嫌いな教師。
僕にとっては、1つも認めもせず、怒ってばかりの「教師」である。
科学的にも、3-5つ認め・ほめたりすることで、1つの助言が受け入れやすくなる。
友達でも、恋人でも、家族でも、「教師」の側面はある。
ある「教師」が分からなくても、別の「教師」につないでくれたらいい。
感情と理論をごちゃまぜにし、一方通行しか脳内にない「教師」が、僕は嫌いだ。
一方で、怒らず、「楽しむ」にはどうすればよいか。
常に何かに追われる現代に、ふと「楽しむ」ことは、少し難しい。
自然と「楽しむ」内容は、自分の強みであり、行為そのものが目的であることが多い。
僕にとっては、読書、ブログ、思考。
数千年前の人も、同じ楽しみだったと思うと、感慨深い。
「楽しみ」ながら、自分にとっての「教師」になるべく、学び続けたい。
私が彼方を見渡せたのだとしたら、
それは巨人の肩の上に乗っていたからだ。
アイザック・ニュートン