高次脳機能障害をサポートする
一般社団法人アイズ 代表 白井京子
「この先、な〜んも楽しいことなんてあらへん」
あのころの私は、そんな言葉を呪文のように唱えていた。夫が全国でも珍しい症例で、重度の高次脳機能障害になってから、10年以上が過ぎていた。「この人が障害者になったことで、私の人生も終わった」、本気でそう思っていた。
生きているのに、心から笑うこともない。世の中の何を見ても悔しくて、腹が立って、泣けてくる。砂をかむような毎日だった。そんな自分が嫌で嫌で、何かを変えたかった。それで応募したのが、NHK厚生文化事業団が主催されていた「障害福祉賞」だった。
身体から前向きな言葉をかき集めて書いた作文。言葉を紡ぐ勉強なんて一度もしたことのない私の文章に光を当ててくれたのが、当時、選考委員だった北岡賢剛さんだった。障害福祉賞の「優秀賞」を受賞した。
自分の書いた文章が、こんな大きな賞をいただくなんて思ってもいなかった。そして、私たち夫婦は、「ハートネットTV」にも出演することになった。誰にも分かってもらえないと思っていた「高次脳機能障害」という言葉と、夫(いっちゃん)の姿がテレビから流れた。
自分の中に閉じ込めていた思いが、少しずつ外の世界につながっていった。時はコロナ禍の真最中。世の中が暗いニュースばかりだったあの頃、私たち家族は、これからを生きていくための大きな力をもらった。
そして、秋も深まったある日、一本の電話が鳴った。電話の向こうの女性がこういった「2月にある文化庁が主催をする日本博のステージに出ませんか?」それがどれほどすごいことなのか、当時の私は1ミリも分かっていなかった。
「なんで夫(いっちゃん)なんですか?」と尋ねると、女性は言った。
「北岡さんが、是非にいっちゃんをステージにと探し当てたんです…」後から聞いた話では、そのステージにいっちゃんを呼ぶために、関係者が文化庁まで行って掛け合ってくださったという。そして迎えたステージ当日。
私たちは、そこで初めて北岡賢剛さんに会った。「白井さん、ありがとう」と、スーツ姿の紳士がそう言った。いやいや、ありがとうは私たちです。
とても緊張したし、とても恐縮した。でもその時、北岡さんの瞳の奥にじんわり温かいものを感じた。あのころの私には、人生の後半にこんな未来が待っているなんて、想像もできなかった。
「こんなはずじゃなかった人生」を、いつか「この人生でよかった」と思えるように歩いてみようと思えた。そう思えるきっかけをくれたのが北岡さんだった。
その後、滋賀で開催されたアメニティーフォーラムでの大西暢夫カメラマンの「120人の肖像展」でも、私たち夫婦が表紙に選ばれた。私たちが夫婦というだけではなく、ケアラーという存在にも光を当ててくれた写真展。支えている私たちが、ちゃんと笑っていられる。
そんな世の中じゃなくては、おかしいよねって。この写真展は、自分の人生も大切にしたい。それは、決してわがままなことじゃない。そう教えてくれた。今、私は障害福祉の仕事をしている。
「高次脳機能障害」という、目には見えにくく、周りにも理解されにくい障害で苦しんでいる人たちの力になりたいと本気で思っている。そんな自分になるなんて、昔は考えられなかった。
そう思い続けた10年間だった。それが今では、この障害と向き合う人たちの力になりたいと本気で思っている。人生の後半になって、こんな壮大な目標を見つけられるなんて。
何かあったとき、迷ったとき、信じられる言葉、そう思える人に出会えたことは、私たちに神様がくれたご褒美だと思ってる。
それは、私たちにとって、静かに、大切にしていきたい宝物です。
