Heaven’s Door ―あなたの人生がうまくいかない理由、知りたくありませんか?借金・滞納・崩壊寸前の家庭…そこから数千万円を稼ぐまでに起きた“ある出来事”せどらーFの勝利への方程式!
※本記事は筆者が体験したことをもとに執筆していますが、必ずしも同じ体験ができるとは限らず、また何かの利益を保証するものではありません。あらかじめご了承ください。
※せどらーFより
プロローグ
子ども時代のぼく
小学校時代のぼくは、明るくて活発な子どもで紅顔の美少年でした。(※美少年はウソ…!?)空き地で虫取りをしたり、川で魚を釣ったり、グラウンドで野球をしたり。真っ黒に日焼けして、毎日走り回っていました。
しかし、ある時を境に状況が一変します。
風邪で高熱を出したとき、親から「学校に行ったら1000円あげるよ」と言われました。子ども心に1000円は大金。欲しさに無理をして登校しましたが、廊下でめまいと吐き気に襲われ、倒れてしまったのです。
その出来事が心に深く刻まれました。以来、学校に行こうとするとあの時の恐怖が蘇り、めまいや吐き気に襲われるようになったのです。結果、ある学年では 丸々1年間、不登校 になってしまいました。
19歳の大事故で生死を彷徨う
高校2年生の頃、中型免許を取り、憧れのバイク・カワサキZ400FXに乗り始めました。しかし19歳のある夜、道交法を守らない未熟なドライバーの車と正面衝突。大怪我を負い、生死の境をさまよいました。
奇跡的に命は助かりましたが、待っていたのは長い闘病生活。半年間の入院。同級生たちが進学や就職をしていく中で、ぼくだけは病院のベッドに寝たきりで動けない日々。
もちろん、学校も退学を余儀なくされました。
退院後も苦難は続きました。杖をつきながら病院へ通い、リハビリを繰り返す日々。結局、6年間にわたるリハビリ生活を強いられることになったのです。
今なお残る後遺症
現在では杖こそ必要なくなりましたが、後遺症は今も残っています。
膝の靭帯が切れたままなので走れない
重いものを持てない
季節の変わり目や寒い時期には怪我をした箇所が痛む
19歳の事故以来、ぼくの人生は常に「後遺症」との闘いでもありました。
せどらー時代
「どうして自分の人生はこんなにも上手くいかないのだろう?」かつてのぼくは、毎日そう嘆きながら生きていました。
10年のサラリーマン生活を経て、脱サラしてプロせどらーとして独立。胸を張って新しい人生を歩むはずだったのに、現実はまったく違いました。
仕入れも思うようにできず、出品も滞り、売上げは低迷。焦れば焦るほどから回りし、生活は破綻の道を転げ落ちていきました。
やがて株式投資に手を出して失敗。損失は数100万円を超えました。そこから先はまさに地獄です。
住宅ローンは半年以上滞納し、銀行から督促状が何通も届く
税金や公共料金も払えず、電気・ガス・水道が次々と止まる
夜はローソクの明かりで過ごし、水道が止まってコンビニのペットボトルでしのぐ日々
さらに、追い詰められたぼくは参加していた団体のレジ金にまで手を付けてしまいました!?今だから言えますが、「内緒で借りて、内緒で返した」だけのことですが…。とはいえ、罪悪感と恐怖で、電話が鳴るたびに心臓が止まりそうになり、人目を避けて逃げるように暮らしていました。
家庭も人間関係もボロボロになりました。シングルファザーとして育てていた娘は母親の元へ行き、6年間付き合った彼女には振られ、父親からは学費をせがまれて逃げ回る。信頼も愛も誇りも、すべてが失われたのです。
ぼくは昼から酒をあおり、交通事故の後遺症で歩行も困難に。体は高血圧で倒れ、通院生活に追い込まれました。
――まさに「人生のどん底」。これ以上落ちる場所はないと思いました。
ところが、そんなぼくが――あることをして、ある状況になった途端に、人生は劇的に好転したのです。
信じられないかもしれません。でもその結果、数千万円の収入を得られるようになりました。
なぜ、そんな奇跡のようなことが起こったのか?その秘密を、これからお話しします。
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