「今ここ」という考え方は、人を助けることがある。
過去への後悔や未来への不安に強くとらわれているとき、意識を現在へ戻すことで、思考への集中が弱まり、苦しさが軽くなることがある。
瞑想などを通して思考が非常に静まり、時間感覚が変化したり、世界との境界が薄くなったように感じたり、深い安心感を覚えたりする人もいる。
こうした体験そのものを否定する必要はない。
その体験によって、実際に救われる人もいる。
ただし、
「そのような体験が起こること」と、「その状態を常に維持することが人間の理想であること」は別の話である。
本稿では、「今ここ」を人間が到達すべき絶対的な境地として扱わない。
普通に生活する中で、思考に強く飲み込まれたときに、自分と現実との接続を取り戻すために使える一つの道具として捉える。
ここで重要なのは、「今ここ」を感じること自体を目的にしないことである。
本稿で扱うのは、
思考に飲み込まれる ↓ 体に意識を戻す ↓ 自分の状態と現実を確認する ↓ もう一度、自分で選択する
という一連の流れである。
これを本稿では、
「接続回復フレーム」
と呼ぶ。
「今ここ」は、このフレームの中で使う一つの手段である。
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問題は「思考すること」ではない
「今ここ」を実践しようとすると、
「思考してはいけない」
「過去や未来について考えてはいけない」
「思考が出たら今ここから外れている」
と考えてしまうことがある。
しかし、人間は普通に考える。
過去を振り返る。
未来を予測する。
予定を立てる。
人の気持ちを想像する。
問題の解決方法を考える。
これらは、生活するために必要な機能でもある。
仕事をし、人と関わり、予定を立て、生活を管理しながら、思考を完全になくした状態を維持することは現実的ではない。
さらに、思考をなくそうとすると、
「また考えてしまった」
「今ここにいられているだろうか」
「もっと無にならなければ」
という新しい思考が始まることもある。
つまり、
思考をなくそうとすること自体が、新しい思考の課題になり得る。
問題なのは、思考があることではない。
問題になるのは、思考が自分にとっての世界のほとんどを占めてしまうことである。
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「思考に飲み込まれる」とはどういう状態か
思考に飲み込まれている状態とは、単にたくさん考えている状態ではない。
たとえば仕事について何時間考えていても、必要な情報を調べ、現実を確認しながら判断しているのであれば、それ自体に問題があるわけではない。
ここでいう「飲み込まれる」とは、頭の中で作られた予測や解釈が、現実そのもののように感じられる状態を指す。
たとえば、
「失敗するかもしれない」
という予測が、
「自分は失敗する」
という確定した事実のようになる。
「嫌われたかもしれない」
という推測が、
「自分は嫌われている」
という現実のようになる。
「自分はダメだ」
という思考が出たとき、
「今、自分をダメだと考えている」
ではなく、
「自分はダメな人間である」
という自己定義になることもある。
つまり、思考との一体化には、
思考を現実そのものとして扱うこと
と、
思考を自分そのものとして扱うこと
の両方が含まれる。
この状態では、同じ問いを繰り返し考えたり、結論が出るまで行動できなくなったり、現実に起きていることより頭の中の推測の方が強く感じられたりする。
また、
「自分は今どう感じているのか」
「自分はどうしたいのか」
といったことも見えにくくなる。
ここで見るべきなのは、思考の内容が正しいか間違っているかだけではない。
思考だけが、自分の世界のほとんどを占めていないか。
まずそこを確認する。
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本稿でいう「今ここ」は、体に意識を置くこと
では、思考に飲み込まれたときに何をするのか。
本稿では、「今ここ」を非常に単純に定義する。
今ここにいるとは、思考を無にすることではなく、体に意識を置くことである。
思考は残っていてよい。
未来について考えていてもよい。
過去について考えていてもよい。
不安があってもよい。
何かを判断していてもよい。
そのまま、体にも意識を置く。
つまり、
思考だけではなく、思考と体の両方が意識の中にある状態
へ戻す。
どちらに何割の意識を置くかを考える必要はない。
重要なのは、
意識が頭の中だけに偏っていないこと
である。
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なぜ「体」なのか
思考は時間を自由に移動できる。
昨日の出来事を何度も思い返すこともできるし、十年後について想像することもできる。
一方で、今感じている体は現在にある。
そのため、体に意識を置くことで、思考だけに集中していた状態にもう一つの足場ができる。
ここで、
「思考を手放そう」
「思考から離れよう」
「思考を観察しよう」
と努力する必要はない。
思考そのものを直接操作するのではなく、
体にも意識を置く。
それによって、思考だけに占領されていた状態から少し距離が生まれやすくなる。
もちろん、体に意識を置けば必ず思考が静かになるわけではない。
強い不安や反芻がそのまま残ることもある。
それでも、意識の中に思考以外の感覚が戻れば、思考だけがすべてになっていた状態とは少し変わる。
それでよい。
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過去や未来を考えていても「今ここ」にいられる
思考の内容が過去や未来に向いていること自体は問題ではない。
たとえば来年の仕事について考えていたとしても、体に意識があり、現在の自分の状態や目の前の現実も認識できているのであれば、現在との接続は残っている。
反対に、目の前で食事をしていても、過去の出来事についての反芻に強く入り込んでいれば、意識の大部分は思考に占められている。
したがって重要なのは、
何について考えているかではなく、現在の体や現実との接続が残っているかどうか
である。
過去を振り返りながらでも、未来を計画しながらでも、現在との接続は保つことができる。
