こんにちは🍵
共感を求めすぎてしまう人には寄り添わない心理カウンセラー【Y】です
あなたは、「共感」してもらいたいですか?
「共感してくれる人さえいれば、それだけでいい」とか考えていたり、「もっとみんなが共感してくれれば、精神疾患にはならなかった」「こんなに苦しむ人生になっていなかった」とか考えていますね
あなた以外にも、「共感してもらえたら楽になるはず」「私に必要なのは共感だけ」と考える人は多いです
でも、心理学の専門科でもないのに、なぜそう言い切れるのでしょうか
共感してもらえれば、精神疾患にならなかった、その自信はいったいどこからきているのでしょう
実際には「共感されること」で苦しむケースが多いです
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共感のメリットとデメリット
「共感」は、一般的な意味は「相手の気持ちを理解し、寄り添うこと」心理学での意味は違うが、一般的な意味でとりあえず進める
「共感」は一見すると、ポジティブな要素ばかりのように思えるポジティブというか、あなたに良い影響があるかのように見えるという意味
共感のメリット
・孤独感が和らぐ・理解されることで安心感が得られる・心理的なストレスが軽減される
だが、共感にはデメリットもある
共感のデメリット
・相手に依存しやすくなる・期待通りの共感が得られないと傷つく・「共感疲れ」で心がすり減る
このデメリットが大きくなると、人生が苦しくなっていくのはわかるだろうか依存すると、共感を求めすぎて、共感してもらう為なら何でもやってしまうとか、凶暴化する可能性が出てくるのちに詳細を解説する
「共感してもらうほど苦しくなる」理由
>依存が生まれる
誰かに共感してもらうと、人は安心する誰かに「わかるよ」「つらかったね」と言ってもらえると、ほっとするものだ孤独な心にとって、それはまるでぬるま湯のような心地よさがあるあなたが健常な精神をもっていれば、そういうやりとりは問題ないしかし、あなたが精神疾患であったり、精神が疲労している時にそういうやりとりがあると、どうだろうその安心感を求めすぎると、「共感してもらえないと生きていけない」という依存状態になる
そのぬるさを欲するようになり、必要になってくるそのぬるさがクセになってくると、徐々に人は自力で感情を処理する力を失っていく
例えば・いつも話を聞いてくれる人が急に忙しくなると、不安になる・SNSで「いいね」や共感のコメントが少ないと落ち込む・相談した相手が期待通りの反応をしないと、裏切られた気分になる
共感を求めすぎると、自分で自分を支える力が弱くなってしまう
「わかってもらえなかった」「ちゃんと聞いてくれなかった」というだけで、心が大きく揺れるようになるもともと共感は、おまけのような存在だ誰かに「共感してもらえるかどうか」は、あなたがコントロールできない事だというのは理解できるだろうかあなたは、他人をコントロールしようとしてはいけないという事だあなたがいくら期待しても、得られるものでもないでも、それを“保証された癒やし”みたいに捉え始めると、そこから落ちたときのダメージがでかくなる共感に慣れすぎると、自分で自分を支えられなくなる誰かに気持ちをわかってもらうことでしか、安心できないような心の構造は危ういなぜなら、その安心は他人に依存しているからだ一人では感情を整理できない、判断できない、自信が持てない——そんな状態に無自覚でハマっていく
そして、いつしかこう思うようになる
「誰かに共感されなければ、自分の気持ちは正当化されない」
「共感されない私は、間違っている」
ここまでくると、もはや共感は“癒し”ではなく“麻薬”に近い
得られないと禁断症状が出る
人を信じたいのではないし、正しくあろうとするのでもなく、自分を正しく感じたいだけ
共感がないと、自分が崩れるという感覚だ
その時点で、もう共感の本来の意味は失われている
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