『三国志』の登場人物のなかで、曹操ほど評価が大きく変化した人物も珍しいでしょう。
かつて曹操といえば、「奸雄」「冷酷な独裁者」「劉備に立ちはだかる最大の悪役」というイメージが強い人物でした。
ところが日本では、現在の曹操はかなり違った姿で語られることがあります。
「乱世を終わらせようとした合理主義者」
「能力のある人間なら身分を問わず登用した名君」
「軍事・政治・文学のすべてに秀でた天才」
「感情に流されない、現実主義的な英雄」
――こうした曹操像に魅力を感じる日本人の三国志ファンは少なくありません。
実際、日本では曹操を主人公あるいは中心人物として描く作品が数多く作られてきました。とりわけ吉川英治の小説や、漫画『蒼天航路』などは、日本人の曹操観に大きな影響を与えました。二松学舎大学も、吉川英治が『三国志演義』とは異なる「単なる悪役ではない」曹操像を提示し、さらに『蒼天航路』が近年の曹操人気を決定づけたと説明しています。
しかし、ここで一度立ち止まる必要があります。
私たちが知っている「かっこいい曹操」は、本当に歴史上の曹操そのものなのでしょうか?
「正史の曹操=日本で知られる曹操」ではない
まず押さえておきたいのは、『三国志』には二つの世界があるということです。
一つは、陳寿が著した歴史書としての『三国志』。
もう一つは、後世に成立した歴史小説『三国志演義』です。
一般的に日本で「三国志」として親しまれてきた物語は、後者の影響を強く受けています。
『三国志演義』では、劉備を中心とする勢力が正統的・道徳的に描かれ、その最大の敵となる曹操は「奸雄」として描かれます。
つまり、曹操の悪役イメージには、単なる史実の記録だけではなく、後世の文学的な人物造形が大きく作用しています。
一方で、だからといって、
「曹操は『演義』が作った悪人であり、正史では完全な英雄だった」
と考えるのも正しくありません。
ここが重要です。
現在の曹操再評価のなかには、『三国志演義』によって悪役にされた曹操を、今度は逆方向に理想化してしまう傾向もあります。
日本の三国志研究では、曹操について「一次的曹操像」と「二次的曹操像」を区別して考える必要があるとされています。つまり、歴史上の曹操自身と、後世の人々が作り上げた曹操像は別物なのです。
曹操は確かに「非常之人」だった
では、史実の曹操とはどのような人物だったのでしょうか。
まず、曹操の能力そのものを過小評価することはできません。
曹操は後漢末の群雄のなかでも突出した存在でした。
献帝を擁して政治的な正統性を確保し、各地の勢力と戦い、官渡の戦いでは当時最大級の勢力を持っていた袁紹を破りました。
そして曹操は政治家・軍人だけではありません。
詩人としても知られ、後漢末の文学史において重要な位置を占めています。
陳寿も曹操を「非常之人」、つまり並外れた人物として評価しています。日本の研究者による解説でも、曹操は知力、決断力、人材を引きつける力などを備えた、この時代でも群を抜く存在として紹介されています。
曹操は間違いなく、後漢末の政治・軍事を大きく動かした傑物でした。
しかし――
「傑物だった」ことと「善人だった」ことは別問題です。
曹操には血なまぐさい側面もあった
曹操を英雄としてのみ描くと、見えなくなってしまうものがあります。
それが、曹操の戦争と統治に伴った大量の犠牲です。
後漢末はそもそも非常に残酷な時代でした。
群雄たちは領土を奪い合い、都市や農村が戦火に巻き込まれ、大量の民衆が殺害・流亡しました。
曹操だけが特別に残酷だった、と単純化することはできません。
しかし、曹操自身が大規模な軍事行動を行い、反抗勢力に対して苛烈な措置を取ったことも事実です。
二松学舎大学の曹操研究紹介でも、歴史上の曹操には「大虐殺の実行」など、後世に悪玉とされても不思議ではない側面が存在したことが指摘されています。
つまり、
「曹操は『三国志演義』が作った悪人だった」
という説明だけでは不十分なのです。
曹操には、後世の文学によって誇張された悪役像がある一方、実際の政治家・軍人としても苛烈な側面がありました。
「麦畑の故事」も英雄譚として読むだけでは危険
曹操の人物像を考えるうえで興味深いのが、麦畑を踏み荒らした事件です。
伝承では、曹操は軍規を厳しく定め、自分自身もそれを守る姿勢を示しました。
ところが、軍馬が麦畑を荒らしてしまいます。
曹操は自分自身も処罰しなければならないとし、髪を切ることで代わりとしました。
この話は、しばしば、
「曹操は自分にも厳しい公平な人物だった」
という美談として紹介されます。
しかし、この逸話の出典や文脈まで確認すると、単純な英雄譚として読むことには注意が必要です。
『三国志』の本文だけでなく、裴松之が付した注に収録された資料なども含めて曹操像を検討する必要があります。
実際、中国共産党の歴史教科書では、この故事が「法を守る曹操」の肯定的な逸話として利用された側面があったことも研究で指摘されています。
同じ一つの故事でも、
「規律を守る名君」
と読むこともできれば、
「自分に都合よく法を運用する権力者」
という読み方もできる。
これこそが、曹操という人物を考える難しさです。
日本で曹操が「美化」された理由
では、なぜ日本では曹操がこれほど魅力的に描かれるようになったのでしょうか。
大きな転換点の一つが、吉川英治の『三国志』です。
『三国志演義』をそのまま日本語化するのではなく、吉川英治は独自の解釈によって人物を描き直しました。
そのなかで曹操は、単純な悪役ではなく、才能ある人間を愛し、軍事的才能を発揮し、苦悩しながら乱世を生きる一人の人間として描かれます。
研究でも、吉川英治が曹操の人材登用や軍事能力を大きく評価し、『演義』にはない性格描写を加えていることが指摘されています。
そして、その流れをさらに強めた作品が『蒼天航路』でした。
『蒼天航路』では、曹操はほぼ主人公級の存在として描かれます。
従来の「悪役曹操」から、「乱世を生き抜く圧倒的な英雄」へ。
日本の曹操像は大きく変化しました。
二松学舎大学も、『蒼天航路』の影響によって曹操や魏のファンが増加し、「曹操=悪玉」という認識が大きく変化したと指摘しています。
しかし「再評価」と「神格化」は違う
ここで最も重要なのが、この区別です。
曹操を『三国志演義』の悪役という一面的なイメージから解放することは、決して悪いことではありません。
むしろ歴史を理解するうえでは必要な作業でしょう。
しかし、
「曹操は悪人ではなかった」
「曹操は民衆のために戦った偉大な政治家だった」
「曹操は合理主義によって古い社会を改革した英雄だった」
といった評価を無条件に受け入れてしまえば、今度は反対方向の人物神話を作ってしまうことになります。
曹操を研究する専門書でも、「政治家」「将軍」「詩人」「軍学者」など、複数の顔から人物像を検討しています。曹操研究が単純な善悪論ではなく、多面的な人物像を問題にしていることが分かります。
曹操は優れた政治家でした。
優れた軍事指導者でもありました。
文学者としての才能もありました。
人材を登用する能力にも長けていました。
その一方で、権力闘争のなかで多くの人間を殺し、苛烈な戦争を遂行した人物でもあります。
その両方を認めることこそ、史実の曹操に近づく方法なのではないでしょうか。
「英雄」でも「悪魔」でもない――それが史実の曹操
結局のところ、曹操を「善人か悪人か」という二択で考えること自体に無理があります。
『三国志演義』では曹操が悪役として強調されました。
一方、日本の近現代作品では、その反動として曹操の能力や人間性が大きく評価されました。
その結果、現在の日本では「曹操=かっこいい合理主義者」「曹操=魏を作った天才」といったイメージが広く知られるようになっています。
しかし、それもまた一つの「曹操像」にすぎません。
歴史上の曹操は、優秀であると同時に苛烈でした。
政治的に現実的である一方、権力維持のためには冷酷な判断も下しました。
文化人としての顔を持つ一方、戦争によって多くの犠牲を生みました。
完全な聖人でもなければ、単純な悪人でもない。
巨大な才能と巨大な権力、そしてそれに伴う残酷さを同時に持った人物。
それが、史料から見えてくる曹操の姿です。
日本で人気の「かっこいい曹操」を否定する必要はありません。
ただし、それを「史実の曹操」と同一視してはいけない。
『三国志演義』の曹操も、吉川英治の曹操も、『蒼天航路』の曹操も、そして史書に記された曹操も、それぞれ別の「曹操」なのです。
だからこそ、これから曹操について考えるときには、
「曹操は本当はどんな人物だったのか?」
という問いを、もう一度史料から問い直してみる価値があります。
参考資料
・陳寿『三国志』魏書・武帝紀・裴松之注『三国志』・『曹瞞伝』・三国志学会監修『曹操――奸雄に秘められた「時代の変革者」の実像』・井波律子『三国志――演義から正史、そして史実へ』・二松学舎大学「非常之人~三国志の覇者・曹操の人物像」・参考記事「曹操ってどんな人?〔前編〕 意外に知られていない実像。生い立ちと生涯、評価」
