「激レアさんを連れてきた。」への出演で、令和に生きる縄文人、雨宮国広さん(縄文大工)が話題になってます。
縄文大工とは、縄文時代と同じように石斧だけを使っていろいろな物を作ったりする大工の事です。
雨宮国広さん自身も縄文時代の人と同じようないでたちで生活をしています。
雨宮国広の経歴
雨宮国広さんの経歴は、1969年生まれの建築家・大工です。
山梨県山梨市にある山梨県立日川高等学校を卒業しました。
その後、丸太の皮むきのアルバイトをしたことが契機になり大工の世界に入りました。
しかし、、日々自然の木を切り倒す事に疑問を感じ始め、毎日木を切っているうちに「森には限りがある」と思うようになります。
その後、社寺文化財や古民家の修復の仕事に携わることによって、昔の職人の手仕事の素晴らしさのに感動します。
そして、2009年に石斧と運命の出会いを果たします。
その時に「石斧と一生付き合う」と思ったようです。
石斧だけを使い、機械を使わないという「縄文大工」の石斧大工が誕生しました。
雨宮国広の功績
東京都立大学の山田昌久教授と共に、能登半島の真脇遺跡で縄文住居の復元に石斧で携わりました。
石斧を使いこなす専門家が雨宮国広さんしか居なかったという事で白羽の矢が立ったのです。
その後、国立科学博物館の日本人のルーツをたどる「3万年前の航海徹底再現プロジェクト」では、台湾から与那国島へ渡る丸木舟を石斧だけで作りました。
その丸木舟で、台湾から与那国島まで無事に横断しました。
しかし、現在は、縄文大工だけで生計を立てるには至ってないようですが、なかなか思い通りに扱うのが難しい石斧等の「手道具のよさ」にはまっているようです。
2021年の8月から2023年5月にかけて、今までの仕事を生かしてのプロジェクトとして47都道府県での体験教室を計画中!
「宇宙船地球号に乗ってる【すべての】生き物たちが【楽しく・仲良く・面白く】暮らせるっていう「ものづくり」をしていきたい」ということが、雨宮国広さんの信念です。
雨宮国広の家族と自宅
「激レアさんを連れてきた。」によると天雨国広さんは、バツイチで娘さんが一人いるようです。
離婚の原因は、雨宮さんが縄文小屋に住み始めた為だとか・・・。
雨宮国広さんの自宅は、石川県甲州市内に手道具のみで自作したわずか3畳一間の縄文小屋です。
その暮らしぶりや身なりは、縄文時代の縄文人そのものです。
着ている服は、食料として狩った動物の毛皮を身につけています。
囲炉裏に火を起こし、調理もしますし、お湯も沸かします。
ちなみに、「激レアさんを連れてきた。」によると、同じ敷地内に奥さんもお母さんも住んでいるようで、良好な関係だとの事です!
雨宮国広さんの本
「ぼくは縄文大工石斧でつくる丸木舟と小屋 」(平凡社新書) という著書も発行されています。