世の中にはあからさまに悪い人がいて、そういう人が嫌われるのは理解できる。
だがそんなに悪い人じゃないのになぜか嫌われる人というのも存在する。今回はそのことについて考えてみようと思う。
嫌われないという能力は貴重である。もちろん好かれるに越したことはないのだが、嫌われないのはもっと重要である。なぜなら好かれるというのは本当に小さな積み重ねであることに対し、嫌われるというのは一発の破壊力が大きいためである。
好かれるということが小さな石を積み上げる作業とするなら嫌われるというのは台風のようなもの。それまで積み上げてきたものが一発で壊れてしまう。
ではどんな行動が嫌われるのか?悪口や暴言、ハラスメントなど一般的なものはここでは割愛する。そんなの誰だってわかるからである。
偽善
パッと見問題ないのに嫌われるのはこれである。
小学生でもわかるようにいうと、いい子ちゃんってことだ。
これだけ色々ある世の中だと「善人」というものが稀な存在。その違和感に人は耐えられないのかもしれない。
とりわけ行動に対して発言や思想が立派すぎる、少し嘘が混じっている場合に非常に嫌悪感を抱かれやすい。
善くあろうという心がけは立派だが、それが本心であっても偽りであっても許さないという雰囲気がこの世の中にはある。
環境保護団体や動物愛護団体のことを一定数嫌いな人がいるのもこの理由だろう。
この偽善が元で嫌われている場合、本人も気づいていなかったり、良かれと思ってやってる場合が多いので救うことはできない。
自分を客観視できれば原因に気づき、対策も打てるのだが、それができるなら最初から嫌われていないので・・・・
