

と伝えた。

ちなみに出会って30分以内w

セックス=付き合ってないとできない。

そう思い込んでいた僕には、この手段しか思いつかなかった。

女の子は

「えー、出会ったばっかだし、、」

とかグダグダ言いつつも

「でもかっこいいしいいよ!」

となぜか付き合えた。

なんでだよ!!と内心思いつつも、

「じゃあ家おいでよ」

と伝え、

状況したばかりで引っ越したての家に初めて女の子を家に連れ込んだ。

童貞の僕は、

死ぬほどバクバクしながらも、

AVでたらふく蓄えた知識をもとに、

キスから始めた。

人生ではじめて触れる女の子の唇。

とても暖かかった。

そして、

死ぬほど触れることを夢見たおっぱいを思いのままに揉みしだく。

服を脱がして無我夢中にしゃぶりつく。

「こんなことしても嫌がらないんだ...」

そう思いながら、

下も触れて脱がしてみた。

生まれて初めてみたまんこは意外とグロかった。

「ていうか、本当にまんこってあるんだ。」

と思った。

今まで画面越しにしか見たことがなかったので存在すること自体を疑っていたのだ。

まじまじと見つめ、AVみたいに舐めてみた。

意外と臭くてしょっぱい。

幻想が膨らんでいた自分は少し心もちんこも萎えた。

生まれて初めてのフェラチオもしてもらった。

吸い取られるような感覚。オナホールでは伝わらない暖かさ。

自分の汚いちんこを舐めさせている服従させた感覚。

めちゃくちゃ気持ちがよかった。

「さあ、いよいよ童貞卒業だ。」

そう思い、コンドームを装着しようとした。

しかし、練習したはずが焦って上手くつけられなかった。

「ヤバい、童貞だとばれてしまう。」

そんな想いが焦りを加速させ、上手くつけられないのループに陥った。

こんな情けない僕にも女の子は優しく、萎えてしまったちんこを再び舐めてくれて、装着を手伝ってくれた。

穴の場所がどこかわからないというトラブルも乗り越えて、

ヌププ...

挿入を成功し、無事童貞を卒業した

本当はバックとかの体位もしてみたかったが、

変に体位を変えて焦っている姿を女の子にみられたくなかったから

正常位でひたすら慣れない腰振りを続けて射精をした。

確かにすごく気持ちがよかった。

しかし、童貞のセックスへの期待値って異常な物。

それ故に、

「意外とこんなものか...」

などとベッドに裸で寝転がりながら賢者タイムを迎えていると、

女の子が抱きついてきた。

僕も抱き返し、ベッドで二人でハグをした。

すると、

「あったかいね」

自然とその言葉が僕の口からでた。

二人で一つになった後に裸で抱き合うという行為は、僕を何とも言えない満たされた気持ちにさせてくれた。

それと同時に、

「セックスってこんなに簡単なんだ。」

そう思った。

それもそのはず、

顔も知らない僕たちが初めましてをしてから行為に及ぶまでに、

1時間程しか経過していなかった。

あれだけセックスをしてみたいと願っていた気持ち、そして恋愛であれほど苦しんだ時間はなんだったんだろう。

そう思った。

3年間片想いしていた女の子と、抱いた女の子を比べてみた時に、

系統は違えど、顔のランクはそう変わらなかった。

「もっと経験値を積みたい、もっと女の子を抱きまくりたい」

そう思った僕は、

童貞を卒業した女の子に甘えることなく、

その後も活動をひたすらに続け、2か月で20人の女の子を抱くことに成功した。

その中には、

自分よりも身体が大きく、お腹ブヨブヨな女の子や、

30代後半の女の子だっていた。

また、

女の子と1日5人以上電話したり、

擦れている女の子にボロカスに言われて泣いたり、

もっと外見がよくなるためにメイクやヘアセットの勉強をしたり

様々な試行錯誤を繰り返し、ひたむきにできることをやった。

それでこその結果だと思っている。

セックスをできるようになったこと以外にもう一つ変化があった。

それは、コンサル期間に出会った中で一番可愛かった女の子と付き合ったことだ。

その子はとにかく可愛くて自分が昔好きだった能年玲奈に似ていた。

内面もきれいで、心優しい女の子だった。

その上、彼女は処女を自分に捧げてくれた。

コンサル期間で無駄なことに時間を割きたくないと思いつつも、この子はどうしても付き合いたい。そう思った。

自分の誕生日に一緒に水族館に行った。

生まれて初めての水族館デート。

とても素敵な時間だったし、

可愛い女の子と手を繋いでデートをする優越感にも浸ることができた。

その女の子はデートの終わりに、

誕生日プレゼントの腕時計と、手紙をくれた。

今まで誕生日なんて親以外に一緒に過ごしたことがなかったし、何か虚しい気持ちになるだけなのであまり好きじゃなかった

だけど恋愛を学び、こんなことをしてくれる子と巡り合えた。なんて素敵なことだと思った。

家に帰りもらった手紙を読み、ポロポロと泣いた

今まで、恋愛で悲しい気持ちでしか涙を流してこなかった僕が、恋愛で嬉し涙なんて流すことになるとは思いもしなかった。

コンサル期間中ひたすら女の子のケツを追いかけていたが、

セックス以外でこんなにも満たされるんだと感じた。

二ヶ月のコンサル期間を終え、

いつでもセックスできる力、経験人数、彼女

だけでなく、

モテる男特有のオーラ、雰囲気、外見、2か月間女の子攻略にコミットした経験値を手に入れた。

もちろん自分自身の努力もあったが、

コンサルで得たノウハウや、整った環境がなければここまでの結果は出せなかったと断言できる。

知識投資と行動することの大切さを身に沁みて知った。

第五章 ホスト編・現在に至るまで

その後、

クラブナンパ、ストリートナンパ、インスタ攻略

を経て、

試行錯誤を繰り返しながら200人程の女の子を抱き、

更なる経験値、余裕感、女の子に対する解像度、外見を手にした。

そののちに思ったことがあった。

一度抱いた女の子が気づいたら離れていくことが多かった。

つづいても2~3か月程度でそんなに長続きをしない。

これだった。

ひたすらに、女の子のケツを追いかけて、

経験値を手にした。

しかし、

ワンナイトのみで終わってしまうこんな虚しい活動

僕が求めているものじゃない

そう思った。

女の子といつでもエッチはできるけど、

その後のキープができない

そんなんじゃ本質的な中身が変わっていないじゃないか

そう思った。

前述したとおり、僕は愛に飢えていた。

それを満たすことこそが、僕の本当に欲しているものだと思った。

狙った女の子と関係性が切れない強固な

関係構築能力が欲しい

そう思った。

それに加え、

こういう女の子を追い求める活動ってお金がかかるのだ。

アポ代、デート代、ホテル代、美容代

など。

今まではバイトで働きカツカツながらもなんとか工面して活動していたが、そんなカツカツのお金がない生活にもだんだん嫌気がさしてくる。

それと伴い、自分の年齢も上がってくる。

今後食っていけるかの将来の不安だったり、就職したくなけどした方がいいのかな...

などの昔あまり思わなかったこととかも思い始めた。

そんなに贅沢をしたいわけではないけど、ほしいものを買えるだけのお金や、生活の不安がなくなるくらいのお金が欲しい。そう思った。

そんな関係構築能力を鍛えられ、お金を手に入れられる仕事を思いついた。

それがホストだった。

関係構築能力を上げながら、お金も稼げるなんて最高じゃね...?

そう思った。

それに、なんとなくだけど楽に稼げそうなイメージがあった。

なので、とりあえず体験入店に行ってみることにした。

初めて体験入店に行ったときのドキドキ感はよく覚えている。

シャンデリアなどが飾ってあってギラギラとした店内、

店内に響くBGM、

派手なハイブランドの服を身にまとっているホスト達。

体験入店に行ったお店の内装やお店の人間が気に入った僕は、

勢いで入店してみることにした。

体験に行った次の日から働き始めたから、すごいスピード感だった笑

しかし、

いざ働いてみてから気づいたのだが、

ホストクラブの世界は僕が思い描いていたような世界ではなかった。

僕が想像していたキラキラした世界はそこにはなかった。

ホストクラブで働くってどんなイメージを持たれるのだろうか。

やはり「簡単に稼げそう」とか、

体験入店に来た時の自分みたいに、キラキラしてそうとか思われるのだろうか。

現実はそう甘くはなかった。

まず大変だったのは生活リズムだ。

午後11時に店に集まり、店の営業が終わるのは朝の6時。

締め作業やミーティングが終わり、

帰れるは大体朝の7時。

いつも朝の電車は、

これから会社に向かうサラリーマンだらけで、

仕事終わりの人なんて僕しかいなかった。

仕事終わりでヘアセットやメイクもヨレヨレになっている僕は、

たくさんのサラリーマンからの目線を感じた。

社会不適合感を痛い程に感じた。

僕は学生だったのでいつもそこから家に帰って風呂に入って、

服を着替えてから学校へと向かった。

まだお酒も身体に残っている状態なので、ヘロヘロの状態だった。

もちろん学校では爆睡で、出席をもらうためだけに学校に行っていた。

今思えばヤバいのだが、枕を持っていって授業中に寝ていた笑

学校が終わり家に帰ってから少し睡眠をとり、

またメイクとヘアセットをして

出勤のためにホストクラブに足を運ぶ。

そんな感じの生活を繰り返していた。

なので、生活リズムがとにかくしんどかった。

後はお酒もしんどかった。

僕はお酒が強い方でないのだが、

基本的にはホストはお酒を飲む仕事なのでたくさん飲まされた。

限界までお酒を飲みトイレで吐く。

毎日そんな感じだった。

そんな生活を繰り返しているある日、

自分の身体に異変が起きた。

ご飯に行って爆食いして、

「あー、食った食った」

と思っているとすごく胃がムカムカしてきた。

そのまま我慢できずに、道端で吐いてしまった。

そしてそれはその日だけではなかった。

ご飯をお腹いっぱいに食べた時、毎回吐くようになった。

酒で胃が荒れ、吐き癖がついたせいでこうなったのだろう。

これのストレスといったら尋常じゃなかった。

唯一の楽しみだった食事も吐き癖のせいで楽しめなかったからだ。

食事も睡眠もままならない生活だった。

ホストはQOLがとにかく低いのだ。

もう一つ身体に異変が起きたことがあった。

それは10円ハゲができたことだ。

行きつけの美容室で髪を切ってもらったある日、

「ここはげてるよ」

そういわれた。

「この歳でハゲ⁉人生詰んだ...」

そう絶望して、医者に向かった。

幸いなことに、

円形脱毛症と呼ばれるもので、

「1年くらいあればほぼ確実に治りますよ」

そう言われたのでまだ我慢できた。

しかし、禿げたという事実はかなりショックを受けた。

おそらく、

生活リズム、酒での吐き癖、お客さん

などのストレスでできたものと思われる。

でも稼いでたんでしょ?

そう思われるかもしれない。

しかし、

ホストの実態とは、

ほんの上位1割にも満たない人間しか稼げないというものだった。

ホストクラブの給与体制を説明する。

小計50万円(ややこしいが、現金でいえば約70万円)

の売り上げを超えてから、そこから小計の約半分がもらえるといった仕組みだ。

小計50万円(現金で約70万円)を超えたホストは、だいたいお給料25万円といった感じ。

女の子に70万円貢いでもらっても、約25万円しか手元に残らない。

その上で名刺代、ヘアセット代、税金などが天引きされるから、実際に手元に残るお金はもっと少ない。

一方、

小計50万円も超えていない、

売り上げのないホストは、

時給約700~800円で働く。(店によると思うが、うちの店はそうだった)

そして闇なのが、小計50万円を超えられるホストは結構少ないということだ。

うちの店は20人いて5人くらいしか超えていなかった。

さらに給料100万円を超えようと思ったら、ほんの一握りだ。

とにかく稼げる!といった名目で宣伝をバンバン打っているのに実態はこんな感じ。

ホストクラブの闇だ。

僕も最初はとにかく売れなかった。

でも売れるために、

・空いてる時間はずっとナンパ

・マッチングアプリの女の子と会いまくる

・初回に来た女の子をとにかく盛り上げる

などの努力をがむしゃらに続けた。

試行錯誤の大切さはホストをやる前の人生で身をもって理解していたからだ。

ただ脳死で動くだけではなく、

「どうやったらこの子と深い関係性を築けるだろうか、

どうやったら沼ってくれるだろうか、

どうやったらお店に来てくれるだろうか」

をずっと考え続けた。

今思えば、この試行錯誤の過程が今の関係構築能力に繋がっているのだと思う。

それでも最初の3か月はまるで売れなかった

時給700円でいろんなストレスに耐えながら、

何度も心が折れそうになったが、

歯を食いしばって頑張った。

すると、4か月目に小計100万程の売上を上げることができた。

結果とは徐々に出るものではなく、いきなり急上昇すると聞きくが、まさにそう感じた。

とにかく気持ちがよかったことをよく覚えている。

僕の名前がマイクで呼ばれ、

爆音のBGM、従業員のコールと共にシャンパンが登場する。

周りにもてはやされ、

「すべて女の子のおかげです。よいしょ」

なんてカッコつけながらマイクで一言伝える。

そこまでホストクラブの栄えていない京都だったこともあり、僕いたのお店はかなり小さかった。

だから、小計100万も売れれば、そのお店でナンバー3になれた。

ホストクラブの世界は売上で立ち位置が決まる。

入って4か月で結果がでたのはそのお店からすると異例の出来事だったので、

先輩や後輩からとにかくちやほやされた。

承認欲求が満たされた。

そこからお客さんが入れ替わったりはするものの、小計100万以上の売上を4か月ほどキープした。

そんなあるとき、思ったことがあった。

「ホストってめちゃくちゃ効率悪くね?直接お金貰ったほうがよくね?」

これだ。

冷静に考えたら当然の話だ。

女の子が貢いでくれたお金を店に半分以上搾取されるのだから。

売上が20万だったとしたら、ホストの世界では底辺扱いされる。

しかし、

お店を通さずにそのお金を直接貰うだけで、

サラリーマンの初任給くらいのお金が手に入るわけだ。

それに加え、生活リズム、胃が荒れる、10円ハゲなどのストレスでQOLがとにかく低い。

デメリットが多すぎた。

では

「なぜそこまでしてホストをつづけていたんだろうか」

そう考えた。

それは承認欲求だと気づいた。

売上を上げてちやほやされることが気持ちいいから僕はここにいたんだ。

そう思った。

でも、それは薄々気づいていた。

気づいていたけど、目の前の快楽を優先して目を背けてきた。

これだけのデメリットがあるのにやめられないのはホストクラブに依存している、

ある種の洗脳状態になっていると思った。

自分だけでなく、ほとんどのホストがその状態であると今でも思っている。

少しも合理的ではないのにこれをだらだらと続けるのはまずい、

そして自分に貢いでくれている女の子に対しても失礼だ

そう感じた自分はお店に退店することを伝えた。

そうして始めたことが貢がせだった。

八か月程ホストにコミットして手に入れた関係構築能力を

直接お金をもらえるやり方に落とし込み、貢がせをするようになった。

それはさほど難しいことでなく、

すぐに月100~200万円程女の子からお金をもらえるようになった。

こんな感じで今の生活がある。

苦労したことはたくさんあった。

女の子を攻略するうえで、投げ出したいと思うこともたくさんあった。

それでも二度と恋愛で過去のような悲惨な想いをしたくない

その思いの一心で、

女の子を抱く能力を身に着け、

強固な関係性を築く関係構築能力を身につけた。

あれだけ空っぽで、

だれからも相手にされずに人から愛されたいと願っていた人間が。

僕が伝えたいのはみんなにも自分のような人生を歩めるチャンスはたくさんあるということだ。

まずは目の前のできることからやって、是非恋愛・関係構築の攻略をしてみてほしいと思う。

ご一読ありがとうございました。


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