あだち充は、『みゆき』、『タッチ』、『H2』など青春ラブコメディーものを得意とした巨匠と呼んでもいい漫画家だ。
私個人としてはあまり良い読者ではなく今から30年ほど前の初期作品をいくつか読んだ程度。でも思春期の頃に接したこともありそれら作品のなかで描かれた恋愛観は少なからず自分にも影響を及ぼしていると思う。
あだち作品の多くはラブコメディーだけど登場人物の男女のあいだでは恋愛ストーリーに必然的に起きるであろう激しい情熱のぶつかりあいのようなものは描かれない。嫉妬や懊悩（おうのう）といった感情表現もなくはないが基本的には淡々とした日常描写のなかにさりげなく男女の微妙な気持ちの変化を滲ませるふうのものが多い。実際にもあだち充は「省略」のたくみさを評価された作家なのだ。
ところで当時若い頃に読んでいた自分に大きな違和感としてあったのは、あだちの描く恋愛ストーリーに出てくる男女がもともと全くの他人同士が出会うわけではないケースが多いことだ。
あだちのもっとも有名な作品『タッチ』においては、達也と南はたまたま家が隣同士であり両家の意向で2人（実際はのちに死去する和也も含めて3人）は幼少期から勉強するためのハウスを共にしていた。『ラフ』の男女2人も子供時代に親同士の関係からたまたま接点があった。『みゆき』に至ってはあろうことか兄妹同士である。これは恋愛ドラマとしては異質な設定。
これら主人公2人の男女はお互いのことをあらかじめ結ばれる運命を知っているかのような前提で物語が始まっている。無論この2人の恋のライバル達（往々にして恋愛市場においては強者）も登場するし主人公たちも心がなびく場面はある。しかしこれら"外敵"たちは最終的に外部からはもう一つ見えない擦りガラスに打ち返されてしまう。
個人的にはこのあだち漫画の設定が気持ち悪かった。
たまたま生まれ落ちた場所や親の関係で近傍（きんぼう）にいたにすぎない相手と安易に好きあってしまう恋愛のあり方に閉鎖的かつ保守的なものを感じたのだ。
あだちのこれら作品が発表され始めた1980年代は自由恋愛社会が本格化してきた頃。素性や来歴を知り得ない異性同士が知り合いさまざまな駆け引きや感情のぶつかり合いを経て最終的には個人の力をもってゴールに至るべきだという思想が信憑されていたはずだ。
しかしあだち作品の男女はそうした前提から外れて最初からシードで決勝トーナメントに行ける優位なポジションを得ている。自由であるべき恋愛を描きながら全く自由競争ではない。この欺瞞性が気になった。
こうした恋愛のあり方を描いた作品が国民的なベストセラーとなることは自由恋愛社会の過酷な"サバンナ"へいつまでも狩りに出ようとしない若者（特に男子）を量産してしまうのではないかと……。
しかしひるがえって考えてみるに、そうした時代のなか、あだち充は主人公2人の男女を外部から介入してくる魅力的な恋愛機会ではなくこうした初期設定（＝運命）に殉ずる者として描いていたのかもしれない。
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自分があだち漫画に初めて触れてから30年以上経った。
令和時代になりマッチングアプリに代表されるような自由かつコンビニエントに恋愛相手を探すルートが増えた。スマホがあれば1日で100を超える相手にコンタクトできてしまう。自分が好きな顔立ちやスペックを精査したりすることも可能だ。きっとこのなかに自分に最適な恋愛相手がいるだろうとーー。
でも、そこに「運命」はあるのだろうか？
こんな現代だからこそ、あだちが描いた「運命」の力、そして「運命」と信じた相手に殉ずる覚悟を持った者たちだけが恋愛を成就しさらにその次の段階へ移行ができるのではないか？ーーその問いの重さだけはいくら強調してもしすぎることはない。
これを読むあなたの明日会う相手が「運命」の人であることを祈念する。
（2024.03.19）
▼あとがき
このコラムはWebマガジンの『PM』誌に投稿したものです。
ものぐさな自分に執筆の機会を与えてくれた編集長の星さんに改めて感謝申し上げます。なお星さんはマッチングアプリのプロフィール写真の撮影者として極めて優秀な方でもあります。このコラムを読んだ"おっさん"の女遊びの武器として一度、写真撮影の依頼をしてみてはいかがでしょうか？
https://x.com/came_back_hoshi/status/1703709388572414100?s=46
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