争いの果てとは

争いの果てとは

じんじん

じんじん

突然だが、私は戦争に反対だ。

というより、ほとんどの争いごとに対してどちらかといえば反対派だ。

恐らく大体の人が特に明確な理由は無くともぼんやりとそう思っているんじゃないかと考えている。

「明確な理由は無くとも」

と言ってしまえばやや語弊がある気がするが、

少なくとも争いごとが少ない方が良いというのは最早自明の理である。

「相手か自分が傷つくから」 

「一般的に喧嘩は良くないと思うから」

「憎しみからは何も生まれないから」

このくらいの簡単な答えでほとんどの人が納得するだろうし、それ以上考える必要もないとも思う。

掘り下げて考える必要もないほど、表面上では我々人類の中での共通認識である事に変わりはないだろう。

そう思わない”恐らく”少数派の人々も、

社会生活を営むうえでは「争いごとが好きだ」と大手を振ってアピールしてはいない人がほとんどだ。

実際に物理的な争いだけでなく、インターネットやSNSを舞台にした一見馬鹿馬鹿しく滑稽な争いであっても罰せられ、それにより自分や家族の生活をガラッと変えられてしまう事だってある今の世の中だ。

それくらい争いごとというものは当事者たちにとっても不利益しか齎さないにもかかわらず、絶えず世界では争いが続いている現状だ。

軍事戦争という誰もが知る世界規模の大きなものから兄弟のおやつの取り合いのように小さなものまで実に豊かなバリエーションで誰かと誰かが争いを繰り広げている。

勝った方が瞬間的に優越感に浸れるだけの不毛な争いから 大切なものを守るため止むを得ず行う争い、そしてお互いに分かり合いたいがために行う熱い論争まで その種類は千差万別だろう。

もちろん、他人と関わらずには生きていけない世の中だから その過程でどうしても避ける事の出来ない争いだって時にはあるはずだ。

「誤解や衝突を恐れずに他人と向き合う事=争いごと」

と短絡的に定義するつもりは毛頭無いし、 必要な争いもそれぞれにあるとすら思う。

上記の理由から、人と人との争いを完全に無くす事は不可能であると私は考えており、 冒頭に述べた、"ほとんどの争いごとに対して反対"というのはこのような意図がある。

そして、その反対している"ほとんど"の中に含まれている、いや、筆頭である争いごとこそが"戦争"である。

私は当然ながら戦争未経験の世代であり 教科書や授業、テレビの特番、昨年亡くなった祖母から幼い頃に聞いた話の断片、家族で行った原爆ドームの資料館、個人的に好きな韓国という国を知る上で得た過去の歴史などから得た浅い知識でしか判断する事が出来ない身ではあるのだが、どうもこの"戦争"というのには合理性がないように思えてならない。

何故そう思うのか。

これはとても簡単だ。

「関係のない多くの人の命を奪うから」

である。

至極でありこれ以上の意味などないように感じるくらいシンプルであるが、これに尽きる。

世の中の選択は全て、複数ある選択肢から自らが最善だと思うほうや得をすると思うほうをチョイスする事で成り立っている。

人は皆日々の中で次々に数えきれない程の決断を迫られており、その取捨選択の結果が今この瞬間であると言っても過言では無い。

単純にこの考え方を戦争においての選択肢として当てはめてみると、

”ある当事者、または団体の考え方や要求、主張 vs その矛先の向く不特定多数の命”

という構図となり、この二つを天秤にかけ、後者である不特定多数の命よりも自分たちの要求の方が重かったという事とイコールになる。

すなわち取捨選択の結果、自分たちの要求や主張を貫き通す方が重要で得だと判断したという事と同義である。

何の関係もない人々のこれからの人生の楽しみや可能性、夢、この先を生きていれば享受できたかもしれない様々な経験。

それらを無条件に奪い去ってまで貫かなければならない正義とは、一体何なのだろうか。

同じ人間である以上、他人の命を奪う権利なんて、どうやったって発生し得ないのだ。

よし。

ここまではありきたりで何の面白みもないただの一般的な考え方だ。

戦争をしない方が良い理由を100人に訊いたら、おそらく半分くらいは似たような事を答えるのではなかろうか。

そもそも、面白みを持たせる余地もない程に陳腐な議題である事に違いはないのだが、せっかくこうして文章に記す以上は、私が個人的に戦争を始めとする争いごとになぜ反対なのかをちょっと違う視点から述べておこうと思う。

まず、私は戦争の歴史についての専門家でもなければ、世界情勢に詳しく常に世の中の動きに注視してニュースを見ているわけではない事を周知しておく。

つまり今回これを読んでくれている方々が想像するであろう、タイムリーなあの話題に関しての意見ではなく あくまでもっと広い意味での”戦争”についての考えである。

それは国と国との大々的な戦いのみならず、武力を用いて相手を制圧し自らの主張を通す事が目的のすべての争いごとに対しての考え方である。

前述の”ちょっと違う視点”というのが、 私が戦争をはじめとするほとんどの争いごとに反対する理由の本質である。

その視点というのが”争いごとを肯定し、その行く先を想像してみる”という事だ。

これによって、争いが如何に愚かな事かが理解しやすくなり、どちらかといえば争いごとは無い方が良いと論理的に思えるようになるのではないかと思う。

それでは早速話を始める。

少々極端な考え方にも思えるうえに過激な物言いとなってしまうが、

”武力を用いて相手を制圧する”

ということはすなわち

”言う事を聞いてくれない奴は全員ぶっ潰す”

という事である。

(これを実際に行動に移すまでのステップとして、実際には様々な手法を試みて極めて穏便な解決を図る場合もあるのだろうが、それでも最終手段として武力による制圧という選択肢がある事を表現している時点で、それ自体が相手への脅威となってしまうため、たとえその前に争いごとが解決したとしても、もはや穏便な解決とは言えないと考えられる。)

強者は気に入らない者は全て制圧し命を奪い、利用価値のある者は生かし己の利益のためにとことん利用する。

武力で敵わないと悟った弱者は生命の危機を避けるために強者に歯向かわず言う事を聞き、なるべくその逆鱗に触れぬよう静かに暮らす。

賢い弱者の中には反撃の機会を虎視眈々と狙うの者もいるのだが、やはり行動に移せば強者の圧倒的な武力に成す術もなく制圧され、存在自体を抹消される。

それを目の当たりにした者たちはまた、反対の声を上げれば自らの命も脅かされる事を悟り、大人しく変わらぬ日々を送る。

現在の世界の縮図ともとれるこの構図ではあるが、人々は共存により繁栄する事を理解し、より多くの人が最低限豊かに生涯を送れるようにルールを設け、その決まり事に則って生活していたほうが多くの人にとって相対的に得である事を本能的に理解しているが故に、”戦争”や”紛争”といった類の不特定多数の生命に関わる規模の争いごとに多くの人が反対の声を上げるのであり、その結果が、数十年前までと比較して大々的な戦争が少なくなったこの世界であると考えられる。

ここからもう少し具体的に争いごとの果てを想像してみよう。

ルールや戦争反対の概念が一切ない、所謂”武力行使”がまかり通る世の中、いや、許される世の中なのであればそれはつまり強者だけが生き残り、全ての弱者は淘汰されていくという事に他ならない。

それを前提に考えると、人々は食料や安全な寝床を求めて争い合い、相手の命を奪う事でやっと自分という個体の存続が保たれることになる。

弱者は早々に消え、次は生き残った強者同士が武力を行使して争い、どちらかより強いほうが生き残る。

そしてまた別の強い個体と争い、どちらかだけが生き残る。

そうしているうちに個体の総数は減り、やがて最後の個体、すなわち”最強”の個体が生き残るのだ。

武力行使の限りを尽くし、自らの主張を最後まで貫き通し、実際に生き残った結果、自分が”最強”だという事を強く実感するだろう。

それで、その後に何が残るのだろう。

やっとの思いで手に入れた”最強”という事実を褒めてくれる人も、讃えてくれる人も、羨ましがる人も誰もいない。

残っている長い寿命の中で、くだらない話をして笑いあう友達もでき得ないし、誰かと思い出を作って心を満たす事すらも叶わなくなる。

そして息をする事以外何もやる事も無く、やがて自分の無力感に苛まれ、存在意義を感じられなくなる。

そこに残っているのは、自分という存在の虚無感と、どうしようもない孤独感だけである。 先の人生を、ずっと孤独なままで生きていくのだ。 その姿は実に滑稽で、愚かであるように私は感じる。

命を奪うほどの争いの果てを想像してみると、お世辞にも良いものではないという事は火を見るより明らかだ。

勝ったとしても更に大きな争いに発展し、相手を殲滅させるまで終わらない。そして目的を果たせたとしても最後には結局何も残らないのである。

今日もどこかで行われている他人の生命を脅かすような争いの当事者たちは、果たして上記のような争いの果てまでのストーリーを豊かに想像して、その結末を本当に心から望んでいるのだろうか。

それとも自らの主張をして正義を貫き、たった一瞬の優越感や束の間の自己満足という都合の良い地点までの事しか想像できていないのか。

いずれにせよ、犠牲になる人々やその家族の人生にはそんな事は全く何の関係も無い。 関係の無い人々の生活を奪っても致し方ない事情など、この世には決して存在し得ない。

前述の愚かな結末にわざわざ自ら向かっていく合理的な理由も決して存在し得ない。

であるならば、戦争には断固として反対なのである。

これが、ほとんどの争いごとに反対するという私の所見だ。


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