津別町のNさん
銀シャリ坊主
「回転寿司」と店の看板にはこれ見よがしに記されているが店の経営者がほとほと「どケチ」な性分であり、それだけならまだしも全てにおいての行動力が皆無に等しく、親から受け継いだ遺産と会社のおかげで己の人生の大半を成り行き任せの人任せで過ごして来た典型的な二代目ボンボン社長の性悪糞ジジィである。
俺自身が二十五回以上の転職を繰り返しているので、ありとあらゆる経営者の面々に仕えてきたがこの寿司屋の経営者は「甲斐性」と言う三文字には一切無縁であった。
ここまで偏屈で道理の理解出来ない俺より十五も歳上の大人に出会った事は人生の中では今の今まで一度も無い。それでいて俺の妻の伯父にあたる人物である。出会いの大外れである。
俺の落胆ぶりを例えるなら中山競馬場で開催される土日併せて二十四レース中全てのレースから的中率が最も高い「複勝馬券」、しかも当日一番人気の馬を一頭だけ選んで全レース分購入しても全てが外れたような気分である。まさしく期待外れの大損である。
仮にタイムマシーンと言う時空と空間を自由に往来する事が可能な素晴らしき想像上のトラベルマシーンが存在するならば乗車運賃が「エミレーツドバイ行きファーストクラスのチケット代」を上回っていたとしても全精力を注ぎありとあらゆる金策を用いて完璧なる搭乗を遂行して一目散に就職前の過去に逆戻りし出勤前夜の自分自身を全力で阻止する事になるであろう事は間違いないのだ。
冒頭からこの様な書き出しで何が言いたいのか?
実は回転寿司のメインとも言える部分。つまり回転レーンのベルトが故障したままのである。
恥ずかしながらピクリとも動かない。
季節がらこの状況を例えるなら、来店された客は開花発表された桜の木の下で、よもやの花を咲かせない桜の木の下を選んでしまい、これまた桜の花を咲かせない枝を見ながら寒風に身を晒されながら冷きった口当たりの悪い鶏の唐揚げを食べているような惨めな気分であるに違いない。
「回転寿司」を名乗っているのにも関わらず店の回転レーンは全くをもって不動なのである。これには働く側も来店する側も惨めな気分になるしかないのである。
四次元ポケットから様々な秘密道具を取り出し活用するから国民的アニメの猫型ロボットなのである。これで四次元ポケットが無かったらオチもつかない。卑しいどら焼き好きの中古の猫型ロボットが毎回ねずみにビビリ散らかす話しで終わるのである。
「回転寿司」と言えば回転レーンがメインでもあり様々な寿司とアラカルト商品が流れるから「回転寿司」を名乗れるである。現状寿司が流れるはずの回転レーンは不動のままで寿司のメニューと価格が記された簡素で質素なうえにチープな手書きのミニポップが所々やる気無く置かれたままである。もはや日本の外食産業に多大なる影響を与えた「回転寿司」の威厳はここには一ミリも無い。
再度言う。ピクリとも動かない。お恥ずかしい限りである。
話は変わるが「孫の中でお前が一番可愛い」と、俺に言ってくれたのは亡き母方の祖母。そんな祖母が俺の職場の現状を見たら「情けない」と嘆き悲しむのは想像に難く無い。仕えた殿が惚け物だと仕えの身も世間様からの目に対する気苦労が絶えないものである。
下剋上が成立する一番の原因は部下が上司に対し不満とストレスを感じる事であり、お互いがお互いへのリスペクトが無くなった瞬間が決定打となるように思う。
このような出来事はチョンマゲ以前の時代から存在しており、不満へのパーセンテージが権力者の持つ強さと拮抗したり更には上回った結果が下剋上?と、感じられずにはいられない。時を経てこのイライラ感は現代社会において今もなお受け継がれているのである。あなおそろしや。
下剋上時代から現代に話を戻す。
巷では(回転寿司って名乗ってるけどよぅ。レーンが止まったままで回転してねーじゃんかよぅ)と、失笑され狭い町内会では常に噂のマトである。俺自慢の怒り肩がいつの間にかなで肩になってしまうほど肩身が狭い。
恥ずかし過ぎて日々のルーティーンでもあった近所の「セイコーマート」に立ち寄り、大のお気に入りでもあるホットシェフのフライドチキンも買えなくなってしまう有様である。この悔しさと惨めさは北海道が産んだ一番星のタカ&トシにセイコーマートで爆買いをしてもらい俺の無念を晴らしてもらいたいものだ。
実は先日までお茶を作る為の客席に設置された給湯機さえも故障したままであった。約一年近くの歳月をかけ最近ようやく修理された。
ちなみに修理する前までは物置から引っ張り出した家庭用保温ポットにキッチンで沸かせたお湯を入れ、それを客に使わせると言う前代未聞の暴挙を一ミクロンの恥も無く実践させた驚くべき厚顔無恥的な思考回路の持ち主の経営者夫婦である。
海の家でさえここまでの低サービスを提供された事は無い。
決して儲かっていないわけでは無い。経営者が夫婦ともに揃いも揃って「どケチ」な性分で「卑しい」のである。そのくせ自身の気になった物への執着心と購買意欲はたいした物で独裁国家の首席や大統領のそれさえをも凌駕する。
俺の母方の祖母の血筋が武家の出だと幼少期に散々聞かされているので「仁・義・礼・智・信」の五常と「品性」の二文字は徹底的に叩き込まれ人格形成で多くのウェイトを占めている。
こうまで書くと俺の事をさぞ立派な人物像に見立てて錯覚をおこされる方々も出現するかもだが実のところは正反対の生き方をして来たので自身誇れる物は皆無であり世間一般の皆様の方が俺より格上である事をあらかじめお伝えしておく。
時は令和。
俺が引き継ぐであろうウィスキーの水割りの如く薄くはなったが武士の血筋も現在の職場の影響で面影が全く無くなってしまったのである。ここまでの文を読み返したが我ながら情けない。おそらく今晩は枕を涙で濡らす事になるであろう。
しかしながら冒頭でも述べた通り経営者が「どケチ」なのである。100人の回転寿司経営者がいたならば99人が早急に修理屋を呼び出し1分1秒を争い止まったままのレーンを動かす事に全力を注ぐ事になる。
俺は100人中「常識人99人」では無く残りの「非常識1人」が経営する店を修業先に選んでしまった。これは砂浜で紛失したお気に入りのピアスを偶然見つけ出すに等しい奇跡的な確率だと感じられずにはいられない。
このように「公私」の「公」の部分では世間一般人が到底経験しないような状況はこれでもかっ!と言うほど引き当てるのだが「私」の部分ではささやかな趣味でもあるギャンブル、特に競馬に関して言えばからっきしなのである。
ここ数年は不遇の頂点に達しつつあると思う。なんせ「よーし見てろよっ!!このレースはアイツでとあの馬で鉄板だぜっ!!」と、意気揚々大枚をはたいて購入した馬と騎手が手応え抜群のままレース中盤から後半に差し掛かり「よっしゃーっ!!!このままぁーっ!!!もらったぜっー!!!」と俺の大絶叫の瞬間と同時にラチに接触落馬してしまい一秒もかからず違った意味で大・大・大絶叫を発する始末だ。
あの日は心底3年分は叫んだと思う。血痰が十数年ぶりに出た日でもあった。
「2015年第56回宝塚記念・G1」単勝1.9倍1番人気のゴールドシップがスタート直前にゲート内で立ち上がり強烈な出遅れを競馬ファンに見せつけ、実況の細江女史が思わず「きゃぁぁ!!!」と、生中継であるのにも関わらず叫んでしまい、また彼の単勝馬券を山盛り購入した全国の馬券購入者を「ギャァァァァ!!!!」「グワァァァァ!!!!」と、叫ばせ一気に奈落の底に叩きつけた時と被るような状況もここ数年個人的には一度や二度ではすまないのである。
なんとかクスブリから脱出し「私」の部分でも低確率の高額払戻しを引き当てたいものである。切実な気持ちを書き殴っている事をご了承願いたい。
津別町のNさんが久々に来店されたのは回転レーンが故障した当日に来店されたので良く覚えている。
このNさん80代のおじいちゃんなのだが気持ちが若くて腰もさほど曲がっていなく「声の張り」がとても良い老人だ。
干からびたラッキョのような顔立ちで細身の風体だが声が大きくはっきり言葉を発するので年がら年中「ゴニョゴニョ」「ムニャムニャ」と、前歯2.3本の何を喋っているのか聞き取れ無い老人客を相手にしているのでNさんのような存在は貴重である。介護施設で働いている方々は俺の気持ちは十分理解してくれるはずだ。
ところでこの当時のNさん。実は愛する奥様を数か月前に亡くされている。
半年前まではご夫婦揃って来店されてたのだがある日から一人で顔を出すようになったのだ。伊達に日々老人客を相手にしているわけでは無い。伴侶の片方が見えなくなる場合は高確率で「介護施設への入居」「片方が寝たきり片方が介護の老々介護」そして「長年連れ添った伴侶が亡くなる」の3パターンに行き着くのである。
もともとNさんがご夫婦で来店されてた時はそんなに会話はしなかった。どちらかと言うと注文された寿司を握って一通り食べてもらう「簡単な客」だった。勘違いしてもらいたく無いので一言付け加えると「ご夫婦揃って仲良く食事をされに来てた」って事だ。こちらからご夫婦の会話に割って入る行為自体が野暮である。
そんなNさんが一人で初来店された時に俺の顔を見た途端言ってきた。
「女房が死んじまったよ!俺を残して死んじまった!」
泣くのを堪え無理をしながら気丈に振る舞う姿に俺は戦後の日本を復興させ今では残りも少なくなりつつある終戦直後昭和世代の「男」の姿を見たような気がした。
恰好つけた物の言い方では無い。
戦後何もかも失い焼野原時代の過去が日本には確かにあったのだ。Nさん夫婦世代の方々は揃ってお互いを支え合い、助け合い、励まし合いながら足並みを揃え生きてきたのだ。そして日本を復興させた。
時代背景を考えれば夫婦の愛と言う形が現在の物とは比べ物にならないほどの重さと価値があったのだろうと感じられずにはいられない。
話が少しばかり脱線する。
俺には歴史上の人物で絶対的に尊敬する偉人が二人いる。
一人は江戸城無血開城の「勝海舟」
一人は葬式無用戒名不要の「白洲次郎」
二人に共通するのは戦の後処理を持ち前の度胸と辣腕で相手側の無茶な要求をギリギリの線で回避し庶民国民を守ろうとしたところだ。Nさん世代は「白洲次郎」が陰ながらアメリカからの無茶ぶりを寄せ付けず日本と言う名の島国と国民の尊厳を必死に保とうと暗躍していた時代の頃の若い世代でありNさん世代の方々はその後自分達に出来る事を精一杯やり遂げ日本を復興させたと俺は勝手に思っている。
話を戻す。
ともかくはっきりと大きな声で喋る老人である。その時は悲しげなトーンも加わり俺自身も他人事とは思えなくなってしまった。恰好をつけるわけでは無いが五常の「仁」と言う字が俺の脳裏をよぎった。様々な捉え方はあるが簡単に解釈すれば(人を思いやる事。人を愛する事)である。
(そうかそれは辛いよな。じいさん。あんたをほっときゃ俺も後味悪いよ)
(じいさん。俺みたいな若造に辛い気持ちをよく打ち明けてくれたよな)
(じいさん。店にいる間俺はあんたを身内と思っ徹底的に接するぜ)
この日もそうであったが、とてつもなく愛妻家だったNさんにとって奥様が自分の前から、そしてこの世からいなくなってしまった事は大変ショックな出来事であり来店されるたびに自分の悲しい気持ちを俺に吐露されていた。
「毎日毎日仏壇の女房に早く迎えにきてくれって言ってんだよ」
「あんな広い家に一人で住んでいても寂しいんだ」
「なんで俺だけ残していくんだよ」
「自然に涙が流れてきちまうんだ」
よほど悲しいのだろう。だが、俺もNさんを身内と思うようにしたのである。ここで落とすわけにも邪険に接する気もさらさら無い。歳の差こそあれど俺も男である。人生の大先輩に生意気なのは百も承知である。
「Nさん。奥さんは上からそんなに自分の事を愛してくれた旦那さんの事を見ていて絶対喜んでいるはずだよ。だけどさ。自分がいなくなったせいで弱気になっている旦那さんも同時に見てるから安心して成仏出来ないんじゃねーかな?」
「奥さんは上から絶対にNさんの健康と長生きを願ってるはずだよ。だって孫も息子も娘もいるでしょ?血の繋がりは全然あるし天涯孤独ってわけでもないよ?ここでNさん弱気になって死んでごらん。息子、娘、孫まで後味悪りぃーぜ?俺がNさんの孫だったら爺さんが弱気になって病気になって死んだら違った意味で悲しくなるよ?俺は血縁者じゃねーけどやっぱりNさんに何かあったら他人事じゃすまなくなるぜ?」
「辛いと思う。こればっかりは本人じゃねーから軽々しく言えねーけど本当に悲しいと思うんだ。だけどさ、俺はNさんと知り合って勝手に客と店員って境界線を気持ちの中では軽く飛び越えてんだ。もう他人事じゃねーんだよな。俺の気持ちも分かってくれねーかな?俺が休みの日にはNさんから連絡くりゃ喜んで将棋でも指しに行くぜ?」
こんなやり取りを1年近く続けた。
我ながらNさんが来た日は勝負の日でもあった。
Nさんに低確率は引かせない。
絶対に高確率を引かせて残りの人生をハッピーに過ごしてもらいたい。
結果Nさんは弱気な言葉を発しなくなった。
Nさんに笑顔が戻ってきたのだ。
やはり実の父を放っておくわけも無く、身体壮健、意気軒昂、豪放磊落、などの四文字熟語がモンクレーの服を着たようなナイスミドルのご子息夫妻が数か月に何度かNさんと一緒に来店されるようになった。それと同じくしてご子息夫妻の娘さんでありNさんのお孫さんである、容姿端麗、一笑千金、才色兼備、珍魚落雁、花顔雪膚、などの四文字熟語がこれまたクリスチャンディオールのドレスを身にまとったような年頃のお嬢さんと数か月に何度か来店されるようになったのである。
ちなみにだがこちらのお嬢さん近頃結婚を視野に入れた同棲生活を彼氏さんとするらしい。その話を聞いた瞬間俺は不覚にもショックを受け唐突に目まいに襲われた。と、同時にカウンター内に立っているのにも関わらず太腿が攣ってしまった。馬券で例えると馬単馬券の大的中である。一着「目まい」二着「太腿が攣る」これ以上の物は無い。
「時期に娘も彼氏と一緒にこちらに伺うと思いますので!よろしくお願いしますね!」
Nさんの息子さんでお嬢の父親でもあるナイスミドルからこの言葉を頂いた時には目の前が真っ暗になった。例えるなら無印大穴の「彼氏を連れて来る」が長いながーい写真判定の結果見事三着に入線し驚きの三連単500万馬券の大的中のようなものである。夏の中央競馬ローカル開催でも滅多にお目にかかるのは難しいレベルである。
私的感情が剝き出しになってしまった文面を綴った事に対し陳謝する。
ところでNさんの実の妹さんまで兄であるNさんと兄妹でご一緒に来店するまでになりNさんの娘さんまで年に数回はNさんNさんの妹さんとご一緒に来られるようになった。
(な?Nさん一人じゃないだろ?元気なまんま長生きしてくれよな)笑顔で寿司をつまむNさんを見て心の中で俺もそう呟いた。
ちなみにNさんの娘さんは窈窕淑女という言葉がしっくり来る高級クラブのママのような容姿であり俺が客ならボトルを確実に3本は入れるような美人である。
もう悲劇の妄想馬券の大的中は懲り懲りなので私的感情は文章化しない。
悪気は一切無いが俺が出会ったNさんは「干からびたラッキョ」である。しいて言うなら芸能人の「なべおさみ」をギューっと立て伸ばしにして頭髪を薄くしたイメージがしっくりくる。しかしながら血縁者は皆全て俺が見たところ所謂「イケメン&美女」である。
俺の好きな競走馬で2013年に引退し今では種付けで忙しく馬体がだらしなくなった「オルフェーブル」と言う馬がいるのだが彼の現役時代の画像や動画を見るとてつもなく恰好が良くハンサムである。Nさんも若い頃はさぞかしイケメンだったのであろう。Nさんを競走馬に例えるのは誠に失礼だがこれしか例えようが無い。
「血統」は偉大である。Nさんはご夫婦は孫の代まで「イケメン・美女」を排出する奇跡の「血統」保持者だったのである。Nさんがいつ来ても失礼の無いように明日もNさんの大好物であるシャコの仕込みをする予定だ。
ついでにピクリとも動かない回転レーンの代わりに故障知らずの俺のアゴをフル回転させて来店客を楽しませてあげないとね。今回はここまで。
