このtipsはぼくがどんな人生を歩んできたのか気になるというファンからの熱いメッセージに応えて28歳の誕生日に書いている。最後まで読むとなぜ連続で世界大会やイースポーツワールドカップに出場するようなプロゲーマーになれたのかがわかると思う。
まず初めに断っておくと、生まれについてはごくごく平凡な家庭に生まれた。父は普通のサラリーマンで母は短大卒の専業主婦なので遺伝的に抜群の素養があるというわけではおそらくない。
今期のTFTの戦績


物心ついてから幼稚園まで
ぼくは兄弟のいない一人っ子で、両親の愛を目いっぱい受けて育った自覚がある。生まれは福井県で生後半年まで母の実家で暮らしており、その後は埼玉県に住んでいる。
幼少期はきかんしゃトーマスと本が好きで、ディズニーが嫌いだった。人より話したり読んだりするのが早かったようで、一歳半検診でそのことを話したところ、母が虚言癖だと疑われて激おこだったらしい。
小学校 合理で詰める小学生
小学校ではあまり授業を聞かない子どもだった。単純に母が数の概念を幼少期から教えてくれていたので既に知っている話ばかりだったからだ。面白そうな話をしているとき以外は基本おしゃべりするか、本を読んでいた。
休み時間は主におにごっことドロケイをしていた。ぼくのプレイスタイルは長期戦であり、あまり足が速くなかった代わりに持久力はあったので、縄文人がマンモスを狩るときのように一人を徹底的に追いかけ続けて逃げつかれたところを確実に仕留めていたという証言が複数あるのでおそらくやっていた。冷静に考えれば非常に合理的な戦術だと思う。
小3のときに割とクソカスよりの教師に「お前を中心に世界は回ってない、この自己中野郎が!」と怒鳴られたが「人は自分の目線からしか世界をとらえられないのに、自己中心的でない人間というのは存在するんですか?」と煽り返した記憶がある。
おすすめの習い事
習い事はいろいろやっていたが、水泳は1年生から中学に入るまで週1で通っていた。1時間泳ぎ続けるのは正直かなりつらかったが、終わった後に17のアイスを食べられるということで頑張って続けていた書道は3.4年通っていた気がするが、今現在マジで字が汚いのであまり意味はなかった。読めさえすればいいものをきれいに書こうという思想に共感できない。英会話は正直キツいなと思ってやめた。謎の歌を歌わせられるのがマジでキツい。空手は3年くらいやった結果、暴力に対する瞬発力と蹴りと殴りの威力が上がった。いじめのターゲットになった場合に子供を守ってくれるのは、直接的な暴力が最も手っ取り早く確実なので男の子には履修を推奨する。ピアノは3年ほど習っていたが、指の動かし方が上手くなっただけだった。家での練習は数えるほどしかせず、引いていたのは週に30分のレッスンの中の半分くらいな気がする。残りは先生とおしゃべりしていた。トータルで考えると子供が特段やりたがらない限り、水泳と空手以外は投資効率が悪いと思う。
受験と初恋 努力する人を好きになる。
小学校4年生からは中学受験に向けた塾に通い始めた。週に2回17時から21時まで途中で休憩を差し引いても放課後に3時間の勉強と思うと、勉強が嫌いな子供には地獄だったかもしれないが、僕自身はそこまで勉強が嫌いじゃない。というかむしろ新しいことを知るのは好きである。休み時間に置いてある本を読んだらパズルを解いたり、アマ6段の先生と対戦して将棋を教えてもらったりとかなりエンジョイしていた。塾のない日は友達と外で遊んだり、家の中でスマブラなりマリオなりをしていた。思い返せば人生で一番楽しい時間だった可能性が高い。出会うすべてが新鮮だった。この塾で初恋イベントが発生する。ぼくが好きだったのはひなのという常軌を逸したレベルで努力をし続ける女の子だった。すべての宿題をさぼり、暗記科目の教科書は読むだけ、算数も基本例題だけ眺めて終わりだったぼくとは対照的に、ひなのは生活のすべてを学業に捧げていた。ぼくらがご飯を食べているときすらも教科書と問題集にかじりついて勉強していた。他の女の子たちからはハブられ、半ばいじめられていたが無視して勉強していた。ひなのの母親は超絶スパルタだった。とはいえ母親本人も非常にストイックで聡明な人だったので、わめいているだけのヒスママというわけではない。むしろ逆に逃げ場がなくてきつい。なぜひなのを好きになったのか、今ならはっきりと言語化できる。理由は二つある。自分に持っていないものを持っていたから。そのためにひなのをとても尊敬していたからだと思う。もう一つはプレッシャーをかけ続けられ、周りに味方がいないという悲痛な心の叫びに気づいてしまったからかもしれない。休み時間は勉強を止めさせてでも、ひなのに話しかけるようになっていった。ひなのもはじめは迷惑そうにしていたが、次第に打ち解けていった。2年近くぼくは1度たりとも彼女に成績で勝ることはなかったが、あるとき月次ではない実力模試で上振れて勝ったことがある。その後のひなのはこれまでとは人が変わったように、さらに勉強に打ち込み始めた。ぼくがひなのの限界だと思っていたラインは全くひなのの限界ではなかったらしい。6年生になるとさすがのぼくもやる気がでてきた。なんだかんだぼくらは切磋琢磨して本番2月1日を迎えた。ぼくの志望校は開成中学という難しめの学校だったが、過去問解いた感じでは甘く採点すれば2年に1回、厳しく採点すれば5年に1回程度しか受からない感じだったので「まぁ落ちてもしゃーないっしょ」という気持ちで受けに行った。一番苦手だった算数の問題は勘で書いて答えを当てた。理社は全員が満点近く取ってくるのでほぼ差はつかず、一番得意の国語は入学後に採点した先生から良い答案だったと褒められる程度にはよくかけていたらしい。ちなみにひなのは第一志望に落ちた。関係者全員が驚いていた。いいときは首都圏で1桁台、悪い時でも二桁台の成績だったひなのが落ちたのはマジでショックだった。「頑張っても報われるわけじゃないんだな」と悟った。ひなのとは付き合うみたいな話もあった気がするが、違う学校に通ったことで日常的に会う機会がなくなって自然に消滅した。顔は全くタイプではないのに人間性に強く惚れた。それからひなのという名前の子を見ると3割増しで可愛く見える。ぼくの心の中に強く刻まれているんだろうなと思う。逆にそんな初恋となったことで、「人が人を好きになるのに外見って全然重要じゃないんだな」という哲学が生まれたともいえる。
冷静に考えるとこれはぼく側から見たら際の真理であり、相手から見た真理ではないので、もう少し見た目に気を使って生きたほうが良かったことは間違いないなく、のちのアクションの成功率を下げてしまったと考えられるが、近年まで全く容姿に無頓着で過ごしてきてしまったことをかなり後悔している。
この文章が万が一ひなのに届いてしまったら結構恥ずかしいのだけれど、僕の中におけるひなのはひなの以外の誰でもないし、ここで代名詞を使ったら欠落するものが生まれてしまうと思ってあえてひなのと表記した。ごめんねひな。もう15年以上も昔のことだから許して欲しい。ひながどこかで幸せに生きていることを願っています。
突然始まったポエムに驚愕された皆さんも多いだろうが、僕の人格を形作るうえでひなのという存在は明らかに欠かせない要素だったのでかなりの紙面を割いた。
中学校編 人生初の挫折
ワンチャンをつかんで入学して開成中学校は厳しい環境だった。この頃から急激に幼少期特有の初見の知識がそのまま定着するというチート級の記憶力が低下してきたぼくは、学年最下位付近をさまようこととなる。それまでの環境で自分がどの枠組みにおいても底辺においやられるということは経験したことがなかったので、これにはかなり驚いた。別に今までのそれは才能ではなくて、運が良かったり、勘が良かったり、親が頑張ってくれただけなのだが、ここにきてまざまざと自分の地力の低さを見せつけられて辟易……してもいなかった。
中高一貫校の良いところであり悪いところでもあるのが、高校受験しなくてもいいというところである。ぼくはその長所を生かして3年間遊びまくる計画でいたため、既に勉強には全くと言っていいほど興味がなかった。東大専門予備校と呼ばれる恐怖の監獄鉄緑会を半年でリタイアしたぼくはチョコットランドというゲームにはまっていく。ちなみに鉄緑会に行くたびに謎の頭痛に襲われ、授業を受けることができなかったのがリタイアの理由なのだが、その原因は某パンサンドのメープルシロップ味だった。ぼくはこの味が割と好きで毎週塾の前にだけ食べていたのだが、ある時売り切れていてコッペパンを食べてから行った結果、頭痛に悩まされることなく授業を受けることができた。比較実験のためその翌週も某パンサンドメープルシロップ味を食べたのだが、見事にとてつもない頭痛に襲われたことで原因が推定された。その後1か月時間をおいてから再び食べたが、やはり強烈な頭痛に襲われたので確実にこのパンはぼくの適応食材ではないことは確かであり。ぼくは一部の加工食品や食品添加物で頭痛が起こるタイプだということにこの時気づいた。原因不明の頭痛や体調不良に悩まされている人は、ぜひたまに食べるものを変えてみてほしい。最近遅延フードアレルギー検査を受けたら小麦と卵と乳製品に割と強い反応が出てびっくりした。最近は小麦と乳製品と卵を控えているが、長年煩わされていた花粉症の症状がかなり治まっている。毎年家の中にいても鼻水が止まらなかったにもかかわらず、今年は外を1時間歩いてきても少しむずむずする……かな? 程度だったので明らかに意味はある。
チョコットランドで商売を学ぶ
チョコットランドはハンゲームが運営するMMORPGであり、古き良き2Dアクションゲームだ。モンスターを倒して素材を集めて装備を作り、より強いモンスターを倒すというありがちなゲームなのだけれど、ぼくがこのゲームにのめりこんだ理由は、初めて出会ったMMORPGだからに他ならない。もしメイプルやラグナロクと先に出会っていたらそっちをやっていたと思う。このゲームからは本当に多くのこと、主に人間の邪悪さについて学ばせていただいたが、最も時間をかけたのは取引板での取引である。13歳当時のぼくは両親の強い影響でネットゲームに対する課金を悪であり非常に愚かなことだと考えていたため、課金してゲーム内資産を手に入れることはできなかったが、強い装備を手に入れるために何かしらの手段で資産を得る必要があった。そんなとき取引板で利益を上げている人の存在に気づいた。通常取引板は物々交換の世界であり、同じくらいの価値のものを交換していた。ただし例外もいて、大量の商品の在庫と大量の買い取り品目を備えた商人のようなプレイヤーも一部いた。そして欲しいものと等価なものを自分が持っていない場合には多少割高であっても、人は商品を買う。逆に在庫処分したいと思っている人は多少相場より安くしても早く売ろうとしていた。一応ゲーム内アイテムを持てる個数には制限があったので、在庫を処分することにも一定の合理性がある。ぼくは大幅ナーフされてなお普通の人よりは良い記憶力を活かして数々のアイテムの相場を覚え、四六時中掲示板に張り付いて、誰よりも早く有利な条件を出している板に部屋名をコメントし、外出している間の取引ログも読み込んで相場の変動も確認していた。その中で一定の資産は溜まっていったが、元手が少額だったため、あまり大きな儲けを出すことはできなかった。最終的には引退時にアカウントを売却しても数万円ほどにしかならなかったのはかなり寂しかった。1年以上かけた成果があまりにも少なかった。時給にしたら数円だと思う。このお金で電子辞書を買った。ちなみにぼくの従兄弟はお年玉を積極的に課金して資産を増やしてから取引をしていたため、RMTで120万くらい稼いでいたことを後に知った。ここから得た教訓は「初期投資を惜しまないこと」だ。もし10万円分でもリアルマネーが入っていれば、少なくとも300万は稼げていた。ぼくがプレイしていたのはチョコットランドの最盛期であり、従兄弟はぼくが引退して数年たったあとの勢いが衰えていたころだったことを加味すると、それくらいになると思う。初期投資を惜しむなという哲学は今でも強く生き続けている。チョコットランドからあと2つ学んだことがあるとすれば詐欺を行わないことと詐欺にあわないことだろうか、取引で詐欺を繰り返すと取引板への書き込みが禁止されてしまったり晒し上げられることで次の取引が難しくなってしまうし、詐欺にあうと資産を目減りさせてしまうことになる。RMTは大抵のゲームで規約違反なので推奨しませんが、
ポケモン対戦と出会う esportsとの出会い
本格的なesportsとの出会いはポケモンだと思われる。ポケモンブラックホワイトからはレート制が導入され、すべてのプレイヤーがレートという指標のもとに順位付けされることになった。ただ冷静に考えると最初にesports的な何かと出会ったのは中学受験かもしれない。頭を使ってものを考えた結果を一律の指標で評価されるという意味で行くとゲームも受験も大差はない。ということはおいておいて、僕はポケモン対戦の面白さに魅せられていく、学校にはwifi環境がなく対戦できないため、学校や通学時間はポケモンの覚える技がすべて書いてあるポケモン図鑑とノートをもって構築を考えていた。ここで学んだことはゼロベースで考えることの重要性と相手視点で批判的に考えることである。当時のポケモンには有名強者が考えたテンプレートがいくつか存在しており、テンプレートを模倣する人の数もかなり多かった。当然だが、テンプレートをコピーするだけで圧倒的に勝つことは難しい。なぜならテンプレートは広く知れ渡っており、相手も当然テンプレに対する対策をしてくるからである。ここに対してぼくが取ったアプローチは二つある。一つはアイデアベースで得られた強力なコンセプトを軸に構築を組んでいく方法だ。先人の知恵に頼ることはできないが、代わりにすべての可能性を総当たりで考えた上で最適化することができる。相手の勝ち筋を完璧にすべてふさいで組みあげられたときの達成感は代えがたいものがある。自分だけのコンセプトをくみ切れた場合のリターンは非常に大きい。2年間で6個ほど完成度の高い構築をくみ上げたが、その中での最高傑作はテンプレ構成と完全に同じ構成に見せかけて中身をすべて入れ替えたものである。グーだと思ったらパーで、パーに見えるものがチョキ みたいなめちゃくちゃな構成がきれいに収まっている。ポケモンを知っている人がいたら嬉しいので話すと、鉢巻きガブリアスが物理防御特化のクレセリアを高乱数2発で落とせたり、ハッサム地震で確2で落とせるということを活かして、素早さで負けているはずのラティオス対面で初手地震か逆鱗を打つという動きを想定したコンセプト。さらに裏にイバン追い風スイクンを入れてガブ再臨からの全抜きも狙えるものとなっている。かなりオタクな話となってしまったが、対戦相手の視点から自分がどう見えているのかというのは対戦ゲームを強くなるうえで非常に重要な視点だと思う。とくに相手目線で何が怖いのかを丁寧に考えると相手が取りづらい手が浮かび上がってくるのでそこにつけ込むことが可能になる。ポケモンのシングルではほぼ常にレート10位以内に入っており、瞬間的に世界1位を取ったこともある。今この瞬間自分が最強であるという感覚は何事にも代えがたいほど気持ちいい。やるからには1位を目指すべきだ。
LoLと出会った高校編
さすがにそろそろ勉強するかと思い立つ。高1の夏に東進ハイスクールにいったらセンター英語100点/200点くらいで笑った。現代文だけできていたが、ほかはボロボロだった。東進はまず英語をやらせる方針なので、安河内先生というにぎやかな先生の講義を受けていた。特徴としてはあまりにもわかりやすいし声がでかい。ネット単語帳みたいなのが結構便利で、ひと夏過ぎるころには160点くらいになった。とはいえ3年間さぼっていた人がいきなり勉強に打ち込めるはずもない。高3の冬にLeague of Legendsと出会う。東進のPCでチャレンジャーのエイトロックスの動画を見ていた記憶がある。2週間くらいでレベル30に上げて、ランク戦に突撃した。結果はシルバー5スタートでブロンズ4まで落ちた。当時はアイアンがなくブロンズ5が最下層だったのでその一歩手前まで行ったことになる。当時あまりにもお手軽で強かったリワーク直後のサイオンやえびくんのブログにあったパンテオントップ(リワーク前)を使うことで1か月くらいでゴールドに行った。ちなみにLoLの合間に勉強していた結果、何事もなく東大に落ちた。とはいえ自分が浪人して勉強できる気は全くしなかったので、滑り止めとして受けていた慶應にする―っと入学した。
大学1.2年 失敗した大学生活とLoL漬けの日々
大学は声優研究会に入ったが、特段声優に詳しいわけでもなくシンプルに高校の同級生が部室を回ってる時に二人いて、そこで出会ったため入った。部室ではボードゲームをしたりたわいもない話をしていた。
正直、大学生活特に最初の2年間についてはかなり改善の余地がある。まずクラスになじめなかったのは良くなかった。最初のクラス会を二連続で行きたいサークルかなんかの新歓に行ったのは本当にミス。大学生活の難易度がやたらと上がってしまった。ただ春学期、カンペ持ち込み可のテストにすら何も持って行かず、何事もなく10単位落とし、第二外国語のスペイン語でもクラスで一番低い点数を取って、スペイン人の女の先生に真顔で説教されたので、単純に僕が勉学を舐め腐っているだけかもしれない。
正直そんなことはどうでもいいくらい、ぼくはLoLに熱中していた。親にも2年間全力でやらせてほしいとお願いしてプロになろうと思って取り組んでいた。だいたい2年くらいで当時の日本サーバーで50位くらいまではいくことができたが、あと2年努力してえびくんに勝てる未来が全く見えなかったのでプロの道はあきらめた。当時の日本のLoLシーンではLJLを優勝したチームしか世界大会にいけなかったので、せめて自分のロールで最も強い選手になる必要があったが、世界に行ける選手にならないならやる意味がないとも思った。lolはかなりミクロ、操作が重要なゲームだが、自分の操作技術が韓国のトップ選手に追いつける気は全くせず才能の壁を感じた。
大学3.4年
大学3年からはゼミに入ったので、1.2年でクラスに溶け込むことに失敗したぼくだが、ゼミにはなじむことができた。というより空気を作ることのできる今年度から慶應にきた先生のゼミを選んだ。単純に先輩がいたらうざいからみたいなところもある。ぼくは権威とか上下関係みたいなものにアレルギーがあるので基本的に権威を振りかざす教師とは折り合いが悪いし、会社の上司という存在も尊敬できる人でない限り気に食わない。明らかに社会不適合な性質を持っているので、よほど高い尊敬できる人しかいない環境でしか真剣に働くことは難しい。働けるとしても凄腕の直下か小さくても領域について完全に裁量を預かるかのどちらかだと思う。ちなみにゼミの内容は計量経済学、経済学のモデルを統計学の手法を使って実践に移そうという学問で、具体的な話はだいたい忘れたが(先生泣いちゃうかもしれない)、ここで腰を据えて学んだ統計的誤りや統計を用いた嘘についての洞察はなんだかんだすごく役に立っている。たまに「TFTやってる人は高学歴が多いですが、良い大学行ったほうが良いですか?」と聞かれるのだが、TFT上手くなりたいだけなら東大行っても慶應行ってもあんまり意味はないと思う。それなら直接TFTの勉強をやったほうが明らかにコスパが良いし、強い人に弟子入りでもしに行くほうが良いと思う。
大学3年の就活終わり間際の時にTFTがリリースされた、面白すぎてずっとやっていた。
就活 圧倒的社会不適合者
就活はかなり早く始めたにもかかわらずありえないほど沼にはまった。そもそもきみ就職に向いてないよねという話は本当にそうなのだが、今考えると理由は大きく分けて3つあると思う。まず身だしなみ、極端に容姿端麗である必要はないというか、本当はなりたいがなろうと思ってもなれないので考えても仕方ないのだが、眉毛を整えるとかワックスで髪を固めるとかはしたほうが良いと思う。ぼくはひなの一件で容姿というものは人間の価値においてさして重要ではないと考えいたので、ありえないくらい無頓着だったのが1つ。2つ目は単純に人間性として扱いづらすぎる点、独立気風が強すぎる上にやたらと口が回る上にするどい新人は明らかに扱いづらい。ぼくが面接官だったとしても確定で不合格にするだろうなと。単純にぼくの部下になったら嫌なので。ぼくは自分みたいな子どもが来たら嫌だなという理由で教職には死んでもなりたくないと思っている。3つ目……どころではすまない気はするが単純に疑問が顔に出ていた気がする。「なんで働かなあかんねん」っていう。そもそもぼくは働きたくない。好きなことだけをして生きていたい。そういった感情が人よりも10倍くらいある。今思い出したが線が細いのはめっちゃマイナス。デブになれとは言わないが、細すぎるのはかなり力弱く見える。ちなみにありえないくらいでかい声で「失礼します」と言うことで線の細さを補えることに就活の終盤に気が付いた。それまで入室の時は普通の声で「失礼します」と言っていたが、落ちすぎてやけくそになって死ぬほどでけえ声出して面接官ビビらしてやろうと思い立ち「失礼します!!!!!!!!」と言った面接でとても高評価を貰ったことで気づけた。きれいにでかい声を出せると広くない空間であれば振動が感じ取れるので目安にしてほしい。この方法は、僕と同様に線の細そうな人3人に教えたが、落ち続けていた人たちがいきなり受かったので、でかい声を出すことにはたぶんマジで意味がある。
岡目八目 自分の適性とは?
囲碁の言葉ではたから見ている人の方がいい手を思いつく現象のこと。まさに自分を表した言葉だなと思っている。中学受験の塾では、カンニングを疑われて一番下のクラスの子たちと一緒に理解を確かめながら勉強してそこでテストを受けたら僕の成績は普段と変わらず、一緒に勉強した子たちの理科の成績が初めて二番目のクラスの平均点を超えたり、大学受験の時には音読室で学習相談に乗ってどの範囲をどう勉強するべきなのかの計画を代わりに立てて、ぼく以外の全員がかなりストレッチの効いた目標を立てていた人も含めて第一志望に受かったり、就活でもESの添削や模擬面接を手伝った人の予後は非常に良かったのでもちろん本人の頑張りは不可欠だが、おそらく教えるというか適切な道のりを組むための能力はかなり高いと自負している。
この理由としては自分が本当に怠惰であり、自分が通ってきた物事に関しては徹底して最短ルートや効率のいい方法探しているためだと考えられる。怠惰さとは難儀なもので、その性質上ぼく自身はプレイヤーとしてはあまり優れていない。本当に好きなことしか頑張りきれないし、必要でもやりたくないことをさぼる傾向にある。一方でコーチや設計者としてみると非常に稀有な性質を持っていて、他人の幸福や成功を妬まないというものがある。結局他者の幸福の変動がぼく自身の幸福に連動していないのであれば、成功している人をうらやんでも意味がないと本気で思っているからだと思う。そういう点で行くとむしろ他者の成功と自分の成功が連動して動くようなモデルをくみ上げることがぼくにとっても、携わるクライアントにとっても重要なのかもしれないなとふと思った。
結びに
いつか自伝チックな何かを出そうかなと思っていたのでとてもいい機会だった。昨年の誕生日に立てた目標は宣言したものが3つ、これらよりもはるかに重要だが宣言していない目標が1つあった。宣言したのは結婚、体作り、世界大会優勝である。進捗率はそれぞれ4割、3割、5割、9割くらいかなと思う。
結婚に関してはいくつかハードルがあるものの、まぁ何とかなりそうだなと思える地点には来た。
この中だと体作りが一番きつい。単純に食べるという行為が辛い。機械的に食べるメカニズムと家から近いジムというか自重トレーニングの週間が必要だと思う。
一時的ななモチベではどうにもならないので、習慣化を習慣化するみたいな長年逃げ続けてきたところにメスを入れる必要がある。正直何をすればいいかの道筋は完璧に立てられているが、非常に気が重い。
正直、世界大会の優勝は努力でどうにかなるものではないので、目標としては不適格ではある。現実的な目標なら1年で2回以上世界大会に出場することになると思う。これは運が悪くなければ努力次第で達成しうる。ただ運が悪ければどんだけ上手くても1回も出られなくてもおかしくない。
実際のところTFTで世界大会優勝するのは運が多分に絡むので、生きているうちにできるかが怪しい。titleなども話しているが、明らかに選手の平均的なレベルが上がっているので以前のtitleレベルで一人だけ圧倒的に上手いという状態を作ることはもう不可能だと思う。そのため優勝確率は世界最強の選手であってもせいぜい10%くらいだと思っているし、そもそも最強の選手が世界大会に出られない可能性も十分にあるレベルで今の競技は厳しい。
概算してみるとぼく自身apacで10位以内に入る選手だとは思うので、世界大会に出られる確率が多めに見積もると5割ほどはあると思う。今現在2期連続で出られているのでそれほどおかしな設定ではない。そして世界大会40枠の中で半分よりは上手いが、top8に入れているかはセット次第だと思うので優勝確率で見ると5%ほど、これをかけると1setあたりの優勝確率は2.5%ほどかなと思う。40set、約13年間戦えば63%くらいで1回は優勝できることになるが、ゲームの進歩がめっちゃ速くなり他のプレイヤーがふるい落とされるかつ、ぼくがくいついていけるとかじゃないとここから大幅に勝率が上がるとは思えないので、おそらく今からあと5年くらいの間で勝てなかったら厳しい。とはいえTFTには運が多分に絡むので80歳のじじいになっても勝てる可能性はある。
あと目標には組み込んでいなかったが、メンタルコントロールに関してはこの1年でかなり成長したなと実感しているポイント。この間のプロサーキットははっきり言って運が悪く、ティルトを引き起こしやすい散々な試合が多かったけど、ほとんど心を乱さずに6試合戦いきれたのは成長を感じた。TFTは心技体をバランスよく伸ばしていく必要があるけれど、メンタルでありえないくらい損をして適性レートより下にいる人は多いと思うので、近々メンタルコントロールの技術を教材にしてしっかり伝えたい。
一応体についても3食徹底して食べるようにして多少は体重増えたけど、目標まであと10kgくらい必要っていう……。
28歳からの1年も良い1年にしたいですね。