中学校の歴史の教科書で、「2.26」と「5.15」の記述を見て、衝撃を覚えました。
今の、首相官邸にクーデター部隊が乱入して、首相が暗殺されたら・・・
「2.26事件」二・二六事件(にいにいろくじけん)は、1936年(昭和11年)2月26日から2月29日にかけて、日本の陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1483名の兵を率い、「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こしたクーデター未遂事件である大日本帝国陸軍内の派閥の一つである皇道派の影響を受けた一部青年将校ら(20歳代の隊付の大尉から少尉が中心)は、かねてから「昭和維新・尊皇討奸」をスローガンに、武力を以て元老重臣を殺害すれば、天皇親政が実現し、彼らが政治腐敗と考える政財界の様々な現象や、農村の困窮が収束すると考えていた。彼らはこの考えの下、1936年(昭和11年)2月26日未明に決起する。将校は近衛歩兵第3連隊、歩兵第1連隊、歩兵第3連隊、野戦重砲兵第7連隊らの部隊を指揮して、岡田啓介内閣総理大臣、鈴木貫太郎侍従長、斎藤實内大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監、牧野伸顕前内大臣を襲撃、総理大臣官邸、警視庁、陸軍省、参謀本部、東京朝日新聞を占拠した。高橋是清(たかはし これきよ)大蔵大臣、斉藤實(さいとう まこと)内大臣らを暗殺した。その上で、彼らは軍首脳を経由して昭和天皇に昭和維新を訴えた。しかし軍と政府は、彼らを「叛乱軍」として武力鎮圧を決意し、包囲して投降を呼びかけた。反乱将校たちは下士官・兵を原隊に復帰させ、一部は自決したが、大半の将校は投降して法廷闘争を図った。事件の首謀者は銃殺刑に処された。
(ウィキペディアより)
世界では、いたるところで、実力で政権を変えようとする動きが続いている。
中東、ウクライナ、東南アジアなど、いまも政情不安である。
政権の腐敗もあるだろうが、穏やかではない。
正当に管理された選挙で代表を選ぶのが民主主義。
手続きが面倒でも、時間がかかっても、民主主義がいいね。
「正義をかちとるためには、銃弾(バレット)ではなく投票(バロット)が必要です。」
(リンカーン)
そして、
「たいていの人は災難は乗り越えられる。本当に人を試したかったら、権力を与えてみることだ」
(リンカーン)
権力を得て変わってしまった人は多い。
馬鹿じゃないの、と思うくらい変わるよw
そういう人には、権力を与えてはいけなっかたのです。
民主主義なら、民衆がその責任を負うが、独裁主義なら、民衆は迷惑のみである。