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世界的に人気のある、コーネリアスの小山田圭吾さん。
過去の雑誌で、
障害持ちの同級生をいじめていたインタビュー記事が、
オリパラにふさわしくないとされ、
オリンピックの作曲担当を辞任されました。
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障害持ちの人に対する、差別的な行動。
いじめという、卑劣な行為。
さらに、
バカッターのように、わざわざインタビューで、
悪びれることなく自慢話のように、
2回も話していたこと。
小山田圭吾さんが、
オリパラの精神にふさわしくなく、
問題視されるのは、当然のことでしょう。
でも、
本当に悪いのは、小山田圭吾さんだけと言えるでしょうか?
意外?だれでも、障害持ちになる可能性はある事実
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今は、障害を持っていないかもしれません。
でも、
これから障害持ちにならない。
なんてだれも言えません。
誰しも、障害持ちになる可能性はあります。
- 年を重ね、老化によることにより。
- 病気により、体の機能が失われることにより。
- 事故による怪我が原因で。
これらの理由で、
誰しもが、障害持ちになる可能性はあります。
つまり、障害持ちになる事は、
あなたにも起こりうることなのです。
自分が障害持ちになった時、生き易ければクオリティの高い社会
「あなたが、障害持ちになったとします。」
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障害持ちになると、生活も大変です。
それでも、
充実して楽しく生きることができれば、
その社会は、成熟したハイクオリティの社会です。
逆に、
障害持ちになったら、すごく生きづらい。
そう感じる社会なら、
それはまだ、
「伸びしろのある改善が必要な社会」と言えます。
日本は、ざんねんながら、
まだ、「伸びしろのある改善が必要な社会」だと言えます。
障害持ちになった時、
決して生きやすい社会とは言えないのが、
現状の日本だからです。
それを考えれば、
小山田圭吾さんだけが、悪いのかとなってしまいます。
小学校くらいから、みんな車椅子を経験しておく。それはなぜ重要なのか?
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誰でも、
障害持ちになる可能性はあります。
出来ることならば、
小学校で、全員に車椅子の経験はしておくべきです。
「自分が障害持ちになった時の、予行演習」
自分が障害持ちになった時の、
予行演習としてです。
そして、
隣の友達が障害持ちになった時の、ためです。
自分が車椅子の生活を経験しておけば、
どこで困るのか、何で手を貸してほしいのかも・・・、
自分が経験していれば分かります。
◆坂道の時は支えて欲しい。
◆段差の時は、手伝って欲しい。
などですね。
もう少し大きくなって、
自分の「彼女が、障害持ちになった時」でも、
自分の「彼氏が、障害持ちになった時」でも、
経験しておけば戸惑いも少ないでしょう。
自分にも、
自分の周りの人にも、
起こりうることです。
予行演習するのは、悪いことはないハズ。
でしょう?
障害は、様々な種類があります。
自分が障害を持った時、
生きやすい社会の仕組みならば、それはほぼ正解です。
自分が障害を持ったことを前提に、
社会は何を出来るか?
まわりがどんな行動を取れるか?
それが生きやすいものであれば、ほぼ間違いはありません。
クオリティの高い社会に、なっています。
より、
障害を自分ごとに出来るかが、
社会を高度にする道標となります。
障害を、自分事ではなく他人事にした場合・・・。
障害を他人事にすれば、残酷な事ができる事実
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人は、自分と遠いほど残酷になれます。
逆に、自分と近ければ残酷なれません。
これは単に、
「自分が一番かわいい」から。
と考えて大丈夫です。
障害持ちになった時を想定して、
予行演習をする理由は、まさに自分ごとにすることにあります。
障害が遠いことではなく、
自分に起きうることと想定することで、
自分ごとに出来ます。
自分ごとになれば、
残酷なことは出来ません。
自分が可愛いからです。
逆に、自分と距離があると、
人は残酷なことが出来てしまいます。
小山田圭吾さんも、
自分と遠い存在だとしたために、
残酷がことが出来たのでしょう。
やまゆり園で、大量殺人を行った、
植松聖も、自分とは遠い存在と捉えたので、
残酷な事ができたのです。
自分と遠いと存在とすることは危険です。
出来る限り、自分と近い存在に捉えたいものです。
障害持ちになることは、誰しもが起こりうることです。
でもそう考えられる人は、
あまり多くはありません。
ですから、
まずは、
1・自分にも起こり得ること。
2・そして予行演習。
更に自分が障害持ちになったとして、
3・どんな社会だったら生きやすいか。
こんな考えや行動をすることで、
より高度な社会にしていくことは可能です。
残念ながら、
まだ伸びしろのある改善が必要な社会です。
小山田圭吾さんのみならず、
私達も、まだ伸びしろがあり改善を感じます。
なので、
小山田圭吾さんだけを悪者にするのではなく、
自分のこととして、
「障害持ちになること」をリアルに考えていきたいものです。
グズグズとは言え、
オリンピック・パラリンピックが東京で開催。
障害持ちになることに関して、
思いを馳せるきっかけには、ぴったりの時期かもしれません。
最後までお読みいただきありがとうございます。
あなたはこれを読んで、
どう思いましたか?
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