“優しいけど苦しい人間関係”の整理(3800文字)

寄り添わない心理カウンセラー【Y】:代表
こんにちは🍵
「人間関係は我慢して成り立つもの」と思っている人には寄り添わない心理カウンセラー【Y】です
相手に優しくしようとする
無理をする
我慢をする
死ぬまで我慢し続けられるなら良いんですが、まあ、そんな事はないですね
大体、自滅します
なぜなら、あなたは「いい人」ではないからです
無理に「いい人」を演じているから、ダメージを受けます
本当に「いい人」だったら、ダメージを受けません
自滅して、急に連絡を絶たれたり、病気になっていたりしたら、
周りから見ていても、良い気分ではないですし、自滅した回数分、誰かの迷惑になっています
我慢するだけの不幸で苦しい人生はやめましょう
「いい人なのに、しんどい」の正体
相手はとても感じが良くて、いつも優しい態度を取ってくれる 決して悪意があるわけでもなく、むしろ親切で、気配りもできる人かもしれない 周囲からも「いい人」と言われていて、あなた自身もそう感じている でもなぜか、一緒に過ごすとものすごく疲れるし、あとでどっと気が重くなる
この「なぜか疲れる」の正体には、自分の感情に気づかない無理が隠れている相手が優しければ優しいほど、「嫌だ」と感じる自分に罪悪感を覚えてしまうそのせいで、モヤモヤしながらも関係を切る決断もできず、距離も取れずに消耗してしまう
さらに、相手の感情に敏感になりすぎて、自分の気持ちを後回しにしてしまう「こう言ったら傷つけるかな」「機嫌を損ねたらどうしよう」と無意識に気を遣ってしまうその結果、自分を抑え続け、心のどこかで“演じている”感覚が強くなる
「自分らしさを出せない相手」との関係は、少しずつ心の自由を奪っていく優しさの裏に、見えないプレッシャーが潜んでいることに気づきにくいそして、気づいたときにはすでに“疲れるのが当たり前”になっていることがある
こうした関係は、「相手が悪いわけではない」という思い込みによって、さらに複雑になるでも実は、相手がどうこうではなく、「その人といるときの自分の状態」が重要なサインとなる「相手に問題があるかどうか」ではなく、「自分が楽でいられるか」が本質だ
“苦しい関係”を許してしまう理由
しんどいのに関係を続けてしまうのは、「嫌われたくない」という恐れが大きい 人に悪く思われたくない、人間関係を壊したくないという思いが、自分の声を黙らせていく たとえ心が疲れていても、「関係を続けることが正解」と思い込んでしまう
また、過去に助けてもらったり、感謝していたりすると、「申し訳ない気持ち」が前に出る 「この人に冷たくするのは、自分が悪い人みたいだ」と罪悪感を抱きやすくなる その結果、自分のしんどさを軽視し、「恩を返すために我慢する」ような関係になる
さらに、「優しい人を拒絶する自分はおかしいのでは?」と自己否定が始まる 周囲にも「なんであの人が苦手なの?」と理解されにくく、孤立感を深めることもある 誰かに言っても分かってもらえないと、余計に自分を責めるしかなくなる
こうして「苦しいけど切れない関係」は、心の中に静かに根を張っていく 問題を放置していると、「自分がすり減っていく」ような感覚が強まっていく 気づけば、その人と関わるたびにエネルギーを奪われ、自分が空っぽになったように感じる
「相手に悪気はない」と理解しているほど、自分だけが勝手に疲れているような錯覚に陥る でも本当は、関係に疲れていること自体が“立派な理由”になる 相手の事情や評価ではなく、「自分がしんどい」という感覚を基準にしていい
関係を整理することは、相手を否定することじゃない
「距離をとる」と聞くと、まるで相手を拒絶することのように思えてしまう でも実際には、距離をとることと、相手を嫌うことはまったく別物となる 関係を続けるか、終わらせるかの二択にしてしまうと、ますます自分を追い詰めるだけだ
本来、心地よくない関係に無理をして合わせ続ける方が、よっぽど不自然だ 「自分が壊れないための距離感を探す」という考えに変えていくことが必要となる それは、相手のためというより、まずは“自分が健やかでいる”ための配慮となる
ここで大事なのは、「相手が“いい人”かどうか」ではなく「その人といると自分はどうなるか」だ 実際、「いい人」というラベルに縛られてしまうと、本当のしんどさを見過ごしてしまう 本当は、相手の優しさが表面的で、どこか見返りやコントロールを含んでいる場合もある
つまり、「優しいように見えるけど、本当はいい人ではない」ということも十分ありえる 気を遣わせる・察しさせる・空気を支配する、そういう“無自覚な支配”が潜んでいることもある その違和感を無視し続けると、精神的なダメージはどんどん深くなっていく
「こんなに優しい人を嫌だと思ってしまうなんて、自分の心が狭いのでは?」と自分を責めがちだ でも、優しさに見えるものが、あなたにとって“圧”や“恐れ”になっているなら、それはもう毒だ どれだけ周りが「いい人」と言おうと、自分がつらいと感じている時点で、それが答えになる
だからこそ、「苦しいのは自分のせい」ではなく「その関係性に問題がある」と捉えていい 相手を否定する必要もないし、争う必要もない ただ静かに、自分の“心のスペース”を守るという選択をしていい
距離をとることは、逃げでも敗北でもない むしろ、自分を守るための成熟した態度であり、“自分の人生に責任を持つ”ということに近い
「完全に離れる」だけが選択肢じゃない
人間関係の調整というと、「会うか、会わないか」「切るか、切らないか」と極端に考えてしまいがちだ でも実際には、その間にある“グラデーションのような距離感”を選ぶこともできる 白か黒かで悩む前に、灰色のまま保つ、という選択肢も十分にアリとなる
たとえば、会う頻度を月1から半年に1回にしてみる 返事を即レスから、数日空けて気が向いたときだけにする 話す内容も、相手に気を遣わずに済むものに変えてみる そんな小さな調整の積み重ねが、自分を守るための“境界線”を生み出していく
「距離をとるのが怖い」という気持ちは当然ある でも、関係が壊れるのではなく、“形を変える”だけでも驚くほど楽になることがある そして何より、相手の反応よりも、自分の内側の感覚を優先していい
相手によっては、「最近そっけない」「前みたいに話せなくなった」と言ってくるかもしれない そんなときに罪悪感を持つ必要はない むしろ、その反応があるからこそ、今までの関係が“どちらか一方に負担が偏っていた”証拠となる
また、そもそもあなたが気づいていないだけで、相手はあなたを“自分に都合よく利用していた”可能性もある 本当の意味で“優しい人”なら、あなたが距離を取りたいと感じたことに寄り添うはずだ それができないなら、その人は優しいフリをしていただけなのかもしれない
「しんどい相手=悪い人」ではないけれど、「しんどいと感じている自分」はいつも正直だ だからこそ、極端な選択に走らず、あくまで“心地よいバランス”を探すことが最優先となる
自分を守ることも、関係の誠実さ
人間関係において、自分の心地よさを守ることを「自己中心的」と捉える人は多い だがそれは誤解であり、むしろ“自分と誠実に向き合っている”ということでもある
自分の気持ちを無視し続けてまで、誰かに好かれようとすることが誠実とは限らない 本当に誠実な人間関係とは、互いに無理をせずに関わる関係だ そのためにはまず、「自分に無理をさせないこと」が最優先となる
“優しいけど疲れる関係”は、相手に問題があるように見えるが、実はそう単純ではない 相手が本当に優しい人でない場合もある 見返りを求めるタイプだったり、支配欲を“気配り”に偽装していたりすることもある
ただ、重要なのはそこだけではない もっと厄介なのは、「あなた自身もまた、“良い人”を演じてしまっている」という点だ 本当は嫌だと思っているのに、それを言わず、笑顔でやり過ごし続けている 相手に嫌われたくない、自分が“悪者”になりたくない その思いが、あなたを「無理に優しい人間」に仕立ててしまっている
つまり、相手の優しさが本物でないのと同時に、あなたの優しさも“演技”になっている この「互いに本音を出していない関係性」こそが、疲れの正体となる 心の中では「もう無理だ」と叫んでいるのに、それを押し込めて微笑み続ける そのギャップが、あなたの心をどんどん削っていく
だから、「相手が悪い」だけでは済まされない あなたもまた、自分の感情を裏切りながら、“良い人”を続けてきた代償を払っている その積み重ねが、ダメージとして蓄積している
まずは、無理をしてでも優しく振る舞う自分に気づくことが大切だ 優しさではなく、“恐れ”からくる行動をしていないかを振り返る 自分の中の「NO」と言えないクセや、相手に期待される役割に過剰に応えようとする癖を見つめ直す
「いい人をやめること」は、相手を突き放すことではない それは、自分を大切にすることでもあり、本当の意味で“他人と誠実に向き合う準備”にもなる
本音を出すことは怖い でも、その恐れに向き合わなければ、いつまでも“演じ続ける人生”から抜け出せない あなたの優しさが本物であるためには、まず「自分に誠実になること」から始めるべきだ
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