昨日YouTubeに投稿されたEXILEの道という曲のライブ映像を何気なく観てそう感じた。
この楽曲は18年前に当たる2007年にリリースされた曲だ。
映像の中ではたくさんのファンが一緒にサビを合唱している光景が差し込まれていた。
ステージからカメラで全体を映して見ると、そのファンは大勢の人だかりでしかない。
しかし、
映像の中でクローズアップされるファンそれぞれを観ていると、そこには明確に「一観客」ではなく「一人の人の人生」が垣間見える。
18年前のリリース当初はギャルだっただろうなという雰囲気の女の人、リリース当時はまだ生まれていなかったはずだから親の影響でEXILEを聴くんだろうなという子供、白髪で初老っぽいので当時から中年だったんだろうなというおじさんetc...
全く違う人生を歩んできた人たちが、同じ歌を歌っている。
そこにはつまり、
無数の人生
無数の記憶
無数の時間
という深い歴史がライブ会場というたった一つの場所に集約されているということだ。
CD音源として聴く「道」と、その映像で聴く「道」は同じ楽曲なのにその重さや熱量が全く違う。
アーティストはよく
「楽曲を育てる」
とインタビューなどで言うが、
その本当の意味は
「楽曲により多くの人の想いや人生が吹き込まれること」
なんじゃないかと感じる。
もちろん楽曲自体にも作者の想いが込められており、それ単体で十分に素晴らしいものではある。
しかしそれをあえて極端に言い換えれば、どこまでも作者の主観のアウトプットに過ぎない。
そこに、
誰かの出会い
誰かの別れ
誰かの失敗
誰かの挫折
誰かの門出
誰かの青春
そんな”人生”が重なっていくことで、その楽曲の魅力は何倍にも膨れ上がるのだ。
そういった背景まで想像や考えが及ぶのはきっと僕が、
この「道」という楽曲、ひいてはEXILEという歌手に思い入れという名の愛が存在しているからだと思う。
その愛の中身を紐解くとやはり、
昔の出来事
当時の情景
青春の記憶
のような、過ぎ去った"歴史"がこの曲を介してフラッシュバックし、生きてきた歴史を感じて、愛おしい。
つまり、愛の深さというのは対象物と関わりのある歴史の量に比例するのではなかろうか。
今僕の周りにいる人、あるモノ、環境全てに歴史が紐付いており、その密度が高ければ高いほどそれを愛していると感じる。
愛を育てるには、歴史を刷り込むことだ。
己の思考や時間を使い、物事や人に介入し、積極的に歴史を築くこと。
密度の高い歴史が多ければ多いほど、その歴史から感じる生きてきた実感が柱になり、自分の軸を確立してくれる。
恋愛も同じで、好きというのは一瞬の感情で、愛は歴史が育むものだ。
だから、好きという一瞬の感情の波に乗っかって、積極的に相手に介入し、試行錯誤し、時には失敗して歴史を作りなさい。
失敗してしまってもそれが柱になり、次に出会う人にあなたの歴史という名の愛が循環していく。
その循環した愛が相手の歴史と噛み合った時に、
きっとその相手は最高で最後の恋人になっていくはずだ。
マッチングアプリで会って飽きたら簡単に切って次の女に行くことを繰り返しても虚しい原因は全て、ここに詰まっている。
誰も聞いてくれない曲を作り続けるのはもう辞めて、ちゃんと届けたい相手に届けてみよう。
あなたの歴史(愛)は、誰かにもらうのではなく、あなた自身が作るものだから。

