先日、じんじんが13歳の頃から好きなロックバンド、「GLAY」の30周年を記念した東京ドーム公演にA○女優の彼女と2days参戦してきた。
※モテや生き様に関してとても重要な概念が含まれてるから、GLAYを知っているかどうかは関係無く読んでみてほしい。
技術やノウハウではない、もっと奥深くの根源的な生き方の話だ。
13歳当時GLAYを好きになった自分は本当にセンスがあったと思う。
高校は中退して身体は全身麻痺になったり、元嫁と結婚して、離婚して、パンケーキ職人から大手企業に転職して、成績好調なのに素行が悪くクビになってそして恋愛講師になって・・・
隣にいる人も付き合う仲間も、環境も住む場所も目まぐるしく変わり続けた激動の約20年間だったけど、どんな時でもGLAYは変わらずに活動していてくれた。
それがどれだけ心に安らぎをくれたことか。
SNSなどでファンからGLAYへのメッセージを見たりすると
「結婚や出産子育てが大変でGLAYから離れてしまった時期もあったけど、久しぶりにGLAYを見たら学生時代に好きだったGLAYと変わらないまま活動してくれていて、ホッとしました」
みたいなメッセージが目につく。
アーティストという不安定な職業且つ近代化により仕組みが変わり続ける音楽業界の中で、一番大変なのはきっとGLAY自身だ。
それでも応援してくれる人たちがいつでも帰って来れる場所であるために、そして自分たちの大好きな音楽を心から楽しみ続けて、自分たちの大好きな友達でもあるメンバーとずっと仲良くずっと活動を続けてくれていることって応援しているファンにとっての希望そのものだ。
例に漏れず激動の変化が俺自身にも何度もあったけれど、いつどんな時でもGLAYは活動をし続けてくれていた。
「帰る場所がある」
というのは人間にとってとてつもなく心強い支えになる。
今までの自分の生き方を肯定出来る要素になる。
俺も色んな大変な時期があったから、
GLAYを全く聞かない、離れている時期もあったけれど、それでもSNSでライブのニュースとかリリースの発表を見る度に
「GLAYも頑張っているから、俺もまだまだ人生を謳歌してやらないと」
って気持ちで頑張れた。
また落ち着いたらGLAYのライブ行きたいなって気持ちで、その時やるべきことをやり抜いた。
みんなにとっての俺で言う"GLAY"はあるか?
いつでも変わらずそこに在って、自分を肯定してくれる何か。
俺はGLAYから教わった"愛情"や"誠実さ"、"ひたむきさ"が俺自身の原点であり帰るべき場所だと自認している。
世の中や人に対してある種の諦めや悟り(烏滸がましいけれど)を持っている俺が、それでもなお人生に対しての希望を消さずにいられるのは間違いなく、子供の頃に好きになったGLAYが今も続いているという事に影響されていると思う。
これは間違いなく他の恋愛やモテについて発信している人たちとの一番大きな「差」だと自負してる。
人間関係や人生について、都会で生きる一部の人たちやモテ界隈のSNSでは
「金と女」
こそが全てだと言われているけれど、俺はそんな事ないと断言出来る。
人生は永遠には続かない。
だけど、永遠ではないこの人生の中でも
永遠だと信じたくなる存在、信じさせてくれる存在というものを思っているその瞬間だけは間違いなく永遠に存在するものだし、誰かにとって、自分もそんな存在になれたらいいなという希望だけは、これからも離さずに生きていきたい。
「GLAYの30周年も一緒に祝おうね」
GLAYの20周年のライブを観た後にそう約束し合った元嫁はもう別の誰かと違う人生を歩んでいるかもしれない。
でも、それでも俺は懲りずに今隣にいる彼女に全く同じ言葉を投げかけた。
「GLAYの40周年も一緒に祝おうね」
この言葉が現実になるかどうかは分からない。
でも、例え道の途中で彼女と離れてしまうことがあったとしても、この言葉を投げかけた今日のあの瞬間だけは、永遠という形のないものを間違いなく信じていた。
これからも果てしなく続く長い長い人生の中で、一つでも多くの希望のかけらを紡いでいけるように。
そしてその希望のかけらが、いつか誰かにとっての"帰る場所"になれたらそれこそが、自分がこの世に生まれてきた意味になると信じている。
その"誰か"が今隣にいる彼女だったら、俺はすごく嬉しい。
テクニックや肩書きじゃなくて、誰かにとって“帰れる存在”になれる人間。
それが本当のモテ男の正体だ。
自分が“誰かの支え”になれる人間か?
ぜひ今の自分を見つめ直してみてほしい。
じんじん