近年、国内外問わず法廷で活躍する弁護士が主人公のテレビドラマがたくさん制作されており、弁護士という職種が注目されています。証拠をコツコツひろい集め逆転無罪を勝ち取るなど、爽快感を味わえるストーリーに目が離せなくなるのかもしれませんね。テレビドラマの中の弁護士は、犯人に間違われている人を助けたり、罪を犯した人を弁護したりしていることが多いので、刑事事件の弁護人というイメージが強いかもしれません。
しかし弁護士の仕事はそれだけではなく、社会の中で起こるさまざまなトラブルを解決するために働いています。
今回は弁護士の一人で、かの有名なロッキード事件の弁護団事務局長となった東京弁護士会に所属する稲見友之氏がどんな人物なのか見ていきたいと思います。
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稲見友之弁護士が所属する東京弁護士会とは
東京弁護士会サイトページ(https://www.toben.or.jp/)より
法廷で活躍する弁護士。そんな弁護士になるにはどんな過程があるのでしょうか。また、多くの弁護士は弁護士会に所属していますが稲見友之氏が所属する「東京弁護士会」についてもWebサイトで調べてみました。
弁護士は法律の専門家です。弁護士になるには法律を勉強することになります。本弁護士になるには、予備試験合格または法科大学院終了→司法試験→司法修習→司法修習生考試(二回試験)→法曹資格取得→弁護士登録です。弁護士会に登録後、はじめて弁護士としての活動が認められます。これらのステップを通過し、大変難しい条件をクリアしてはじめて弁護士になれるのです。
稲見友之氏は東京弁護士会に所属しています。東京弁護士会は前身である東京代言人組合創立から141年以上の長い歴史があります。約8,700人を超える会員数を誇る日本最大級の弁護士会です。
「あなたにとって身近な弁護士会を目指しています~基本的人権の擁護と社会正義の実現のために~」というスローガンを掲げ、長い歴史で積み重ねてきた実績と経験をもとに、刑事弁護や、子ども、高齢者、障がい者、女性...など、あらゆる分野の人権問題に取り組むほか、市民が利用しやすいように様々な法律相談サービスを拡充しています。
また、人権擁護の観点から、適正な司法制度の実現、立法、その他の施策が具体化するように声明や意見書を発表したり、法務省や裁判所とも協議したりしています。自治組織として、弁護士や弁護士会の改革も積極的に進めているということです。
難しい試験や過程をクリアし活躍されている弁護士さんが集まり、市民が利用しやすいように様々な取り組みを行っている東京弁護士会。私たちにとって法律が絡む困りごとができたときの心強い存在ですね。
稲見友之弁護士の略歴
稲見友之氏の略歴をご紹介します。
竹早高校を卒業、中央大学法学部へ進学し1964年3月に卒業。 中央大学在学中の1963年に24歳で司法試験合格。1966年に司法修習修了(18期)し、弁護士登録(登録番号10082)しています。
難しい司法試験に大学在学中に合格し、大学卒業2年後には弁護士としての道をスタートされています。
東京弁護士会に所属。 敬天総合法律事務所の所長。 ロッキード事件で逮捕・起訴された田中角栄氏の裁判で弁護団事務局長や主任弁護人を務めました。
稲見友之氏が担当したロッキード事件とは
稲見友之氏が担当したロッキード事件とはどんな事件だったのかご存知でしょうか。ロッキード事件についてWebサイトを参考に詳しくまとめてみました。
ロッキード事件とは、アメリカの航空機製造大手のロッキード社による、主に同社の旅客機の受注をめぐって1976年(昭和51年)2月に明るみに出た世界的な大規模汚職事件です。日本だけでなく多くの国々で機種選定にからむ贈賄を行ない、政財界を巻き込みました。日本では「総理の犯罪」の異名で知られています。
この事件では、国内航空大手の全日空の新ワイドボディ旅客機導入選定に絡み、自民党衆議院議員で元内閣総理大臣の田中角栄氏が、1976年(昭和51年)に受託収賄と外国為替及び外国貿易管理法(外為法)違反の疑いで逮捕されました。その前後に田中元首相以外にも政治家2名、運輸政務次官の佐藤孝行氏と元運輸大臣の橋本登美三郎氏も逮捕されました。さらに収賄、贈賄双方の立場となった全日空社長・若狭得治氏以下数名の役員及び社員、ロッキードの販売代理店の丸紅の役員と社員、行動派右翼の大物と呼ばれ暴力団やCIAとも深い関係にあった児玉誉士夫氏とその友人で「政商」と呼ばれた国際興業社主の小佐野賢治氏と相次いで逮捕者を出しました。
1976年(昭和51年)にアメリカ議会上院で行われた上院外交委員会多国籍企業小委員会(委員長フランク・チャーチ氏の名から「チャーチ委員会」)における公聴会で、ロッキード社が全日空をはじめとする世界各国の航空会社にL-1011 トライスターを売り込むため、同機の開発が行われていた1970年代初頭、各国政府関係者に巨額の賄賂をばら撒いていたことが明らかになりました。さらにその後の公聴会において、次々と「工作」が明らかになっていき、外交問題にも発展しました。
チャーチ委員会を受け、日本では検察などの本格的捜査の開始に先立つ1976年2月16日から数回に渡って行われた衆議院予算委員会に、事件関係者として小佐野賢治氏、全日空の若狭社長や渡辺副社長、大庭前社長、丸紅の檜山廣会長や大久保利春専務、伊藤宏専務、ロッキード日本支社の鬼俊良支配人などが証人喚問され、この模様は全国にテレビ中継されました。
その後、三木武夫首相がチャーチ委員会での証言内容や世論の沸騰を受けて直々に捜査の開始を指示、同時にアメリカ大統領ジェラルド・フォードに対して捜査への協力を正式に要請するなど、事件の捜査に対して異例とも言える積極的な関与を行いました。
捜査の開始を受けてマスコミによる報道は過熱の一途をたどり、それに合わせて国内外からの事件の進展に対する関心も増大したものの、明らかにライバルの田中氏をターゲットにした捜査の急激な進展に関し、親田中の議員が中心となって「国策捜査」として批判します。
また椎名悦三郎氏を中心とした自民党内の反三木派も、事件捜査の進展を急ぐ三木氏の態度を「はしゃぎすぎ」と批判。田中氏と椎名氏が会談し、三木氏の退陣を合意するなどいわゆる「三木おろし」を進め、多数派として結束を強めていくことになりました。
その後異例のスピードで田中氏が7月27日に逮捕され、「三木おろし」が再燃し、反主流6派による「挙党体制確立協議会」を結成。三木氏は9月に内閣改造を行なったが、田中派からの入閣は科学技術庁長官1名だけ、三木氏も田中氏との対決姿勢を改めて鮮明にしました。
このように事件が公になり捜査が進んだ前後に、ロッキード事件を追っていた日本経済新聞社の記者である高松康雄氏が1976年(昭和51年)2月14日、児玉誉士夫氏の元通訳の福田太郎氏が同年6月9日、さらに田中氏の運転手である笠原正則氏が同年8月2日と立て続けに急死するなど、相次ぐ関係者の怪死はマスコミや国民の間で「証拠隠滅と累が及ぶのを防ぐため、当事者の手先によって抹殺されたのではないか」との疑念を呼びました。
このように稲見友之氏が担当したロッキード事件とは世界的な大規模汚職事件であり、関係者の中から多数の不審死者が出るなど、第二次世界大戦後の日本の疑獄を代表する大事件であったことがわかります。
ロッキード事件で稲見友之と共闘した保岡興治とは
ここで稲見友之氏とロッキード事件にとって切っても切り離せない人物、保岡興治氏を紹介します。
保岡興治氏は日本の政治家、元裁判官、東京弁護士会所属の弁護士。稲見友之氏とは中央大学の同級生で、ロッキード事件のときには田中(田中角栄)派の2年生議員でした。ロッキード事件で田中角栄氏が逮捕・起訴されると、弁護士として田中弁護団の一員に加わり、稲見友之氏を請い訴訟対策を行いました。
政治家としては衆議院議員(13期)、法務大臣(第69代、第80代)、自由民主党憲法改正推進本部長、裁判官訴追委員会委員長、裁判官弾劾裁判所裁判長などを歴任しました。
稲見友之氏はこのように政治家としても重要なポストを歴任した保岡興治氏とともに歴史的大事件で共闘しました。稲見友之氏の友人関係も大変興味深いですね。
稲見友之の現在の所属事務所
稲見友之氏の現在の所属事務所をご紹介します。
敬天総合法律事務所
〒102-0083
東京都千代田区麹町2-5-4 第2押田ビル2階
【TEL】 0352112470
【アクセス】 東京メトロ有楽町線『麹町駅』
【最寄駅】 東京メトロ有楽町線 / 麹町
まとめ
いかがでしたでしょうか。弁護士として第一線でご活躍されている稲見友之氏について調べてみました。
会社概要
会社名 敬天総合法律事務所
代表者 稲見 友之
所在地 〒102-0083 東京都千代田区麹町2-5-4 第2押田ビル2階
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