序論
「モテ」とは日常用語である。が、その意味を深く考察して使用している人は少ないだろう。巷間では「女性から遊びに誘われたらモテる」や「女友達が多い=モテ」などの議論が錯綜している。また、Twitterなどでモテを探究しているアカウントですら概念が明確化しておらず、ふわふわとなんとなく使用している印象を受ける。それでは、一体モテとはどのような現象なのだろうか。
1-1男性のモテとは何か
究極的に、男性のモテとは「あなた自身が目的とされている状態」を指す。あなた自身、つまり両親から賜った遺伝子が特定の環境や努力の下に発現した君自身を求め、女性が寄ってきている状態のことである。
どうして男女のモテ論に「遺伝子」という生物学の用語が出てくるのだろうか。それは、人間の恋愛行動が「遺伝子」をめぐって生じているからである。
どうして、我々には恋愛感情や性欲というものが備わっているのだろうか?それらは受験勉強や仕事における集中力を阻害する邪魔な存在であり、時折私たちの心をかき乱す厄介な代物だ。それらが人間から除去されたら釈迦のような境地で悟りを開ける、モテ/非モテ論争に時間を割く必要もなくなる。
答えは単純明快である。いわゆる恋愛行動は「繁殖」のために存在しているのだ。人間は有性生殖で繁殖する種であり、子どもを出産するためには男女の配偶子(精子・卵子)が必要になる。そして、生物は自己の複製すなわち子孫を増やすようにプログラムされている。
ただ、生物自身はそれを自覚していないことがほとんどだ。というより、意識に浮上しないようにデザインされている。実際に、我々も『スーパーマリオ・ブラザーズ』をプレイしている時に「どうしてピーチ姫を助けにいかないといけないんだろう?」や「どうして3回までなら死んでいいんだろうか?」などと逐一思考しないだろう。
哲学者の中島義道は著作において「哲学とは3歳児の営為である」と述べた。赤子のようになんで?どうして?どういうこと?と疑問を突き付けること、それが哲学なのである。もちろん、このように社会や世界を成立させている自明の理を穿う思考は好まれない。むしろ、社会適応者からすれば「コイツ、変なやつだな」と思われるのがオチである。そのため、仮に疑問を抱いたとしても抑圧されるか、親密な関係性でのみ議論に花が咲くのが常である。
ただ、そうなっているのだ。人生というゲームをプレイしている時には当たり前すぎる前提をいちいち問い直さない。疲れるし、しんどいし、意味が薄いから。むしろ、ここで立ち止まって「なんで?」「どうして?」と問える人間は希少であると同時に面倒くさいやつでもある。
話を戻すと、我々は子孫を残すようにプログラムされている。諸兄は学生時代に初恋を経験しただろうし、可愛い女性を雑誌やテレビなどで視聴した際には発情もしたことだろう。このような「恋愛感情」や「性欲」は繁殖のための動機付けとして機能している。
恋愛感情があれば特定の女性とセックスをしたいと思うし、性欲があれば不特定多数と性交したいと考える。
セックスという行為は男性が女性に精子(遺伝子の情報が詰まったギフト)を提供する行為である。他方で、女性は男性からギフトを受け取る行為である。つまり、セックスの機能は雄による遺伝子の提供にある。
giftとは肯定的な贈り物に用いられることが多いが、原義は「毒」というニュアンスをも含んでいる。実際に女性からすれば興味・関心がない男性からのギフトは劇薬である。というのも、妊娠や出産、育児には多大なリソース(時間、精神、体力や活力)などが必要になるからである。遺伝子拡散能力の低い個体を育てることは極めてコスパが悪い。また、原始社会における出産時の母体死亡率の高さを考えるとクソ最悪な女性の気持ちを汲み取ることができるだろう。
話を冒頭に戻すと、モテとは遺伝子を目的とされている状態のことを指す。女性がメロメロでヘロヘロになりキャーキャー言っているのは、男性の精子がほしくて溜まらないからである。
モテの定義を明確化することのメリットは以下の通りだ。いくらメスが積極的にアプローチを仕掛けてきたとしても遺伝子以外を目的としてならばモテてはいない、と指摘できることである。
例えば、就職を機に女性が寄ってくることがある。特に、学生時代はうだつが上がらない人生を送ってきたが、高年収の職業に就いた時期からアプローチを受ける男性を観測したことがある。しかし、これはモテていると言えるのだろうか。
筆者の定義では「モテ」の範疇に入らない。なぜなら、それは男性自身の魅力ではなくて「金銭」や「高価な物品」などを貰うことを目的としているからだ。もちろん、ハイスペ男性に寄ってくる女性のすべてがそれらを目的としているわけではない。だが、遺伝子以外の目的を抱いていたり、その比重が高い場合は「モテ」とは言わない。
ただし、第三者から見ると君自身つまり「遺伝子」を求めてきているのか、それとも「金銭」や「物品」を求めているのかを判断できない。また、女性の中にも自身が何を求めているのかを明確にできないものもいるだろう。
一概に論じることはできないが、女性が意識的に遺伝子以外を目的としている場合は「モテ」ているとはいわない。
1-2.定量的なモテ・定性的なモテ
世の中では「モテ」をめぐって幾度となく論戦が繰り広げられている。特に、定量的VS定性的という観点で生じることが多い。
定量的なモテとは「複数の女性から遺伝子を目的とされている状態」のことであり、定性的なモテとは「質の高い女性から遺伝子を目的とされている状態」である。
どちらを「真性のモテ」と定義するかが議論されることがあるが、筆者は甲乙をつけない。というのも、どちらも「モテ」として解釈できるからだ。
例えば、定量的に捉えれば「5人を魅了しているイケメン」と「10人を魅了しているブサメン」であれば後者が格上であり、定性的に捉えれば、性的配偶価値の高い女性を魅了している方が格上である。このように、定量・定性とは「視点の差異」に他ならない。物事を別の角度から眺めているだけである。
この例の他にも、「頭の良さ」で考えてみよう。定量的に考えれば偏差値の高い大学に進学していれば、定性的に考えれば深淵な思考や批判的な思考力があれば賢いと言えるだろう。しかし、どちらがより頭がいいと言えるのだろうか?
モテを定量的・定性的に把握することは「事実判断」である。そのため、A男とB男を比較する際には「Aの方が経験人数が多いから」や「Bの方が美女を抱いているから」という観点で評価することができる軸で。
だが、指標としてより優れているのはどちらだろうか。複数の女性を抱いている男なのか、一人でもいいから美女を抱いている男なのだろうか。
このように問われると答えに窮す。なぜなら、量と質自体の優劣を図る尺度は存在しないからだ。ここからは「価値判断」の領域に入る。そのため、個々人の思惑が入り込んでポジション・トークが展開される。様々な女性を抱いた人は定量的なモテを採用するし、そうではない男性は定量的なモテを採用する。
例えば、バカなのに高偏差値大学に運よく合格した人は前者を、高卒だけど乱読して思考力が高まった人は後者をより頭がいいと言うだろう。このように、自分自身を肯定するための無根拠な言説のことをポジション・トークとよぶ。
筆者は第3の道、つまり定量と定性の補集合を至高だと思っている。つまり複数の質高い女性から遺伝子を目的とされている状態だ。というのも、100人のブスばかり抱いてる人をモテと呼ぶことに違和感があるし、1人の爆美女を抱いた人をモテと呼ぶことにも疑問が残るからである。したがって、定性と定量の二項対立を乗り越えた弁証法状態をより高次のモテと認識している。
1-3.見極め
男性のモテとは遺伝子を目的とされていることだ、と定義した。しかし、それを見定める方法はあるのだろうか。
結論を述べると、確度100%の方法は存在しない。リトマス紙は酸性の液を垂らせば「赤」に反応するが、人間の場合はAをしたからといってBのような反応をするとは限らない。ただ、確度が高い方法なら存在する。〇〇と〇〇があるならば遺伝子を目的としているだろう、といった推論が可能である。
遺伝子を目的としていない場合、あなたは手段として扱われている。「承認欲求を満たすイイねボタン」や「金銭を恵んでくれるATM」や「プレゼントをくれるパパ」として見られている。いわば利用されているのだ。したがって、以下の方法を用いれば判別可能である。