あらた氏不在の一か月
あらた氏について、一ヶ月ぶりにコラムで取り上げさせていただく。
お気づきの方もいるかもしれないが、ここのところ、あらた氏について言及する機会はほとんどなかった。
情報を提供してくださる方が増えて、その内容を文章にすることが多くなり、コラムのコンセプトが従来と変わったことが背景にある。
しかし、それだけではない。フォロワーの増加によって、コラムの反響が大きくなり過ぎ、私自身があらた氏をコラムで取り上げることに困惑していたからだ。
ノーセックスあらた氏という名前が独り歩きして、本当にハプバーで遊べなくなるようなことがあっては、申し訳ないと思っていたのである。
今回から、ノーセックスあらた氏と呼ばず、あらた氏と呼称しているのはそのためだ。
もちろん、私の比ではないほど、あらた氏が複雑な感情を抱いていたであろうことは、想像に難くなかった。
ノーセックス詐欺疑惑の再燃
そのような事情から、あらた氏についてコラムで取り上げる機会はもうないと考えていた矢先のことであった。
ノーセックス詐欺の疑惑が再燃したのである。
この疑念については、以前にもコラムで取り上げ、事実無根であると否定していた。
私は贖罪のような気持ちで、その疑惑が「でっち上げ」に過ぎないことをすかさずツイートした。
そうすると、あらた氏から反応が返ってきたのである。
何かに救われたような心境になり、私の心は和らいだ。
あらた氏の再登場
久しぶりのあらた氏とのやりとりで、安堵とは別の感情が私に芽生えた。
責務を全うしなければならないという想いである。
どういうことなのだろうか?
ここでツイートをふたたび引用しよう。答えはそこに隠されているからだ。
あらた氏は言う。
「ノーセックスは芸ではない。」
そうであれば、あらた氏にとって、ノーセックスとは何なのか?
「ノーセックスは生き方である。」
あらた氏の姿を思い浮かべると、本人は言明していないものの、私には自然とそう思えた。
コラムタイトルに括弧書きで、「生き方である。」と付け加えたのは、そのためだ。
当然のことながら、あらた氏がノーセックスを生き方と捉えていると、私が確信したことには、具体的な理由がある。
それを全ハプバー民に伝えるのが私の使命であり、あらた氏がふたたびコラムに登場する意義でもある。
ノーセックスと引用問題
大変ありがたいことに、フォロワーが400人を超えたあたりから、色々と情報をいただくことが多くなった。そのなかには、あらた氏に関する情報も含まれている。
その情報は、ハプバーでのあらた氏の紳士的な人柄を喚起させるエピソードであった。これはコラムで取り上げなければならないと考えた。
しかし、引用ルールの問題がある。
コラムを始めた当初は影響が少ないので、論評を目的として誰かをコラムに取り上げたときは、そのことをツイートで事後報告し、修正などに応じていたのだ。
いままでのあらた氏のコラムもこれに当たる。
事前に連絡してから、コラムを公開するのは、事実関係の確認が必要な限られたケースだけであったのだ。
今回はどのように対応したらいいのだろうか?
色々と考えた結果、今までどおり、事後報告での対応にすることにした。
事前に確認しなければならないような趣旨のコラムではないし、一方的にコラムを送りつけても、あらた氏を困惑させるだろうと考えたからだ。
ノーセックスとプライド
ここでようやく本題に入る。
あらた氏はハプバーでどのような立ち振る舞いをしているのか?
情報提供者によればこうだ。
あらた氏は、ハプバーで遊ぶことを最優先にはしていない、というのである。
- なかには、お店で何度も顔を合わせているにもかかわらず、同性には会釈すらしない単男(そうかといって、店で力のある同性には愛想よく振る舞う)、
- 男性が女性と口説いているときに空気を読まずに割り込む単男、
- 全ての行動を遊ぶことに集約化し、遊べはするものの、同性や店から極端に評判の悪い単男が存在する。
しかし、あらた氏はそれとは正反対であるという。
同性には分け隔てなく平等に接し、他の男性が女性を口説こうとしている場面では、気を遣って自分から身を引くというのだ。
当然に遊べないと私は思った。
男祭りが頻発し、
ハプバーへの期待値が下がった結果、事前にネットで口説くことが一般化しつつあり、
このような状態で、綺麗に遊ぼうとする立ち振る舞いでは、ルームには入れることは難しいからだ。
しかし私はこう思い直した。
あらた氏にはセックスより大切なものがあるに違いない。
それはハプバーにおいては、立ち振る舞いとして現れるだろうし、それは「ノーセックスは生き方である」を体現したものであるとも思えたのである。
あらた氏はそのような単男だ
このことを全ハプバー民に知ってもらう必要があると考え、あらた氏をコラムで取り上げることとしたのだ
もっとも。時にはやらかすこともあるようだが…
ハプバーコラムニストもノーセックス
実のところ、ここのところ私もノーセックスである。
さまざまな形での人との繋がりから、コラムを書かせていただく機会をいただき、ハプバーに行く時間を犠牲にして、執筆活動に取り組んでいるからだ。
それはひとときのルームよりも、コラムを楽しみにしてくれている人の心を大切にしたいからである。
セックスについては、ハプバーという偶然性の空間のなかで、恵みの雨のように、いずれ祝福されるのではないか。そう思っているのだ。
私のこのような姿勢をあらた氏も肯定的に感じてくれているようだ。
望外の喜びである。
繰り返し言おう。
ノーセックスとはセックスに振り回されないことで、自分らしさを大切にするだけでなく、周囲の人たちの感情を尊重する生き方だ。
このような考え方は、今のハプバーにこそ必要とされているのでないか。
数回にわたり、コラムに取り上げさせていただいたあらた氏に感謝の意を表したい。
そして、最後はこの言葉で締めくくろう。
ノーセックス!
【了】
【更新】2020/7/5公開