柏柳明子句集『柔き棘』の素晴らしさ
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この句集と出会ったのは俳句を始めて間もない頃であり、テレビの俳句番組に触発されて見よう見まねで作った句を誰にも見せずに「上手くできたかもしれない」とひとりで満足するだけで、俳句をやる人が知って当たり前の名句や秀句をほとんど知らないような、そんな時だった。俳句の骨法を知らない状態で読む句集『柔き棘』は衝撃の連続だった。
まず、この句集の表題句。私はこの句に惹かれてこの句集を買うことを決めた。
抱きしめられてセーターは柔き棘
抱擁という幸福の中の小さな違和感。詩になりにくい情欲の場面でも作者はその中の小さな感覚の機微を見事に書ききっている。セーターという柔らかき棘の幕を挟んだ二人はこの隔たりを否応なく意識してしまう。
彼女の句は、現代的な場面の中で巧みに五感を刺激することで読者の脳内に容易に場面の背景情報を補完させる力がある。
手花火の互ひの顔を照らしあふ
手花火の場面で相対する二人の顔を、夜の闇と手花火の光が混じり合う。さらに手花火をこちらに寄せられれば火花の微かな熱さも感じる。
着衣とは手足はみ出すこと野分
野分に晒される身体は、肌が剥き出しの手足は雨粒が頻りに当たっていてその刺激が心地良かったりもするが、服に隠された部位は濡れた服のじっとりとした重さと冷たさがのしかかる。
高きより名前を呼ばれ夏休
自分の名前を呼んだ友達が何処に居るかは明示されていない。しかし、自分より高い位置から声をかけられたのは分かる。その友達を探すために首を上げて、少しばかり見上げた空の中から友達を探す僅かな時間に夏の溌溂と蕭蕭を思わせる。
かがんぼや抽斗すぐにつつかかる
開くと思っていた抽斗が開かなかった時の、引く力が指にかかる負担に驚く。手脚は長いが貧弱な「ががんぼ」に作者の鬱屈がみえる。
一句一句が作者の経験を追体験させるようで、句集を読了する頃には一人分の半生を歩んだような心地よい疲れを感じることができる。是非この句集を読んでそんな体験してほしい。
