年の瀬が近付いて来ると街の騒つき方が特殊に感じる。
それは仕事終わりの忘年会が続くことで、遅くまで業務に勤しむ日々を送るではなく、限られた時間でサッサと必要最低限の仕事を片付けながら、年末までの日々を過ごすからかも知れないし、単に街中に流れるクリスマスソングのせいかも知れない。
梅雨入りした頃にニュース番組で毎年言っている「今年も既に半年が過ぎようとしている」のくだりが数日前のように思えるのだが、歳を重ねるごとに色々なことを背負いながら生きているということなのだろう、1日が過ぎるのが凄く早い。
歳をとってもこのシーズンの浮ついた感じは好きだ。こうして街中がキラキラしているだけでも、時の流れの早さを実感するし、仕事が上手くいっていてもそうでなくても何処か励まされているような気になる。
もう随分前にサンタクロースなど自分の元へは来ないと知りながら、クリスマスを特別な日の様に過ごそうとするのは何故だろう。
こうやって現実逃避しながら、また来年も似たように過ごすに違いないのだが、人というものは何かに期待を馳せながら掴みどころのない希望を持っている。ある意味では非常に前向きな生き物のようにも思う。
週末土曜日の夕暮れ時。
珍しくこの時間に電車を乗り継いで最寄りのターミナル駅で下車し、繁華街へと繰り出す。
冬のこの時期の街並みが好きだとは言いながらも、週末の夜のガヤガヤした感じが好きかと言われると、それはそれで邪魔くさい。
横に並んで歩いては進行方向を妨げていることに気付きもしない、大学生風の男性グループの間を突っ切る様に通り抜けながら指定された店に向かう。
彼らも周囲に悪意がある訳ではないので、ぶつかる寸でのところでは身を避けてくれはするものの、こちらが避けた方がいいのか立ち止まるべきなのかを気にしながら歩みを進めるのが邪魔くさい。車の運転をしている時に、要らぬタイミングでブレーキを踏まされるとクラクションを鳴らしたくなるように。
そうは言っても自分達がその世代だった頃のように、若者が周囲に敵意剥き出しという訳では無い点にも時代の流れのようなものを感じる。皆散々迷惑行為を働きながら悪びれも無く過ごしていたのに対して、最近の彼らのような若者は一々イライラして他人と揉めたりしないスタンスに我々は救われているような気もするし、こうやって学びがあるというのも不思議な感覚だ。
流石の12月の夜間帯ということもあり、待ちゆく人々は思い思いにオシャレをしながらも上には厚手のジャケットを着込んでいる。やはり流行りのブランドのロゴが入ったダウンジャケット姿が溢れている。
冬場の街を眺めていて思うのは、ダウンジャケットのフロントを上まで閉じられると、女性はその胸の膨らみ具合いがパッと見分からないので、ついつい不思議な感覚に陥りがちだ。趣向の問題なのだろう、主張の少ないメイクの美人が通り過ぎて行こうものなら、そのダウンの下が気になってしまう。特に大きな胸が好きという訳では無いのだが、何かに覆われているとついついその実際の中身そのものや想像したものとのギャップを期待してしまうのだろうか。
皆両手をポケットに突っ込み、肩をすぼめるようにしているか、指先を重ねて白い息を吹き掛けながらといった具合いに、せわしなく目的の場所へ向かっている。
終電間際であればこの街でもたまに僕はナンパをする。
これまでもこの街は思いがけない出会いが多かったため、今日も何処か期待している自分がいるのだが未だ時間が早い。
僕がそうであるように、やはり皆何か目的があって此処にいるといった様子で、家路にと駅へ急ぐというよりは、駅の改札やオフィスを出て次の予定の場所へと向かっている。終電間際の人の流れとは違うのだ。にも拘らず、まるでキャッチでもするかの様に通り過ぎる女性に片っ端から声を掛けるといった無謀な定点ナンパをしている者もいる。
数打てば当たるという理屈は間違っていないが、露骨なのと目立ち過ぎるという点で恥を晒すようでみっともないと僕が絶対に取らないスタイルだ。
一旦は僕も予定を済ませようと、待ち合わせのお店の暖簾を潜り抜けた。
先に食事を始めているそのグループの多くの知らない顔ぶれの中から顔見知りを探し、上着を脱ぎながらそのテーブルに着いた。
別のテーブルには知らない女性も沢山いて、ニット姿が体のラインを強調しているようでセクシーだ。ジャケットを脱いだら脱いだで冬の楽しみは多いのだ。
遅れて合流した僕の手元に生ビールを並々と注がれたジョッキが出されたところで、流れを遮って申し訳ないと思いながら、男性だけで囲まれたそのテーブルで静かに乾杯をしてキレの良い音を鳴らした。
知らない顔も何人かいるが、男同士でこうして乾杯しながら共通の話題で盛上るのは好きだ。女性も交えて盛上っているテーブルを余所に、僕らは僕らで思い思いの話題を切り出してはああでもないこうでもないと、空いたジョッキをテーブルの脇に寄せながらと飲み進めていく。
この場は調度1年ほど通った格闘技ジムの忘年会だった。通ったと過去形なのはつい先日退会したからなのだが、会長やプロ選手も含め何人かとは一緒に酒を飲みたいと思っていたところに、「忘年会は是非参加してくださいね!」と声を掛けて頂き、挨拶も兼ねてテーブルを囲おうと臨んだ場である。
社会人になってから足掛け10年くらい、何だかんだで移り住む街を変えながらも格闘技ジムを転々としていた。中でも縁あってか数年通ったジムでは、タイ人のムエタイの元チャンピオン数名がそこで暮らしながらコーチとしてミットを持ってくれ、週末の僕の予定とも折り合いが良かったこともあり、夕方人でごった返す前にほぼマンツーマンでミットやスパークリングの相手をしてもらい、気が付けばK-1のようなスタイルではなく5R通して試合を組み立てるムエタイスタイルの闘い方に魅了されていた。
サッカー少年だった僕にとっては、タイ人は線が細くて頼りない印象の方が先だったところ、そのタイ人達が興行で人気のある日本人の額を肘で切り裂く姿は衝撃以外の何者でも無かった。リングの外で私服姿でいれば、アジア系の普通の華奢なオジサンにしか見えないのだから余計にそう思う。
彼らの試合をリングサイドで観るのが週末の楽しみになり、年間100試合前後を会場で観戦していると、テレビ放送で実況付きで試合を観ることが出来なくなった。
スター選手が被弾しまくりながらも「効いてないですねぇ~」と言っているのを眺めながら、「フラフラじゃねーか」と、試合の実態と実況のチグハグの頓珍漢さは目が肥えてくると違和感でしかない。また、ルールを制限されたムエタイ選手をK-1選手がK.O.する構図の、試合として成立し得ないショーは見世物にしか見えなくなった。
そんなこともあって、僕もシャドーやサンドバッグを打つ姿はムエタイスタイルそのもので、他の一般会員にとってはそれっぽく見えたのか、そのテーブルでの会話でも「一度スパークリングしてもらいたいと思っていました」などという言葉を頂きながら、とんでもないと思っていた。
週末にしか練習しないので競技に絶え得る代物ではないながらも、出来そうに見えるからと数合わせにスパークリングに付き合わされては、素人のケンカのようなスタイルだが毎日練習していて体力も伴っている者が相手だとボコられてしまいがちなのだ。
僕にとっては手や足を使って距離を取り合いながら、左右のミドルを蹴り合うような掛け合いで十分で、スパークリングとなると闘牛のように突進してくる素人をいなす程の技までは持ち合わせていない。
次第にプロ選手などもテーブルに加わって来ては、あの興行のセミの試合がどうだったとか、どの選手の闘い方がどうだとかマニアックな話題に差し掛かりながら、ニットのしたから体のラインを強調させながら騒いでいる女性会員達とは会話もしないまま、つい最近タイトルの防衛に失敗したプロ選手が一軒目の締めの挨拶に入った。
店を出ながら会長が「今日は4軒目くらいまで行きますよ~~」と、僕の肩を横から抱きながら言う。会長は年に一度こうして大勢で飲むのが楽しみで仕方がないのだと言った様子だったが、朝までこれはキツいと思った矢先、LINEに同じ職場の木谷から連絡が入っていた。メッセージを確認しながら歩く速度を落としていくと次第に一行は見えなくなっていった。
どうやら木谷が彼女を伴い近くで食事をしているという言うので、そこへ少し顔を出して駅前ナンパへと切替えようと、自分なりの理由が出来たと2次会への参加は見送った。
指定した場所に向かうと、木谷が一人で身を凍えるように体を揺すりながらヒップレストに身をゆだねていた。
「彼女は?」
「ネカフェに行くっていうんで、僕だけ出てきました」
そんな訳ないだろうと思いながらも、コンビニで飲み物でも買おうかと場所を移した。
木谷とは大阪のプロジェクトで未だ彼が下請けの立場で働いていた時に知り合った。木谷は器用で仕事が出来たが、同じようなことをやりながらも下請けという立場だということで手取りの給与は僕らの3分の1ほどだったという。
そういう事実を突き付けられながら、次第に転職を考える木谷を僕が煽りながら街中を飲み步くという時間が業務後の日課になっていた。御堂筋を歩きながら、声の掛けやすそうな女性がいると外させて声を掛けては連絡先を交換しては戻る僕の姿を、木谷は他人事のように眺めてはニヤニヤしていた。
木谷は僕が紹介した転職エージェントを経由して大手のコンサルティングファームへ移り、時を経て今では同じ組織に所属しているという不思議に感覚はあるのだが、なるべくしてこうなったように思う。30代前後での身の振りは人生を左右するし、判断にも人生経験や価値観、タイミングやセンスが必要だ。木谷にはその素養や環境も揃っていたのだ。
ファームへ移ってプロジェクトを後にした木谷から何度か早朝に「城西さん、お早う御座います。朝から済みません!知らない女性が横で寝てます…」と連絡が入ったりもした。木谷もナンパで行きずりの女性と遊ぶようになっていて、仕事以外の共通の話題も出来たことに僕も嬉しくもあった。
そういった共通の話題で久々に会う木谷と寒空の下でチューハイを飲みながら盛上っていたら、周囲の人の動きから終電の時間が差し迫っていることに気付く。
僕にとってはまさにこれからといったタイミングであったが、そういえばと木谷の彼女が気になる。
「ってか彼女大丈夫なの?」
「さっきからちょいちょい連絡来てます!」
「ネカフェいるって、もしかして僕と会うから待ってろって感じだったりしない?」
「はい!」
「はい、じゃねーよ。2時間くらい喋ってただろうが。先に言えよ」
「これは僕が悪いです!(笑)」
僕も面識があるその彼女に対して悪いことをしたと思いながらも、木谷から声を掛けて来たのだからと開き直って僕はナンパに繰り出すことにした。
改札まで送るという木谷に、良いから早く彼女の所へ行けと思いながら見送られ、一旦は改札を抜けながらトイレで鏡の前に立ち、再び改札を抜けて駅の別の出口へと向かった。
この寒空の下、声を掛けて人の足を停めるのは少々気が引ける。そういう思いもあったので、一旦は駅の出口で終電を逃した風の人がいればと駅の正面の出口を目指す。
まだ終電はギリギリあるといった時間帯ではあるが、帰る場所によってはそうとも言えないそんな微妙な時間帯だ。
駅の構内を見渡すと、やはり太い柱に身をゆだねながらスマホを眺めている人が数名。
その中で俯き加減に長い髪で顔が隠れているのだが、スラっと細いパンツにレザージャケット姿の女性に先ずは声を掛けてみようと近付く。
「おねーさん、すみません。ちょっと良いですか?」
「…何ですか?」
目つきが鋭い。キツい感じでシカトされそうな圧を感じながらも、すっとぼけた感じで僕も続ける。
「終電逃しちゃった感じですか?」
「何で分かるんですか…(笑)」
「遠いの?」
「各停の終点辺りですね」
「流石にタクるの痛いね…」
「2万円近くかかると思うし勿体無くないですか…(笑)」
「確かに。朝まで時間潰す感じですか?」
「それか何処か泊まるかですかね…」
「飲み帰りとかですか?」
「いや、ガールズバーで働いてるんですけど、店長とケンカして出て来ちゃいました」
「激しいな…」
「ってかおにーさん何やってるんですか?」
「そろそろ帰ろっかなーってところだけど、もう少し飲みたいなーって感じで声掛けてるみたいな?」
「寒いし帰れるのなら早く帰った方が良いですよ…」
「わかった!店長と何でケンカしたの?話聴く!飲みに行こう!」
「話聴くってか飲みたいだけでしょ?(笑)」
「黙って一人ででも飲みたいってわけじゃないし、こういう会話誰かとしながら飲むのとはまた違うでしょ」
「良いですけど、何処でですか?寒いからここからは早く動きたいですね…」
先ほどの鋭い目つきとは打って変わり、表情も穏やかになって来た。
店長とケンカして出てきている辺り、気も強いのもあるのだろうが元々目元がくるりとしているというよりは切れ長で視線はキツい印象を与えるようだ。その分表情が崩れると優しい感じにも見える。
ファーストタッチの僕に対して心を開いた等というまでではないにしろ、場所を変えようと合意を得られていることについて先ずは手応えとしては上出来だろう。
と考えつつ、このまま無難に店に入ればいいものを、僕も思い付きで勝負に出ることにした。
「ちょっと突拍子も無いコト言うので、嫌なら嫌って言ってもらって良いんだけど、もう朝まで寝られるところに行きません?」
「どういう意味ですか?」
「僕そこでちょっと飲んで帰るから、おねーさんは朝までゆっくりしていってもらって良いです。勿論お代は僕が持ちます(笑)」
「そんなとこホイホイと行っちゃったら私おにーさんに襲われちゃうじゃないですか(笑)」
「うーん…。一応男なのでそうしたいってのは正直なところですけど、必須じゃないです(笑)」
その通りだけど必須ではないと唐突に口を突いて出たが、我ながら馬鹿な返しだと思う。
「うーん…。本気で言ってます?」
「割と本気です。ってかそれが一番良いような…」
「寝場所が決まるというのは大きいですね…」
「でしょ?」
「ただ…。しちゃうんですよね?」
「嫌じゃなければ…?」