有名キャバ嬢であるひめか氏、きほ氏の結婚詐欺に関する情報が連日取り立たされている。彼女らの結婚詐欺の是非はさておき、最近のこの2件は、夜職美女に搾取され捨てられた圧倒的ハイスペ男性の哀れな恋愛弱者としての姿を浮き彫りにしている。このような件は氷山の一角であり、程度の差こそあれ、古今東西どこでも見られる人類普遍の社会現象である。
本稿では、圧倒的ハイスペ男性がなぜ恋愛弱者に陥るのか?という普遍的な問いを社会学的観点から論考したい。
結論:
自分は相手に対して「構造的影響力」を行使して取引関係を築いているにも関わらず「人間的魅力と好意」に基づいた恋愛関係を求める甘えがあるからである。(こう言ってしまえば当たり前だが、お金で繋がった関係の延長上で結婚というプライベートな恋愛関係への移行を望んだから。)
以下、試論であり荒削りではあるが、構造的影響力と人間的影響力という概念を用いて、上記の問いに答えてみたい。
ここで言う、圧倒的ハイスペ男性とは、起業家・事業家・政治家・医者・弁護士といった地位も肩書も収入もあり、資本主義市場で評価されてきたハイスペックな男性を意味する。恋愛弱者とは、相手のために尽くしたにも関わらず自ら望むような関係を得られなった、いわゆる、恋愛市場で評価されなかった男性を指している。
彼らの共通点は、権利と義務の強制力を影響力の源泉とした構造的影響力を資本主義市場で行使し、人や企業を動かし、成功した圧倒的な成功体験があること。そして、その成功体験に基づき、構造的影響力を恋愛市場でも行使しようとして、失敗しているという点である。
彼らは社会的には強い影響力を持っている。だから成功しているのである。
しかし、権利と義務の強制力が働く資本主義市場と自由意志に委ねられる恋愛市場で求められる影響力は根本的に異なる。
まず、一般的に影響力とは、”他に働きかけ考えや行動を変えさせるような力”と定義される。誤解を恐れず一言で言えば、いわゆる影響力とは”要求を通す力”と言えよう。社長であれば、たとえ理不尽な要求であっても社内で通ってしまうは、彼らに権利と義務の強制力に基づいた影響力が社内にはあるからだ。
ただし、影響力の属性は1つではない。
本稿では図を参照しながら、影響力の2つの類型を示し、その概念を用いて問いに答えようと思う。
1つ目は、構造的影響力であり権利と義務の強制力に基づく影響力である。2つ目は、人間的影響力であり人間的魅力と好意に基づく影響力である。(無論、この2つの力は相互に影響を与えており明確に切り分けることはできないことを付記し、以下難解となることをご容赦頂きたい。)
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構造的影響力とは
権利と義務の強制力に基づく影響力である。
これは、対価を支払った側が権利(≒立場の強さ)を手にし、対価を支払われた側に義務の強制力を用いて、見合う対価を支払わせるという影響力を行使するものである
「こちらは◯◯したのだから、あなたは△△しろ」という権利と義務の強制力、Give & Take の論理が前提にある。こちらの行為(doing)に対して相手にも行為(doing)で返すことを要求する。構造的影響力は、上から下への強制力を伴うベクトルで作用し、正論・道理・筋が通用する等価交換の世界(取引関係)を成立させる。
権利に対して義務で報いることが秩序として定着しているのが資本主義市場である。
例えば、買い手は対価を支払うから影響力を行使でき、売り手に対価を提供させるという要求を通すことができる。買い手はお金を支払えば権利が生まれ、売り手には条件に合意したモノ・サービスを提供する義務が発生する。これは当たり前の話である。ラーメン屋でお金を支払ったら、注文したラーメンが出てくるのは当然である。ラーメンを注文するために券売機でお金を支払ったのに、注文したラーメンが出てこなければ、それは道理が通らない。また、社長は社員に対して給料を支払っているからこそ影響力を行使でき、社員は義務として労働力を提供する。しかし、もし社長が給料を払わなければ、早かれ遅かれ社員は辞めていくので、構造的影響力に基づく関係は終焉を迎える。(社長に人望があり、無給になっても働く社員がいるというケースは除外)。同様に、夜の店に来るお客さんもお金を支払うからこそ、お客さんという立場が成立し、夜職嬢に接客されるという権利を享受することができる。
構造的影響力が効力を発揮できるのは、対価を支払うことによって権利が発生し、そこに立場の強さと義務の強制力が生まれるからである。そして、その影響力を受ける側は、その支払に応える義務あるから、また、義務を果たすことで対価を受けることができるから、自身の要求が通るのである。
構造的影響力が作用する関係は幅広い。相手が望む対価(大抵はお金)さえ支払えば、自身の望む対価(モノ・サービス)を提供してもらうことができる。お金を払えば、コンビニでおにぎりを買えるし、風俗店で性的サービスを受けることもできるし、地球の反対側にあるショップから欲しい洋服を取り寄せることもできる。
構造的影響力は効率が良い。対価さえ支払えば、感情論を抜きにして、手っ取り早く権利の主張ができる。例えば、「支払いというの義務はとにかく果たしたのだから、あなたは私の望むモノ・サービスを提供して下さい。」と正当性を持って要求を通すことができる。
注1:
図では便宜的にお金を支払った側が対価(モノ・サービス)を要求する図式にしている。「買い手→売り手」、「社長→社員」、「お客さん→夜職嬢」と記載している。しかし、モノ・サービスという対価で応えた側も同様に、対価(お金)の支払いを相手に要求できるという点では、構造的影響力を行使する。「あなたの要求に応じたのだから、お金を支払って下さい。」という権利の主張である。つまり、「売り手→買い手」、「社員→社長」、「夜職嬢→お客さん」というベクトルも同時に存在している。同様に、コンビニはおにぎりを売ったのだから、風俗店は性的サービスを提供したのだから、地球の反対側にあるショップは欲しい洋服を送ったのだから、お客様はお金を支払って下さいという構造的影響力も作用することになる。
注2:
「会社の上司と部下」、「コミュニティの先輩と後輩」といった関係にも構造的影響力は作用する。会社の上司は、給料を支払っている会社の権利を代行する立場にあるので、部下に対して義務を果たすように要求することができる。また、コミュニティはコミュニティ所属メンバーに対して何かしらの便益を提供するが、そのコミュニティにおける先輩はコミュニティの権利を代行する立場にあるので、後輩に対して構造的影響力を発揮することができる。基本的には、上下関係が成立する場面では何かしらの構造的影響力が作用する。これは人間関係の様々な場面で観察される。
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人間的影響力とは
自身の人間的魅力と相手の好意に基づく影響力である。
自身に人間的魅力(居心地の良さ、一緒にいて楽しい、癒やされる、刺激的でワクワクする、尊敬できる、外見がカッコいい・可愛いetc)があり、それに対して相手が好意を抱いている場合に結果的に発揮される影響力である。ここでは、「こちらは◯◯したのだから、あなたは△△しろ」という権利と義務の強制力を行使するものではなく、好きか嫌いかの感情論が前提となる。自身の人間的魅力、存在価値(being)に対して、相手が魅了され、存在を受け入れか否かとなる。人間的影響力は、こちらの人間的魅力に好意をもった相手の中で、自発的に一方的に発生する。こちらから能動的に人間的影響力を行使して相手に影響を与えることはできない。人間的影響力は、感情・情理が通る世界(家族関係、友人関係、恋愛関係)を導く。
例えば、母親は子どもが可愛くて自分が愛しているから、子どもの世話を自発的に一方的に無償で行う。子どもが何かをしてくれたから、母親はその見返りとして世話をしているわけではない。この時、母親は子どもから、人間的魅力を受け入れて自発的にアクションを起こしている。また、友人Bは友人Aに対して、一緒にいてただただ楽しいし、そんな友人Aが好きだから、互いに何かの条件を満たすことなく、一緒に遊び、一緒に悩み、時には助けを申し出る。友人Bが友人Aを助けるのは、相手から短期的にTakeできる見込みがあるからではない。好意という感情から自発的に手を差し伸べているだけである。ここでも、友人Aの人間的魅力に基づいた人間的影響力を友人Bは受けている。逆に、友人Bは何をもらおうが、何をしてくれようが、友人Aを好きではないならば、友人としてではなく、都合の良い人としてしか扱わない。行為(doing)に対して感謝はしても、存在価値(being)に対して好意を抱いているわけではないからだ。同様に、恋人Bは恋人Aに対して、一緒にいて幸せになれるし好きだから、一緒にいるだけである。恋人Bは恋人Aがプレゼントや体験を与えてくれることを主な要因として恋人Aに人間的魅力を感じて好意を抱いているわけではない。
人間的影響力の効力が発揮されるのは、その人に人間的魅力があるからである。そして、影響力を受ける側は、その人に好意を感じ一緒にいると幸福感を感じられるから、自発的に一緒に過ごしたいし、相手の存在価値を受け入れ、何かをしてあげたいと思うだけである。義務感でお返しをしようとしているわけではない。
人間的影響力が作用する関係は狭い。人間的魅力が認知されるためには、自分がどんな人間であるか知ってもらうための機会と時間が必要である。一緒に過ごし、様々な出来事を共に経験することで、どう感じるかを相手自身で感じてもらい好意を持ってもらう必要がある。そうした機会を共有できる関係の幅は狭い。人間的魅力に対して相手の好意が芽生えるまでは人間的影響力は発揮されない。人間的影響力は能動的に行使するものではなく、相手の好意に基づき結果的に発揮されるものである。出会ったばかりの人に人間的影響力が基本的に通用しないのはそのためだ(有名人は除外)。例えば、初めて行ったコンビニでおにぎりを無償でもらえることはない。初めての風俗店で性的サービスを無償で受けることはできない。地球の反対側にあるショップから欲しい洋服を無償で取り寄せることはできない。
人間的影響力の効率は悪い。相手が人間的魅力を感じて好きになれるかは、感情論でしかない。好きか嫌いかの世界である。多くの時間を費やしても好意を持ってもらえないことはある。どれだけ時間を過ごしたら好きになってもらえるかは事前には分からない。実際に好きになってもらえるまで分からないものである。これは、対価を支払えば手っ取り早く権利の主張ができる構造的影響力とは真逆である。
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ここから、構造的影響力と人間的影響力という2つの概念を用いて論を進めていこう。
圧倒的ハイスペ男性は、構造的影響力を用いて資本主義市場で成功してきた、いわゆる、成功者である。当然、中には人間的魅力に溢れ人間的影響力を持つ人も多い。構造的影響力を行使する中で人間的影響力を発揮する。具体的には、取引を有利に進めたり、社員をはじめとした関係者のコミットメントを強く引き出す。とはいえ、事業家であれば、仕入れのためにお金を支払い、社員を雇うために給料を支払い、顧客から求められたモノ・サービスを提供することでお金を得ているということに変わりはない。その他の業種でも、様々な関係者や顧客からの要求に応えることで、対価としてお金を得ている。提供したモノ・サービスに対して、必ずお金を手にしている。つまり、圧倒的ハイスペ男性は正当なGive & Takeの積み重ねで社会的成功を掴んできた人種と言える。彼らは構造的影響力を用いて資本主義市場で成功してきた成功体験がある。相手のニーズを満たすことで、人・企業・顧客を動かしてきた実体験がある。
ここで、恋愛市場における圧倒的ハイスペ男性の動きを見てみよう。彼らには、地位・肩書・収入もあるので、お金・モノ・機会も何でも与えることができ、選択肢を多く持っているという強み、すなわち、構造的影響力を行使できることが共通している。興味深いのは、圧倒的ハイスペ男性にも、恋愛強者と恋愛弱者がいることだ。ここで、普段は恋愛強者として振る舞える男性でも、相手が圧倒的美女であれば、相対的な力関係により、恋愛弱者としての振る舞いをしてしまうことがあることには留意したい。
ハイスペ恋愛強者の男性であれば、新しく出会った目の前の女性に対して、構造的影響力を入口としつつも人間的魅力をどこかで認知させて、最終的には人間的魅力に基づいたプライベートでハートフルな恋愛関係を築くことができる。彼らは女性と一緒に時間を過ごす過程で、人間的魅力を認知させて相手を魅了する。女性は男性の存在価値そのものを受け入れるため、ただ好きだから一緒にいたいという状態、すなわち、自由意志に委ねられた恋愛関係になる。そうなってしまえば、権利と義務やGive & Takeといった構造的影響力が構築する取引関係はもう存在しない。
一方、ハイスペ恋愛弱者の男性であれば、新しく出会った目の前の女性に対しても、資本主義市場での成功体験と同様に、相手の表面的なニーズに応えることで、受け入れられることを試みる。行為(doing)によって、存在価値(being)に好意を持ってもらおうとする。具体的には、相手が必要としているお金を支援したり(お店に通うことも含む)、欲しいプレゼントを買ってあげたり、望んでいる体験機会(予約困難店、海外旅行)を提供する。「〇〇してあげたんだから、俺を受け入れろ!」と構造的影響力を全面に押し出してしまう。私はあなたの要求に応えたのだから、あなたは私の要求に応える義務があるという押し付けをしてしまうのだ。
たとえ、人間的魅力があったとしても、女性がそれを認知して好意が芽生えるまでには時間がかかる。そこで、まずは効率的な構造的影響力を行使してしまう。特に、ハイスペ恋愛弱者の男性は自らの性的魅力や存在価値に自信がない。自らの人間的魅力を熟知していないため、得意な武器を安易に使おうとしてしまう。それしか選択肢がないからだ。もちろん、構造的影響力に基づく関係から始まっても、一緒に時間を過ごす過程で、女性が男性の人間的魅力に気付き好意を抱くのであれば、人間的魅力に基づく恋愛関係に移行する可能性はある。しかし、大抵の場合、ハイスペ恋愛弱者の男性は構造的影響力の威力に頼り切りになってしまい、それに終始してしまう。人間的魅力に基づいた関係構築を後回しにしてしまう傾向にある。すると、構造的影響力に基づいた権利と義務、Give & Takeの関係は時と共に強化され、取引関係が固定化していく。その結果、いつまでたっても恋愛関係に移行することはできなくなる。たしかに、男性が諦めずに尽くし続けることで愛情の深さが示され、女性がその熱量の高さに惹かれる場合もあるが、それは稀である。このような状況の中では、女性にどんなに尽くしても、男性は望むような関係を手に入れることはできない。
このように、圧倒的ハイスペ恋愛弱者の男性は、構造的影響力を行使しているにも関わらず、人間的魅力に基づく恋愛関係を築こうとする。ここに悲劇が生まれてしまう。権利と義務の強制力をもって築けるのは取引関係であって、人間的魅力と好意に基づく恋愛関係ではないからだ。
これが本稿の問いである「圧倒的ハイスペ男性がなぜ恋愛弱者に陥るのか?」に対する答えである。
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ここから、SNS上を連日賑わせているハイスペ恋愛弱者の男性についてもコメントしたい。キャバクラ・ラウンジといった夜のお店は、通うにはお金がかかるため、その支払が可能な資本主義市場での成功者が多く通う構造になっている。資本主義市場の成功者がスクリーニング的に集まっているのがキャバクラ・ラウンジである。ここで、ハイスペ恋愛弱者の男性はキャバクラ・ラウンジにおいても、自分の要求を通すために、構造的影響力に頼りがちになる。「シャンパンいれたんだから、アフター来い!(店外デートしろ!)」、「これだけお店に通って時間とお金を使ったんだから、彼女になってくれ!(結婚してくれ!)」、といった要求はよく聞く話である。
話題のハイスペ恋愛弱者の男性達は、彼氏彼女という単なる名目が欲しかったわけではない。そうでなければ、権利と義務の構造的影響力に基づいた関係(=お客さんとキャバ嬢の関係)を維持しながら彼氏彼女と呼び合えば良いだけの話である。しかし、男性側はそれでは満たされなかった。権利と義務の取引関係から移行して、人間的魅力と好意に基づいたプライベートでハートフルな恋愛関係や結婚を求めてしまった。構造的影響力が導くのは取引関係でしかないのに、人間的魅力に基づいた恋愛関係が築けると幻想を抱いていたのだ。
当たり前ではあるが、構造的影響力に基づく取引関係では、「私はここから先は対価を支払いませんが、あなたはこれまでと同じようにモノ・サービスを提供して下さい」、という話にはならない。買い手が売り手とどれほど良好な関係を築いたところで、どんなに良き社長として社員を雇用し続けたところで、どんなに良いお客さんとしてキャバ嬢と接してきたところで、同様である。構造的影響力に基づく関係は、権利と義務によって成立する取引関係を導き、人間的魅力と好意によって成立する恋愛関係を築くものではないからである。
たしかに、結婚は自由意志に基づく法的関係であり、夫と妻という関係において権利と義務を負うことになる。しかし、それは構造的影響力に基づいた取引関係、つまり、お店に通ってお金を使うことにより接客されるお客さんとキャバ嬢の関係や、お金やプレゼントなどの対価により関係を維持するパパ活のようなものとは、根本的に性質が異なるものである。
愛はお金では買えないとは真理である。
女性からの愛は男性の人間的魅力に対して自発的に返ってくるものだから。