ADHD:注意欠陥型(Inattentive Type) お気楽思考「気をつけよう」(6200文字)

寄り添わない心理カウンセラー【Y】:代表

寄り添わない心理カウンセラー【Y】:代表

こんにちは🍵

「計画性がないのは年のせいだ」と勘違いしている人には寄り添わない心理カウンセラー【Y】です

「わかってるのに、できない」という勘違い

「自分ではちゃんと聞いたつもりだった」

「やる内容は理解していたつもりだった」

そう思っていたのに、あとになってまったく覚えていない

本当に、「わかっている」のに、できないのだろうか

注意欠陥型ADHDの人は、「わかったつもり」の段階で止まってしまうことが多い

「わかっていない」という事もあるし、「わかった事を忘れる」、「わかっていたけど、本番で忘れる」という事もある

実際には、話の途中で注意がそれていたり、意識がぼんやりしていたりする

集中力が一時的に抜け落ちることで、その瞬間の情報が脳に届いていない状態となる

注意欠陥型だから、注目している事に対する意識が薄れたり、飛んだりする

ADHD(注意欠如・多動症)の注意欠陥型は、多動性や衝動性は目立たないものの、集中力の持続や注意の切り替え、計画性の保持が著しく苦手だ外からは「ぼんやりしている人」とか「忘れっぽい人」に見える

「やらなきゃ」「ちゃんとしなきゃ」と思っていても、どうしても集中できない、うっかりしてしまう、頭が散らかる

>対策はいくらでも可能

対策はいくらでも可能なのだから、改善していないのは当人の努力不足と言える

ADHDの注意欠陥型では、集中や記憶に問題が起きやすいのは事実だ

話を最後まで聞けない、予定が頭に入らない、注意がそれて内容を取りこぼす

ただし、だからといって「うっかりしてしまう」とか「できないのは仕方ない」「仕事ができない人だ」で済ませるのは違う

本人がその状態に気づき、向き合うチャンスはいくらでもある

そもそも「ミスが多い」「覚えてない」「段取りがうまくいかない」といった結果は、日常の中で何度も現れている

それを「気をつけよう」で終わらせず、具体的な対策に落とし込めるかどうかが問われる

「気をつけよう」で気をつけられるなら、ADHD注意欠陥型ではない

「気をつけよう」なんて考えが甘いし、注意欠陥型なのだから、気を付ける事はできない

ToDoリストを書く、タイマーを使う、話を録音する、何度も確認する

工夫の余地はいくらでもあるし、同じミスを繰り返すたびに「仕方ない」で片づけているなら、それはただの怠慢となる

注意欠陥は“気づきづらい”のではなく、“気づかないふりをしやすい”とも言える

困っているのに何もしないなら、それは無責任だ

できなかった原因を環境や症状にだけ求めても、現実は変わらない

脳の特性に対して“どう付き合うか”が人生の分岐になる

「できない自分」でいることに安心していないかを自分に問い直すべきだ

気づけるのに気づかないフリをしているなら、いつまでも同じところでつまずき続ける

できない理由より、できる工夫に目を向けなければ何も始まらない

>改善しないお気楽思考に、周りが疲弊する

注意欠陥型は基本的に、何度もミスを犯していても、改善しない

何度もミスしているのに、実際に、「気をつけよう」「ちゃんとしなきゃ」「なんだか忘れちゃうんだよな」という程度の意識だ

ADHD注意欠陥型は、改善できない事をあまり気にしないお気楽思考でもある

本人の内側では常に自己否定と焦りが渦巻いている事もあるが、記憶力がもたない分、過去の失敗に対する罪悪感や責任感も忘れる事ができる

本人は忘れる事ができるので良いが、周りの人間はそうはいかない

ADHD注意欠陥型の人に比べれば、どうしても、周りの人間の方が記憶力が良い

だから、本人よりも、周りの方が困っている

注意欠陥型ADHDの主な特徴と記憶の問題

・話の途中で注意が逸れてしまう ・聞いた内容が頭に残らない/記憶に入らない ・忘れ物、約束忘れが日常的に起きる ・予定や指示を聞いた直後から忘れてしまう ・タスクの優先順位をつけるのが苦手 ・マルチタスクに弱く、すぐに混乱する ・どこに何を置いたかを覚えられない ・興味があることにだけ極端に集中する(過集中) ・興味がないことは一瞬で意識が飛ぶ ・作業に取りかかるまでに非常に時間がかかる ・短期記憶に保持できないため、人の話を何度も聞き返す ・中期記憶も弱く、昨日の会話や学習内容を保持できない ・自己管理がうまくいかず、「なんでできないのか」が自分でもわからない ・何度も同じミスを繰り返し、自責に陥りやすい ・一見「お気楽」に見えて、実は思考停止していることもある

これらの特徴は、「だらしない」「集中力がない」と誤解されやすく、周囲からも自分自身からも責められやすい

注意欠陥型ADHDの困りごとは、ただ「集中できない」だけではない 話を聞いていても、途中で意識が飛んでしまい、内容が断片的にしか頭に残らない これは“聞いていない”のではなく、“聞いていても記憶に入らない”状態に近い つまり、短期記憶(ワーキングメモリ)にうまく保持できず、その場限りで情報が抜け落ちている 予定を聞いた瞬間は理解していても、1時間後にはまったく覚えていないことも珍しくない 約束を忘れるのは「気にしてないから」ではなく、「記憶に定着する前に抜けている」から起きる タスクの優先順位がつけられないのも、情報を一度に整理・保持する能力が弱いためだ 頭の中で複数の情報を持ち続けられないため、マルチタスクになると一気に混乱しやすくなる 探し物が多いのも、物をどこに置いたかを覚えておけないからで、「そもそも記憶されていない」ことが多い さらに、興味があることには極端に集中できる“過集中”の傾向も見られるが、それ以外は意識がすぐに飛んでしまう 何かを始めるまでに時間がかかるのは、頭の中が混沌としていて、何から手をつければいいかが見えないからだ 中期記憶にも影響があり、「読んだ内容を翌日には忘れている」「昨日言われた話が思い出せない」ことも多い こうした記憶のズレは、日常生活の中で「信用できない人」というレッテルにつながりやすい そして本人も、「何度やっても覚えられない自分」を責め、自己否定を深めてしまう だからこそ、特性として理解した上で、覚え方・管理の仕方を意識的に変えていく必要がある

「できない自分」はつらいのか

注意欠陥型の人が感じている苦しさは、単なる“不注意”の問題ではなく、次のような深層心理に根ざしていることが多い

・頭の中が常に散らかっていて、落ち着く暇がない ・「気づいたらこうなっていた」が日常茶飯事 ・失敗するたびに「またやっちゃった」と強く自分を責める ・「ちゃんとしなきゃ」と思えば思うほど手が止まってしまう ・うまくできている“フリ”をして、限界までがんばってしまう

こうして、表面上は「普通」に見せながら、心の中では自己肯定感が削られ続けていることも少なくない

注意欠陥型の人が感じている苦しさは、ただの「不注意」や「忘れっぽさ」ではない

もっと根深く、もっと混乱していて、しかも“うまく言葉にできない”からこそ、余計につらくなる

頭の中は常に散らかっていて、一つのことに集中しようとしても他の情報が次々に割り込んでくる

「やらなきゃ」と思っても、「何を」「いつ」「どうやって」やればいいのかがつかめない

だから動けないその間にも時間だけが過ぎていき、自己嫌悪が積もっていく

失敗するたびに「またか」「なんでこうなるんだ」と自分を責めるが、その責める感情すらも数時間後には曖昧になる

つらいはずなのに、それすら継続して記憶に残らない

「もう限界」と思っても、一晩寝たら忘れて、また同じことを繰り返す

この“つらい→忘れる→またつらい”のループは、回復ではなく消耗をもたらす

本人にとっては、「なぜ私はこうなんだろう」という疑問がずっと消えず、誰にも説明できない空虚さになる

そして周囲には、いつも笑っているように見えたり、のんびりしているように見える

だから「そんなに苦しそうに見えない」と言われて、余計に孤立感が強まる

できないことは山ほどあるのに、それを正面から共有する手段がない

結果として、“うまくやれているふり”をして、自分をすり減らしていく

何が問題なのかを説明できず、でも確かに苦しくて、それもまた忘れてしまう──そんな疲労が続いていく

つらさを感じるが、それすらも記憶に残らない

失敗のあとの落ち込みは深く、時には泣きたくなるほどの苦しさを感じる けれど不思議なことに、その痛みは次の日にはもう薄れている 「昨日あれだけつらかったのに、なんで今はぼんやりしてるんだろう」 それは回復ではなく、単に“記憶できていない”だけのことが多い 短期記憶や中期記憶が不安定なため、感情の痕跡すらも定着せず、曖昧なまま流れていく 反省も薄れる学びも抜けるそして同じ失敗をまた繰り返す ループの中で、「自分がどうして苦しんでいたのか」がわからなくなる 記録を残そうとメモしても、そのメモの存在を忘れる 注意を向けるべき対象が定まらず、目の前のことに飲み込まれていく 何が原因だったかを見つける前に、日々の混乱が次の混乱で上書きされていく

毎日、他人に責められ、自分にも責められる

注意欠陥型ADHDの人は、周囲からの叱責を日常的に受ける 「また忘れてたの?」「ちゃんと聞いてた?」「前にも言ったよね?」 こうした言葉は、責めているようでいて、実際にはもう“見限られる手前”の言葉だったりする 怒っているというより、呆れているそういうニュアンスが積み重なる 本人としては、頑張っていたつもりでも結果が出ない そのズレを説明することもできず、ただ謝ることしかできない

そして、外からの責めがあるほど、内側ではさらに強く自分を責めている 「なんで私はこんなこともできないんだろう」 「やろうと思ってたのに」「ちゃんとやるつもりだったのに」 こうした自己攻撃は、改善や分析ではない “責めて終わるだけ”の、何も生まれない思考ループにすぎない けれどそれでも繰り返す毎日のように そして毎回、自分の価値を少しずつ削り取っていく

本来なら、失敗したら原因を探し、次に活かすべきだ でも注意欠陥型の人は、その「原因」にうまく辿り着けない 記憶が曖昧で、「どこで失敗したのか」がぼやけている だから、「またできなかった」という“結果だけ”が残り、ひたすら自分を叩くしかなくなる これはまさに、改善ではなく破壊となる

仕事をする相手としては、避けられて当然だ

はっきり言って、注意欠陥型の人と仕事をするのは、かなりのリスクを伴う 話した内容を忘れる指示を取りこぼす期限を守れない物をなくす優先順位をつけられない 「うっかり」「忘れてた」「聞いてなかった」「あとでやるつもりだった」そんな言い訳が続く相手に、安心して業務を任せられる人はいない 一度や二度なら周囲も笑って許すかもしれないだが三度、四度と続けば「もう無理だな」と判断される 本人が自覚する前に、相手は静かに距離を置いていく 「この人とは一緒に仕事をしたくない」と思われるのは、もはや当然の流れだ いくら性格が良くても、ミスを繰り返す相手には信頼が積み上がらない それは冷たさではなく、現実的な判断にすぎない できないことを自覚し、改善の努力をしている人と、ただ流されている人では、まったく印象が違う そして残酷なようだが、後者は“淘汰される側”になる

本人がつらさに気づく前に、人が離れていく

いちばんの問題は、本人が「なんかうまくいかないな」と思い始める頃には、すでに多くの人が離れているということ 仕事でも、友人関係でも、パートナーシップでも、“ズレ”は早い段階で見抜かれる そして相手は、「あ、この人と関わると疲れるな」と感じて離れていく それでも本人は「自分のせいじゃない」と思い込み、「理解されなかった」とだけ記憶に残す 自分の困りごとに気づけないまま、「また関係が壊れた」とだけ受け取る 何が原因だったかを真剣に振り返らない限り、同じパターンが繰り返されていく そして、気がついた頃には、もう近くに誰も残っていない それが注意欠陥型の現実であり、本人の責任でもある

脳は「無力感」によって確実に傷ついていく

毎日何かを責められ、毎日何かを忘れ、毎日何かができていない こうしたサイクルの中で生まれるのは、「またか」「どうせ無理だろう」という学習性無力感だ 何度やってもできない経験が重なると、脳は「努力しても意味がない」と結論づけるようになる そして、挑戦しなくなる改善しなくなる自分の失敗にも麻痺する そうやって“考えない脳”ができあがっていく 自分で考えず、人にも頼れず、ただ無感覚のまま時間だけが過ぎていく

この無力感と習慣的ストレスは、脳機能そのものを損なっていく 注意の調整・記憶の保持・思考の柔軟性──そういった能力が鈍っていく 結果、年齢を重ねるごとに「なんか最近ひどくなってきた」と感じるようになる それは気のせいではない 実際、注意欠陥型の人は将来的に認知症リスクが高まりやすいという研究もある

ADHDは発達障害だが、放置していると脳の萎縮・機能低下という“老化”につながる たとえば前頭前野の働きが弱くなれば、注意や感情のコントロールがさらに効かなくなる 短期記憶の脆さが続けば、学びが定着しないどころか、忘却が日常化していく 「何度も言ったよね?」に対して、「本当に覚えてない」状態が当たり前になる

「つらい」では済まされない未来が待っている

今は「困ってるだけ」で済んでいても、何も対処しなければ、 いずれ「壊れていく」ことになる 外からの信頼は失われ、内側の自信はすでにない そして脳の可塑性も、年齢とともに下がっていく

注意欠陥型は、最初から脳に難しさを抱えている だからこそ、“守り”に入ってはいけない 放っておけば、思考は浅くなり、感情は麻痺し、言い訳だけが上手くなる それが“お気楽思考”の正体だ そしてその思考では、未来は確実に暗くなる

心理カウンセリングでの支援と“責めない自分”の育て方

注意欠陥型ADHDに対する心理支援では、できない事の対策をしつつ「できなかったこと=ダメな自分」という発想を手放すことが最優先となる

・自分の苦手な特性を客観的に理解していく ・「できなかったこと」を責めずに、事実として整理する ・タスクや予定を視覚化する支援(ToDo/タイマーなど) ・自分に合った集中環境やリズムを探っていく ・「ダメな自分」ではなく、「困っていた自分」と出会い直す

心理カウンセラーは、「もっとしっかりして」と叱る人ではなく、「工夫の仕方」を伝えられる存在である必要がある

今後も寄り添いませんが、続きが気になったら「スキ」で応援しておいてください

続きを書くかもしれません


あなたも記事の投稿・販売を
始めてみませんか?

Tipsなら簡単に記事を販売できます!
登録無料で始められます!

Tipsなら、無料ですぐに記事の販売をはじめることができます Tipsの詳細はこちら
 

この記事のライター

このライターが書いた他の記事

  • 「寄り添い」とは何か?「共感」とは違う。共感した心理カウンセリングの失敗(3900文字)

    ¥200
    1 %獲得
    (2 円相当)
  • うつ病(精神疾患)と頭の悪さの関係~どの心理カウンセラーも隠している事実~

    ¥400
    1 %獲得
    (4 円相当)
  • 精神疾患だと、文章が読めない(3000文字)

    ¥300
    1 %獲得
    (3 円相当)

関連のおすすめ記事

  • 『嫌でも偏差値が上がる勉強法』- SNS時代を攻略して劇的に成績を伸ばす方法

    ¥1,980
    1 %獲得
    (19 円相当)
    那々

    那々

  • 【319部突破】コスパ&ノーストレス!現代人に贈る”ネオリーマン”のススメ

    ¥5,980
    1 %獲得
    (59 円相当)
    HIDE

    HIDE

  • 【15部突破】弱者逆転のアフィリエイト戦略!1週間で1万円を稼ぐ最速メソッド

    ¥4,980
    1 %獲得
    (49 円相当)
    ジャッカル🦊🔥パラレルマネジメント:本業と副業の両立

    ジャッカル🦊🔥パラレルマネジメント:本業と副業の両立