『40代、生き辛さの正体を見つめて』「どうしてこんなに、毎日生きるのが苦しいんだろう」
40代を迎え、ふと立ち止まった時、胸の奥にある鉛のような重みに気づくことはありませんか?
周りの人のちょっとした不機嫌、強い口調、視線……それら過剰なほどに察知してしまい、心が擦り切れてしまう。
世間ではそれを「HSP(非常に感受性が強く敏感な気質)」と呼びます。
でも、私の生きづらさは、生まれ持った気質(HSP)だけが原因ではありませんでした。その根底にあったのは、幼少期に過ごした「家庭環境」という、逃げ場のない檻だったのです。
40代になってようやく見つけた「ありのままの自分を取り戻すための心の調律法」を綴ったものです。もし、あなたが今「生き辛い」と感じているならご覧下さい。
『家族の中で「盾」となった幼少期』
思えば、私は幼少期から感受性が豊かで、とても大人しい子供でした。
そんな私の気質を、さらに「過敏」に、そして「臆病」に仕立て上げたのは、毎晩繰り広げられる家庭内の嵐でした。
我が家の夕食の時間は、一言で言えば「地獄」でした。
お酒が入った父親は、毎晩のように怒鳴り散らし、物を壊し、時には暴力を振るいました。一晩中、仕事の愚痴を吐き出し、悪態をつく。
その理不尽な怒りのエネルギーを受け止め、お酌をし、機嫌を取り続けなければならないのが、一人っ子だった私の「役目」だったのです。
別室にある台所から、母親は絶対に出てきませんでした。
信じられないかもしれませんが、私は未だに、母親と一緒に食事をした記憶が一度もありません。
「お母さんにまで暴力が及ばないように」
「私が父の聞き手になれば、母を守れる。この家がバラバラにならずに済む」
恐怖で震えながらも、私は必死で家族の「盾」になろうとしていました。まだ、小学校低学年の子供だった私には、そうする事で家庭が崩壊しないように守りたかったのです。
当時は子供ですから、これが「異常な家庭」だとは気づきませんでした。「どの家庭の父親もこうで、子供は耐えるものなんだ。養ってもらっているのだから、我慢しなきゃいけないんだ」と、自分で思い込んでいたのです。
『人格の土台となる小学校低学年と胃潰瘍』
そんな環境が毎日続き、小さな子供の身体に影響を与えないはずがありません。
私は小学校低学年にして、ストレス性の「胃潰瘍」を患いました。常に大人の顔色をうかがい、自分の思ったことは何一つ言えない。恐怖心に支配された毎日。
本来の人格形成の土台となるはずの幼少期に、「人に逆らってはいけない」「自分の意見、発言が出来ない」という感情が刷り込まれてしまいました。
『生き辛さを手放して、健康的に生きるヒント』
長年かけて作られてしまった「生き辛さのトラウマ」は、簡単に変えることはできません。私も精神面、肉体面で多くの病気や怪我と戦ってきました。
しかし、私は自分なりのマインドセットを行い、医師から処方されていた薬を手放し、健康的に生きる事を選びました。
ここからは、私が実践している「薬に頼らないメンタル回復法」「心を壊す人間関係からの逃げ方」「自分を救うマインドノートの作り方」など、今日からできる具体的なステップをご紹介します。
過去は変えられません。でも、これからの生き方は、今この瞬間から変えられます。ありのままの自分を許し、健康的に過ごすヒントをお伝えします。

