―100人を支えた元班長が、うつ病になって気づいた本当に大切なこと―
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プロローグ
会社は回る。でも、あなたの代わりはいない。
「うつ病です。」
診察室でその言葉を聞いた私は、医師の顔を見つめたまま動けませんでした。
すると続けて、こう言われました。
「今日、そのまま入院してください。」
頭が真っ白になると思っていました。
でも実際に最初に浮かんだのは、
「あと3時間しかない。早く帰って入院の準備をしないと。」
ということでした。
会社への連絡。
着替え。
必要な荷物。
不思議なくらい冷静でした。
今思えば、それだけ心も身体も限界だったのでしょう。
⸻
24歳で入社した自動車部品メーカー。
私は仕事が好きでした。
新しい仕事を覚えるのは誰よりも早く、異動してもすぐに戦力になる。
「あいつが欲しい。」
そう言われることが何より嬉しかった。
やがて班長になり、約100人規模の現場を任されるようになりました。
現場を止めないこと。
部下を守ること。
上司の期待に応えること。
それが私の仕事であり、誇りでした。
ある日、部下からこんなことを言われました。
「班長がいてくれたから、安心して仕事ができました。」
その言葉が、本当に嬉しかった。
私はその時、確信していました。
会社で必要とされることが、自分の価値なんだ。
と。
でも、その考え方が、少しずつ自分を追い詰めていたことには気づいていませんでした。
⸻
眠れない日が続くようになりました。
細かなミスが増えました。
人の話が頭に入らなくなりました。
それでも、
「働けているから大丈夫。」
そう自分に言い聞かせていました。
そして、うつ病と診断され、その日のうちに入院しました。
役職も。
キャリアも。
収入も。
当たり前だった毎日も。
一瞬で止まりました。
⸻
退院しても、私はすぐ復職できると思っていました。
「しっかり休んだから大丈夫。」
そう信じていたからです。
でも現実は違いました。
復職が決まった頃、嬉しい気持ちと同じくらい涙があふれる日が増えました。
「また働ける。」
そう思う自分と、
「本当に戻れるのか。」
という不安が、心の中でぶつかっていました。
私はまだ、自分が思っている以上に壊れていたのです。
⸻
もっと早く、
「無理です。」
と言えていたら。
班長を降りる勇気があったら。
きっと違う未来もあったと思います。
この後悔だけは、今でも消えません。
⸻
実は、この本を書こうと思った理由は、最初からこの経験を伝えたかったからではありません。
私は最初、副業やAI、noteのノウハウを発信していました。
でも、うまくいきませんでした。
売れませんでした。
その時、ある人に言われたんです。
「実績はありますか?」
その一言で、立ち止まりました。
私は何を伝えられる人なんだろう。
何度も考えました。
そして気づきました。
私は、うつ病になったことを誇りたいわけではありません。
でも、この経験だけは、誰かの役に立てるかもしれない。
仕事だけが自分の価値だと信じていた人間が、壊れ、迷い、それでも少しずつ人生を立て直そうとしている。
その過程には、同じように苦しんでいる誰かのヒントがあるかもしれない。
そう思ったのです。
⸻
もし今、この本を手に取ってくれたあなたが、
責任感が強くて、
「自分が頑張らないと。」
そう思いながら働いているなら、
どうか最後まで読んでください。
これは、うつ病を克服した人の成功談ではありません。
今も迷いながら、
今も転びながら、
それでも前を向こうとしている、一人の元班長の物語です。
この本を読み終えた時、
あなたが自分自身を少しだけ大切にしようと思えたなら、
それだけで、この本を書いた意味があったと思っています。
第1章
会社に必要とされることが、自分の価値だと思っていた
24歳。
私は自動車部品メーカーへ入社しました。
配属先は組立工程。
工場の仕事は覚えることが多く、最初は誰でも苦労します。
でも私は違いました。
新しい作業を覚えるのが得意だったんです。
人より早く覚え、人より早く一人前になる。
職場が変わっても、仕事内容が変わっても、その感覚は変わりませんでした。
平社員。
段取り担当。
リーダー。
そして班長。
役割は何度も変わりましたが、そのたびに新しい環境へ飛び込み、結果を出してきました。
ありがたかったのは、
「あいつが欲しい。」
そう言ってもらえることです。
新しい職場へ異動しても、
「あの人に来てもらいたい。」
そう評価されることが、何より嬉しかった。
当時の私は、
会社に必要とされることが、自分の価値だ。
本気でそう思っていました。
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班長になってからは、さらに責任が大きくなります。
担当していたのは工場の中でも重要な職場でした。
自分の班だけで40〜50名。
反対直まで含めると約100名。
現場を回すためには、自分の工程だけを見ていても仕事になりません。
人員配置。
生産状況。
品質。
改善活動。
前工程。
出荷。
全体を把握して初めて、組立現場は回ります。
現場で問題が起きてから動くのでは遅い。
問題が起きる前に情報を集め、先回りして対処する。
それが私の仕事でした。
部下を叱るよりも、相談される班長でいたい。
そんなことも意識していました。
上司からは係長、その先のキャリアも期待されていました。
期待されることは苦ではありませんでした。
むしろ嬉しかった。
だからこそ、
「自分がいないと、この職場は回らない。」
そう思うようになっていました。
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今振り返れば、あの頃の生活は仕事がすべてでした。
残業は36協定いっぱいまで。
休日出勤も当たり前。
隔週で夜勤。
休みの日も考えるのは仕事のこと。
月曜日はどう動こう。
誰に何を任せよう。
今思えば、
仕事9割。
家庭1割。
そんな毎日だったと思います。
でも当時は、それが普通でした。
家族のために働いている。
そう信じていました。
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異変は、少しずつ始まっていました。
最初は本当に小さなことです。
今までなら絶対にしなかったような細かなミス。
「あれ?」
とは思いました。
でも、
「疲れているだけだろう。」
そう自分に言い聞かせました。
夜も眠れなくなりました。
寝付けない。
眠れてもすぐ目が覚める。
それでも仕事へ行ける。
だから問題ない。
そう思っていました。
さらに違和感は増えていきます。
人と話していても内容が頭に入ってこない。
今までならすぐ判断できていたことが決められない。
そして一番危険だったのは、車を運転している時でした。
赤信号の交差点へ、そのまま入ってしまう。
そんなことが何度も起きました。
普通なら病院へ行くレベルです。
でも私は行きませんでした。
理由は単純です。
「自分は正常だ。」
そう思っていたから。
働けている。
会社へ行けている。
だから大丈夫。
本気でそう信じていました。
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決定的だったのは、キャリアアップ実習でした。
初日は首席。
周りから見れば順調そのもの。
でも、その日の終わり。
ふと、
「あっ、無理だ。」
そう思いました。
理由は説明できません。
ただ、心のどこかで限界を迎えていたんだと思います。
その夜も眠れませんでした。
私は初めてスマホを開き、
「何科を受診すればいいんだろう。」
と検索しました。
出てきた答えは、
心療内科。
診断は、
うつ病。
上司へ報告し、業務負荷を下げてもらいました。
でも症状は止まりませんでした。
赤信号へ入ってしまう。
明らかに自分でもおかしい。
医師へ相談しました。
返ってきた言葉は、
「大丈夫ですよ。」
でした。
その瞬間、張りつめていたものが切れました。
「何がどう大丈夫なんだ。」
感情があふれました。
そして私は、その日のうちに即日入院を告げられました。
⸻
今なら、あの頃の自分に伝えたいことがあります。
班長をしている自分じゃなくても、
あなたには価値がある。
休んでいい。
班長を降りてもいい。
でも、あの頃の私は、その言葉を信じられませんでした。
会社で必要とされること。
期待に応えること。
それが自分の存在価値だと思っていたからです。
だから、
限界まで働き続けました。
そして、その結果、
私はうつ病になりました。
でも、本当につらかったのは、
診断された日でも、
入院した日でもありません。
本当の現実は、
退院してから始まったのです。
第2章
突然止まった時間
即日入院。
そう告げられた時、残された時間は3時間でした。
驚いたのは、その時の自分です。
もっと会社のことを考えると思っていました。
「現場はどうなるんだろう。」
「みんなに迷惑をかける。」
そんなことばかり頭をよぎると思っていました。
でも違いました。
最初に考えたことは、
「早く帰って入院の準備をしないと。」
それだけでした。
上司へ電話をし、入院することを伝える。
会社のことは、それくらいしか考えていませんでした。
今思えば、それだけ心も身体も限界だったのでしょう。
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帰宅すると、妻が言いました。
「お昼ご飯、食べに行こう。」
私は、
「そんな時間あるの?」
そう思っていました。
頭の中は入院準備でいっぱいだったからです。
でも今振り返ると、
あれは妻なりの気遣いだったのだと思います。
これから始まる生活がどんなものになるのか分からない。
だからこそ、
ほんの少しだけでも、
普段通りの時間を作ろうとしてくれていた。
あの時は気づけませんでした。
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入院生活は約3か月。
最初の数日は、
悲しいわけでも、
悔しいわけでもありませんでした。
ただ、
「無」
だったんです。
朝起きる。
ご飯を食べる。
部屋へ戻る。
昼ご飯。
お風呂。
夜ご飯。
薬を飲んで寝る。
また朝が来る。
それだけの毎日。
何かを考えるわけでもありません。
未来を心配することもありません。
時間だけが、
静かに過ぎていきました。
不思議だったのは、
何もしていないのに時間が早かったことです。
仕事をしていた時も一日は早く終わっていました。
でも、
何もしていない一日も、
同じようにあっという間でした。
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入院前半は、
大きなショックもありませんでした。
感情そのものが動かなかったからです。
でも後半になり、
個室から大部屋へ移るかもしれない。
そう言われた時だけは違いました。
強いストレスを感じ、
4日間、
ほとんどご飯を食べられませんでした。
あの時初めて、
自分の心は思っていた以上に疲れているんだと感じました。
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職場には、
何も言えませんでした。
即日入院だったので、
挨拶もできないまま、
ある日突然いなくなった人になりました。
復職してから、
「うつ病だったんだね。」
と言う人もいれば、
「身体が悪かったんでしょ?」
と思っていた人もいました。
人によって、
私がいなくなった理由は違って伝わっていました。
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不思議だったのは、
仕事のことです。
あれほど仕事中心だったのに、
入院してすぐは、
ほとんど仕事を考えませんでした。
休日でも仕事のことばかり考えていた私が、
仕事を忘れていたんです。
後半になってようやく、
「みんな大変だろうな。」
そう思う程度でした。
「自分がいないと職場は回らない。」
そう信じていた人間とは思えないほど、
仕事は頭の片隅へ追いやられていました。
⸻
家族は、
誰も私を責めませんでした。
子どもたちは、
いつも通り学校であったことを話してくれる。
妻は、
ご飯を食べているか。
体調はどうか。
普段と変わらないように接してくれました。
本当は、
不安だったと思います。
心配もあったと思います。
それでも、
誰も責めませんでした。
だからこそ、
今になって思います。
気を使わせてしまった。
心配をかけてしまった。
申し訳なかった。
そんな気持ちが残っています。
⸻
退院しても、
私はすぐ仕事へ戻れると思っていました。
「しっかり休んだから大丈夫。」
そう信じていました。
入院したことで、
自分の価値観が劇的に変わったわけでもありません。
ただ、
一つだけ気づいたことがありました。
自分がいなくても、職場は回る。
それでも、
帰る場所はまだ会社だと思っていました。
⸻
退院後は、
さらに1か月の自宅療養。
最初は、
「やっと家でゆっくりできる。」
そう思っていました。
でも現実は違いました。
ソファの一角に座ったまま、
一日が終わる。
テレビはついている。
でも内容は頭に入ってこない。
何かをする気力もありません。
普通に休んでいるようで、
普通ではありませんでした。
⸻
休職は、
気づけば1年8か月になっていました。
生活は、
傷病手当のおかげで最低限維持できました。
でも、
苦しかったのはお金ではありません。
働いていない自分。
何もできない自分。
家族に負担をかけている自分。
その存在が、
苦しかったんです。
妻はパートへ出るようになりました。
私を責めることはありませんでした。
でも、
自分自身が自分を責めていました。
⸻
ソファで過ごす毎日。
テレビはついている。
でも、何を見ていたのか覚えていません。
一日は、何もしていないのに終わっていく。
そんな毎日でした。
ある日、医師に言われました。
「散歩するといいですよ。」
最初は近所を歩くだけでした。
歩く距離は少しずつ伸び、
気づけば隣町まで歩くようになっていました。
その日でした。
ふわっと、
どこからか香ばしい香りが流れてきたんです。
顔を上げると、
小さなコーヒー焙煎所がありました。
何となく店へ入り、
テイクアウトで一杯だけ買いました。
今でも覚えています。
「あ、美味しい。」
そんな単純な感想ではありませんでした。
温かいコーヒーを飲んだ瞬間、
張りつめていた何かが、
少しだけほどけた気がしたんです。
それから散歩は、
その焙煎所へ向かう時間になりました。
コーヒーを飲み、
少しだけ外の空気を吸う。
その繰り返しが、
少しずつ私を外へ連れ出してくれました。
あの頃は気づいていませんでした。
でも今なら分かります。
あの一杯は、
ただのコーヒーではありませんでした。
仕事を失った私が、
もう一度、自分を取り戻し始める最初の一歩だったのです。
第3章
戻れたはずなのに、戻れなかった
約一年八か月。
長い休職を終え、私は会社へ戻る日を迎えました。
その日のことは、今でもよく覚えています。
「やっと戻れる。」
そんな気持ちでした。
もちろん不安はありました。
でも、それ以上に、
「しっかり休んだんだから、もう大丈夫。」
そう思っていました。
就業制限はある。
班長には戻れない。
それでも働ける。
また会社へ行ける。
そのことが素直に嬉しかったんです。
⸻
復職して最初の一か月は、慣らし勤務でした。
仕事内容は軽作業。
班長時代に比べれば驚くほどシンプルです。
「これなら問題ない。」
そう思いました。
久しぶりの会社。
懐かしい顔。
「おかえり。」
そう声を掛けてくれる仲間。
休職中に入社した新しいメンバー。
少しだけ景色は変わっていましたが、
私は「またここで働ける」と前を向いていました。
⸻
ある日、
仕事を教わっていた時です。
「元班長だから、これくらい余裕ですよね。」
何気ない一言でした。
期待してくれている言葉です。
私も笑って答えました。
「大丈夫です。」
心の中でも、
「これくらいできる。」
そう思っていました。
⸻
でも、仕事が始まると違いました。
一つの説明を聞く。
次の作業を覚える。
その瞬間、
最初に聞いたことが頭から抜ける。
「あれ……。」
自分でも驚きました。
以前なら考えられないことでした。
⸻
班長だった頃の私は、
複数の仕事を同時に進めていました。
現場を見ながら、
人を動かし、
品質を確認し、
生産状況を把握し、
イレギュラーにも対応する。
それが当たり前でした。
でも今は違います。
段取りを考えるだけで疲れる。
一つ仕事が増えるだけで頭がいっぱいになる。
⸻
誤解してほしくありません。
私は、
仕事ができなくなったわけではありません。
やればできます。
覚えることもできます。
でも、
以前なら何とも思わなかったことが、
とてつもない負荷になっていました。
できる。
でも、
苦しい。
その違いを、
初めて知りました。
⸻
それでも私は、
「早く元に戻らなきゃ。」
そう思っていました。
実は、
そう思っていたのは私だけではありませんでした。
上長も、
私が元のポジションへ戻ることを期待していました。
「そろそろ交代勤務はできそう?」
「早く戻ってきてほしい。」
そんな空気を感じていました。
もちろん、
現場としては自然なことです。
元班長だった私が戻れば、
助かる人もいます。
悪気なんてありません。
でも、
その期待に応えたいと思ったのは、
誰よりも私自身でした。
「もう一度班長として働きたい。」
「もう一度、以前の自分に戻りたい。」
そう思えば思うほど、
心は置いていかれていきました。
⸻
朝になる。
身体は起きている。
会社へ行かなきゃ。
そう思う。
でも、
動けない。
涙が出る。
玄関まで行けない。
気づけば、
突発欠勤が月に六回。
班長だった頃の私には、
考えられないことでした。
当時は、
「自分は弱くなった。」
そう思っていました。
でも今なら分かります。
違いました。
心が、
必死にブレーキをかけていたんです。
「もう無理をするな。」
「これ以上頑張ったら、本当に壊れる。」
そう叫んでいたんだと思います。
⸻
復職してから、
もう一つ受け入れなければならない現実がありました。
休職している間に、
元部下や同僚は昇格していました。
ある日、
以前は私が教えていた後輩から、
仕事を教わる場面がありました。
その人は悪くありません。
努力して積み重ねた結果です。
でも、
説明を聞きながら、
ふと思いました。
「ああ……。」
「立場が逆になったんだ。」
その瞬間、
胸の奥が少しだけ痛みました。
同じ年数働いてきた仲間は昇進。
私は平社員。
その差は、
もう埋められないかもしれない。
惨めでした。
悔しかった。
でも、
現実でした。
⸻
昔なら、
異常のアラームが鳴れば、
真っ先に走っていました。
誰よりも早く対応する。
それが班長でした。
今は違います。
平社員です。
動く必要はありません。
それでも、
アラームが鳴るたび、
身体だけは反応します。
ビクッとする。
頭では、
「自分の仕事じゃない。」
そう分かっているのに、
身体は班長の頃のままでした。
⸻
そんな毎日を過ごす中で、
少しずつ変わったことがあります。
昔の私は、
会社のために働いていました。
どうすれば現場が回るか。
どうすれば会社に貢献できるか。
休みの日まで、
そんなことばかり考えていました。
でも今は違います。
まず考えるのは、
自分が壊れないこと。
それが一番大切になりました。
⸻
会社には、
正直、不満もあります。
でも、
一緒に働く同僚には感謝しています。
私の状態を理解し、
気を遣い、
支えてくれる人がいます。
その存在が、
何度も私を救ってくれました。
⸻
復職して分かったことがあります。
休めば、
元に戻るわけではありません。
元の役職にも、
元の能力にも、
元の自分にも、
簡単には戻れません。
でも、
戻れないことは、
終わりではありません。
この頃の私は、
まだ知りませんでした。
会社の外にも、
自分を必要としてくれる場所があることを。
仕事以外にも、
人生を支えてくれるものがあることを。
その出会いが、
少しずつ私の考え方を変えていくことを。
第4章
会社の外にも、僕の居場所はあった
復職してしばらく経っても、
私は心のどこかで、
会社だけを見ていました。
班長ではなくなった自分。
キャリアを失った自分。
以前のように働けない自分。
会社での評価が下がるたび、
自分の価値までなくなっていくような気がしていました。
「会社で必要とされない自分には、
何も残っていない。」
本気でそう思っていました。
⸻
そんな時、
思いもよらない話が舞い込みます。
自治会の役員をお願いできませんか。
最初は耳を疑いました。
「自分なんかでいいんですか?」
そんな気持ちでした。
会社では、
以前のようには働けなくなった自分。
でも会社の外では、
「あなたにお願いしたい。」
そう言ってくれる人がいたのです。
その瞬間、
少しだけ肩の力が抜けました。
会社で失ったと思っていた価値が、
違う場所では必要とされていました。
もちろん、
その時はまだ、
「役職がなくても自分には価値がある。」
なんて思えません。
でも、
会社だけが世界じゃない。
そう思える最初の出来事でした。
⸻
現実を見ると、
収入は大きく減っていました。
傷病手当があるとはいえ、
このままでは先が見えません。
「何かしないと。」
そう思い、
副業を調べ始めました。
休職中、
時間だけはありました。
「この時間を、
少しでも未来につなげたい。」
そんな思いでした。
⸻
最初に選んだのは、
アフィリエイトです。
Instagram。
Threads。
note。
毎日発信しました。
「頑張れば結果は出る。」
そう信じていました。
でも、
何も売れません。
本当に、
一つも売れませんでした。
投稿しても、
反応はほとんどありません。
「なんでだろう。」
毎日その繰り返しでした。
⸻
振り返ると、
売れない理由は簡単でした。
商品を知らない。
読者を知らない。
伝え方も知らない。
知らないことだらけだったんです。
だから、
アフィリエイトをやめました。
悔しかったけど、
続けても結果は変わらない。
そう思いました。
⸻
そんな頃、
Threadsである投稿が目に留まりました。
「AIを使えば誰でも簡単。」
その言葉に惹かれました。
「これなら自分にもできるかもしれない。」
そう思ったんです。
初めてChatGPTを開いた日のことは、
今でも覚えています。
文章が一瞬で完成する。
「すごい。」
本気でそう思いました。
これなら売れる。
そう信じていました。
⸻
でも、
また売れませんでした。
文章は書ける。
でも、
読まれない。
買われない。
そこでようやく気づきました。
AIが悪いんじゃない。
私の使い方が間違っていたんです。
売れている人は、
AIに答えを書いてもらっているんじゃない。
AIを使って、
読者を調べ、
市場を調べ、
考える材料を集めていました。
AIは、
魔法じゃありません。
答えでもありません。
考えるための相棒。
今はそう思っています。
⸻
少しずつですが、
前を向けるようになりました。
失った収入を取り戻したい。
会社だけに頼らず生きていきたい。
その思いは今も変わりません。
でも、
収入だけが目的ではなくなりました。
会社以外にも、
自分の居場所を作りたい。
そう思うようになったんです。
⸻
五年後、
どんな自分になっていたいか。
そう聞かれたら、
私は迷わずこう答えます。
会社で働きながら、
副業でも収入を作る。
そして、
地域でも必要とされる人でいたい。
会社員。
副業。
地域。
どこか一つではなく、
いくつもの居場所を持つ。
それが、
今の理想です。
⸻
そして、
もう一つ夢があります。
昔の私のように、
副業を始めたいけど、
何から始めればいいか分からない人。
うつ病になって、
人生が終わったと思っている人。
そんな人たちの力になりたい。
「あなただけじゃない。」
そう伝えられる人になりたい。
⸻
今、
一番夢中になれる時間があります。
noteを書いている時間です。
昔の私は、
会社で評価されることが嬉しかった。
「あいつが欲しい。」
そう言われることが、
自分の価値でした。
でも今は違います。
自分の経験を言葉にする。
失敗も、
悩みも、
全部書く。
それを読んだ誰かが、
少しだけ前を向けたら嬉しい。
そんな時間が、
今は一番好きです。
⸻
あの頃の私は、
会社だけが人生でした。
でも今は違います。
会社は、
人生の一部です。
人生のすべてではありません。
そのことに気づけたから、
少しずつ前を向けるようになりました。
でも、
本当に伝えたいことがあります。
それは、
最後の章で、
あなたに伝えたいと思います。
第5章
今も、人生を立て直している途中
今の私は、うつ病を乗り越えたわけではありません。
現在進行形で、うつ病と一緒に生きています。
働き方は発症前とは大きく変わりました。
常日勤。
定時勤務。
残業なし。
休日出勤なし。
班長から平社員になり、マルチタスク中心の仕事から、シングルタスクの軽作業へ変わりました。
以前の私から見れば、ずいぶん負担の少ない働き方です。
それでも、毎日安定して働けるわけではありません。
特につらいのは朝です。
目が覚めた瞬間から、
「会社に行きたくない。」
「働きたくない。」
「今日は休みたい。」
そんな気持ちが押し寄せる日があります。
一番苦しかった朝は、今でも忘れられません。
朝起きて、リビングを泣きながら歩き回っていました。
妻に促されて何とか出勤の準備をし、車に乗りました。
妻が会社まで送ってくれました。
会社の駐車場には着きました。
でも、どうしても車から降りることができませんでした。
涙だけが止まりませんでした。
結局、その日は出勤できず、そのまま家へ帰りました。
「会社へ行きたい。」
「でも行けない。」
あの日ほど、自分の心と身体が別々になってしまったように感じたことはありません。
仕事へ行けても、仕事中に突然涙が出ることがあります。
失敗が続くと吐いてしまうこともあります。
突発的に休んでしまう日もあります。
昨日できたことが、今日はできない。
朝は動けなかったのに、夕方になると少し楽になる。
自分のことなのに、自分でうまくコントロールできません。
それが、今の私の現実です。
⸻
発症前も今も、休みの日に仕事のことを考えています。
ただ、考えている内容はまるで違います。
以前は、
「来週はどう現場を回そう。」
「どう改善しよう。」
そんな前向きなことを考えていました。
今は、
「明日も会社か。」
「行きたくない。」
「辞めたい。でも辞められない。」
そんなことばかり考えています。
仕事との向き合い方は変わったのに、違う意味で仕事に心を縛られています。
⸻
私は現在、障害年金を受給し、障害者手帳も持っています。
会社には伝えていません。
だから時々、自分のことを「隠れ障害者」と表現しています。
外から見れば普通の会社員です。
昔の私を知る人からは、
「あなたならこれくらいできるよね。」
と言われることもあります。
実際、一を聞けば十まで考えてしまう自分もいます。
仕事を覚えることもできます。
形にすることもできます。
でも、その能力が残っているからこそ、また頑張りすぎてしまいます。
今は指示を出す立場ではなく、受ける立場です。
どうすれば無理をせず働けるのか。
その答えを、今も探しています。
⸻
それでも、以前より少しだけ分かるようになったことがあります。
「今、自分は危ない。」
そう気づけるようになりました。
昔は限界になっても気づきませんでした。
働けているから大丈夫。
会社へ行けるから大丈夫。
そう思っていました。
今は、自分の心の状態を少しだけ客観的に見られるようになりました。
もちろん、分かることと解決できることは違います。
今も答えは見つかっていません。
それでも、昔より自分を大切にできるようにはなりました。
⸻
今の私の一日は、こんなふうに過ぎていきます。
朝。
会社へ行く準備をする時間が、一番つらい。
何とか出勤しても、午前中は地獄のように長く感じます。
でも帰宅すると、少しだけ気持ちが軽くなります。
「今日も一日終えられた。」
そう自分を褒めるようになりました。
ご飯を食べて、SNSやnoteを開く。
少しだけ文章を書く。
昔は会社で評価されることが嬉しかった私が、今は自分の経験を言葉にする時間を大切にしています。
⸻
コーヒーも、今の私を支えてくれる存在です。
以前のように毎日ハンドドリップを楽しめているわけではありません。
ここ数か月は、自分で淹れることも減りました。
それも、うつ病の影響なのかもしれません。
それでも、コーヒーは飲みます。
朝、一杯のコーヒーを飲んで、
「今日も頑張ろう。」
そう自分に言い聞かせる。
会社で落ち込んだ日も、
「コーヒーを飲めば少し落ち着く。」
そんな心の安定剤のような存在になっています。
⸻
これから取り戻したいものがあります。
一番は、収入です。
失った年収を取り戻したい。
できることなら、副業だけでも生活できるようになりたい。
でも、お金以上に取り戻したいものがあります。
それは、自信です。
役職や肩書きではなく、
「自分は生きていてもいい。」
そう思える自信です。
⸻
うつ病になったことを良かったとは思いません。
もっと早く「無理です」と言えていたら。
班長を降りる決断ができていたら。
違う未来もあったと思います。
でも、休職したからこそ出会えた人もいました。
地域とのつながり。
コーヒーとの出会い。
そして、自分自身と向き合う時間。
そのすべてが、今の私を作っています。
⸻
もし今、班長だった頃の自分に会えるなら、私はこう伝えます。
「お前の価値は会社だけじゃない。」
「そもそも、お前には価値があるよ。」
あの頃の私は、きっと信じなかったでしょう。
でも今の私は、本気でそう思っています。
⸻
このnoteを読んでいるあなたへ。
もし今、責任を抱え込み、
「自分が頑張らないと。」
そう思っているなら、一度だけ立ち止まってください。
自分一人で答えを出さなくても大丈夫です。
家族でも、友人でも、信頼できる誰かに話してください。
その人が、あなたには見えていない選択肢を見せてくれるかもしれません。
⸻
私にとって幸せとは、
家族みんなで笑いながら話せる時間です。
そして、一番感謝している人は妻です。
うつ病になった私を責めることなく、
「ゆっくりでいいんだよ。」
「今まで働きすぎたんだよ。」
そう言ってくれました。
そして、今でも忘れられない言葉があります。
「お金はなんとでもなる。けど、パパの心は一つしかないんだよ。」
私は何度も泣きました。
今でも泣くことがあります。
でも、その言葉があったから、今も前を向いて歩けています。
⸻
私はまだ、人生を立て直している途中です。
病気は治っていません。
収入も取り戻せていません。
それでも、一歩ずつ前へ進んでいます。
最後に、どうしても伝えたい言葉があります。
会社には、あなたの代わりはいくらでもいます。
でも、あなたの代わりは、あなたしかいません。
どうか、自分を最後まで後回しにしないでください。
あなたの人生を守れるのは、最後はあなた自身です。
エピローグ
あの日の自分へ
もし今、
班長だった頃の自分に会えるなら、
私は少し笑いながら、こう言うと思います。
「お前の価値は、会社だけじゃない。」
「そもそも、お前には価値があるよ。」
きっとあの頃の私は、
そんな言葉を信じなかったでしょう。
「何を言ってるんだ。」
「会社で結果を出しているから価値があるんだ。」
そう言い返したと思います。
私も、本気でそう信じていました。
だから、
眠れなくなっても。
小さなミスが増えても。
赤信号の交差点へ車で入ってしまっても。
「まだ頑張れる。」
そう言い聞かせていました。
でも、
本当は違いました。
頑張れるんじゃなく、
頑張るしかなかったんです。
⸻
うつ病になって、
私はたくさんのものを失いました。
役職。
キャリア。
収入。
以前のように働ける身体。
自信。
「もう終わった。」
そう思った日も何度もありました。
でも、
失ったものばかりではありませんでした。
家族の大切さ。
会社の外にも居場所があること。
助けを求めてもいいこと。
そして、
自分の経験が誰かの役に立つかもしれないという希望。
それらは、
うつ病になる前の私は知りませんでした。
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今でも症状はあります。
朝になると会社へ行きたくない日があります。
突然涙が出る日もあります。
うまくいかず、
自分を責める日もあります。
だから私は、
「うつ病を乗り越えました。」
とは言えません。
私は今も、
人生を立て直している途中です。
でも、
それでいいと思っています。
人生は、
一直線に進むものではありません。
立ち止まる日があってもいい。
遠回りしてもいい。
休んでもいい。
それも人生なんだと、
少しずつ思えるようになりました。
⸻
復職が決まった頃、
私は何度も泣いていました。
「また働ける。」
という安心と、
「本当に戻れるのか。」
という不安。
その二つの気持ちで、
心はいっぱいでした。
そんな私に、
妻は静かに言いました。
「ゆっくりでいいんだよ。」
「今まで働きすぎたんだよ。」
そして、
今でも忘れられない言葉があります。
「お金はなんとでもなる。けど、パパの心は一つしかないんだよ。」
私は何度も泣きました。
今でも泣くことがあります。
でも、
あの言葉があったから、
私はここまで歩いてこられました。
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子どもたちも、
何も変わりませんでした。
「頑張って。」
とも、
「大丈夫?」
とも言いません。
いつも通り笑って、
学校であった出来事を話してくれました。
夏祭り。
秋祭り。
地域のイベント。
以前なら仕事を優先していた時間を、
家族と過ごせるようになりました。
何気ない時間です。
でも今は、
そんな時間こそが幸せだと思っています。
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もし今、
この本を読んでいるあなたが、
仕事へ行くのが苦しいなら。
責任を抱え込みすぎているなら。
「自分が頑張らなきゃ。」
そう思っているなら。
お願いがあります。
一人で答えを出さないでください。
家族でもいい。
友人でもいい。
親でもいい。
信頼できる誰かに、
今の気持ちを話してください。
弱さを見せることは、
負けではありません。
助けを求めることも、
逃げではありません。
それは、
自分の人生を守るための勇気です。
⸻
私は、
この先も会社で働くと思います。
副業にも挑戦し続けます。
地域活動も続けます。
そして、
いつか同じように苦しんでいる誰かへ、
「大丈夫。」
ではなく、
「一緒にもがこう。」
と言える人になりたい。
それが今の私の目標です。
⸻
最後に、
もう一度だけ伝えさせてください。
会社には、
あなたの代わりはいくらでもいます。
でも、
あなたの代わりは、
あなたしかいません。
どうか、
自分を最後まで後回しにしないでください。
あなたの人生を守れるのは、
会社ではありません。
家族でもありません。
最後に自分を守れるのは、
あなた自身です。
だから今日だけは、
ほんの少しだけでいい。
仕事よりも、
周りの期待よりも、
自分を大切にしてください。
