はじめに
「高校を卒業する頃、あなたはどんな夢を見ていましたか?」
進学?浪人?就職?義務教育の終わりに寂しさと、
社会人デビューへの緊張があったのでは?
1996年の冬。
高校生活も残すは卒業式だけの頃、わたしは原宿に買い物に来ていた。
ロカビリーのアパレルファッションで有名なピンクドラゴンで、
わたしの人生に変化がおとずれました。
店内の一部には、ロカビリーファッションをした人達と、
タトゥーの写真が飾られていました。
店員さんに話を聞くと、原宿では有名な彫師が彫った写真ということがわかった。
その彫師にタトゥーを入れてもらったショップ店員の腕を見たときは
「すげぇカコイイ」と思った30年前のことを昨日のように覚えています。
その店員さんに彫師を紹介してもらい、
飛び込みでもタトゥーを入れてくれるのかを聞いてもらい、
すぐに予約を入れていました。
Google
Mapのない時代、田舎者には東京の街中は迷路のようで、
迷いに迷ってようやくたどり着いたタトゥースタジオ…
あの頃のストリートでは、若者の流行であったヤンキースタイルが廃れていき、
海外のカウンターカルチャーがストリートを魅了していました。
ヒッピー、モッズ、パンク、ロッカーズ、バイカー、スケーター、アメカジ、ローライダー、ヒップホップ、ギャングスタ、ハードコア、ミクスチャーバンド、ハウス、テクノミュージック、NBA選手や映画…。
それらのカウンターカルチャーに登場する人を象徴していたのが
【TATTOO:タトゥー】だった。
当時のわたしにとってタトゥーは「憧れ」でした。
ストレイキャッツ、ブランキージェットシティや2Pac、Nas,デニスロッドマンやアレンアイバーソンなどのNBA選手、ヘルズエンジェルスなどのアウトローなカッコよさに憧れていました。
あの頃の日本のストリートシーンには、タトゥーブームが確かにありました。
そんな日本のストリートシーンの最先端を突っ走る原宿で、
わたしは小さなタトゥースタジオの扉を開けた…
あの日が、彫師となる、はじめの一歩だった。
- このコンテンツでは、リアルなわたしの体験をもとに、かんたんにはじめられるタトゥーアーティストへのロードマップをまとめました。

引用・出典:https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=315017
歌川国芳(歌川国芳、1798年 - 1861年)
日本の刺青文化と歴史
日本の伝統的な刺青は「和彫り」「ジャパニーズスタイル」と呼ばれ、
アメリカやヨーロッパなど西洋のスタイルである「洋彫り」と
ジャンル分けされてきました。
和彫りにはいくつかの技法があり、
龍、虎、鯉、鬼、武将、神様などの単体だけを彫る「抜き彫り」
背景に紅葉や波などの模様を加える「化粧彫り」
図柄全体を縁取るように囲む「額彫り」などがあります。
この「額」は、和彫り特有の美的構成とされていて、
胸割り、腕に彫る長さで五分、七分、十分と呼ばれています。
首、手首、足首までの全身に彫るどんぶりなど、
額をどこまで入れるかで呼びかたが変わってきます。
和彫りにおける基本技術として、輪郭線を描く「筋彫り」
色や陰影を加える「ぼかし」の手順で彫っていきます。
現在では、伝統的な和彫りに限定せず、
洋彫りと融合したスタイルのタトゥーアーティストも多くみられ、
スタイルの境界はなくなってきています。
日本の刺青の歴史を知っておくことは、
これからタトゥーアーティストとしてスタートすることに役立つ情報が、
日本の刺青の歴史にはぎっしりと詰まっています。