共感疲労(コンパッション・ファティーグ) “人のつらさをわかろうとした”その先で、あなたが疲れてしまう理由(3300文字)

寄り添わない心理カウンセラー【Y】:代表
こんにちは🍵
自分の精神の管理ができない人には寄り添わない心理カウンセラー【Y】です
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共感疲労とは何か
共感疲労(コンパッション・ファティーグ)とは、他人の痛みや苦しみに寄り添い続けることで、自分自身のこころが摩耗してしまう状態を指す
とくに、他人のつらさを受け止めることが日常業務になっているような人──医療、福祉、教育、心理支援などに従事する人たちに多く見られる
また、家族やパートナーのケアを担っている人、職場で常に「聞き役」に回っている人、友人関係の中で“頼られる側”であり続ける人にも起こりやすい
「話を聞くのが得意」「人の気持ちがよくわかる」と言われてきた人ほど、内側で静かに疲れを溜めていく
この状態は、単なるストレスや「少し疲れている」では片付けられない
“共感する力”があるからこそ、それに比例して“共感のダメージ”も受けやすくなる構造がある
自分の感受性を守るためには、早期にその消耗を認識する必要がある
自覚できる人は少なく、「気づいたときにはもう限界」というケースも少なくない
だからこそ、名前がついている段階で知っておいた方がいい
どんな人が“共感疲労”に陥りやすいのか
共感疲労は、誰にでも起こりうるが、特に以下のような立場にいる人がなりやすい傾向がある
・医師、看護師、介護士、セラピスト、心理カウンセラー
・保育士、教師、スクールカウンセラーなどの教育関係者
・精神疾患・障害・病気を抱える家族を支えている人
・パートナーや友人、職場で“相談役”を担っている人
・傾聴や共感が“当たり前のふるまい”として求められている人
これらの人たちは、“誰かのつらさを見て見ぬふりができない”という特性を持っていることが多い
だからこそ、支えることが日常になり、気づかないうちに自分の感情や限界を後回しにしてしまう
また、過去に「助けられなかった経験」「頼れなかった過去」がある人は、誰かを助けることで自分の存在価値を感じやすくなる
その分、限界を超えても支え続けようとしてしまい、共感疲労の沼に沈んでいくパターンがある
「人に優しくすること=自分の存在理由」となっている人は特に注意が必要となる
共感疲労に陥りやすい人の思考のクセ
共感疲労を抱える人は、一見すると冷静で穏やかに見える
でも内側では、こんな思考のクセをもっている
・私が頑張らないと、この人が壊れてしまう気がする
・誰もちゃんと聞いてあげないなら、私が聞くしかない
・自分がやらないと、この場が回らない
・自分の感情なんて、いまは後回しでいい
・自分が責任をとれば良い
・作業時間の代わりに睡眠時間を削れば良い
・この人が安心してくれるなら、それでいい
・泣いてる相手の前で、自分がしんどいなんて言えるわけない
・もう少しだけ頑張ろう、今日だけ、あと一回だけ
・私が疲れてるなんて、ただの甘えじゃないか
・たぶん私より、あの人のほうがずっと大変だ
・誰かに頼るくらいなら、一人で潰れた方がマシ
これらは、外に出されることのない“支援者の独白”となる
そしてこの心の声が、誰にも拾われないまま蓄積されていくと、共感疲労は一気に深まる
「優しいね」と言われる人ほど、その裏に“何も言わずに我慢してきた履歴”を持っている
それは美徳ではなく、ただの“自己犠牲”だ
「疲れてるだけ」で済ませると壊れていく
共感疲労は、「気合いが足りない」とか「最近ちょっと忙しいだけ」と誤解されやすい
けれど実際には、他人のつらさを自分の心の中に“コピー”してしまうことによって、心が少しずつ削られていく状態となる
この疲れ方は、運動した後のような筋肉痛ではなく、静かで、誰にも気づかれず、長期的に効いてくるタイプの消耗だ
・以前より感情の反応が鈍くなっている
・何をしても楽しめない
・人の話を聞くことに、以前のような集中ができなくなっている
それでも、周囲からは「頼りになる人」と見られている
だからこそ、「弱音を吐けない」「これくらいで疲れてる場合じゃない」と自分をさらに追い込んでしまうことになる
共感疲労が慢性化すると、うつやバーンアウト、離職や人間関係の破綻に発展するリスクもある
「ただの疲れ」では済まないと認識することが、回復への第一歩となる
支援者が抱える“優しさの副作用”
共感疲労が進行していくと、心と体のあらゆるところにその影響が現れ始める
・眠りが浅くなり、夢の中でも仕事をしているような感覚になる
・喜怒哀楽が感じにくくなり、感情の起伏が平坦になる
・少しのことでイライラしたり、落ち込んだりが激しくなる
・「私だけが頑張っている」「誰もわかってくれない」という思考が強まる
・以前は楽しめていた音楽や読書、映画などにも興味が持てなくなる
こうした変化は、“優しさの代償”として起きる反応であり、「性格が変わった」「飽きた」といった表面的な変化ではない
誰かを助けようとして動き続けた結果、自分の感情エネルギーを燃やし尽くしてしまっている状態とも言える
本当は、こうなる前に立ち止まることが望ましい
だが、支援者であればあるほど「まだやれる」「まだ頑張れる」と思い込むクセが強いため、気づいたときにはもう心のブレーキが壊れている
「感じないようにしよう」としても逆効果
共感疲労に陥った人がよくやってしまうのが、「もうこれ以上、人のことに感情移入しないようにしよう」という方向への対処だ
けれど、これは逆効果になるケースがほとんどだ
共感する力は、“スイッチのON/OFF”ではなく、“チューニングの問題”である
つまり、“完全に切る”のではなく、“自分のペースに合わせて扱う”ことが必要になる
・感じすぎたことを誰かに話せる場所をつくる
・一人になれる静かな時間を日常に組み込む
・自分の心が「今、どんな状態か」を定期的に確認する
そうしたセルフモニタリングの習慣が、“共感力を持ち続けるための回復装置”になる
「共感しないようにする」のではなく、「共感したあとをどうケアするか」が鍵となる
他人を守る前に、自分を管理するべき
共感疲労に苦しむ人のなかには、「どうしてこんなにしんどいのか、自分でもわからない」という状態に陥っている人が多い
だが、原因は簡単だ
共感疲労になる前に、自分を管理できていなかったというプロセスがある
最初の段階では、単なる“努力不足”であることが多い
・体調が崩れ始めても、改善しようとしなかった
・仕事がパンクしかけていても、断る訓練をしてこなかった
・生活リズムが乱れていても、「そのうち整う」と放置していた
・「自分も疲れてる」と気づいていながら、見て見ぬふりをしていた
これらはすべて、“管理不足”であり、“訓練不足”だったということ
つまり、“心がやられる前に、ちゃんとやるべきことをやらなかった”という話でもある
そこを努力不足として放置してきた結果、無理が重なり、やがて“共感疲労”という名前の消耗が始まる
だから、「共感疲労は病気です」と片付けてしまうと、そこにあった“日々の選択ミス”や“優先順位の崩壊”が見えなくなる
大切なのは、「どうしたら壊れないか」ではなく、「壊れる前に何を怠ったか」に目を向けること
共感疲労の根は、感情ではなく“習慣のミス”である可能性が高い
共感疲労に苦しむ人の多くは、「他人には優しいのに、自分には冷たい」という矛盾を抱えている
・私なんかよりもっと大変な人がいる
・私が倒れたら、周りに迷惑をかけてしまう
・これくらいで限界とか、まだまだ甘い
そうやって自分を責め、追い込み、最終的には自分も周囲も巻き込んで倒れていく
支援の現場でよく見られる、“いい人が燃え尽きていなくなる”という典型的なパターンがこれになる
共感疲労を防ぐ最初の一歩は、「自分にも同じくらいの優しさを向ける」ということだ
感情を感じたときにそれを否定しない
疲れたときに“休んでいい”と自分に許す
助けたい気持ちと同じ熱量で、自分の回復を考える
それが“本当の共感力”を持ち続ける条件になる
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