自己紹介Tips
パチくん
はじめに
年始に自分の人生を振り返り、理想の人生を手に入れるための努力をするために少し自分語りさせてください。こんな自分の人生を読んで少しでもやる気を出してもらえたら幸いです! 恥ずかしい内容しかないですが、できるだけ正直に書きます。身バレしないように若干のフェイクは入れますが、99%は事実です。
幼少期 ~小学校受験まで
そもそも小さい時は、かなり爆イケだったと思います。原宿を親と歩けばスカウトされまくり、子役事務所にも所属していました。空手などにも取り組み、幼稚園でもガキ大将で幅を利かせていました。モデルや子役のギャラで仕事終わりに毎回プラレールを買ってもらったのは、今でも覚えています。
しかし子役やモデル活動は、小学校受験のタイミングで辞めることになりました。小学生にもなって、学業との両立は難しいという親の判断だったのでしょう。
そして臨んだ小学校受験は何故か落ちて、公立の小学校に進学することになりました。原因としては成績は悪くなかったものの、幼稚園と小学校の経営母体が同じだったこともあり、幼稚園時代の素行が悪かったことが影響しているかもしれないと今になると思います。ただ当時は何故落ちたのかも分からず、仲が良かった友人と離れて1人公立に進学することが、かなりしんどかった思い出があります。
小学校時代
小学校に入学すると、そこはまさに別世界でした。今までの自分の常識は通用せず、足が速いヤツがモテる世界。勉強と空手だけはできた自分は、どちらかというとナード寄りのポジションを取るようになりました。しかし、サッカーを始めたことで熱中することを見つけ、ある程度は楽しい小学校生活を過ごしていました。
小学5年生の事件
そんな中、小学5年生の時に事件が起こります。突然、自分の初恋の女の子が転校することになったのです。その時、ものすごい喪失感に襲われました。
その女の子はクラス全員に手紙を書いていましたが、自分への手紙はわずか2行ほど。対して、彼女が好きだった男の子には連絡帳のページを埋めるほどの長文で手紙を書いていたのを覚えています。4~6人のグループで一緒に遊んでいたのに、好きな男とそうでない相手では、こんなにも扱いが違うのかとショックを受けました。しかも、その子自体は本当にいい子で、意図的に差別をするタイプではなかったので、余計にショックでした。
小学6年生 ~初めての挫折
そんな事件を終え、小学6年生に。新しく好きな子ができたのですが、今考えると前回の喪失感や悔しさを払拭するため、誰かを無理やり好きになろうとしたのだと思います。
そこで前回の反省を活かそうとして、果敢に告白しました。ですが、告白の仕方が最悪でした。当時LINEが流行っていたこともあり、何を血迷ったのかLINEで告白。結果は想像のとおり失敗。しかも、告白された女の子が男友達や女友達に相談したことで、学年のグループラインにも晒され、いじられまくることになり、自分のカーストは最底辺まで落ちました。
この時から「弱い男は淘汰される」ということを痛感すると同時に、女性へのトラウマも発症しました。
中学校時代
そんな雑念を振り払うため、全てに全力で取り組み、中学受験も考えていた時期がありました。しかしサッカーに集中したかったため、中学受験は辞めさせてほしいと親に直談判。サッカーでは努力を続け、結果もついてきていました。
環境の変化と燃え尽き
こうして中学校に入学。同時に環境も変わり、世代別の代表選手と一緒にサッカーする機会にも恵まれます。この頃はサッカーにフルコミしてかなり熱量高く努力していました。しかし徐々に、努力すればするほど怪我も重なり、圧倒的な力の差を痛感する場面が増え、サッカーへの熱量は落ちていきました。
そうなると燃え尽き症候群の完成です。サッカーにコミットしていたせいで勉学は疎かになり、成績や内申点もかなり落ち込んで、何もやる気が出なくなりました。そんなタイミングで、前から自分に好意を持ってくれていた女の子と付き合ったのですが、自分の精神が荒んでいたこともあり長続きはしませんでした。
その子は近所ということもあり、自分の内面を好きになってくれたのだと思いますが、当時の自分は「ニキビ短髪天パ」のクソブスで、怪我をしてサッカーもしない、成績も低く性格も荒んでいる——そんなゴミカスのような状態でした。一方で相手の子は愛想も良く、学校で一番可愛いと言われるレベルの子。周りから見ればとにかくアンバランスなカップルだったわけです。
当然、周囲は陰口を言うもので、めっちゃイケメンで文武両道の友達には面と向かってボロクソに言われたこともあります。「お前には釣り合わないから俺に寄越せ」的な内容です。
この頃には全てが嫌になり、本当に無気力状態。高校入試もインフルエンザにかかりながら、ほとんど適当に受験しました。
高校時代
結果として第一志望の公立に落ちて、自称進学校の私立の高校に進学しました。そこは金持ちの人も多く、なぜか芸能系の人も多い学校でした。
自分は勉強もサッカーも外見も中途半端。それなのに中学の頃はサッカーがそこそこ上手かったことで、何とかカーストを確保できていた——という事実に気づかず、高校デビューというか再起を目指してイキりまくって全員から嫌われることになります。
変化のきっかけ
高校2年生のある日、幼稚園で仲良かった2人の友達が日比谷と開成に通っているという知らせを受けました。幼稚園の時は全く差がなかったのに、ここまで差が開いたのか…。一方の自分は何をしているんだ、と猛烈に苛まれました。その頃ちょうど学校でWakatteTVが流行っていたこともあり、さらなるダメージが加わります。
しかし、その知らせを聞いた当日から自分は努力を開始。一心不乱に勉強した結果、いろいろと良いことが起こりました。まずは自分の無力さを知り、謙虚になれた。それから勉学で偏差値40代から結果が出たので、クラスの仲間から一目置かれるようになり、居心地も良くなりました。
↓偏差値40代から考えると中々頑張っている成績
大学受験の失敗
ただ、自分はかなり勉強に集中していたのに対し、周りは普通に遊んだり、女の子と一緒に過ごしたりしていました。今思えば、自分はそれがただ羨ましくて嫉妬していただけでしたが、その「絶対負けない」気持ちを原動力に努力していました。
とはいえ、高校生なので割り切れない部分もあり、こっそり女の子と遊ぼうとネット経由で何人かと会うことに。ところが話しているうちにボロカス言われてしまいます。そりゃそうです。当時は勉強に集中するために、ストレスからの暴食デブ、シャワー時間の短縮のための丸坊主、スキンケアゼロのニキビ肌、ホクロまみれの化け物みたいな外見。そのうえ女慣れしていないオドオドしたヤツが相手では相手も最悪ですよね。
この経験で周りの目が怖くなり、自習室などにも行きづらくなってしまい、結果として大学受験には失敗。国立には落ちてしまい、私立大学に通うことになります。
↓当時の写真
大学生活と仮面浪人の葛藤
大学入学当初は学歴コンプが拭えず、仮面浪人の勉強をするため図書館に直行する毎日でした。一方でインスタを見ればキラキラ過ごす同級生がいて、死にたくなるほどの気持ち。ここまでの人生を振り返って、何も成し遂げていないのに、楽しんでいる他人を見下している自分に気づき、「俺の人生どこで間違えたんだ」「受験は第一志望には全敗、サッカーも下手、顔もカッコよくない…」「女にも全く相手にされない....」「生きる価値あるのか?」と本気で考えるようになりました。
そうして好きだった哲学書やゲームなど、「こんなのやっても自己正当化にしかならない」と思い、無駄なプライドも全部捨て、仮面浪人用の参考書も全て捨て、「自分を受け入れること」から始めました。
外見改善との出会い
「俺の人生がうまくいかないのは何故か? 何が苦しめているのか?」と真剣に考えたとき、自己肯定感の低さや行動力のなさ、鬱屈した感情を放置していることが原因と気づきました。
「俺の人生での定数と変数は何か? 変数の中で俺が変えられるものは何か?」と考え抜いた結果、外見を最大化することに行きつきました。正確に言うと、外見を改善することの効用を享受したかったのです。
ここからは早かったですね。徹底的に美容について調べ尽くし、ダイエットを兼ねて出前館の配達パートナーを自転車で行い、バイクの人に負けないレベルの配達数を戦略と根性で達成して稼ぎまくりました。その稼いだ額を全て美容に投下し、PDCAサイクルを回し続けたのです。サッカーや勉強と違い、美容は調べれば調べるほど、行動すればするほど結果が出る。本当に楽しかった。
コンプレックス解消の期間
外見改善をひたすら進めた後、次にコンプレックスを解消する期間に入りました。そこでナンパ界隈を見始め、ストリートナンパやマッチングアプリを繰り返しながら、女の子の反応を見て外見改善を進める。多い時は週に10ほどアポを入れて、その合間でストナンし、実践&改善のループでした。
自分は外見改善に全振りしてからの活動だったので、結果が出るのも早かったです。しかし100即したあたりで大体のやり方を掴んでしまい、そこからは面白くなくなってしまいました。
ホスト経験とさらなる外見磨き
次はホストに挑戦して、イケメンの外見を分析しながらもっと女の子の扱いをうまくなりたいと思い始めました。実際に人目を浴びるのは本当に大事で、この時期に一番垢抜けたのは間違いありません。
初回でついても全く送りが取れないというのは、死ぬほど屈辱。外見改善への熱はさらに燃え上がりました。大学生バイトとしては週3~4の出勤で、最高小計100ちょいくらい。及第点かなと思います。この頃は大学→同伴→店→アフター→大学…を繰り返していて、死ぬかと思いました。
その後、ホストの体制が変わり初回が入らなくなったタイミングで辞め、自分で稼げるようになりたいと思って個人事業主として色んなことにチャレンジするように。ここで挑戦できたのも、外見改善のおかげで「なんでもできる」という無敵感が味方してくれたからだと思います。
起業とその後
起業もして、金銭面ではそこまで困らなくなりました。ここは興味ない方も多いと思いますし、身バレ防止の観点で詳しくは割愛しますが、金銭的余裕ができたことでさらに美容に投資し、知識と美しさを磨くサイクルを作ることができました。
すると、いろんな人と繋がりができて、仕事も女の子も紹介をもらえるように。質の高い人と付き合えるようになり、人生をもっと頑張ろうという思いに日々駆られています。自分は今が人生で一番充実しており、更なる努力を続けたいと思っています。
美容アカウントを始めた理由
ただし、外見改善やコンプレックス解消に集中していた期間はかなり金銭面が厳しく、コスメやファッション、美容医療にかなりの額を無駄にしてきました。加えて時間も相当浪費した。だからこそ、自分の趣味であり人生を変えてくれた美容を発信していきたいという思いで、このアカウントを今は動かしています。
正直、自分の実績や講習生の結果などを載せて「俺みたいになりたかったらこうしろ」ってマーケティングするのは簡単です。でも、本当に普段からツイートを読んでくれて、やる気ある人とだけ関わりたいので、あえて訴求要素は少なくしています。加えて、実績を書き記すことで周りの人間に不義理をすることだけは避けたいという思いはあります。ネットの承認欲求なんて全くなんの意味もありませんからね。ここまで読んでくれた賢い方ならお気づきかもしれませんが(笑)。
最後に
皆さんには、自分みたいに時間と人生を無駄にしてほしくはありません。ここまで書いていて思ったのですが、正直、自分は生きるのが下手すぎる。でも、そのおかげで今があると考えると、悪くないとも思えます。
もしここまで読んで、「こいつと一緒に人生好転させたいな」と思ってくれた方は、ぜひより近い距離で関わらせていただきたいです。サロンやTipsに関して質問あれば気軽に連絡ください。今後ともよろしくお願いいたします。
もし感想や意気込みなどあれば、書いていただけると大変励みになります。