ここのところ、ノーセックスあらた氏がコラムに登場していないと感じている読者の方も多いのではないか。以前よりコラムへの登場回数は減ったのものの、ノーセックスあらた氏は界隈で著名な人物である。
事実として、コラムのPVは依然として増え続けている。
一時は単女と遊ぶために、ノーセックスあらた氏を騙る、「ノーセックス詐欺」が現れた程である。
もぐにん氏のその一人である。
そのようなこともあって、以前からコラムで取り上げる機会を窺っていたところ、ハップマン氏と興味深いやりとりがあった。
今回はノーセックスあらた氏とハップマン氏のやりとりを補助線に、ロマン主義者としての両者の実像に迫っていきたい。
まずは、私のコラムにキーワードとして頻度に出てくる、ロマン主義という概念の意味するところについて明らかにしていきたい。手持ちの辞典よりも内容が簡潔であったので、Wikipediaを引用した。
ロマン主義(ロマンしゅぎ、英: Romanticism、仏: Romantisme、独: Romantik、伊: Romanticismo、西: Romanticismo、葡: Romantismo)は、主として18世紀末から19世紀前半にヨーロッパで、その後にヨーロッパの影響を受けた諸地域で起こった精神運動のひとつである。それまでの理性偏重、合理主義などに対し感受性や主観に重きをおいた一連の運動であり、古典主義と対をなす。恋愛賛美、民族意識の高揚、中世への憧憬といった特徴をもち、近代国民国家形成を促進した。その動きは文芸・美術・音楽・演劇などさまざまな芸術分野に及んだ。のちに、その反動として写実主義・自然主義などをもたらした。Wikipedia
このようにロマン主義とは、理性や合理性に抗う精神的な構えであると考えて良いだろう。
そうすると、ハップマン氏は理性的でないばかりか、合理的でもない。それはあえて説明せずともTwitterでの裏垢女子に対する無差別攻撃を見れば理解できるだろう。しかしそれだけではない。主観や感受性に重き、昔のハプバーに対する強い憧憬を抱いているのだ。かつてのハプバーを対象としたロマン主義者であることに疑う余地はないだろう。
このように、ハップマン氏は過ぎ去った時代に対する憧憬、つまりのノスタルジアとしてのロマン主義を追求しているのだ。
一方、ノスタルジアは、長引く戦争によって、故郷に対する憧れから前線の兵士に生じる心の病としての側面も持つ。
そう考えれば、ハップマン氏の常軌を逸したTwitterでの振る舞いも説明が付くのではないか。
ハップマン氏は、時代の変化によって失われた、かつてのハプバーを強くて希求するあまり、故郷に憧れる前線の兵士の如くノスタルジアに感染しているのだ。Twitterで、ハプバ界隈女子や裏垢女子に無差別テロを仕掛けるようになったと考えられるのだ。
コラムで何度も主張しているように、ファナティックなハップマン氏のTwitterでの言動は、道徳的な見地から到底擁護できるものではない。しかし、私がそのことを積極的に批判せずに、むしろコラムで取り上げる理由の一つは、このノスタルジアという病が関係しているのだ。
一方のノーセックスあらた氏はどうであろうか。
氏もまたロマン主義者である。ただし、ルッキズムやエイジズムが蔓延っていたとしても、今のハプバーをハップマン氏のように否定はしない。むしろ、現在のハプバーにある、ミジンコが地球を破壊するような困難さを肯定するのだ。このようなあり方こそ、合理性を否定し感受性を重視するロマン主義に他ならないと言えよう。
したがって、ノーセックスあらた氏はあくまでも人間性に重きを置く。それは人間性を軽視するような合理的な手段で目的を達成することは認めないという証だ。
このようにノーセックスあらた氏にとって、ノーセックスは人間讃歌であると言っても過言ではないだろう。
しかし、そのような理由で人間性を重視した結果、ハプバーに定期的に通い、毎日のように裏垢でツイートしているにもかかわらず、少なくとも4月以降は全く女性と交わる機会のない修道士のような生活を強いられているのである。
実際のところ、修道士の集まり(騎士修道会)であるテンプル騎士団のような存在であると自認しているのである。
ノーセックスあらた氏は騎士道の崇拝者でもあったのだ。一度ここで騎士道について確認してみよう。
宮廷風恋愛 [フランス]amour courtois フランス フランスの封建社会が安定期に入った12世紀以降,王や各地の貴族の宮廷において,ある雅(みやび)な風習が広まったといわれる。騎士が意中の恋人と思い定めた貴婦人を憧(あこが)れ慕い,身をおとしめてひたすら奉仕することに喜びを見いだしたというのだが,一方向的でプラトニックなこの精神的な恋愛の理念,あるいは様式を宮廷風恋愛(アムール・クルトワ)と呼ぶ。世界文学大事典
引用文をご覧いただければわかるとおり、騎士の恋愛はノーセックスを基本としていたのである。(プラトニックとは肉体の交わらない精神的な愛を意味する)
そう考えると、ハプバーでは意中の単女を憧れ慕って、一切の肉体的な接触を伴わずに奉仕することで、騎士道を貫徹していたと考えられるのだ。
このように、ハップマン氏は過ぎ去り時代に対するノスタルジアとしてのロマン、ノーセックスあらた氏は単女に対する騎士道精神に基づく精神的な愛としてのロマンを追求していたのである。
二人の根底に通奏低音として流れるものはロマンに他ならない。しかし、その音色はハーモニーとして永遠に交わり合うことはないのである。それは冒頭で申し上げた以下のやりとりをご覧いただけば一目瞭然だ。
お互いが追い求めるロマンが異なるため、当然と言えよう。しかし、ロマン主義者としてお互いにリスペクトしており、紳士的なやり取りに終始した。
そして、ハップマン氏はノーセックスあらた氏にエールを贈る。僭越ながら、私もその輪に加えてもらい、ある歌の一部を改変して送らせていただいた。
ここでは原文を引用して、コラムの結びに代えたい。
War is over if you want it.Happy Xmas (War Is Over) / John & Yoko
ハプバーからノーセックスはなくなる、あなたがそう望めば...
【了】
【履歴】2022/05/27公開