
「50過ぎて、全部手放してみた。」―それでも前に進めた理由 誰かの“非常識”が、わたしの“現実”に
中部地方で30年近く続けてきた自営業をすべて手放し、50歳を過ぎてから、家族4人で他県に移住しました。中学生の子どもを連れての決断は、簡単なものではありませんでした。
積み上げてきたキャリア、地域とのつながり、安心できる日常——すべてを一度リセットすることになりました。けれど、だからこそ見えてきたことがあります。
「ゼロから始めることに、遅すぎるはない」ということ。
年齢に関係なく、人はいつでも人生をアップデートできます。これまでの経験がすべて無駄になることは決してなく、新しい挑戦の土台になってくれる。今、私たちは新天地で新たな一歩を踏み出し、学び直し、また少しずつ築いている最中です。
変化を恐れず、自分の人生を自分で選び取る——そんな生き方を、これからも続けていきたいと思います。
序章
- 自己紹介 家族とともに歩む人生の大転換点
第一章
- 私の仕事 長年の続けたもの、その終わりに見えた始まり
- コロナ ― 静かな日常を揺るがした、暮らしと価値観の再構築
- ここでなくてはならない理由 地元への愛情と、離れたくなる違和感の正体
- 3つのキーワード 日常では気にしない言葉
第二章
- 移住サイト 情報の海を泳ぎ、気になる町との遭遇
- 現地へ 写真ではわからない生活臭を確かめに行く
第三章
- 移住フェアへ 全国の本気に出会うきっかけの宝庫
- 必ず出てくる◯◯隊 地域と暮らしをつなぐ役割
- 県のブースへ 対話の中で見える、“住む”ための真実と熱量
第四章
- 移住候補地へ ― 行って、会って、歩いて見つけた“暮らせる町”
第五章
- 移住が決まったら ― いよいよリアルになる新しい暮らしへの準備を
- 就職 家族の採取発を支えてくれた人の繋がり
- 転校 思春期の子が教えてくれた変化を恐れない心
第六章
- 清算 ― 30年の仕事を手放す勇気と、惜別の中にある感謝
第七章
- 移住してから よそ者といての日々。関係作りはゆっくりでいい
最終章
- 50歳の移住 ― 生き方に正解はない。“面白く生きる”ための選択
序章
生まれは九州。
特別壮絶な子ども時代を送った記憶はなく、いたって「普通」の日々。尖ることもなく、悪ぶれることもなく、学校へ通い、部活をして、友達と笑い合う——そんな、ごく一般的な青春時代を過ごしてきました。
ただひとつ、胸の奥で強く燻っていた感情がありました。
「都会に行きたい」——その思いだけは、誰よりも強かった気がします。
大学受験は失敗。県外の予備校での寮生活を経て、一浪の末に関東・関西の大学には全滅し、中部地区の大学に進学。そのまま中部地方で就職し、結婚し、独立して事業を始め、気がつけばこの地で三十余年。人生の四半世紀を、中部で過ごすことになりました。
仕事も家庭も、表向きは「安定」していたはずです。
でも——心の奥底では、ずっと妻にこう言っていました。
「ここじゃない気がするんだよね」
それは「地元に帰りたい」という感情ではなく、もっと漠然とした、でも確かな違和感のようなものでした。
ここじゃない。だけど、どこなのかはわからない。
そんな“場所”を、人生の後半でようやく探しに行くことになるとは、当時の自分には想像もつきませんでした。
第1章
私の仕事
「先生業」という仕事をしているおかげで、これまで国内外さまざまな土地に行く機会に恵まれました。
初めての土地で耳にする言葉、空気のにおい、人々の表情やテンポ――それらの“違い”に触れるたび、なんだか心がワクワクして、「ああ、自分はこういう刺激が好きなんだな」と実感していました。
サラリーマンとして10年、その後、思い切って独立してから20年以上。
気がつけば、ずっと走り続けていました。止まることが怖くて、振り返る暇もなく、前だけを見て。
先生業というのは、正直、楽しかったです。人と向き合う時間が多く、成果が目の前で見えることも多い。何より、「ありがとう」と言われることが多い仕事なんです。これって、なかなか他の仕事では味わえないものかもしれません。
でも、時代は変わっていきます。
コロナがやってきて、世の中が止まった頃。私の立場も少しずつ変わり始めていました。
「このままで本当にいいんだろうか」
そんな思いが、ふとした瞬間に頭をよぎるようになりました。最初はかすかな声でした。でも、気づけば、それは日々の中で無視できない存在になっていたのです。
そして、心のどこかではわかっていました。
――ちょっと、疲れてるな。
ずっと全力で走ってきた。給水所も、ゴールも見えないまま。それでも走り続けてしまった。
そんな私に、立ち止まるきっかけをくれたのが、後に世界中を巻き込むことになる“あの出来事”でした。
コロナ
2020年。
それは、私にとって新たなステージに踏み出す年になる――はずでした。
長年続けてきた仕事を法人化し、いよいよ次のフェーズへ進もうと準備万端。そんな矢先、突然世界が止まりました。そう、コロナです。
「まさか、ここで…?」というタイミング。
ほんの数ヶ月、いや数週間ずれていれば受けられたかもしれない補助金も対象外。結果、仕事はすべてストップ。何もかもが止まりました。
日々の仕事が、予定が、人とのつながりが、一つずつ消えていく。
私はというと、散歩と読書とネットサーフィンを繰り返すだけの毎日。
何もしていないはずなのに、心だけがどんどんすり減っていくのがわかりました。
無気力、焦燥、空虚感。そのどれもが同時に押し寄せてきて、自分がどんどん「透明」になっていくような感覚でした。
後になって、妻から言われた一言があります。
「あのとき、あなた、廃人だったよ」
ああ、やっぱりそう見えてたんだな、って。
でも、それはきっと私だけじゃなかったはず。
あの時期、世界中の誰もが「この先、どうなるんだろう」と、不安や孤独に包まれていたんじゃないでしょうか。
そして、私の中にある問いが、静かに、でも確実に大きくなっていったのです。
「ここで、このまま、やっていく理由って何だろう?」
ここでなくてはならない理由は?
コロナ禍で、世の中は一気に“リモート”に塗り替えられていきました。