はじめに|2グリーンを「古い日本式」で片づけない
日本のゴルフコースに見られる2グリーンは、海外の1グリーンを基準に見ると特殊な形式に映ります。しかし、その成立をたどると、単なる慣習ではありません。高温多湿の夏、寒い冬、芝草の適応性、散水設備、通風、管理技術。日本の気候で一年を通して良質なパッティング面を提供するために生まれた、極めて現実的な技術解でした。
井上誠一を理解するには、この「必要から生まれた2グリーン」と、1955年の日光カンツリー倶楽部で採用されたベント1グリーンを同時に見る必要があります。二つは矛盾しません。むしろ、井上が特定の形式ではなく、土地・気候・管理・戦略の全体最適を考えた設計家だったことを示しています。
1|霞ヶ関で起きたこと:ベント芝の理想と日本の夏
霞ヶ関カンツリー倶楽部の旧西コースは1932年に開場し、グリーンには当時の日本では新しい試みだったクリーピングベントグラスが用いられました。ところが、その年の8月の干天酷暑でグリーンは急激に悪化します。クラブ史によれば、樹林に囲まれた環境による通風不良、盛夏の湿気、水道設備を持たない浅井戸程度の潅水では、ベントの越夏が困難でした。
そこで1933年から高麗芝の第2グリーンを設置し、季節によって使用するグリーンを切り替える方向へ進みます。さらに東コースにも第2グリーンが整備され、1939年までに東西36ホールへ第2グリーンが行き渡りました。1937年に保全部長となった井上誠一は、この設計・工事の中心にいました。
重要:2グリーンの起点は「戦略性」より先に「年間コンディションの確保」だった。
