こんにちは🍵
専門用語に安心してしまう人には寄り添わない心理カウンセラー【Y】です
Xでは特に「希死念慮」という言葉、よくみかけます
あなたも使った事ありますか?
精神疾患のかたがこの言葉を多用するのが、ものすごく不思議です
皆さんも、例えば仕事で専門用語だらけの話をする人って、嫌いですよね
「アジェンダにエビデンスを・・・」
「コンセンサスが・・・」
「アグリーです」
専門用語って、伝わりづらくなるから、嫌なはずです
専門用語で『かっこつけてるだけ』の感じがします
「希死念慮」も同じです
「希死念慮」なんて言葉を使っても、何も伝わらないし、かっこもつかないのでやめましょう
希死念慮や自殺念慮という言葉は、あなたの苦しみを伝えない
希死念慮や自殺念慮という言葉を最近よく聞くようになった SNSでも、精神疾患に関する情報発信でも頻繁に使われている しかし、実際にはこれらの言葉を使うことで、苦しみを伝えられている人はほとんどいない それどころか、自分の抱える感情や悩みを、ますますうまく表現できなくなってしまっている場合もある 希死念慮や自殺念慮という言葉は、そもそも仏教用語から生まれた概念であり、一般の人が普段の生活で使っている言葉ではない 自分自身の感じている辛さや苦しみを、「希死念慮」などと仏教用語に置き換えた瞬間から、あなたの中にある本当の悩みや思いはどこか遠くなってしまう 日本語で適切に伝えたいことを伝えるためには、自分の心の状態を正確に言語化する必要がある 希死念慮や自殺念慮という言葉を使うとき、人はそれを「苦しい」「死にたい」「生きるのがつらい」などと置き換えて説明することを避けてしまう傾向にある 結果として、自分自身が本当に苦しい理由や具体的な感情から目をそらしてしまい、問題を曖昧にしたまま、自分や周囲の人とのコミュニケーションが取れなくなっていく あなたが使う言葉は、あなた自身の感じていることをリアルに表現するための道具だ しかし、多くの人が自分の苦しみを「希死念慮」などの抽象的な専門用語で表現することで、その悩みの具体的な本質が隠され、伝えたいことがますます伝わらなくなる 特に、日本語は微妙な感情のニュアンスを豊かに伝えられる言語だ あえて難しい仏教用語や専門用語に頼るよりも、自分の感情をありのままに、正直な言葉で表現するほうが、相手にも自分にも届きやすい言葉になる
仏教由来の専門用語で苦しみを伝えようとすることの問題
希死念慮や自殺念慮という言葉は、もともとは仏教の思想から派生した用語だ