東日本大震災後、石巻市立大川小学校を訪れました。
校庭に108人の小学生が、先生の言われるとおりにして、待ってたんです。
そして、74人が死亡または不明。
校長は生き残った。
一方の、釜石市立釜石小学校。
184人の児童全員が自力で巨大津波を生き延びた。
「てんでんこ」
津波てんでんことは、三陸地方で言い伝えられている言葉である。
てんでんことは、てんでばらばらの意味。
津波の際には親や兄弟にも構わずにとにかく逃げろ、そうすることで一家全滅を逃れることができる、という意味合いを持つ。
そうでもしないと逃げ切れないという、津波から避難することの難しさを示している。
自らの意思で、自らの行動を起こす。
同じ、小学生で、指導者の違いで、明暗を分けた。
取り返しのつかないことだった。
こんなコラムがありました。
「心を込めずに言葉を探すより、言葉を探さずに祈りに心を込める方がよい」。
インドの指導者ガンジーがそう語っている。
あの時ほど、言葉が無用だと知ったことはない。
(中略)
人が一心に祈るとき、本当に必要なものは、わずかな場所と時間だけらしい。
祈りの先には必ず相手がいる。それは別れた家族かもしれないし、復興に頑張る働き手かもしれない。
人と人が線で結ばれ、無数の見えない糸が日本中に張りめぐらされる。
14時46分。また静かに目を閉じてみる。たぶん特別な言葉はいらない。
10年前の記事です。
能登の復興に祈りをささげたい。