
”一人の人に心の底から愛された経験はあるだろうか”
一度胸に手を当てて考えてみて欲しい。
恋愛とは、愛すること、愛されることとは一体なんのことを指すのか。
ナンパ界隈も多様な細分化がされている。
ストリート、アプリ、集団飲み、夜の店、貢がせ、沼らせ、純愛・・・
これらのジャンル全てに善し悪しがあり、一概に優劣をつけることはナンセンスだ。
ただ、そんな中でも唯一全男子に共通しているのが
「他人に承認されたい」
という欲求だ。
人は意思を持ってこの世に”産まれたい”と思って自ら母体を選定し、宿り、産まれてくるわけではない。
気付いたらこの世に生まれ落ちており、ある程度成長した状態で自我が芽生える。
気がついた時にはもう当たり前に生きてきてしまっているので、引き続き当たり前に生きていくしかないのだ。
であるならば、せっかくなら美味しいものを食べたいし、いろんな景色を見たいし、いろんなことを知りたい。
そしてそれはつまり、自分がこの世に生まれてきたということを強く実感したいということに他ならない。
人生とは、死ぬ時に「生まれてきてよかった」と自身の生命活動を正当化するための落とし所、理由を見つける長い旅であると個人的に考える。
つまり、人生においての最終的な終着点は
「自分が生きてきたことを認めてくれる存在」
が居てくれるかどうかである。
それは別に必ずしも異性でなくても構わないんだけれども
”性”という概念を通して生まれてきた我々にはそれを無視してその承認欲求を満たすことはなかなかに難しい。
なぜなら、精神的にも物理的にも強く繋がれる心や体の仕組みが異性にはあるからだ。
昨今の恋愛、ナンパ界隈における発信や意見を眺めてみると、自身の承認欲求の満たし方に迷走している者が増えている傾向にあるように思える。
目標に向かって邁進することは素晴らしいに違いない。
しかし、最終終着点を
「たった一人の人と深い関係を築いて人生を共に歩む」
とするならば、いささか方向性が間違っているようにも思えてならない。
そこで今回は、
「人を愛し愛されることとは何たるか」
について、僕の実体験をシェアしながら、それに関する考察をここに記していこうと思う。
これは、単なる備忘録や商材の販促に留まる戯言ではない。
あなたの
”これからのあらゆる女活動の動機”
となるはずだ。
ここからの先の文章には、僕が10年間という膨大な時を共に過ごした元嫁との関係から見つめ直した”愛情”というものについてを独自の角度から書き連ねていく。
個人情報を含むため少額ながら有料とさせていただくが、本当にこの概念を自身の中に取り込んで適切なアウトプットができれば、元を取れるどころの話では無くなるのでここまで読んでくれた方は無条件に買ってみてくれ。
そう言い切れるほどの仕上がりになっている。



読んでくれた方達からも、嬉しい言葉をいただいている。
無料部分はもう少し続くので、このままスクロールして。
では、早速書き連ねていく。
プロローグ
その日は、どんよりとした曇り空だった。
毎日例外なく10kmのランニングをこなす引き締まった身体とは到底思えないくらいに重く感じる身体と、感情と相反する決断をしてしまった自分のやるせなさと無力さが、全身を鉛のように重く感じさせる。
来月から入居する部屋の内見と契約を済ませ不動産屋から帰宅する道中、僕は生まれて初めて感じた名前のない感情に重いため息を吐いて涙を堪えながら、西新宿のビル群の間から空を仰いでいた。
2022年11月、僕に離婚歴がついた。
-なぜこうなってしまったのだろう-
答えのない、どうしようもない悩み...いや、苦悩はいつまでも心の真ん中からどいてはくれない。
眩しくて、優しくて、儚くて、温かくて、愛しい日々は終わりを告げた。
不完全で、若すぎて、甘えすぎていた日々の名残が影を覗かせる。
「仕方がなかった」
そう言ってしまえば済む話なのに何故だか今でも、その一言で纏めてしまうことを躊躇ってしまう。
「人は馬鹿な生き物だ、失うまで気づかない」
東日本大震災で親族や先生、友達、そして生まれ育った街を一瞬にして失った時のことを思い浮かべながら呟く彼女の言葉を今も時折思い出す。
あの別れから2年と少しの歳月が流れた。
あの頃と全く違う仕事、仲間、環境、そして恋人に囲まれてで暮らす僕は、幸せのピークを毎日更新し続けて生きている。
これから記す物語は、元嫁と過ごした長い年月の中から紡ぐ、現代の恋愛事情へのある種のアンチテーゼである。
僕はこれからも歩みを止めないけど、あなたはどうする?
これを読み終えてから、胸に手を当てて自分の本当にやりたいこと、やるべきことと向き合ってみて欲しい。
2025年、初春。
いま、あなたの恋愛の概念が生まれ変わる。