はじめに ―― 言葉にならなくて、飲み込んだその息を、ここでは吐き出していい
ねえ、今、ちょっとだけ肩の力を抜いてみませんか?
もしあなたが、職場のデスクで、あるいは帰りの満員電車の中で、スマホを握りしめながらこれを読んでいるなら、まずは深く深呼吸をして。
誰にも気づかれないくらい、小さくてもいいから。
……すーっ、はぁ。
よく、頑張ってきましたね。
今日一日、あなたは本当によく耐えました。
私はサキと言います。都内のメーカーで事務をしている、どこにでもいる27歳です。
私の仕事は、書類を作ったり、電話を取ったりすること。でも、私の本当の戦いは、そんな業務の中にありませんでした。
それは「雑談」です。
給湯室で先輩たちが盛り上がっている「昨日のドラマの話」。
ランチタイムに同期たちが繰り広げる「彼氏の愚痴大会」。
そして、会議の直前にあちこちで発生する「なんでもない会話」。
私は、その輪に入れませんでした。
1対1なら、普通に話せるんです。「この資料、お願いします」って笑顔で渡せるし、「サキちゃん、髪切った?」って聞かれたら「そうなんです」って返せる。
でも、それが3人になった瞬間。
まるで魔法にかかったみたいに、喉の奥がキュッと閉まるんです。
(あ、今のタイミングで相槌打つべきだった?)
(え、今の話題、私も知ってるけど、割って入ったら変かな?)
(私が口を開いたら、場の空気が止まっちゃうんじゃないかな?)
そんなことをグルグル考えているうちに、会話のボールは遥か彼方へ飛んでいってしまって。
結局、私は曖昧な愛想笑いを浮かべたまま、地蔵のように固まるだけ。
そして後になって、トイレの個室や、夜のベッドの中で、一人反省会をするんです。
「なんであんな簡単なことができないんだろう」
「私って、つまらない人間だな」
「みんな普通にできているのに、どうして私だけ?」
あなたも、そんな夜を過ごしたことはありませんか?
まるで世界中で自分だけが、会話というリズムゲームのコントローラーを壊されているような、あの孤独感。
でもね、大丈夫。
もう、自分を責めなくていいんです。
私がこの本を書いたのは、あなたに「話し上手になるテクニック」を教えるためではありません。
「明るく振る舞う方法」や「誰とでも仲良くなる魔法」を教えるためでもありません。
私がしたいのは、あなたのその「言えなかった言葉」たちを、優しく抱きしめること。
そして、「あなたが話せないのは、あなたがダメだからじゃない」ということを、理屈ではなく、体温として伝えることです。
あなたは、弱くなんかない。
むしろ、誰よりも周りの空気を感じ取り、誰よりも言葉の重みを知っている、とても優しくて繊細な心の持ち主なんです。
この本は、誰にも言えなかったあなたのための「避難所」です。
ここでは、無理に笑わなくていい。
気の利いたことを言わなくていい。
ただ、私の声に耳を傾けて、ゆっくりと心を預けてください。
強張ってしまったその心を、私が言葉の手つきで、ゆっくり、ゆっくり、ほぐしていきますから。
焦らなくていいですよ。
さあ、少しだけ、脳の仕組みという不思議な世界を、私と一緒に覗いてみましょう。
第1章 なぜ、1対1なら話せるのに「集団」だとフリーズするのか?
ねえ、不思議だと思いませんか?
あなたは決して「言葉を持たない人」ではないはずです。
親友とカフェでお茶をする時や、恋人と二人きりでいる時、あるいは家族とリビングにいる時。
あなたはきっと、素敵な笑顔で話しているし、相手の話に「うんうん」って頷いている。
あなたの内側には、豊かな感情も、鋭い視点も、面白い感想も、ちゃんとたっぷり詰まっているんです。
それなのに。
人数が「1」から「複数」になった途端、まるでブレーカーが落ちたように真っ暗になってしまう。
急に、自分が透明人間になったような、あるいは自分だけ異星人になったような感覚に襲われる。
「私、二重人格なのかな?」なんて悩んだこと、ありますか?
安心して。それは性格の問題でも、二重人格でもありません。
ただ、あなたの脳が「とても高性能で、とても繊細なセンサー」を持っているから起きる、ごく自然な反応なんです。
この章では、その「どうして?」を、ゆっくり解き明かしていきましょう。
痛いことは何もしません。ただ、「なんだ、そうだったのか」って、納得してほしいだけなんです。
1. 「自分への意識」が高まりすぎる ― 心の中に住むカメラマン
まず一つ目のお話です。
あなたが複数人の中にいる時、あなたの頭の中には、一台のカメラが起動していると思ってください。
そのカメラは、他でもない「あなた自身」を映し出しています。
心理学の言葉で、これを「セルフモニタリング(自己監視)」と呼んだりします。
普段、1対1で話している時、あなたの意識の矢印は「相手」に向いています。
「〇〇ちゃん、楽しそうだな」「今の話、面白いな」って。
だから、自然と言葉が出てくる。
でも、人が増えるとどうでしょう?
人数が増えれば増えるほど、「見られている」という感覚が強くなりませんか?
すると、あなたの意識の矢印が、くるっと反転して、「自分」に向いてしまうんです。
「私、今どんな顔してる?」
「変な立ち方してない?」
「今、黙ってるの私だけじゃない?」
