中星一番の生い立ち
中星一番
※このTipsの内容は、2019年の夏に書いたものである
このノートは、読者からのリクエストに応えるために書いた。中星一番という生き方”お願い私を捨てないで”と言われる付き合い方が一週間で200部 も売れてしまった。評価も上々だ。しかし、俺、中星は生まれながらにし てサイコパスで女に困らないような人生を歩んできたからできるのではな いか?という質問があった。最初に言っておくと、俺はどちらかといえば大人しく、大学で初めて彼女ができるような普通の人生だった。だから、 あのノートに書いてあることは再現性が高いと思っている。もちろん俺よ りも女に縁がない人生を送ってきた読者もいるだろうが、本気を出せば再 現できるだろう。そのために俺のサポートがあるのだから。だから安心し てノートに書いてある通り実践し、女を攻略してほしい。話を戻す。普通 の人生と書いたが、具体的にはどんな人生を歩んできたのか?それを深掘 りしていこう。
ちなみにナンパを始める前の俺の顔がこれだ。
物心着いてから保育園卒業まで
俺は、男三兄弟の末っ子だ。一番上の兄貴は8個上で次男は6個上だ。上 二人はよく喧嘩していたそうだが、俺が兄貴と喧嘩することはなく、俺は 年上兄貴に遊んでもらって育った。保育園ではガキ大将だった。しょっ ちゅう他の子を殴ったり昼寝の時間に全裸で部屋を走り回ったりしてい た。そしてめちゃくちゃモテていた。おそらく保育園時代が一番モテてい た。足も速かったしな。ただ周りがおとなしい奴らだっただけだな、と今 思い返してみると思う。
小学生
小学校入学と同時に学童クラブに入った。学童クラブは、小学校3年生ま での児童の面倒を、放課後から18時まで面倒を見る施設だ。学童でも俺 は無双状態だった。1年の時は3年生に目をつけられており、先輩の前で は大人しくしていたが、2年生になった瞬間に1年生をいじめることをメ インに暴れ始めた。たまに一個上の3年に泣かされたりもしていたが、元 気に暴れていた。3年生になるともう天下取ったも同然で毎日後輩をいじ めたりドッチボールで無双したりしていた。学校でもそんな感じだった。 よく先生に呼び出しを食らっていたのを覚えている。小学校4年生になる と学童がなくなったため、俺は習い事としてサッカーをやることになっ た。周りは小学校入学とともにサッカーを始め他奴らばかりでなかなか強 豪のクラブチームだった。俺は一番下手だったため居場所がなかった。練 習も適当にやっていた。だが性格だけは凶暴なのでほとんど友達ができな かったのを覚えている。1年後サッカークラブを辞め、体操を始めた。学 校では相変わらずいじめや万引き等の問題を起こしていた。小学校5年に なると、担任が怖い男の先生になったこともあり、徐々に丸くなり始め た。だがまだ反抗ぐせは治っておらず時々呼び出しを食らったりしてい た。6年生になると、これまた怖い男の先生が担任になり、完全に更生に 近づいていった。たまに大きい喧嘩もしていたが。そんな感じだった。
中学生
中学に入ると、バスケットに目覚めて部活に打ち込むようになった。学校 ではたまに喧嘩やいじめやピンポンダッシュや窓を破壊したりで呼び出し を食らっていた。どちらかというと不良に近い人間と関わっていた。1年 生の頃は、バスケの練習が走るメニューばかりでしんどすぎてヒーヒー 言っていた記憶しかない。また、ミニバス経験者が多かったこともあり、 俺は下から数えたほうが早いぐらいの実力だった。それでもバスケは好き だったので練習には毎日行っていた。成績はオール3ぐらいだった。
2年生になると、担任がムカつく男だったため、クラス全員でいじめてい た記憶がある。そして中1の終わりに、テストで良い点数を取ったらお小 遣いをあげると母親に言われ、少し本気で勉強してみたら、急にクラスで 2、3番の成績になった。ここから勉強するようになり、中2の最初のテ ストでは学年で5番になり平均90点ぐらい取っていた。ここからはもう 部活と勉強以外やらなくなり、徐々に完全に更生するようになっていく。 ここが俺の人生のターニングポイントだった気がする。ここから悪ふざけ 等もしなくなっていき、部活勉強だけの生活になっていった。悪ふざけや 問題を起こすことがなくなったため、どんどん優等生みたいなキャラに なっていき、3年生の頃は代表委員にまでなる始末。推薦で近所の高校に 行くためにいい子ちゃんになったのだった。3年生になると、眼鏡をかけ るようになり、完全にただの優等生になっていた。他クラスの不良の友達 とつるんではいたが、同じクラスにはほとんど友達がいなかった記憶があ る。なぜかその時期友達ができないことをすげー悩んでいたのをよく覚え ている。そんな感じで中学を卒業し、特に受験勉強もせずに推薦で家の近 くの石神井高校に入学した。中学3年の時に、クラスの女子二人に告白さ れたが断った。告白されたのは、恐らく成績が良くて運動神経が良かった からだと思う。
高校生
石神井高校という偏差値50ぐらいの高校に入学した。校則がないのもあ り、練馬区近辺のチャラい奴らが集まるような高校だった。男の四分の一 ぐらいはサッカー部だった気がする。そしてサッカー部がカースト上位に いた。俺は迷わずバスケ部に入った。ここはバスケ部が一番強く、都でベ スト8ぐらいの成績だったため練習がめっちゃきつかった。中学同様、俺 は勉強と部活以外を一切排除する生活だった。部活では下から数えたほう が早いぐらいの実力だったが、定期テストでは常に学年で一番だった。だ が中学での優等生ぐせが抜けず、なおかつ周りがチャラかったため、おと なしい部類だった。一度おとなしい部類に入るとそこから抜け出すのは容 易ではない。俺は抜け出す努力もすることなく部活と勉強に打ち込み、女 とは全く縁がなかった。その生活を3年間続け、バスケでは一度もスタメ ンに入ることはなかった。悔しかったがかなりきつい練習に耐えたことで 精神が鍛えられた。定期テストでは毎回一位だったが、受験勉強は得意で はないというか情弱だったため、まんまと塾に金を搾り取られ、学力に合 わない難しい参考書ばかりやっていたおかげで学力が伸びず、芝浦工業大学 に入学した。 毎日10時間以上は勉強していたのにこの結果になり俺は 初めて挫折を味わった。
大学
挫折を経て、余計に勉強に拍車がかかるようになり、大学ではたまにバス ケをやる程度で、ほとんど勉強漬けだった。東大の大学院に入ることを目 標にし、ひたすら数学と物理と英語を勉強していた。バイトは塾講師に し、生徒に指導することで物理や数学の基礎の確認をしていた。これは後 の大学院の試験対策としてかなり役に立ったと思う。そして大学二年にな り、教え子と付き合うことになった。お互い恋愛は初めてで、相手は中高 女子校出身の子だった。俺はレベルの低い中学高校にいたため、自分より 成績がいい女にあったことがなかったため、興味もあると同時に割と顔が 可愛かったので、告白するに至った。その子とは1年ぐらい交際したが、 俺はとにかく勉強に集中したくて、デートに全く誘わなかったため、それ にしびれを切らした彼女がよく俺にキレてたのを覚えている。そして 俺 はフラれた。 お互い学生だったのでデートは毎回割り勘だったからコス トをかけていたわけではなかった。実際社会勉強の一環みたいなモチベで 付き合っていたこともあり、そこまでショックは受けなかったが、別れた 後もバイトが同じだったのでかなり気まずかった。そんな感じで大学院の 試験を終え、俺は東京工業大学と東京大学に合格し、ネームバリューで東 大を選んだ。正直全く興味のない研究室だったが、学科的に大学院に行く のが普通だったし、当時の俺は大企業に就職することしか考えていなかっ たので学歴を手に入れるために東大を選んだ。そして大学最後の春休みの 期間に、友達の紹介で、またもや中高一貫出身のめっちゃ可愛い彼女がで きた。
大学院
東大に入学した俺は、もう就活で困ることはない!研究に打ち込んで大手 に就職するぞと意気込んでいた。だが、周りの優秀な学生を見ていると、 中には学部卒業とともにアメリカの博士課程に入学するような奴もいるこ とを知り、将来的に起業するのもありだなと思っていた俺は、学生ベン チャーがバンバン立ち上がっているスタンフォード大学やカリフォルニア 大学バークレー校を目指すことにした。大学院のうちに研究成果を残し、 TOEFLで高得点を記録しなければならないと分かり、今まで以上に勉強に 励むようになった。彼女とは二ヶ月ほとで別れた。ホテルに誘って部屋に 入っていざやろうとしたら拒否され、気まずいままホテルを後にして相手 から別れを 切り出される形で終わった。やれなかったことが悔しかった のか、前の彼 女の時よりも引きずったのを覚えている。だがあまりにも 勉強が忙しかっ たので、5日間思いっきり引きずってすぐに忘れた。
ナンパとの出会い
多忙な生活を送っていく中で、俺は自己啓発の本にはまっていた。その中 でなぜか”ナンパ ー究極の男磨き術ー”という零時レイという人物が書い た本が目についてアマゾンでポチった。後日それを手に取り読み始める と、もう止まらなかった。気づいたら4時間もたっていて、読み終わって すぐに、”関東ナンパ掲示板”でナンパ師を探し、女医や弁護士と付き合 い、意のままに操る方法伝授します、と書いている人物がいたのですぐに コンタクトを取り、数日後合流した。彼は30代で、実際に金持ちと結婚 していて、 毎月何もしなくても300万ほどもらっているような人物だっ た。 当時の俺は彼のいうことを盲信し、この人についていく!と即決し た。次の日、俺は彼に呼ばれ、小田急線の某ローカル駅にいた。そこで、 彼に指定された女に声をかけ、ラインを聞く、という一連の流れを実践形 式で教 えられた。結局3時間で5バンゲもすることができ、初めてにしては上出 来だった。次の日は新宿に呼ばれたが、やはり新宿はローカル駅とは違っ て人が全く止まってくれない。その日はゼロ番げにとどまったが、彼の女 とのエピソードの話は本当に面白く、俺も早くこんな風になりたいと心か ら思った。そこからは毎日彼と合流し、とにかく声かけをしまくった。だ が声が小さすぎて聞こえないことが多く、ほとんど素通りされていた。そ れに見かねた彼がワンカップ大関を俺に飲ませてきた。二杯ほど飲むと、 周りが気にならなくなり声かけができるようになった。そして、2017年11 月、俺は大学院を休学し、毎日昼間からナンパに打ち込むようになった。 同時に売り専を始め、AVにも出始めた。売り専は彼に勧められて始めた。 売り専は、ゲイの風俗のことだ。男が男を買うところだ。彼から見ると俺 は、あまりにも優等生感というか普通感が強いと見えていて、それをぶち 壊すのは容易ではない。じっくり時間をかければ10年後には無くなって いるかもしれないが、そんなのは時間の無駄なので、普通の人間が絶対に やらないようなことをして常識をぶち壊すしかない、ということで始め た。筋トレもしていて、その頃はアイプチもしていたこともありルックス は良い方だったので俺はかなり売れていた。だが、やはり男とやるという のは気持ちのいいことではない。時給は5000円以上だが、毎回気が滅 入る。だがそれと同時に、自分の中で常識が壊れていくことを実感してい た。顔出しでAVにも出ていたので、もう俺は普通に就職して〜みたいな人 生は歩むことはないんだな、と少し感慨深くなったのを覚えいている。そ してバンバン常識を壊していく中で、彼に、昔の友達に連絡しなさいと言 われた。一瞬戸惑ったが、俺も好奇心があり、高校のバスケ部のライン と、塾講師のバイトのラインと、小学校の同窓会のラインに、俺がバナナ とかナスとかを着て電車乗ってる写真を50枚ぐらい送りつけてみた。そ うすると、小学校のグループラインからは追放された。高校の部活のライ ンでは、おかしくなったのか?という旨のメッセージが個人ラインに届く ようになった。気にせず、サラリーマン奴隷論、女との付き合い方につい てラインで語っていたらこれまた追放された。バイトのラインでは、社会 人の先輩からお怒りのお電話をいただいた。そして彼にサラリーマン奴隷 論を説いていると5秒ぐらいで切られて、グループから追放された。これ で俺は断捨離に成功した。正直吹っ切れた。この時俺は、見返してやろう という気持ちが芽生え、より一層ナンパに励むようになった。 売り専とナンパを両立し、俺は12月だけで100バンゲするという目標 を達成した。今でこそ1日で100バンゲできる俺だが、当時の俺は 一ヶ月もかかっていたのだ。そして一月、俺は彼の長期講習に申し込ん だ。月々14万2千円という値段だった。読者がこの値段をどう思うか はわからないが、俺は妥当な値段だと感じた。年間で約200万だが、 600万払って勉強という無駄なものしか教えてくれない大学に比べれ ば良心的な値段だと考えた。売り専を続けていれば月15万はそんなに 難しくなかったので、俺は契約書にサインをした。それでもやはり15 万円は大金だ。毎月金を払えば払うほど俺はこの技術を習得しなければ ならない、という後戻りができない気持ちになっていた。そのお陰かめ きめき実力を伸ばしていった。そして契約からひと月後、みんなもご存 知、バナナで売り専まで出勤するようになった。バナナで電車に乗ると 周りの目がものすごいことになり、スーパー恥ずかしい。だがずっと着 ているとそれが当たり前になり、周りの目が全く気にならなくなった。 その状態でナンパをしてみると、バナナを着る前よりも圧倒的に結果を 出すことができた。彼が用意する衣装には、中にはオムツやハゲ頭のカ ツラなどバナナの比ではないほど恥ずかしいものもあったが俺はそれに 耐えて毎日着続けた。そうしていくことで徐々にマインドが上がって いった。ナンパに対する抵抗感がなくなっていったのだ。契約初期の頃 俺は、彼が用意してくれた、和式トイレで風呂なしアパートに住んでい た。風呂なしな理由は、一刻も早く女の家に転がり込まなければならな いという危機感を持たせるためだったらしい。最初の頃はなかなか女が 捕まらず、タオルで体を拭き、最寄駅の障害者用トイレが運良くお湯が 出たのでそこで髪の毛を洗ってワックスを落としていた。冬は風俗も閑 散期なので客があまりつかなくなり、講習代も用意しなくてはならない し、食費もかかる。俺は毎日その日暮らしをしていた。声かけができな い日は酒をかなり飲むことになるので極寒の中酔いつぶれて道の端っこ で寝たり、コンビニのトイレで寝てたらアルソックが来てごねたら警察 を呼ばれて留置所で寝たりもした。そんな生活が半月ぐらい続いて、よ うやく俺は一人の田舎出身の女子大生を捕まえ、その子の家に帰るよう になった。その子は春休み中、実家に帰るということだったので、なん とか合鍵を作ってもらい、彼女の留守中に俺が住むことができた。だ が、彼女は電気代ガス代を滞納しており、水しか出なくなった。俺には ガス代電気代を払う金はないので、電気もガスも使えない水だけ出る家 に住むことになった。これではぶっちゃけ意味がないので俺はまた新し い家を開拓せねばと躍起になった。一度女の家に転がり込むことに成功 したので、すぐに別の女が見つかり、違う女の家に転がり込み、合鍵を 作らせた。そんな感じで、まず合鍵を作らせるところまでのルーティー ンを確立させた。
契約から3ヶ月経つ頃になると、俺は時々駅員に注意されるようになっ た。あまりにもいろんな女に声をかけているので駅員が不審に思って注意 するようになったのだ。正直こんなことは今までなかったので戸惑った が、かなり達成感があったのを覚えている。声かけのレベルが上がったこ とを実感できた。そこからは、各駅で駅員が来るまでナンパし、来たら次 の駅に移るということを繰り返していた。実際俺のやり方のナンパは迷惑 防止条例には引っかからず、警察が来ても道を聞いていたといえば 何もお 咎めはなかったので、俺は強気に警察に喧嘩を売りまくっていっ た。そう することで何も怖くないんだという根拠のない自信がついてい き、マイン ドが上がっていった。サイコパス性もこのころあたりからつき始めていっ た。たまに動画で警察と喧嘩している奴があったと思うが、こういう理由 で喧嘩していたのだ。
タイへ
そして契約から約半年がたった6月、俺はさらにマインドを高めるべく、 タイに行くことにした。全く知らない土地で生き抜くサバイバル能力、異 国の地で女をナンパし、そいつの家に住むための交渉力、度胸、その他 諸々、つまりマインドをつけるために。タイには、カオサンロードとい う、300mぐらいの一本道にクラブが敷き詰められている場所がある。 近くはホテルだらけで白人が現地のタイ人をナンパしてホテルに連れ込む ためにあるような場所だ。俺もそこで世界中のバックパッカーをナンパし まくる計画だった。そしてタイ人の家に転がり込むことが目的だった。空 港に着くと、同じ飛行機でタイに来ていた日本人の女がいたので声をかけ た。カオサンロードに行きたい旨を伝えると、直行バスが出ていると教え られたが、よくわからなかったのと一人が怖かったので、その女について いくことにした。その女は知り合いがやっているホテルに泊まりに行くと いうので、俺もそこに泊まることにした。そこで同じ部屋を提案したがク ロージングが甘すぎて断られた。別の部屋に泊まった。そこにはベッドが 6つぐらいあり、白人と中国人と韓国人がいた。特に会話することもな く、盗難に細心の注意を払いながら1日目を過ごした。朝になりその女と 一緒に買い物に行き、タクシーを拾ってもらってカオサンロードに向かっ た。英語がある程度通じるので特に困らなかった。カオサンロードに着く と、まだ昼間なのでほとんど人がいなかった。夜になるとどんちゃん 騒ぎ が始まるそうなので、夜まで宿を探しながら時間を潰した。最初に泊まっ た宿は覚えていないが、とにかく快適ではなかったのを覚えている。 そし て街に出て、ドイツ人がいたのでナンパした。英語が堪能すぎて何 言ってるのかわからなかったが、一緒に回ることにした。夜まで雑談を し、彼女が止まっているホテルに俺も泊まることにした。そのドイツ人の 友達のオーストラリア人も合流した。二人とも英語が流暢すぎて完全に俺 だけ蚊帳の外だった。夜に三人でクラブに行ったが俺が酒を頼みまくって みんなで飲むみたいなことをやって騒ぎまくった。めっちゃ楽しかったが 金をかなり使ってしまった。結局そのドイツ人とはやれずに次の日に彼女 は別の街へ行ってしまった。たかられてしまった。いいカモにされたの だ。正直腹たったが、俺は初めての経験をしまくったことでアドレナリン が出まくっていた。そこから毎日夜にクラブに行き女を漁りまくってい た。女は基本的にグループできているので、そこに飛び込めば酒を一口く れたりするので酒代はほとんどかからなかった。グループを回りまくって 酒飲んでテンション上げてから声かけをしまくることがルーティーンに なっていた。結局カオサンロードでは都心から遊びに来ているタイ人10 数人とフィリピン人、ニューハーフ、韓国人美女と合計15人ぐらいと セックスした。俺はティンダーもやっていた。そこで出会ったのがタイの マダムだ。アポを取り付けスタバで待ち合わせて会うなりキスした。その ままホテルに向かいセックスした。次の日からマダムの家に行くことにな っ た。七月の頭のことだった。タイのマダムの家は豪邸だった。3階建て で 日本でこのクオリティの家だと1億以上はするだろう。相当な金持ちだ っ た。ここで任務完了なわけだが、俺はここで少しだらけてしまった。現 地 で会った日本人に勧められたネットワークビジネスに手を出し、タイの マ ダムに全ての家事をやらせてネットワークビジネスに没頭していた。正 直 かなり時間の無駄だったが、マダムとの絆を深めていった。ところがマ ダ ムにパソコンを買ってもらうように打診したところ断られたので、完全 に センタリングだと判断した俺は、日本に帰ることにした。これが八月の 下 旬の話だ。空港に着いた頃マダムは俺に泣きながら電話してきたが取り 合 わず俺は帰国した。
帰国後
そこからはまた師匠と合流し、ナンパに精を出した。そこから俺はゲイビ やゲイ雑誌に出まくるようになり、さらにマインドを高めていった。一番 きつかったのは、男のケツの中でイくシーンを撮る現場だった。そもそも ちろうな俺が男のケツでイケる訳もなく、雑誌を見てオナニーをして高め て、いく寸前で穴に挿入して吸うピストンした後に外に出すという感じで やっていた。これには監督もご立腹でそこからそのメーカーではあまり使 われなくなった。だが、のちにこれが役に立ち、俺は男のケツでもイケる ようになった。それからというもの、俺はどんなブスが相手だろうがフル ボッキすることができるし、萎えることなくフィニッシュまで持っていけ るようになった。ゲイを相手にしていると想像力がものすごく高まるので ちんこと乳首に刺激さえあればイけるようになったのだ。これは大きな収 穫だった。
だが、ここから師匠の指導がかなりきつくなり始めていた。ナンパに関し てはこのころは1日フルで出れば30バンゲぐらいできるようにはなって いたわけだが、まだまだ電話力だったり女の子を楽しませる能力が足りて いなかったため、発破をかけるかのように俺に無茶振りや一発ギャグを振 るようになった。例えばAVの面接に行った時に、彼はマネージャーとして 同席した。そこで、中星君はとっても芸達者なんですよー!といい俺に何 かギャグをやらせることが増えた。正直俺は人前で何か面白いことをやれ る人間ではなかった。友達には、お前は話が面白いな、話の構成がすごい うまいなみたいなことは言われていたが、ギャグとかはめっちゃ苦手だっ た。だがそれこそ女を楽しませるには必要なスキルであることは俺は気づ いていた。師匠には彼女がいたが、その彼女をめちゃめちゃ笑わせていた からだ。師匠が何か芸をやれば彼女は今まで起こっていたことなど忘れて しまっていた。この能力は俺はどうしても手に入れたかったので無茶振り にも答えていった。この頃に俺はツイッターとyoutubeを始めた。みんな も俺が基地外のように踊っている動画やギンギントーキョーダンスを見た と思うが、あれはそういう意味があってやっていたことだった。人は、意 味がわからなく気持ち悪いものを見たときに笑うという彼の笑いのモッ トーを元に俺はツイッターを爆笑の嵐に巻き込んでいた。そのお陰かフォ ロワーが一気に5000人ぐらい急に増えて、東大生グローバルナンパ師は知 名 度を得るようになった。そこからは女の口説き方とギャグを徹底的に叩き 込まれた。休学から一年が経っていた。
そこからしばらく経ってから、俺は再びタイに渡り、マダムとの時間を過 ごした。そして帰国後、師匠の家に住むようになり、24時間彼と同じ空 間にいた。正直言って拷問というほかなかった。常に何かギャグをやらな ければならないし、彼の彼女のことも笑わせなければならなかった。そし てさらにマインドを高めるために、アルバイトに片っ端から応募し、合格 したところの従業員をかたっぱしから口説いたり、仕事中に3分に一回一 発芸をやるキチガイになって店長にブチ切れられたりととにかくマインド の完成に尽力していた。正直これまでの人生で一番きつかった一ヶ月だっ た。基本的に家では雑用だ。掃除洗濯料理ほとんど全部俺がやっていた。 アルバイトを掛け持ちしていまくったため睡眠時間は2時間とかだった。 本当に死ぬかと思ったがなんとか乗り越えた。そこである事件が起こり俺 と師匠の関係は絶たれることになる。これについてはここではかけないの でまたの機会に。そんなこんなで俺は師匠から授かったマインドという最 強の武器をもち、独立した。独り立ちしたのだ。それが、2019年の6 月のことだった。
独立後
独立後、俺はヤクザと知り合った。正確にはヤクザではなく、元ヤクザの 人間だ。10年近く収監されたことがあるらしい。某有名な組の組長も やっていた。今は不動産を中心としたビジネスを展開しており、俺は彼の 荷物持ちとして働くことになった。半ば強制的に。実際彼は口がうまく、 自分が金持ちであることを誇示するかのように気前よく高いご飯を俺にご 馳走したり、これで美味いものを食えと言って三万円渡してきたりととに かく気前が良かった。そして俺は、彼は本当に金持ちなんだと思った。そ れは事実だと思う。だが彼はその俺の気持ちを逆手に取り、”お前がやりた いビジネス金銭的に援助してやるから俺についてこい。とにかく俺の言わ れた通りにしろ”と口癖のように言っていた。そして常にデリヘル嬢を連れ ていた。その女に対する扱いはもう尋常ではなかった。殴ってはいなかっ たが、24時間ずっと罵声を浴びせていた。そのあとかなり優しいセック スをしていたらしいが。そして何かにつけて金を貸し付けて、それを利子 つけて返せという手口で金をむしり取っていた。基本的にデリ嬢はホスト 狂いなので、ヤクザから金をもらうとホストに行ってしまう。ヤクザはそ の女を彼女という設定で接しているので、 当然激昂する。 そして怒りに 任せて罵声を浴びせて、ホストに使った金は返せ、と借用書を書かせてい た。利子が半端じゃないので女はデリだけじゃ返済が追いつかなくなり、 ソープに沈められるそうだ。それを俺は直近で見ていた。彼は俺に対して もスーパー理不尽だった。荷物を下に運べと言われ運んだら下にいなかっ たので電話したら、タクシーで待ってるに決まってんだろ!!と怒鳴って きたり、先にホテル戻って荷物を置いてからロビーまで降りてきてくれと 言われその通りにしたら、なんで荷物置きに行ったんだよ!!と怒鳴った りめちゃくちゃだった。おそらくあれはわざとで、とにかく言うことを聞 かせるための洗脳だったのだろう。殴られはしなかったが、俺に恐怖を植 え付け、金払いを良くすることで俺はつなぎとめていたのかもしれない。 恐怖で縛るという手口は俺も女に使っていたので、俺はヤクザが俺を洗脳 しようとしているとすぐにわかった。ヤクザの洗脳のえげつないところ は、妙に信憑性が高い脅しをしてくるところだ。やはり元組長ということ もあり、ネットワークが日本全国に広がっていて、どこにいてもお前を見 つけられる、と俺は弁護士とも警察とも繋がっている、とか、俺は統合失 調症の診断書を持っているから、もしお前を殺してしまっても俺は罪に問 われないと言って本当に診断書を見せてきたりする。だが全部合法の範囲 でやっているので、恐ろしい男だと思った。俺はヤクザの発言をと録音し ていたが、これを警察に聞かせても恐喝にならない。そういう脅し方をす るのだ。だが、今の所は美味しいもの食わせてもらってるしいいホテルに も泊まらせてもらっているので美味しい思いしかしていない。ただ理不尽 にキレられるだけだったのと、やはり本当にビジネスの支援をしてくれる かもしれないという淡い期待を抱いてしまい、俺はヤクザから離れなかっ た。あれだけ理不尽に振舞われてもやはり期待があると離れられないもの だ。このヤクザの手口もかなり勉強になった。だが、一週間が経った頃、 ヤクザが動いた。借用書を書かされたデリ嬢に、金を貸してやれと俺に言 うのだ。意味がわからなかったのでなぜか聞くと、いいからもってこ い!!と怒鳴る始末。後から聞いた話だが、俺は借金があるので、ビジネ スをやるにはまず銀行に出資してもらうために借金をなくすか、信用を取 り戻さなければならない。信用を取り戻す手段として、まずクレカの キャッシング枠いっぱい、俺の場合60万円を現金化して、すぐにその額 を返済する、そうすると信用が上がる、とのことだがそんな馬鹿げた信用 の上げ方を信じるわけがなく、そもそも警戒していた俺はヤクザから逃げ ることにした。だが、俺はヤクザの手口がわかっていたので回避できた が、普通の人間だったらヤクザに洗脳され仕切っていて、言う通り金を渡 していた可能性が高い。それだけヤクザはうまかった。俺は、今現在で借 金をしている状態なので金を出すことはできないと反抗した。ヤクザは切 れていたが俺が引き下がらずにいると、じゃあお前は解雇だ。と言われ た。そこからそのヤクザとは会っていない。そのデリ嬢がどうなったのか もわからない。おそらくソープに沈められたのだと思う。
そしてヤクザから解放された俺はツイッターを再開し今に至る。
おまけ
俺が印象に残っている女を書いていこう。
ケニア人三姉妹
高円寺の駅前で3人組の黒人女がいたので長女をナンパし、バンゲして放 流した。そのあとカラオケにいると連絡が入ったので、カラオケで盛り上 げて、吉祥寺のホテルに4人で入った。長女をめっちゃ口説いていた俺 は、二人の妹が酒飲んでる同じ部屋で長女と3回ぐらいセックスした。怖 かったのでゴムはつけたが、なんともスリリングなセックスだった。やは り日本人にはないオープンさがあるなぁと思った。外人最高。
イエティ
イエティそっくりの女を捕まえた。ブスにもちゃんと声をかけろよとアド バイスをしていた師匠もびっくりなぐらいのブスだったので、こいつをバ ンゲした時はえらく褒められたのを覚えている。時間をかけて確実にセッ クスまで持っていった。最悪なセックスだった。今までしたセックスのな かでぶっちぎりのワースト一位だ。まず部屋を真っ暗にしてみてもわかる ような体毛の濃さ。そしてクリトリスと陰茎が確認できないほどの剛毛な ダウニーヘア。毛深さからくる汗の匂い。シャワーを浴びていなかったこ とが匂いに拍車をかけていた。正直殺そうかなと思ったが、駆け出しだっ た俺は、まんこだけ洗わせクンニをした。最悪な気持ちになった。トイレ の便器の方が多分綺麗。そう思いながらなんとかちんこを立たせて挿入に 至ったが、あまりにもブスなため当然処女。不潔な上に手間もかかる。揺 るぎないワースト一位だ。そこからその女とは連絡を取っていない。
幼稚舎から大学まで慶応のリスカ美女
30中盤だったが俺の歴代セニョリータの中では1、2を争う可愛さだっ た。だがどことなく暗い雰囲気を漂わせていた。セックスの時に理由がわ かった。この女の右腕には手首から15cmぐらい無数のリスカの跡があっ た。美人ほどダメンズと付き合った経験があるというのは定石だが、その 典型だった。幼稚舎から慶応ということもあり教育が厳しかったらしい。 その反動で大学の頃家を飛び出し、キャバクラで働いていたそうだ。そこ でいろんなサイコパス男に振り回されてきたんだろう。その女のエロさ と きたら異常だった。基本夜中から朝までセックスが当たり前だし、生理 中 でもお構いなくやらせるし、経血にまみれた俺のちんこを普通にフェラ チ オするし、小便もためらいなく飲んでいた。当時の俺の力量が足りな かったから物足りなかったのだろう。すぐに振られた。おそらくもっとサ イコパスで振り回してくれる男が良かったのだと思う。彼女に対しては申 し訳ない気持ちでいっぱいだ。俺の力量不足だった。彼女と別れた後、や はりサイコパシーは大事なのだなと再確認した。
京大卒美女弁護士
この子はセックスしてて一番興奮した。顔がかなりタイプだったのもある が、やはりバックグラウンドに興奮した。京大卒の弁護士で彼氏がいてタ ワーマンションに住んでいたからだ。ピルを飲んでいるそうなので中出し した。初めて中出し決めた瞬間だった。だから、河野玄斗とか水上みたい にどんだけ賢くても中出しセックスの気持ちよさには抗えないんだなとい うことは身にしみてわかる。
初めて即した女
ヤクザと一緒に仙台に行った時の話。ヤクザには、ナンパ師であることを 公表していたので、パフォーマンスとして、女を口説いて見せようと思っ た。ディスコのVIPルームにいたのだが、ディスコには女がほとんどいな かったので、外から引っ張ってくることにし、国分町という東京でいう歌 舞伎町みたいなとこで女を物色した。一声かけ目でかなりタイプな女子大 生が引っかかったので、酒も飲み放題だしVIPルームに行けるからという 誘い文句ですんなり連れ出すことができた。VIPルームで口説いている と、どうやらダンスサークルに所属していて、夜の12時からダンスの発 表があるらしい。それまで暇だからついてきたらしい。おそらく俺が口説 くことに失敗すればこの子は12時のダンスに行くだろう。成功すればダ ンスキャンセルで俺とセックスするだろうと踏んだ。俺はとにかくダンス に行かない口実を作ろうと考えた。結果キスマークをつけまくることにし た。女はまんざらでもない感じだったので、見えるところにつけまくっ た。そして酒も回ってきたので、今からお前をとっておきの場所に連れて 行く、とホテルというワードを出さずに連れ出した。そしてタクシーに乗 り込み俺のホテルまで行った。なんの抵抗もなく女は俺の部屋に入り、即 した。ピロトーク中フタを開けてみたらただのヤリマンだった。だがその 子は俺とのセックスの後キスマークだらけの首でダンスに向かった。面白 そうなので俺もそのダンスに出ることにした。そして彼女のダンス仲間と 合流し、”さっきまでこの子とセックスしてたんですよ”と言い放ちタク シーで帰った。彼女は卒業までヤリマンと言われ続けるだろう。めでたし めでたし。
トルコ人
初めて準即した外国人。渋谷でオロオロしてたので声をかけると、SIMが 買いたかったらしいので案内してあげた。ラインを交換し、次の日に彼女 から会いたいと連絡が来た。そのまま鳥貴族に行き酒飲んで道玄坂のホテ ルにイン。ホテル代14000円ぐらいしたの覚えている。ナンパ始めて最初 のセックスで相手が外人だったこともありホテル代は払った。しきりに生 でやりたがっていたのが怖かったがその頃はなぜかオナ禁していたことも あり、二回連続で生でやってしまったのを覚えている。かなりタイプだっ たので思い出深い。
PCマックスで会った女
出会い系のPCマックスで知り合った女の話。かなり顔が可愛かった。猫を 4匹ぐらい買っていて猫アレルギーの俺には拷問に近かったが、当時俺は まだ東大に所属していて東大の近くに彼女は住んでいたのでよくその子の 家に帰っていた。だがその頃の俺はナンパ始めたての何もわからないペー ペーだったこともあり、恋愛経験が豊富な彼女に翻弄されていた感があっ た。結局振られることになった。印象的だったのは、前付き合ってた彼氏 とは生でセックスしてたこと、前の彼氏は暴力とか振るってきたけど本当 に優しくて、警察が来た時も最後まで彼に寄り添ったことなどを自慢げに 語られた。今思うとやはりそういうスリリングなサイコパスな男との恋愛 にはまっていたのだなと思う。今はおそらく風俗で働いていることだろ う。