オリンピック作曲担当辞任。小山田圭吾だけが、本当に悪いのか?

オリンピック作曲担当辞任。小山田圭吾だけが、本当に悪いのか?

40ボウ

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世界的に人気のある、コーネリアスの小山田圭吾さん。






過去の雑誌で、

障害持ちの同級生をいじめていたインタビュー記事が、

オリパラにふさわしくないとされ、

オリンピックの作曲担当を辞任されました。

障害持ちの人に対する、差別的な行動。

いじめという、卑劣な行為。





さらに、

バカッターのように、わざわざインタビューで、

悪びれることなく自慢話のように、

2回も話していたこと。







小山田圭吾さんが、

オリパラの精神にふさわしくなく、

問題視されるのは、当然のことでしょう。









でも、

本当に悪いのは、小山田圭吾さんだけと言えるでしょうか?

意外?だれでも、障害持ちになる可能性はある事実

今は、障害を持っていないかもしれません。



でも、

これから障害持ちにならない。

なんてだれも言えません。




誰しも、障害持ちになる可能性はあります。

  1. 年を重ね、老化によることにより。
  2. 病気により、体の機能が失われることにより。
  3. 事故による怪我が原因で。

これらの理由で、

誰しもが、障害持ちになる可能性はあります。







つまり、障害持ちになる事は、

あなたにも起こりうることなのです。

自分が障害持ちになった時、生き易ければクオリティの高い社会

「あなたが、障害持ちになったとします。」

障害持ちになると、生活も大変です。





それでも、

充実して楽しく生きることができれば、

その社会は、成熟したハイクオリティの社会です。







逆に、

障害持ちになったら、すごく生きづらい。




そう感じる社会なら、

それはまだ、

「伸びしろのある改善が必要な社会」と言えます。










日本は、ざんねんながら、

まだ、「伸びしろのある改善が必要な社会」だと言えます。







障害持ちになった時、

決して生きやすい社会とは言えないのが、

現状の日本だからです。









それを考えれば、

小山田圭吾さんだけが、悪いのかとなってしまいます。



小学校くらいから、みんな車椅子を経験しておく。それはなぜ重要なのか?

誰でも、

障害持ちになる可能性はあります。










出来ることならば、

小学校で、全員に車椅子の経験はしておくべきです。


「自分が障害持ちになった時の、予行演習」

自分が障害持ちになった時の、

予行演習としてです。










そして、

隣の友達が障害持ちになった時の、ためです。







自分が車椅子の生活を経験しておけば、

どこで困るのか、何で手を貸してほしいのかも・・・、

自分が経験していれば分かります。









◆坂道の時は支えて欲しい。
◆段差の時は、手伝って欲しい。

などですね。














もう少し大きくなって、

自分の「彼女が、障害持ちになった時」でも、

自分の「彼氏が、障害持ちになった時」でも、

経験しておけば戸惑いも少ないでしょう。








自分にも、

自分の周りの人にも、

起こりうることです。








予行演習するのは、悪いことはないハズ。

でしょう?












障害は、様々な種類があります。

自分が障害を持った時、

生きやすい社会の仕組みならば、それはほぼ正解です。










自分が障害を持ったことを前提に、

社会は何を出来るか?

まわりがどんな行動を取れるか?










それが生きやすいものであれば、ほぼ間違いはありません。

クオリティの高い社会に、なっています。









より、

障害を自分ごとに出来るかが、

社会を高度にする道標となります。







障害を、自分事ではなく他人事にした場合・・・。

障害を他人事にすれば、残酷な事ができる事実

人は、自分と遠いほど残酷になれます。







逆に、自分と近ければ残酷なれません。







これは単に、

「自分が一番かわいい」から。

と考えて大丈夫です。







障害持ちになった時を想定して、

予行演習をする理由は、まさに自分ごとにすることにあります。











障害が遠いことではなく、

自分に起きうることと想定することで、

自分ごとに出来ます。







自分ごとになれば、

残酷なことは出来ません。

自分が可愛いからです。












逆に、自分と距離があると、

人は残酷なことが出来てしまいます。







小山田圭吾さんも、

自分と遠い存在だとしたために、

残酷がことが出来たのでしょう。













やまゆり園で、大量殺人を行った、

植松聖も、自分とは遠い存在と捉えたので、

残酷な事ができたのです。













自分と遠いと存在とすることは危険です。

出来る限り、自分と近い存在に捉えたいものです。












障害持ちになることは、誰しもが起こりうることです。









でもそう考えられる人は、

あまり多くはありません。











ですから、

まずは、

1・自分にも起こり得ること。
2・そして予行演習。
更に自分が障害持ちになったとして、
3・どんな社会だったら生きやすいか。




こんな考えや行動をすることで、

より高度な社会にしていくことは可能です。













残念ながら、

まだ伸びしろのある改善が必要な社会です。






小山田圭吾さんのみならず、

私達も、まだ伸びしろがあり改善を感じます。












なので、

小山田圭吾さんだけを悪者にするのではなく、

自分のこととして、

「障害持ちになること」をリアルに考えていきたいものです。












グズグズとは言え、

オリンピック・パラリンピックが東京で開催。





障害持ちになることに関して、

思いを馳せるきっかけには、ぴったりの時期かもしれません。












最後までお読みいただきありがとうございます。

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この記事のライター

40ボウ

40年、人生を棒に振った人間が見た世界。 ダメダメな私です。 でも、 40年探し求めて、見つけました。 何を見つけたかは・・・・。 それぞれのページに。

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