とにかく世間のみんなが頑張りすぎている
「頑張らない」を設計するという新しい生き方
1. 「頑張る」が前提になってしまった社会
気がつけば、僕らは常に「頑張っている」ことを基準に評価される社会に生きています。会社では「努力が足りない」と言われ、学校では「もっと勉強を」と言われ、家庭でも「いい親でいなきゃ」とプレッシャーを抱える。
気がつけば、「頑張ることがスタートライン」になってしまっている。
でも、本当にそれでいいのでしょうか?
僕は双子の父親です。子どもが二人いるというだけでも、生活は予想外の連続。朝から晩までバタバタして、笑って泣いて怒って──。それだけで、正直もう十分に「頑張っている」と思うのです。
それなのに「もっと収入を増やさなきゃ」「もっといい親にならなきゃ」「もっと効率的に家事をこなさなきゃ」と、自分で自分を追い詰めてしまう。世の中の大半の人が、もう既にキャパシティいっぱいで走っているのに、さらに鞭を打って走ろうとしている。
とにかく世間のみんな、頑張りすぎです。
2. 「頑張らない」を選ぶと出てくる不安
ただし、ここで一つ問題があります。「じゃあ頑張らない」と決めても、別の不安が顔を出すのです。
- 頑張らなかったら生活が崩れるんじゃないか?
- 家族を養えなくなるんじゃないか?
- 世間から「怠けている」と思われるんじゃないか?
僕の妻は専業主婦です。SNSでは「妻ゴロ」と表現してポストしています。ゴロゴロしていてもいいじゃないか、というニュアンスです。でも、専業主婦というだけで「家にいるだけで楽してる」と言われがち。実際には子育ても家事も膨大な仕事で、むしろフルタイム労働に匹敵する大変さがあるのに。
それでも彼女が「今日はちょっとだらけたいな」と思ったとき、その姿を全肯定したいと思うのです。なぜなら、「頑張らないこと」を肯定できるかどうかが、僕らの暮らしをラクにする分岐点だから。
3. 「設計」で頑張らなさをカバーする
僕が一番伝えたいのはここです。ただ闇雲に「頑張らない」と宣言しても、現実的には暮らしが崩れてしまいます。だからこそ 「頑張らないを設計する」ことが大切なのです。
たとえば、僕たち夫婦が取り入れている工夫はこんなもの。
- 家事の導線をリノベーションで改善して「そもそも家事を頑張らなくても片付く」仕組みにする
- 買い物は極力ネットスーパーに頼る
- ご飯は「ちゃんと作る日」と「レトルト・冷凍食品に全振りする日」をあらかじめ決めておく
- 子育ての「手抜きタイム」を夫婦でシェアして、お互いが罪悪感を持たないようにする
これはつまり、頑張らないことを肯定するための土台作りです。「どうすれば頑張らなくてもまわるか?」を徹底的に考える。これが「設計」の意味です。
4. 妻ゴロの全肯定は、世間の全肯定
僕がSNSで「妻ゴロ」を全肯定するポストを続けているのは、ただ妻を甘やかしたいからではありません。妻を肯定することは、同時に「世間の頑張らない人たち」を肯定することにつながるからです。
世の中には「毎日必死に走っているけど、もう疲れた」という人があふれています。そんなときに「それでいいんだよ」「休んでいいんだよ」と誰かに言ってもらえるだけで救われることがある。
僕はその役割を、少しでも担いたい。
だからこそ、僕は声を大にして言います。
「頑張らなくていい。そのままでいい」
これは甘えでも無責任でもありません。頑張らないことを肯定して、そこから設計していけば、むしろ人生はうまくまわる。僕は双子の父親として、専業主婦の夫として、それを実感しているのです。
ここから先の部分です。
この続きでは、有料部分として以下を深掘りできます:
- 前半「頑張らない設計」の具体例(暮らし・お金・仕事のバランスの作り方)「頑張らない」と「だらける」の違い「罪悪感を減らす思考法」
- 「頑張らない設計」の具体例(暮らし・お金・仕事のバランスの作り方)
- 「頑張らない」と「だらける」の違い
- 「罪悪感を減らす思考法」
- 後半「頑張らないことが結果的に上手くいく」事例紹介妻ゴロ肯定の裏にある「社会的メッセージ」「頑張らないことを全肯定する」ことで生まれる未来像
- 「頑張らないことが結果的に上手くいく」事例紹介
- 妻ゴロ肯定の裏にある「社会的メッセージ」
- 「頑張らないことを全肯定する」ことで生まれる未来像