某元AV女優のウェディングドレスの件については言語化する話

絵本作家おがさん 発達支援、心の在り方ブログ
Xで大きく騒がれていましたね
これは多面的に見なければならない問題だと考えます
「若者に憧れにほしくない」
「自分の子どもになってほしくない」
「パブリックな場に出てきてほしくない」
という気持ちはよくわかるんだけど、
「自分以外の人間が何を好きになって何をするか」
とか
「どんな境遇でどんな人生を送るか」
は制御できない部分でもあるんです
大多数の人は「彼女がどんな人間であるか」を知りえません
幼少期どう過ごしたのか
何が好きなのか
どんな趣味があるのか
人間関係はどうなっているのか
などなど
他者と関わる上で必要な「相手の輪郭への理解」があまりにもなさすぎるのです
イメージだけが先行するだけの状態になっています
そういう意味では彼女を「一人の人間」としてではなく「モノ、コンテンツとして扱っている側面」があるのではないでしょうか
「一人の人間」を「モノ」として扱う時、そこに投げかけられる言葉は件のポストのようにひどく残酷な言葉になるのではないでしょうか
もう一つ側面は「人生の軌道修正」の話だと思っています
例えば迷惑ユーチューバーだった「へずまりゅう」氏は奈良の市議会議員になりましたね
彼への嫌悪感は私はもっています
私の考えは「子ども達にこういう成功のパターンは見せたくない」
と思う反面
「反省をして自分のやってきたことをひっくり返せるのを周囲に見せられるのか」
と 気になる存在ではあります
相反する二つの感情なのですが、人間はそれを持ち得るのです
反省とか書きましたが、AV出演、職業として「反省」必要なモノではないので正確な例えではないですし、別にそこに嫌悪はありません
しかし、「AV女優を引退して別の道を探っていくこと」自体
私は「筋は通している」と認識するところではあります
福祉の歴史とか勉強するとモロにそういう話にぶち当たっていくことにもなります、日本人の根底にある宗教的、精神的な「穢れ思想」に繋がっていく話です
部落差別
職業差別
障害者差別
もその種類の中の一つと言えます
「不浄」である と認識された途端に集団で差別が始まるのもこの「穢れ思想」の特徴ではあるのです
SNSでは特に「お気持ち」の投稿が多いので、こういった思想での差別が膨れあがる傾向にあります
「子どもが憧れること」への危惧に関しては
子どもが「なぜこの人が批判されているの?」と疑問を投げかけた時、大人がどう答えられるかが重要なんだと考えます
偏見を避けつつ、年齢に応じた説明や対話をどう設計するか は「大人に課せられた義務」でもある と思っているんですよ
SNSのような形でしか伝えられないようであれば「穢れ思想ベースの差別の再生産」が起こりそうなんですよね
なにより
「自分は綺麗で汚れていませんよ」という前提でモノを話されていることに強い違和感を覚えるんですよね
そんな人間存在するのかな…と
自分の書いた意見を胸を張って誰かに話すことができるのか…と
上記に挙げた部分を踏まえて「自分はどうするか、どう思うか」を慎重に選択して言語化するべきだと思うんですよね
それでもなお私は
「あなたの着るウェディングドレス、タキシードは本当に綺麗か?」は全て人に投げかけたい
こういった話の根底にありがちな「穢れ思想」みたいなものって全く関係なさそうな「就労支援の人たちがつくったパン」
とかの話と根っこが同じなんです
それは差別意識以外の何物でもないでしょう?
それらは全て「自分や自分の身内にも跳ね返ってくること」なんです
それらを考慮して言葉を紡いでいるのかなと…