【第1回】 なぜ私たちは「足す」ことばかり考えてしまうのか?
疲れが取れないから、栄養ドリンクを「足す」。 肌が荒れたから、美容液を「足す」。 将来が不安だから、新しい情報を「足す」。
この問いかけから始まった、新しい連載。
今日は、その「なぜ?」を、少し深く掘り下げてみたいと思います。
💻 「足りない私」を埋めるための日々
かつての私自身が、まさに「足し算」のループにハマっていました。
朝起きると、まず数種類のサプリメントを飲む。
日中は「ためになる」情報を追いかけ、SNSをチェック。
仕事が終われば「スキルアップ」のための勉強。夜は美容液を何種類も重ね付けして、「完璧なケア」をしたつもりで眠りにつく…。
当時の私は、何かを「足す」ことでしか安心できない、まるで穴の空いたバケツのようでした。
足しても、足しても、一向に満たされない。
「まだ足りない」「もっと頑張らないと」という焦燥感だけが募っていきました。
なぜ、あんなにも必死だったのか。
今になってわかるのは、私が本当に欲しかったのは「新しい美容液」や「すごい情報」ではなかった、ということです。ただ、「今の自分ではダメだ」という漠然とした不安から、目をそらしたかっただけなのかもしれません。
この記事を読んでくださっているあなたも、もしかしたら、かつての私と同じように、「何かを足さなければならない」という強迫観念のようなものに、少しだけ疲れていませんか?
🌊 「足し算」の正体は、「不安」という名のノイズ
私たちは、なぜこんなにも「足す」ことに駆られてしまうのでしょうか。 私は、その最大の原因が「不安」にあると考えています。そして、その不安は、現代社会が絶えず発し続ける「ノイズ」によって増幅されています。
1. 「あなたには、これが足りない」という囁き
テレビを、雑誌を、スマートフォンを開けば、そこには無数の「解決策」が溢れています。
「今、注目のスーパーフード」
「持っていないと損する最新ガジェット」
「この美容成分がなければ、あなたの肌は危ない」
広告も情報も、巧みに私たちの「足りない」という感覚を刺激してきます。
私たちは、そのノイズを浴び続けるうちに、「自分は不完全だ」と思い込まされ、それを埋めるために何かを「足さず」にはいられなくなるのです。
2. 「誰か」と比べてしまう、比較の罠
SNSを開けば、充実した他人の日常が目に飛び込んできます。キラキラした食事、完璧なキャリア、楽しそうな交友関係。
それに比べて、自分はどうか。
私たちは無意識のうちに「持っている誰か」と「持っていない自分」を比べ、そのギャップを「足す」ことで埋めようとします。
あの人と同じものを持ちたい、同じ経験をしたい…。
それは「自分が欲しい」のではなく、「あの人より劣りたくない」という不安が原動力になっているのかもしれません。
3. 「本当の心の声」から目をそらすため
そして、これが最も根深い理由かもしれません。
「足す」という行為は、とても手軽な「応急処置」です。
栄養ドリンクを一本飲めば、一時的に疲れはごまかせます。
でも、身体が本当に発していたサインは「疲れた。休みたい」ではなかったでしょうか。
肌荒れが本当に伝えたかったサインは「食生活が乱れているよ」「ストレスが溜まっているよ」ではなかったでしょうか。
「足す」ことに必死になるあまり、私たちは自分自身の内側から聞こえてくる、か細く、しかし最も大切な「心の声」を聞き逃してしまいます。
「休みたい」という本音に向き合うのは、勇気がいります。
「食生活を変える」のは、面倒かもしれません。
だから私たちは、手軽な「足し算」でその声に蓋をしてしまう。
「足す」という行為は、根本的な問題と向き合うことから逃れるための、最も簡単な手段になってしまっているのです。
👣 あなたの「足し算」は、何ですか?
この連載は、「引き算の旅」への招待状です。
「足す」ことが悪い、と言いたいわけではありません。
必要な知識や栄養は、もちろんあります。
けれど、もしあなたが今、「足しても、足しても、満たされない」と感じているのなら、一度立ち止まって、自分の「足し算リスト」を眺めてみてほしいのです。
「それは本当に、今のあなたに『必要』なものですか?」 「それとも、ただ『不安』だから、足そうとしているだけですか?」
この問いかけこそが、自分らしい人生を取り戻す「引き算」の第一歩です。
次回からは、いよいよ具体的な「引き算」の実践に入っていきます。
最初のテーマは、私たちの身体と心に最も直結する「食事」です。
「健康のために足す」ことから、「身体が喜ぶために引く」ことへ。
この旅に、よろしければもう少しだけ、お付き合いください。
(第2回へつづく)
