生ぬるい風が吹く夜

生ぬるい風が吹く夜

ミカジー

ミカジー

深夜まで起きてると昔のことばかり思い出す。

大学3年目。

1995年。

年明け1月、神戸で大きな地震があった。

3月に都内の地下鉄で大きなテロ事件があった。

大げさではなくそのときの日本社会は非常事態の様相を呈していた。

自分はその非日常な世相にシンクロして異様な興奮を覚えていた。

個人的な理由もあった。

事件が起きる半年前、1994年の夏。

当時、自分は新宿のカフェバーでアルバイトをしていた。そこで同年代の同じバイトの佐伯(仮名)という男と知り合った。

佐伯は大柄な体格をしていて屈託のない笑顔が魅力的な男だった。天真爛漫。ナイスガイだった。でも少し性格的にピュアなところがあってそのことが自分には気になっていた。

夏が終わるころ、突然、佐伯はバイトを無断欠勤し連絡が取れなくなった。

少しして佐伯の母親から自分に電話があった。

「ウチにも帰ってこないんです。少しでも何かわかることがあれば教えてほしい」

佐伯が失踪する最後に会ったのは自分だった。

バイト終わりに2人で流れた新宿のションベン横丁(現・おもいで横丁)の居酒屋。

生ぬるい風が頬にあたる夜だった。

・・・・・・・・

そのときの佐伯の様子は明らかにおかしかった。

「富士に行こうと思うんだ」

自分はその意味が分からなかった。

何度か問い質したけど、佐伯の返答はついぞ当を得ずイライラした。

「いまにわかるよ」

佐伯は最後までその意味を言わなかった。

・・・・・・・・

半年後、地下鉄の事件が起きた。

ワイドショーを中心にして狂騒的な報道が数ヶ月続いた。

俺はそれらにかじるつくように追った。

そして佐伯の発言の「富士」の意味がわかった。

そして……

ミイラとりがミイラになる。

自分も心身に変調をきたして長らく精神の"冬の時代"になった。

・・・・・・・・

それから数年後。

夏の夕暮れ。

俺は新宿の歌舞伎町を歩いていた。

ケバケバしい装飾に彩られた建物に魔が刺したように入った。

「リンリンハウス」

入店して地下へ繋がる細い階段を降りる。

カウンターがあった。

稲川淳二に似ている背の低い中年男が迎えてくれた。

「いらっしゃい!」

「・・・」

「初めて?」

「はい…」

「じゃあ、1時間コースでどう?💕」

稲川のオネエ言葉による打診に無言でうなづき、店内の奥へ進む。

・・・・・・・・

歌舞伎町のその店はいわゆるテレクラだった。

店のカウンターから薄暗い細い通路へ。

小さな部屋へ案内されて少し説明を受ける。

稲川淳二似のマスターはオカマっぽい口調だったけれどテレクラ初体験の俺にも分かりやすく説明をしてくれた。

俺は当時のエロ本によく載っていた体験記事でシステムはわかっていたつもりだった。

しかしこの店はコールを早く取ったものがトークをするという方式ではなく、フロントに一度着電された女の子のコールを部屋で待っている男の客に回すタイプだった。

室内は今の時代のネットカフェのいちばん狭いスペースと同程度。シートの前のテーブルには置き電話のほかにメモとボールペン、そしてティッシュがあった。横の壁に貼ってあった西暦と元号と干支の対応表の意味は当時の俺には分からなかった。

「お兄さん、初めは慣れないと思うけど女の子と話すときは明るく接してよね?」

オカマの稲川はそう言い残して部屋を出ていった。

俺はこういうところに来る若い男には似合わない沈鬱な表情をしていたのかもしれない。

たかが、テレクラにビビっていた。

・・・・・・

俺は例の地下鉄の事件が起きた春、突然うつ状態になった。

しばらくそこから抜け出せない日々が続いていた。

いま思えばそれは若い頃には誰でもある「メンタルの曇り空」のようなもので時間が経てば治癒するレベル。決して深刻なものではなかった。

Windowsとインターネットで盛り上がる世相にキャッチアップして大学に導入されたパソコンで"アイコラ"を誰よりも早く見たしアルバイトも続けていた。そこで同年代の女の子とも接点はあった。

たまにそのバイト仲間と飲みに行くこともあった。

しかし、当時の同年代の女の子の話す内容にまったくノレず会話自体が成立しなかった。

健やかな精神。

その回復をひたすら待ちガイルしていた。

バイトで知り合った佐伯とはその後も連絡は取れずじまいだった。

ただしバイトを辞めたあとに共通の知り合いから聞いた話では例の団体に入信して富士の施設に行ったことは間違いないようだ。おそらく"時空の向こう側"に行ってしまったのだろう。

そして薄情かもしれないが俺は自分のことが精一杯で佐伯のことはいつしか忘れていた。

・・・・・・・・

リリリ!!!

目の前の電話が鳴る。

きた!

女だ・・・!

あわてて受話器を取る。

「お兄さん!じゃあ女の子からの電話回しますね💕 エッチな声しててかわいいですよ!」

稲川のオネエ声だった。

ピッと電子音が鳴り、今度は本当に若い女の声にかわった。

👱🏻「もしもし・・・」

👼「もしもし・・・」

👱🏻「こんばんはー、そちらは新宿?」

👼「あ、はい」

👱🏻「なんか声暗いね!学生?」

歌舞伎町の汚い雑居ビルの地下で知らない女と電話で話すという行為に俺は自分でも驚くほど興奮した。

そもそもこの2年ほど女と親密な空間で話してなかったのもある。

キャキャ笑いながら話しかけてくる女の声は、乾いてパサパサになった身体に沁みわたる新鮮な水のようだった。

夢中で話した。

👱🏻「彼女いるの?」

👼「いたらこんなとこ来ないよ」

👱🏻「じゃあ?エッチなお店とかも行っちゃうんだぁー!」

そのとき、佐伯との過去の思い出があざやかに蘇った。

佐伯と俺はバイト帰りや休みの日によく歌舞伎町の風俗店に行っていた。

覗き部屋、ピンサロ、ファッションヘルス・・・

思い出した。

佐伯は顔射好きだった。

「でもそれをやらせてくれるお店や女の子ってなかなか無いんだよな……」

あの妙に真面目くさった顔で言っていた。

佐伯は極度の早漏だった。

本番アリのお店で顔射許可をもらった嬢とプレイしたときは何度やっても膣から抜いたちんこを顔の前まで持っていく前に早撃ちしてしまうことを真剣な面持ちで語っていた。

フェラからの顔射ではなく膣挿入からの女の顔へのぶっかけにこだわっていた。

顔射好きというより顔射にファンタジーを見出していた

クソ真面目なところと細かなこだわりを持つ男だった。

その性格の一端があの団体への入信と少しは関係しているのかもしれない。

👼(・・・・・)

👱🏻「どうした?」

👼「いや……」

👱🏻「怒った?」

👼「お姉さんが……」

👱🏻「ん?」

👼「お姉さんが過去にしたセックスでいちばん気持ちよかったときのこと聞かせて?」

・・・・・・・・

この女の子とはコース時間を延長してトータルで2時間ほども話した。

楽しかった。

久しぶりに人と話す楽しさに頭がクラクラした。

とくにお互いの素性もわからない女の子と話すことの非日常感に興奮した。

なお、あとでテレクラのことをいろいろ調べたらこのとき俺が話した相手は「サクラ」だったと思う。

それでもその日をキッカケに自分はテレクラにハマり、そして他のさまざまなナンパ的出会いにどっぷりと浸かっていく。

・・・・・・

カウンターで追加料金を払うとき、オカマの稲川はニコっと笑う。

「お兄さん、ずいぶん長く話してたじゃない?!たぶん、エッチの約束できたんでしょう?」

粘っこい稲川の視線を背にして店を出る。

地上の歌舞伎町のネオンに目が眩んだ。

喧騒のさくら通りから駅まで歩くときの頬に当たる生ぬるい風が心地よかった。

(2024.03.19)


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